第二話 個人傭兵の秘密
戦いというのは、魔法が全てではない。しかしながら強力な魔法という存在が、戦場において無視できない要素の一つなのは確かだ。
ランドルフはクラリエッタの引き締まった横顔を見て、彼女の魔法を中心にした襲撃計画を……その一つ一つを、確かめるように思い浮かべた。
クラリエッタの瞳に冷たい熱が宿る。
「――我が声に応えよ、魔本【シルエナ】」
彼女が母親の名を呼べば、宙空で青白い光を放っていた魔法の本は自らサァッとページをめくっていく。
母親の魔人革を用いた魔本【シルエナ】に綴られているのは、一つのページに一つずつ、異なる魔物皮紙に記録された様々な魔法たちだ。クラリエッタはまるで母親と会話をするように、魔法の中から一つを選ぶ。
「――蹂躙せよ、〈燃え上がる小鬼群団〉」
炎のように揺らめく魔力。
それはクラリエッタの母親が生前に持っていた魔力特性であり、実の娘であるクラリエッタにもそのまま受け継がれているものだった。
彼女にとって、母親の魔本は魔法触媒として見れば完璧な存在である。僅かな魔力から最高効率で増幅された魔法は、燃え盛る小鬼の集団を次々と生み出していく。
小鬼たちは容赦なく警備兵を火だるまにし、歴史ある領城の正門を激しく炎上させ、門扉に焼け爛れた穴を穿つ。自らの魔法で初めて人を殺したクラリエッタではあるが……今はまだ、命の重みに思考を割く余裕はないようだ。
魔法師と触媒の親和性。
その点において、今のクラリエッタは最強。
そんな魔法が生み出す惨劇を眺めながら、ランドルフは一丁の魔導銃を右手に構える。
「〈装填〉……〈雷弾〉、〈雷弾〉、〈雷弾〉」
立ち止まった者など、ただの的。
気の抜けた警備兵を殺すことなど造作もない。
「……頼もしいですね」
「一応、これで飯を食ってるんだ」
完全に後手に回った警備兵が苦し紛れの魔法を放つ一方、ランドルフは左手の魔剣を握ると、クラリエッタの前に出てクルクルと踊る。それだけで、あらゆる魔法は切り裂かれ、弾き飛ばされ、無効化されていく。この程度の温い魔法合戦で傷を負うほど、彼は甘い傭兵ではない。
二人きりの奇襲作戦は、まずまずの滑り出しと言って良いだろう。ランドルフは、スッと目を細めて空を見上げた。
「雷鳥からのお知らせだ。意外と判断が早かったな……魔法騎士団が領城前庭で防備を固め、木端の警備兵は下がったらしい。いよいよ本番、楽しい正面突破の時間だ」
「……使い魔って便利ですのね」
「言ったろ。魔法が全てではないんだよ」
クラリエッタは追加の小鬼を生み出しながら、ランドルフを伴って悠々と門扉をくぐる。
その先の広い領城前庭には、お行儀よく隊列を作った数多の魔法騎士たちが左手に魔本を浮かべていた。彼らは攻撃の合図を今か今かと待ちながら、嗜虐的な笑みを浮かべる。
中でも特に派手な鎧を着ている魔法騎士団長が、口元をニタァと獰猛に歪めた。そして。
「総員、撃てェ!」
合図とともに、各々が得意な魔法を詠唱。
それを受けるのは、クラリエッタの魔法だ。
「――守れ、〈炎を纏った粘体要塞〉」
果たして、数多の魔法を受けた要塞は。
その全てを弾き返し、綻び一つ見せない。
「これなら大丈夫そうだな」
「ランドルフ」
「ちょっくら掻き回してくる。上に穴を空けてくれ」
全周を囲っていた粘壁の上部が穿たれると、ランドルフは左右のブーツをカンと打ち付け合い、魔装を起動してふわりと宙を舞う。クラリエッタは彼が通り抜けた穴を塞いで、ふぅと呼吸を整えた。
彼女は急いで母親の魔本をめくる。
彼を援護しなければ。
「――切り拓け、〈焼き斬る骸骨騎士〉」
ランドルフは右手に魔導銃、左手に魔剣を持って、荒れ狂う魔法の中を踊っている。その周囲では、十体の骸骨騎士が自らの身体を燃やしながら剣を振るい始めた。
その様子を確認したクラリエッタは目を閉じ、瞑想を始める。今は魔力回復に努めるのも彼女の役目だ。
「ランドルフ……どうか無事で」
一方の魔法騎士団長は、額に脂汗を浮かべ、腹の底から突き上げるような焦りの感情を隠しきれずにいた。
自分や部下が所持している魔法の本は、魔人を材料に作られた強力なものである。並の障壁魔法ならば一瞬と保たずに蒸発させられるはず……そんな自負はいつしか油断と慢心に変わり、最近では魔法性能の上に胡座をかいて力押しの作戦行動しか取って来なかったのだ。
おかしい。自分たちは狩る側の人間、蹂躙する側の人間だったはずだ。領民も敵兵も、男はなぶり、女は犯し、子どもの泣き声を愉しみながら老人の命乞いを踏みつける。ひとしきり遊んだらみんな魔本の素材にしてやって……そうやって面白おかしく生きていただけなのに。
なんだあの小娘は。魔法触媒との親和性において、自分たちの上をいく存在などあり得るのか。それに、なんだこの小僧は。目の前で部下たちの首を次々と刎ねていく若い傭兵は。
まるで雷……まさか〈雷速〉のランドルフか。
そう考えた瞬間、突如として彼の脳裏に鮮やかな記憶が蘇ってきた。あれはそう、自分がまだ魔法騎士として訓練の日々を送っていた時のこと。とある貴族家に、同じように雷を纏った少年がいたはずだ。
「そうか! お前はクランベリア公爵家の神童!」
団長の言葉に、ランドルフの顔が僅かに歪む。
「皆の者、聴けい! ヤツは魔法を使えん、結局は身体強化だよりの奴だ! かつて神童と持ち上げられながら、魔法の本と契約できなかった落ちこぼれ、貴族家を追放された男なのだよ! ハッハッハッ、落ち着いて戦えば勝てるぞぉぉぉ! 距離を取って魔法を浴びせかけろぉぉぉ!」
オウ、と気勢を上げる魔法騎士。
その頭部を雷弾で吹き飛ばしながら、ランドルフはさらに速度を上げた。
「魔法の本が開けない。あの時は詰んだと思ったが」
上空を飛翔していた雷鳥から、雷の雨が降る。
ランドルフの左手には雷を纏う魔剣が握られ、敵の魔法を切り裂き、弾き返し、呆気に取られている敵の首を刎ねた。
「戦いは、魔法が全てではないんだ」
ランドルフは左目を覆っていた眼帯を外す。
これも数ある切り札の一つ。
彼の左目に睨まれた魔法騎士が、突然痺れたように動きを止めた。バチバチと紫電を纏うその目――魔眼に睨まれた者は、雷に打たれたように呼吸すらままならない。そうしてまた一つ、魔法騎士の首が狩り取られる。
魔眼による麻痺はほんの一瞬。
しかしその刹那が〈雷速〉の前では命取りだ。
ランドルフが魔法騎士たちを翻弄していく中、後方から戦場を俯瞰しながらクラリエッタは考える。一人の人間が集中力を保てる時間は限られている……だから彼の猛攻は短期的なものである。このまま頼りきりになってしまってはいけない。
彼女は母親の魔本から、一つの魔法を選んだ。
「――突き抜けろ、〈喰い破る炎牙の巨狼〉」
暴力的な焔で形作られた巨狼。それは魔法騎士団の中央部を猛火で焼き払いながら、その巨体に見合わない駿足で前庭を真っ直ぐに突き抜け――
目を焼くような閃光と爆炎。
少し遅れて轟音と暴風。
精鋭揃いの魔法騎士団の面々がマヌケ面を晒して視線を送る先では、彼らの遥か後方、本来守るべきであった領城に大きな風穴が穿たれていた。
騎士団が混乱に陥る中、いまだ勢いの衰えない雷速の傭兵、そして彼を守るように展開する骸骨騎士たちは、血塗れのダンスを踊り続ける。その舞踏会では、誰一人として壁の花でいることはできない。可憐な令嬢から放たれる怨嗟のような業火が、魔法騎士たちが傍観者でいることを決して許さないからだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ランドルフの使い魔である雷狐が、捕らえられていた人たちを発見した。その知らせに、クラリエッタは残り少ない魔力を絞り出すようにして魔法を唱える。
「――導け、〈人を惑わす松明妖精〉」
この魔法を使えば、要救助者を安全なルートで退避させられる。そう時間はかからず脱出できるだろう。
ランドルフとクラリエッタが派手に暴れたのは、捕らわれた人々を救出するための陽動、いわば囮とも言うべきモノだったのだが……予想していたより、魔法騎士団は腰抜けであった。
長らく魔本頼りで戦闘勘の鈍っていた魔法騎士団は「領主様を守るのが第一だ」などと情けない口実を並べて、早々に撤退していき、領城前庭に転がるのは死体ばかりだ。
致命的な傷は負っていないものの、すっかり疲弊してしまっていた二人は庭木に隠れるようにして並んで腰を下ろす。
「クラリエッタ、喉は渇いてないか?」
「……えぇ、少し」
「じゃあ、これを飲むといい」
そう言ってランドルフが差し出してきたのは、魔力ポーション……彼がいざという時のために持っていると言っていた、非常に高価な水薬であった。
「これは……緊急時の備えなのではないですか?」
「うん。緊急時の備えだよ。だから飲めと言っている」
「わたくしは別に……いえ、有難く頂きますわ」
クラリエッタはそう言って、受け取ったポーションを一息に飲み干す。
すると胸の中がじんわりと温かくなる感覚がして、手足に力が籠もる。そうなって初めて、自分がどれだけ限界まで魔力を消耗していたのか、ようやく理解できた。さすがランドルフは、そういった彼女の状態を見抜いていたのだろう。
張り詰めていた空気が少しだけ緩む中、ランドルフがポツリと呟く。
「クラリエッタ……君は死ぬつもりだったろう?」
そんな言葉に、彼女の表情が僅かに強張る。
確かに彼女は、今後長々と生きながらえるつもりはなかった。様々なお題目は並べたけれど……実際の彼女は、力の限り壊して壊して、ひたすら暴れ回りたかっただけなのだ。荒れ狂う感情を父親にぶつけ、闘争の中でこの人生を終わらせたかった、それだけの女。
もちろん、やり遂げる前に命を落とす可能性の方が高いと思ってはいたが。奇跡的に生き伸びたとしても、結局は命を断つ心積もりでいたのである。
「ま、良いんじゃないか。殺しちまえよ」
「……ランドルフ?」
「貴族のクラリエッタは、今日のこの場でおしまい。頭のネジがぶっ飛んだお嬢様は、全てが終わったら死んでしまいました……そういうことにして、君は晴れて自由の身だ。どうだ、一緒に傭兵でもやらないか?」
ランドルフのあんまりな言葉に、クラリエッタはついクスクスと笑ってしまう。
「わたくしが傭兵に? 想像つきませんわ」
「そうか? それなら、形から入ると良い。例えば二つ名でも名乗るとか……そうだな、〈業火〉のクラリエッタなんて良いんじゃないか。ポメグラネイト伯爵領に限らず、クソみたいな奴らは世の中どこにでもいる。そいつらを地獄の炎で焼いて回るような馬鹿な傭兵が、一人くらいいても良いだろう」
まったく、おかしな人だ。
彼女はそう思いながら、胸の中にあった冷たいモノを一つ、そっと取り出して投げ捨てることにした。無力だった貴族令嬢のクラリエッタは今日で殺して、あとはこの狂熱に身を任せたまま生きていく。それも悪くない選択のように思えたのだ。
「わたくしのような世間知らずに傭兵が務まるかしら」
「そんな心配は不要だ。貴族のボンボンだったクソガキにでも出来る仕事だからな。なにせ前例がある」
「ふふ……そういえばそうでしたね」
魔法師の名門であるクランベリア公爵家で育ったランドルフは、神童と呼ばれる幼少期を過ごしながらも、なぜか魔法の本との契約が成立しなかった。そのため十歳にして家から追放され、傭兵をやることになったらしいのだが。
クラリエッタは、ふと違和感を覚えた。ランドルフほどの男が、魔法の本と契約できないなんてことが本当にあり得るのだろうか。
彼女がそんな問いを素直に投げかけると、彼は少し苦笑いを浮かべながら頬をかき、実際のところ何があったのかを説明し始める。
「簡単に言うと……俺は鍛えすぎたんだよなぁ」
「鍛えすぎ……え?」
「ほら、言ったろ。魔法の本と契約するためには条件があるって。魔法師の魔力濃度が濃すぎたり、魔力属性が合わなかったり……触媒との相性が合わないと、魔本の側から契約を拒否されるんだ」
ランドルフはあまりにも魔力を鍛えすぎた。
その結果、もともと雷の属性は希少であったこともあり、彼の魔力に耐えられる魔法の本は一向に見つからず、クランベリア公爵家を継ぐために最も重要視される「優秀な魔法師」という条件を満たせなかったのだ。
そう説明しながら、彼は左手を上に向ける。
すると、青白く光る魔本がボゥッと浮かび上がった。
「……え? それは」
「こいつとようやく契約できたのは、五年くらい前だったかな。仕事で極東の島国を訪れた時に、たまたまこの魔本に出会って……まぁ、あまりに強力な大魔法ばかりが記録されてるから、ちょっと使いどころに困るんだが」
ランドルフは立ち上がり、背筋をピンと伸ばした。
「魔法の本が開けなくて家を追放された時は、詰んだと思ったよ。でも結局、人生は魔法が全てではないと分かって……こういう生き方も悪くないって、今はそう言えるよ」
「……ランドルフ」
「クラリエッタもさ、全てを諦める前に一緒に足掻いてみないか。死ぬのなんて、いつでも出来るんだから」
魔法の本に向かい、彼は力強く宣言する。
「――我が声に応えよ、魔本【タケミカヅチ】」
すると、バチバチと紫電を放ちながら、彼の魔本がめくられていく。
「あー、クラリエッタ。雷狐からの報告だ。捕らわれていた人たちの避難は無事に終わったらしい……もうあとは、皆殺しでいいよな?」
「え……あ、そうですわね」
「オーケー。それならド派手にいこう」
ランドルフは魔法の本からページの一つを選ぶ。
そして、口元にニヤリと悪い笑みを浮かべた。
「――轟け、〈全てを無に帰す神雷〉」
次の瞬間。
魔本から放たれた雷撃は、領城のありとあらゆる空間を埋め尽くすように迸る。魔力抵抗の低い人間には特に耐え難いだろう。その上、金属類は急激に熱を持つため、鎧を着込んでいる魔法騎士団などはひとたまりもないはずだ。
「さぁ、あとは父親をぶっ殺して、凱旋といこうか」
ランドルフはそう言って、クラリエッタをエスコートするように片手を差し出した。