産まれたみたい
雨子様も最近は母さんに色々習って手際よく家事などをするようになってきました。
どうやらその上達ぶりを見てもらえるのが嬉しいみたいですね
食事を終えてから皆で暫くリビングで待ったが、何も連絡が無い。ただそのままで居るのも意味ないことなので、順々に風呂に入った後、各自の部屋に戻った。
結構遅くまで待って、今日はもう連絡が無いかなと思っていた矢先のこと、母さんからレインにグループメールで連絡が入ってきた。
「無事女の子が産まれたよ。葉子も元気だし、誠司さんもちゃんと産まれる前に間に合った。今日はもう遅いからまた明日ね。お休みなさい」
自分の携帯にも来ていた文章を何度も読み返していた雨子様は、とても嬉しそうだった。
「小雨の奴、母御に花を持たせようと思ったのか、肝心の時に連絡してこなんだのじゃ。本来であれば叱責せねばならぬ事かも知れぬのじゃが、今回ばかりはあやつなりに気を利かせ、よくよく考えてのことなのじゃろう。逢うた時に褒めてやらねばならんの」
てっきり連絡してこなかった小雨のことを怒ると思っていたら、褒めるという雨子様。内心ちょこっとほっとしながら、僕も小雨のがんばりに喝采を送りたい気持ちだった。
「明日皆で見舞いに行くこととして、今日はもう寝ましょうか?」
「うむそうじゃな」
そう言うと雨子様はぽてんと布団の上で横になり、枕を抱えた。
「雨子様なんだか随分嬉しそうですね?」
「そう見えるかや?」
「ええ」
「まあ間違いでは無いのじゃがな。世に産まれいずる子は沢山おるが、やはり身内に産まれる子は格別じゃ。正に嬉しゅうてたまらぬよ」
「明日面会するのが楽しみですね」
「うむ、本当にの」
「お休みなさい」
僕はそう言うと部屋の灯りを消した。明日は姪っ子に会えるのかと思うと楽しみだった、が何よりやはり葉子ねえが元気であることが嬉しかった。
翌朝目が覚めると既に雨子様の姿が無かった。布団もちゃんと片付けられている。
普段の土曜なら時折ぐずぐずと遅寝することもある雨子様。やはり少しでも早く病院に行きたいと見える。
階下に降りると、そこでは雨子様が朝食の支度をしているのが見えた。
「おはようございます」
「うむ、おはようじゃの。早う顔を洗うて来るが良い。そなたの分も用意しておるからの」
「はぁーい」
そう言って洗面一式を済ませ食卓に着くと、雨子様がひょいひょいと配膳する。手伝う暇あらばこそである。
「手伝わなくてすみません」
そう言うと雨子様はにっと笑った。
「何、構わぬ。朝早う起きたからと言って直ぐに赤子のところに向かえるでも無し、ただ手を拱いておるのも勿体ないと思うたが故、朝食作りを始めただけよ。気が紛れてありがたかったぞえ」
そんなことを喋っていると父さんも起きてきた。
「おはよ~」
ぼさぼさ頭に目がしょぼしょぼ、さすがに一週間働き終えると色々と草臥れている。
「父御よ、珈琲は要るかや?」
「あ、雨子様、ありがとうございます。ではブラックで」
そう言うと父さんも洗面に向かっていく、その後を雨子様の返事が追いかける。
「うむ、了解じゃ」
そう言うとカチャカチャ音をさせながら一式を出してくる雨子様。いつの間にこれほどの手際に?ちょっと驚いてしまう。
そんな僕の思いが分かったのか、少しばかり雨子様は嬉しそう。鼻歌など歌っている。
電気ポットに水を入れ、沸かしている合間にキャニスターから豆を取り出し、すり切り計りながらミルに投入、ご機嫌にコリコリと豆を粉砕している。
そうこうするうちに湯が沸くのだが、ちょっと高いところからステンのポットに注ぎ、湯の温度を適度に下げる。
砕いた豆はフィルターに入れるのだが、我が家の好みのステンレス製の物だ。
豆の入ったフィルターをそっとサーバーに載せ、湯捨てを少し行ったポットから適量湯を注ぎ豆を蒸らす。
十分に蒸れ適時過ぎた後、膨らんだ豆に優しくそっと湯を置いてゆく。膨らむ泡のドームに上り立つ豊かな香り、したたる茶色い湯滴。
本当に雨子様はいつの間にこんなに鮮やかに珈琲を入れることを覚えたのだろう?
見ると父さんも目が動かせないようだ。
思うまもなく珈琲のしたたるフィルターは取りのけられ、ゆるりと回されたサーバーから、既に温められたカップに優雅に注がれる。
「どうぞなのじゃ」
そう言って雨子様はすっと父さんにカップを渡す。そしてその視線はじっと父さんに注がれる。
「ありがとうございます」
そう礼を言って珈琲を受け取った父さんは、ゆったりとした所作で珈琲を啜る。
「美味い!」
その顔つきを見るにお世辞では無く真に美味かったのだと思う。
と、雨子様が満面の笑みを浮かべる。僕にはその気持ちが良く分かる。
珈琲って同じ豆で淹れても時々刻々とその質が変化していく、だから毎回必ずしも同じ味になるとは限らない。それだけに十分に満足のいく珈琲を淹れられた時は本当に嬉しいのだ。
余談はともかくそれ以外にも雨子様が作ってくれた料理は美味かった。カリカリにされたベーコンにとろとろの黄身の目玉焼き、ふっくらこんがりさくさくのトーストに小洒落たサラダ。
父さんは美味そうにそれらの物を口にしながらなにげに言う。
「雨子様いつでもお嫁さんになれそうですね?」
「ぷっ!」
僕はいかにも前時代的な父さんの言いぐさに、思わず吹き出してしまった。外でこんな物言いをしてしまうと物議を醸すこともあるというのだから、何とも難しい時代になったものだ。
ところが約一名、この台詞に填まった者が居るらしい。
見ると雨子様がぼうっと口を開けたままになっている、そして顔が真っ赤だ。
「「雨子様?」」
心配して僕と父さんが異口同音でそう口にする。
雨子様ははっと気がついてか取り繕うように言う。
「いやなんじゃ、美味く淹れられた珈琲のことを褒められるとは嬉しいものじゃの」
なんだか妙にきょどっている気がするのだけれども僕達は何も言わないことにした。
そうこうする内に母さんからレインで連絡が来た。
母子ともに元気で九時以降くらいになら面会に来ても良いそうだ。
他に、帰ったら風呂に入りたいと言っていたので速攻で沸かしに行った。昨晩一晩、病院から簡易のベッドを借りているとは言え相当疲れているはずだから、さもありなん。
何でも誠司さんも今日は我が家に泊めて上げるそうだ。
着替えやら朝食の後片付けやら、風呂の用意などをしている内にすっかり出かける時間になっていた。
火の始末は勿論戸締まりなどもきちんとして、父さん、僕、雨子様と三人で出かけることになった。
車は母さんが乗っていってしまっているのだけれども、帰りは全員が乗って帰ることになるのだろう。
雨子様がそわそわしていると思ったら、父さんはそれ以上だった。駅まで向かう足取りもそぞろと言ったところか?
改札を抜け階段を上げるとホームには人また人。
土曜ではあるがそこそこの時間になっているので結構乗客が多い。
電車に乗った後、人に推されて雨子様が潰れてしまわないようにそっとカバーに入る。
その雨子様はと言うと、どうやらレインで母さんと話をしているようだった。
「既に乳を含ませたそうじゃぞ?」
雨子様が嬉しそうに言う。
父さんも興味津々で耳をそばだてているのが分かる。
「写真とか有るのかな?」
そう聞くと雨子様は早速文を打っていた。
「何枚か数えきれぬ位にもう撮って居るそうじゃ、じゃが対面の楽しみを奪いたくないとのことで今はまだ送らぬとのことじゃぞ?」
「う~~~ん、お預けかぁ」
何となく意気消沈する父さんと僕。
それを見ていた雨子様がおかしそうに言う。
「そなた等やっぱり親子なのじゃな?」
いきなりそんな事を言うので不思議に思って聞いた。
「どうしてまたそんな事を言われるのです?」
横では父さんがうんうんと頷いている。
「それは見てれば一目瞭然というものじゃ、がっかりする様なぞまるでそっくりじゃぞ?」
雨子様のその台詞に、僕と父さんは思わず顔を見合わせた。
と、雨子様はぷっと吹き出し、ケラケラと笑う。
「何じゃそなた等、またもそのように同じようにしおって、我を笑わせる為にわざとかえ?」
「そんなはず無いじゃ無いですか?」
そう言いながら僕は苦笑した。
電車の中、ぎゅうぎゅうで少し居心地の悪い思いもしながらだったが、そうやって馬鹿話をしながらだと、あっと言う間に時間が過ぎ。僕たちは病院の最寄り駅に降り立ったのだった。
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