第一話 貴族令嬢の依頼
本作は全ジャンル踏破「ファンタジー_ハイファンタジー」の作品です。
詳しくはエッセイ「なろう全ジャンルを“傑作”で踏破してみる」をご覧ください。
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「……戦いは、魔法が全てではない」
傭兵のランドルフは、倒れた魔法師の眉間に魔導銃を突きつけると、小さく「失せろ」と呟いた。
ヒギィッと潰れたゴブリンのように情けない声を上げて逃げていく魔法師。
その姿を眺めながら、ランドルフはため息を漏らす。念のため左目の眼帯に手を添えているが、どうやらその「切り札」が必要になることはなさそうだ。
静かな街、つむじ風の中に砂埃が舞う。
「あの、傭兵様……助けていただき感謝いたします」
背後から聞こえた女の子の声に振り返る。
そこにいたのは、いかにも貴族然としたご令嬢だ。
顔にはまだ少し幼さが残っていて、年の頃は二十よりは手前だろうか。
服装だけは新人傭兵のような魔物革の装備を纏っているが、首の後ろでひとつ結びにしている長い髪は金糸のようにキラキラと輝き、手入れが行き届いている。立ち姿も凛としていて、育ちの良さが伺えた。少なくともそこらの平民女ではないだろう。
「どこのお嬢様か知らないが、火遊びは程々に――」
「実は貴方にお願いしたいことがありますのっ!」
――ゴッと鈍い音を立て、地面にめり込むミスリル鋳塊。
彼女が背嚢から無造作に取り出したそれは、ランドルフが一年ほど傭兵働きをしてやっと稼ぐ額に相当する。
彼は思わずあんぐりと口を開けて、ご令嬢の顔とミスリル塊を往復するように視線を動かした。待て待て、いきなり何だ。あまりの急展開に、ちゃんと頭がついていけていない。
「ちょっと待ってくれ、お嬢さ――」
「歴戦の傭兵とお見受けします。容貌からして〈雷速〉のランドルフ様ではありませんか?」
「話を聞かないヤツだなぁ!」
マイペースに話を進める様子から確信する。
あぁ、こいつは生粋の貴族令嬢だ。
とはいえ、ミスリルは魅力的である。傭兵としてはベテランの部類に入るランドルフとはいえ、そもそもが安定した職業ではないため、デカい臨時収入が得られるのは大歓迎なのだ。
しかし、彼の傭兵としての勘が「これは絶対、超巨大な面倒事に違いないぞ」と深刻な警告を発していた。今現在、真正面で胸を張っているご令嬢のような、正直ちょっと目が逝っちゃってる感じの依頼人には……過去を振り返っても、あまり良い思い出がないのである。
「悪いが他を当たって――」
「ランドルフ様はクランベリア公爵のご子息ですよね?」
「はぁぁぁぁぁ?」
それはランドルフがひた隠しにしている情報だ。
貴族のボンボンとして生まれ育ってきたランドルフは、十歳の頃に家を追放されてから傭兵として生活をしてきた。
その時にクランベリア公爵家と交わした取り決めで、彼の出自を公に明かさないこと、それを条件に「平民として生きることを許可する」というご温情を賜ることになっていた。
あれから十五年、その約定は一応守られてきたのだが。
この女、それを脅しに使うつもりか?
ランドルフは心の中で少し身構える。
「あの、別に無理を押し通すつもりはないのです。ただ少々、わたくしの話を聞いていただきたくて……コホン。挨拶が遅くなり申し訳ありません。わたしくはポメグラネイト伯爵の末の娘、クラリエッタと申します」
「はぁ、そりゃどうも。俺はただのランドルフだ」
「はい、承知しております。ただのランドルフ様。実は貴方が優秀な傭兵であるという噂を耳にしまして、お仕事を依頼しようと探しておりましたの」
やっぱり脅しじゃねえか。
ランドルフは「断れない仕事かぁ」と腹をくくる。
「んで? 俺に何を依頼したいんだよ」
「はい。わたくし、今お父様の殺害計画を立てていまして」
「断るに決まってんだろ! 馬鹿じゃないのか!」
ランドルフがそう叫ぶと、クラリエッタはキョトンとした顔で彼を見返してくる。
「あの……何か誤解があるようですが、別にランドルフ様に手を汚せとは申しておりませんの。そこまでのご迷惑はおかけできません。わたくしもそれくらいは考えておりますわ」
「ん? んんん?」
「大丈夫です。わたくしが直々に手を下す計画になっておりますので、貴方にはその際のボディガード役を務めていただきたいだけですわ。ご安心ください」
安心できる要素が何一つない。
何が大丈夫なんだ。
ランドルフは目頭に手を当てて、ふぅと一息吐く。落ち着くんだ。こういう時こそ自分のペースを守り、冷静に立ち回らなければ生き残れない。戦場では考えることを止めた奴から死んでいくのが常である。
「クラリエッタ嬢。とりあえず要件は理解した」
「はい。では詳細についてこれから――」
「待った待った待った待った。落ち着け。そもそもその殺害計画とやらは実行可能なものなのか? どれくらい勝算がある。君には悪いが、無謀な計画に手を貸して命を散らすのはこちらとしても御免だからな」
ランドルフの言葉に、クラリエッタは自信満々にコクリと頷くと、背嚢をゴソゴソ漁って一冊の本を取り出した。
「――ポメグラネイト伯爵が作りし最強の魔本。その一冊」
魔法の本。
それは現代の魔法師にとって必須の魔法触媒である。
特殊な処理をした魔物革を使用し、金を溶かして魔法陣を刻んだ特徴的な装丁。本の中には一頁ずつ、違った魔物皮紙の上に魔石インクで魔法が記録されており、それらを束ねたものが一冊の本になっている。
ポメグラネイト伯爵は近年、この「魔法の本」を作ることに心血を注いでいると噂になっていた。先月も隣の小規模領地に因縁をつけて攻め入り、その圧倒的な魔法で現地住民を虐殺したらしい。彼女の口ぶりからすると、噂も案外大げさではないようだが。
「……戦いは、魔法が全てではない」
「はい。しかし、この魔本はそれだけ強力なのです」
ランドルフも職業柄、ポメグラネイト伯爵が作る魔法の本がどの程度のモノなのか気になっていたのだが……それはそれとして、どうしても一点だけ、彼女に今すぐ確認しなければならないことがあった。
「君は……その魔法の本と契約していないようだが」
「ケイヤク? 何のことでしょう、それは」
「あー……そもそも君は魔法の使い方を知っているのか?」
そんな馬鹿な……まさかとは思うが、魔法の本をどのように使用するのか、全く知らずに「殺害計画」とやらを立てたんじゃないだろうな。
ランドルフは、半ば祈るような気持ちでクラリエッタを見ていたのだが。
彼女はうんうんと唸り、無謀にも表紙を思いきり引っ張ることで開こうと試みていた。いっそ憐れになるほどの無知だ。
「……詰みました。魔法の本が開きません」
とりあえず、愚痴くらいは聞いてやろう。
ランドルフはそう心に決めて、努めて優しい微笑みを顔に浮かべると、彼女が「あじと」と呼んでいる領都の片隅にある物置小屋へと足を運ぶことにしたのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
クラリエッタによる領主暗殺計画は次の通りだ。
まず、彼女は自分の「領主の娘」としての立場を利用して領城に正面から押し入り、強力な魔法の本を使用して歴戦の魔法騎士たちをバッタバッタとなぎ倒す。領主の目前まで突き進んだ彼女は、真正面からの魔法勝負で領主を殺害し、城に火を放って、これまで彼が作ってきた「魔法の本」を全て焼却処分するのである。
脳筋。
ランドルフの頭に浮かぶ言葉はそれ一つだ。
「そもそも必要になる魔力量が半端ないんだよなぁ」
「えぇ。その点は魔力ポーションをがぶ飲みしようかと」
「馬鹿か。あれ一本でいくらすると思ってんだ」
魔力ポーションは大金貨単位でお金が飛ぶ高価なもの。
彼だって緊急用に一本持っているのみである。
「クラリエッタ嬢は、現状では魔法の本との契約すら出来ていないわけだが……仮に契約できたとして、そんな杜撰な計画が本当に上手くいくと思っているのか。最初の段階で魔法騎士に圧殺されて終了だろう。もう少し現実を見た方がいい」
「それでも……わたくしがやらなければ」
貧相な物置小屋にそぐわない高価なワインを瓶ごと飲みながら、ランドルフは彼女の言葉を静かに待つ。
そもそも、実の父親の殺害計画を練っている時点で頭がどうかしている。領主の娘がこんな小屋に一人きり、という状況にも違和感しかない。厄介ごとに巻き込まれるのは御免だが……まぁ、話し相手くらいにはなってやるかという気で、やたら質の良いパンとチーズに齧り付く。
「ランドルフ様は」
「待った。様付けなんてやめてくれ」
「承知いたしました。ランドルフは……魔法の本がどのように作られるか知っていますか?」
その言葉に、彼は「概要ならな」と答える。
現在一般に流通している「魔法の本」というのは、より正確に表現するのなら錬金術師の生み出す魔法生物と同種の存在である。一見するとただの本だが、実のところちゃんと生きていて、意志も持っているのだ。いわば「生きた魔法触媒」と呼べるものだろう。
魔法の本を使用するための契約とは、つまり使い魔契約と同じようなモノなのである。
「……材料には魔物の素材を使う」
「はい。そして私の持っているこの本ですが……」
そう言って、クラリエッタは例の魔本を机に置く。
「この本の装丁に使われた素材は……わたくしの母親です」
「は?」
彼女のとんでもない発言に、ランドルフは言葉を失う。
母親を素材にした魔法の本……それは、実は母親が魔物だったということなのか。それとも人間を素材に魔本を作る技術が存在するのか。はたまた何かの比喩表現か。
クラリエッタは本の表紙を撫でて言葉を続ける。
「お父様は……当初はお母様の持病の治療法を探して世界中に部下を送り、情報を集めておりました」
そんな風にして、彼女は過去の出来事を語る。
妻のため熱心に病気の治療法を探していたポメグラネイト伯爵は、いくつかの魔法技術を組み合わせることで「人間を魔物化する」のが可能だという――いわば外法とも呼ぶべき技術へと辿り着いた。
普通であれば、自分の配偶者にそんなものを使おうとは思わない。しかし、彼の妻は明日にでも命を落とすかもしれない段階にまで追い込まれていた。結果、妻に対して行なった外法は……ある意味で成功し、ある意味で失敗に終わった。
魔物化した妻は気が狂ったように彼を襲った。
そして、護衛騎士の剣が彼女を切り捨てたのだ。
ポメグラネイト伯爵は、その時にはもう狂ってしまっていたのだろう。自らの手で、妻の肉体を魔物素材とした魔法の本を一冊こしらえて、それを肌身離さず持ち歩くようになった。
「魔物化させた人間――つまり魔人を素材にした魔法の本は、皮肉にも素晴らしい性能を発揮しました。従来の魔物素材の本では全く太刀打ちできないほど、強力な魔法を放てる触媒ができてしまったのです」
なるほど。ランドルフは静かに納得する。
魔法触媒としての性能の肝は、魔法師と触媒の親和性である。通常であれば「自分の魔力属性と同系統の触媒を利用した方が効果が高い」程度の話なのだが。
仮に人間の魔法師が、人間を元にした触媒を使用したら……その二つは、親和性という意味ではある意味で最強だ。威力だって桁が変わってくるだろう。もちろんそれが、人間を魔法の本に作り替えて良い理由にはならないが。
「お父様は……あの男はやがて、領民を攫ってきては魔人に変え、その素材から魔法の本を作り、最強の魔法騎士団を作るようになりました」
「……そうか」
「人間同士であっても相性というモノがあるようですね。魔力属性の近い人間を元に作った魔本の方が、優秀な触媒になる。父はそう言って……あれほど肌見離さず持っていたお母様の本はお役御免となり、いつしか倉庫で埃を被っておりました。私が持ち出しても気づきもしない。今現在は戦争で捕らえた者を使って、日々新しい魔本を作るのに夢中なようですから」
かつては尊敬を集めていた精鋭の魔法騎士団も、今では見る影もないようだ。日常的に領民を攫っては、男性を笑って痛めつけ、女性を好き勝手に犯す、そんなチンピラ以下の下劣な集団にすっかり成り下った。
父親に苦言を呈した姉は行方不明になり、兄は魔法で焼かれた。まともな使用人は領城を去っていき……現在残っているのは、父親を心底から信望する者や、おこぼれで美味い汁を吸う者ばかりになっている。
クラリエッタは震える唇で、冷たい声を吐き出す。
「ランドルフが手伝ってくれても、くれなくても……わたくしは明日にでも領城へ参りますわ」
「君も無事では済まないぞ?」
「覚悟の上です。無理やり捕らえられ、今も絶望に震えている人々がいる……彼らを一人でも多く解放しなければ」
「はぁ、なるほどなぁ」
ランドルフはグッと背伸びをして、椅子の背もたれに身体を預けると、脱力したまま天井を見上げた。そのまま、しばらく沈黙の時間が流れる。
そもそも彼がこのポメグラネイト伯爵領にやってきたのは、近々大きな戦争が起きそうだという物騒な噂を聞いたからだった。傭兵にとって戦は稼ぎ時なのである。
しかし実際に訪れてみると……この領地の空気はどこか重苦しく萎縮していて、戦争直前の「浮ついた雰囲気」「悲壮な空元気」「負の活気」のようなモノが感じられない。人々の顔からはゾンビのように生気が失せ、領内はスラムのように治安が悪いのである。ランドルフは、この伯爵領に来たことを後悔し始めていたところだった。
クラリエッタの話が本当なら、領地の惨状にも納得がいく。皆なるべく閉じこもって、魔法騎士団に捕まらないかビクビクしながら生きているのだろう。
「……あーあ、仕方ないなぁ、気は進まないが。まぁ、報酬の一部も前払いで貰っちまったからなぁ」
「……報酬?」
「はぁ。こんな良いワイン飲んだのなんていつぶりだ。パンとチーズだって、普段は食えないような一級品。嫌になるよ……やっぱり貴族女は、何するにしても抜け目がないもんだ」
ククク、と苦笑いを漏らすランドルフの対面で、クラリエッタが目をまんまるに見開いて固まった。
もちろん、クラリエッタはワインなど何の意図もなく普通に提供しただけだろう。このような無謀な計画が上手くいくわけがないことは承知の上で、ランドルフへの依頼も断られるだろうと思っていて……それでも、内に秘めた強烈な感情が彼女の胸を焦がし、どうしても動かずにはいられなかった、というだけの話なのである。
ランドルフはそういったことを概ね理解した上で、口の端をニヤリと歪めた。
「まぁ、何をするにも……まずは魔法の本との契約だ」
そう言って、クラリエッタの左手を魔本の表紙に置いた。
「本と契約をするにはいくつかの条件がある。例えば、魔法師の魔力濃度が濃すぎたり、魔力属性が合わなかったり――要は触媒との相性が合わなければ、そもそも契約自体ができない」
「……はい」
「だが、その点はおそらく大丈夫だ。なにせ……相手はクラリエッタの実の母親なんだ。表紙に置いた手から、呼びかけてみろ。きっと応えてくれるはずだ」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
早朝、雲ひとつない青空の下。
冷えた空気の中、領城の正門を前にして、武装した男女二人が立ち並んでいた。それを見た門の警備兵たちは、何やら困惑した様子であちこち走り回っている。
「行けるか、クラリエッタ」
「もちろんです。覚悟は既に決まっております」
「うん、良い顔だ。とりあえず、君の気が済むまでは付き合ってやるさ。報酬は期待してるぞ?」
クラリエッタが左手を上に向けると――契約鎖に繋がれた魔法の本が、ぼぅっと青い光を放ちながら宙に浮かび上がった。