雨子様昔語り二
雨子様が歌った子守歌の由来を追いかけていきます
僕が目を覚ましたというか見開いた場所は何となくでは有るが見知った場所だった。
思い出そうとしていると傍らで雨子様の声?がする。
『ここは我が社の前じゃ、この頃は今のように木々も鬱そうとはして居らず小さな木立があるのみじゃった』
そこに見るからに時代劇に登場する農民のような風体の男が現れた。ただし着ている服はあのようにこぎれいなものでは無く、あちこちつぎはぎだらけだった。
その男は駆けずるようにしながらやってくると社の前で跪き、その両の手を合わせて祈り始めた。
「神様、今度は無事に子が授かりますように…神様、今度は無事に子が授かりますように…」
その男は同じ言葉を何度も何度も繰り返しながら、ひたすら雨子様に向かって祈りを捧げている。
『これがさっき言っておった娘の父親、吾作よ。こやつの前の子は死産じゃった。今度の子も臍の緒が体に絡まっておって、放っておけば生きて産まれてくることは無かったであろうな。斯様にこの時代のお産は大変なものじゃった。故に少しでも何とかしたいという思いから、お産と成れば神に祈りに来ることが多かったの』
この男にとって子が生まれてくると言うことは本当に大切なことだったのだろう、もっともそのことは現代においても何ら変わりは無いのだけれども。
『因みに。そなたに伝わっている言語は我の中にて変換されておる。』
『何でまた?』
『そなた古文が苦手であったであろ?しかもこの場合方言も入っておるから、なおさらじゃ。それとも原文のまま聞いて己で解するかや?』
『ご遠慮申し上げます』
男は額を大地に擦り付けながらただひたすらに祈りの言葉を唱え、何度も何度も伏していた。
『こやつはこうやって夕方暗くなるまでずっと祈って居ったのじゃ、我はその祈りの力を対価にこやつの願いを叶えてやることが出来た』
雨子様がそう言うと場面が暗転し、目の前に新たな場面が飛び込んできた。
そこは藁葺き屋根の草臥れた民家で、中に入ると土間と板の間があり、その中央部に囲炉裏があった。
その囲炉裏端に女が一人手仕事で布を繕っている。
大きなお腹が目立つことから、おそらく臨月も近いのだろう。その膨れあがったお腹に雨子様がそっと手で触れる。
もちろんその手が女に見えることは無く、雨子様の存在と重なっている僕にしか見ることが出来ないし、感じることも出来ない。
さて、雨子様の手が触れることによって神通が顕現したのか、腹の中の様子を見て取ることが出来るようになった。
『ほれ、見るが良い、臍のところから繋がった緒が赤子の首の周りを一巡りしておるじゃろう?この時代これは致命的じゃ』
『では雨子様がこれを解いて上げるのですか?』
『まあ結果的にはそうなるのじゃが、残念ながらあの男一人から貰った精の力だけでは、腹の中の赤子を直接ぐるりと動かすにはちとしんどいものがある。祈りの下である精の力だけで無く、そなたとの時のように直接回廊をつなげられれば良いのじゃが、この当時の我にそこまでするつもりは無かったからの』
『繋げたり繋げなかったりするには何か基準があるのですか?』
『少なくとも相手の心が我にとって心地よいもので無くてはならないの。或いは我自身の生死を問うような時か…』
『ではこの時はどうされたのでしょうか?』
『ふむ、この時は相手が赤子と言うことも有って未だ十分な意思が存在せなんだ故、我が直接こやつの支配権を握ることでゆっくりとではあるが腹の中で動き、時間をかけて緒の絡みを解いたのじゃ』
『成る程』
『ただそうすることでこやつとは思わぬ接点を持つことに成り居った』
『何かあったのですか?』
『さて、そなたとの時はどう言うことが起こりおったか覚えておるかの?』
『…そう言えば付喪神の姿が見えるようになって驚いたりもしていましたっけ』
『うむ、そうじゃったな。あれを弊害と言えるもので有るかどうかは色々考え方があるで有ろうが、この子の場合は我の存在を感じたり、本来であれば見えないはずの姿を見ることが出来るように成り居った』
『そんなことがあったんですか』
再び場面が暗転した。
そこでは先ほどの女性が横たわり、現代人からすると襤褸切れのような布に包まれた何かを愛しげに抱きしめている。近くには産婆役を果たしたと思われる女性がおり、なにやら始末をしている。
出産を終えたばかりの女性は汗にまみれて決して綺麗とは言える状況では無かった。が、内からは何かあふれ出てくるような誇りのようなものがあり、凜としたものがあった。
彼女は自分の抱くその小さな布の塊を覗き込むと、実に嬉しそうに微笑んでいる。
傍らからのぞき込むとそこには赤ん坊の顔が見える。
『これが生まれたばかりのミヨじゃ、この子は生まれながらにして目鼻立ちが優れて居った。将来きっと美人の子に成ると思うて居ったものじゃ』
見ると傍らには先ほどの吾作と言う男がおり、妙な身振り手振りで踊っている。
『余程嬉しかったのじゃろうな。見ても分かるようにこの時代ほとんどの人はさしたるものを何も所有しておらん。ゆうてみれば、自らの子供こそがもっとも価値ある資産であったとも言えるのじゃろうな』
暗転。
そこには元気になった母親の胸にむしゃぶりついて、ひたすら乳を飲む赤子の姿があった。
『本当にこの子は元気な子でな、生まれ育つ間病の一つもせなんだよ』
そんな乳飲み子の姿をじっと見つめている雨子様。その雨子様のことを乳を飲みながらも目で追う赤ちゃん。
雨子様の言われている通りにこの赤ちゃんには雨子様が見えている、間違いの無いことだった。
暗転。
既に子供は赤ちゃんの状態から。はいはいを得意とする幼子の状態にまで変化していた。
たびたび見に来る(きっと雨子様もこの子のことが好きなんだと思う)雨子様の姿を目で追うのだが、他の人にはそれが分からない。
その精で時折宙の一点を凝視するところを見られて、心配されたりもしている。
心配されるだけなら良いのだが、この家以外の人間からは気味悪がられることにもなったので、とても心配になった。
『案ずるでは無い。』
そう雨子様が言う。
『我もせっかく産まれたこの子のこと、物の怪扱いされるのは我慢ならん』
『では何か手を打たれたのですか?』
『うむ、村人全員の枕元に立ってこの子は我の愛し子じゃと宣してやったわ』
『あー…』
成る程雨子様は子供可愛さに余り突っ走ってしまわれたのですね。
『いやしかしの?折角この世に生まれてきた大切な命をの、物の怪扱いなぞされては我慢出来無くて当然とは思わぬかや?』
雨子様は必死になって僕に訴えかけてくる。
うん、知ってた。雨子様がそんな神様だからこそ、僕はあの悪夢の中から救い出して貰えたのだと思っていた。
『この子、雨子様に大切にして貰って良かったですよ』
『む?う…む』
こうやって雨子様の存在と重なっていると、何となくではあるが雨子様の嬉しそうな思いが温もりとなって伝わってくる、そんな気がしていた。
長めの章が多いせいか頭から湯気が出そう




