待つ思い
随分暖かくなってきました。そのせいで油断でもしたのかな?
病を得たと言うほどでも無いのだけれども、いわゆる未病状態?
ぶっ倒れて眠りこけていました。お陰で今回は少し短いです
また頑張りますのでよしなに
相手が何者か分からない状態で、謎の接触を受けたあの日から早二週間、万が一のことを考えて今も重々警戒を怠らない。
幸いなことにあれ以降我が家への接近は認められないし、更に広範囲を見張っている和香様からも何の音沙汰も無い。
ただ相手のメンタリティが不明なだけに、便りの無いのは良い知らせなどと暢気には構えていられない。
前回接触時には七瀬もユウも居なかったことから、おそらく彼女らについての認識は相手には無いだろうというのが、和香様と雨子様の一致した考え方だ。
もっとも、それでもユウには警戒を欠かさぬ様にと雨子様からはしっかり申しつけられているのだが。
時間ばかりがゆっくりと流れていき、些か手持ち無沙汰、それが今の状況だった。
けれども、僕たちにとって穏やかな、常日頃の時の流れと変わりない日々だ有ったとしても、中にはそうで無いものも居る。
葉子ねえが予定日となり、産気づいたのだった。
それは朝食の準備と言うことで皆が忙しくしている時のことだった。
不意に襲ってきた痛みを感じて顔を顰める葉子ねえ。心配した母さんが無理をさせまいと椅子に座らせ様子を見ている。中断している朝食の用意には、手早く身支度を終わらせてきた雨子様が入る。
僕も手伝おうとしてキッチンに入るが、邪魔だと言われてあっと言う間に追い出されてしまう。
不安そうな表情の葉子ねえ。間もなく痛みは治まったようなのだが、時が来るとまた襲ってくる。
まだ間隔は長いものの周期性のある痛みと言うことで、母の運転で早めに病院に行くこととなった。
当然のことながら小雨は一緒について行く。勿論家族以外のものにその存在を知られる訳には行かないから、穏身で姿を消して、僕たち以外にはその姿は見ることが出来ない。
以前雨子様に、どうして人によって見えたり見えなかったりするのかと聞いたら、いくつかある穏身の法の中で今使用されているのは、人の意識に働きかけるタイプのものなんだとのこと。
元々小雨を知っている者以外にとって、穏身を使用している小雨は、そこに居たとしても見えていないと意識が認識するようになっているのだそうだ。
見えていないという認識?何だか妙な気がしてしまうのだが、そう言うからくりなんだそうだ。
今のところ喫緊の危険性は無いと言うことなので、僕と雨子様はそのまま朝食を摂って学校に行くことにした。
だが念のため和香様に事情を伝えると、あちらからも分霊を配してくれるとのこと。
どうして大神で有る和香様がそこまでしてくれるのかと思っていたら、雨子様が教えてくれた。どうやら和香様、我が家に来ている間に葉子ねえと意気投合、とっても仲良くなっていたとのこと。
それで良いのかとも思わないでも無いが、それでも身内びいきは有り難いものだ。何時か時間の有る時にお礼に伺わなくては。
学校に居る間、実の姉の出産と言うことで、僕が落ち着きをなくしているのは当然のこととして、普段は泰然自若としたところの有る雨子様もまた、そわそわと落ち着きをなくしていた。
「葉子お姉さん病院に行ったんだって?」
七瀬が不安そうな表情で問いかけてくる。
常ならぬ感じの雨子様の様子を見かねて問いかけ、葉子ねえのことを聞いたのだ。
「うん、初産だからいずれにしても時間が掛かるだろうって母さんに言われて、学校に行くことにしたんだけれど、やっぱり何とも落ち着かない気分だよ」
「そりゃそうよね」
七瀬もまた葉子ねえとは仲いいので気もそぞろと言った感じだ。
「まったくじゃの、本来お産とは自然の摂理の中のこと故、有ることが当たり前なのじゃが、それでもの…」
お産という命をこの世に生み出す作業、現代においてはありとあらゆるサポートが為されるようになっている。だからよほどのことでも無ければ安全に事は運ぶようになっているのだが、それでもである。母も子も命がけなのだ。
「我も和香も、葉子のことはよう視て居る。故に今回のお産が心配の要らぬ物であると知って居る。知っていてなおこうして落ち着かん。この世に新たな命が生まれ出でるこの時ばかりは、我ら神にとっても特別な瞬間であると言うことなのじゃろうな」
雨子様はそう言うと、少し遠い目をした。
「まあ視るとは言っても我などは何も出来んから、吉凶を報ずるそこいらの占い師と何ら変わるところが無いがの」
等と雨子様は少し自虐的な言い方をする。
「雨子様、ミヨさんの時は助けて上げられてたじゃ無いですか?」
「まああの時はの。そして今であらば和香より精を分けられて居るが故、なんなと出来るであろう。じゃがそれは特定の個人に対しての話じゃ。万人にそれが為せるかというと、やはり無力というしかないの」
なるほどと僕は思った。自身に出来ることが分かっていても、それを相手に為すことが出来ないと言うことが分かっていれば、その分余計に無力感も感じるだろう。
そう言う意味で言えば、神様も人間も出来ることが有限であれば、レベルの差があるとは言え、無力感を感じることも色々あるというのは頷けることだった。
特別な何かを待っている人間にとっては、時の流れは触れそうなくらいに濃密な存在感を持つ。
一方、そう言う事柄に関わっていない者にとっては、相も変わらずと言った感じでただ坦々と時は流れていく。
人の思いと時間の流れ、その不思議さを思いながら、いつもより遅い時間流の中で、授業の終わりを今かと待つ僕たちだった。
葉子ねえ
元気な子が生まれますように




