鏡の向こう
お風呂は大好きなんですが、なかなかのんびり入ることが出来ません。
三十分も入っていたら転生してしまうかも?
夕食の後寛いでいると七瀬からレインがあった。何でも雨子様に間もなく連絡入れるとのこと。それならそうで直接そっちへ連絡入れれば良いのにと送ると、だって繋がるかどうか分からないじゃ無いのと来た。
いくら何でもそんな心許ないものではいざというときに困るだろうに。
だが今のところそんな事を言っても始まらないだろう。僕は階下に居てテレビを見ている雨子様の所に行った。
「雨子様、七瀬から連絡来ましたよ」
「これからクライマックスなのじゃ、これが終わったらこちらから連絡すると伝えてはくれぬか?」
そう言いながらも雨子様の視線はテレビの画面に釘付けになったままだ。画面には巨大な竜が暴れているシーンが映し出されている。
最近の雨子様は結構こう言うアニメが好きで、夢中になって見ている。
本人曰く、どうして人間は自ら持っていもしない能力をこうも色々と本物であるが如く描き出せるのかと。半ば感心、半ば呆れかえりながらも心底楽しんでいるという風だった。
仕方が無いので僕はその旨七瀬にメッセージを送った。
すると向こうは向こうで風呂に入ってくるとかで、また後ほどと言うことだった。
えっと、僕が間に入る必要なんて無くない?少しばかりぼやきながら、僕はまた自室にもだった。
さてそれから三、四十分ほども経ったろうか?雨子様がとんとんとんと軽やかに二階に上がってくる。時々思うのだけれどもまるで体重が無いかと思うような足音だ。
「遅うなってしもうたな」
「七瀬もお風呂に入るっていってたから、案外丁度良いくらいの時間かも知れませんよ?」
「むう、そうであったか、ならまあ良いかの」
そう言いながら雨子様はぽふんと僕のベッドに腰掛けた。
「あのアニメ面白かったですか?」
「うむ、なかなかに面白かったの。しかしそなた等人間は凄いの」
「何が凄いんですか?」
「我らのような存在であれば、空間のいかなる場所にも視点を持って行けるのじゃから、物事の有り様など自在な観点で見渡すことが出来るが、そなた等は機械を使いこそすれば自由で有るものの、普段を地上をゆくことしか出来ぬでは無いか?にも拘わらずあのような視点を持てるというのが本当に凄いと思う」
「いわゆる神の視点とか言う奴ですね?」
「何じゃと?」
「ああ、実際に神様が云々という話では無くって、物語の作者なんかがその作品を俯瞰したときに、おそらく神様ならこう見えるんじゃ無いかって思うような視点を、神の視点と表しているんですよ」
「成るほどのう、まさに言い得て妙であるの」
雨子様はふむふむと随分感心していた。
「ところで今日は攻撃とかの兆候は無いのですか?」
「うむ、今のところは無いの。一応常に意識の一部を振り向けて警戒することは怠って居らぬから、それについては安心するが良い」
「それはまあ雨子様のなさることですから、抜かりが無いと思って信じていますよ」
「うむ、それではあゆみに連絡を取るとするかの?」
雨子様はそう言うと小さな鏡を取り出してきた。
今まで雨子さんが持っていた記憶が無いようなものだった。
「それは?」
「これは母御に頼んで分けて貰ったコンパクトじゃ」
「ああなるほど、母さんのか」
「我がコンパクトなるものが欲しいといったところ、母御が多分に喜んでくれたのじゃが、ただ鏡が欲しいのだと伝えると随分がっかりされての」
「もしかすると母さんは、雨子様がお化粧に興味を持たれたと勘違いしたのかも知れませんね」
「我が化粧をしたいと言えば母御が喜んでくれるのかや?」
「確か姉にお化粧の仕方を初めて教えて上げた時、随分ご機嫌だったように思います。もしかすると娘が自分と同じ大人の世界に来てくれるのが嬉しかったのかも知れませんね」
「なるほどそう言うこともあるのかの?」
「まあ勿論、そう言ったことは人それぞれだから、全然そんなことは無いという人もいるかも知れませんね。ただ家の母さんはそんなような気がしましたっけ」
「成るほどの、我もまだまだ人の心について学ばねばならぬことが多そうじゃの。さて、それはさておきあゆみに連絡してみるとするかの」
そう言うと雨子様はコンパクトを手の中で開いた。当たり前のことなのだけれども、その鏡に映るのは雨子様の顔。僕が肩口からのぞき込むと顔の一部だけだけれども僕の顔も映り込む。
雨子様はその鏡の表面の部分をとんとんと叩きながら、
「あゆみ」
と、声がけをした。が、反応が無い。
「雨子様、そうやって話しかけると向こうではどうなっているのですか?」
「今回はまだ不慣れなことであろうから、あちら側の鏡の表面から音声にて発信するようにしておる。何回か使用してあゆみが慣れてくれたならば思念による呼び出しや会話もしてみようかと思うて居るの」
「なるほど」
「だが今暫しは音声呼び出しじゃの」
そう言った後雨子様は再び鏡に呼びかける。
「あゆみ?」
すると今度は返事が返ってきた。
「はぁ~い」
返事と共に鏡に映った像が変化する。これまで映っていた像が見知らぬ像へと変化していく。ん?これって?
鏡の向こうに現れたのはバスタオル姿の七瀨だった。
「七瀨、おまっ!」
僕は慌てて顔をそらした。もっとも七瀨はそんな僕のことには気がつかなかったようだった。
「ごめん~~ん。今までお風呂に入っていて、出たら丁度呼びかけられたものだから…」
「それはやむを得んと言いたいところじゃが、些か長風呂に過ぎぬか?」
「ええ?そう?いつもこれくらいだよ?」
確か七瀨に連絡して今からお風呂に入ると返信があったのは三十分以上前のこと。下手をすると小一時間くらいになるか?毎日風呂に入るとすると、あいつ人生の内どれだけ風呂にかけているんだ?
なんてことを思ってしまった。
「まあ良いは、では一旦切ってみるからそちらから連絡を入れるようにしてみよ」
「はぁ~い」
「じゃがその前にあゆみよ」
「何?」
「まずはちゃんと衣類を整えよ。こちらには祐二も居るのじゃぞ?」
「え?居るの?今?側に?」
「そうじゃ、つい今し方まで横に居ったは。そなたがバスタオル姿なぞで現れるものじゃから、速攻で逃げていき居った」
「きゃ~」
七瀨からの画像はその一言を残して切れた。
「やれやれ、たかだか鏡にて話すだけじゃというのに、かくも騒ぎを大きくせねばならぬのかの」
雨子様はどっと疲れた風であった。
それからかれこれ五分ちょいぐらいの時間が経過しただろうか?鏡の向こうから呼びかけがあった。
「これで良いのかな?雨子さん?」
それに応じて雨子様が鏡面に触れるとそこにはちゃんとパジャマを着た七瀨が現れた。
「ふむ、何とか無事に使えそうじゃな?」
雨子様のその台詞に七瀨はにこにこしてご機嫌だった。
「では応用で色々な使い方をしてみるかの」
雨子様はそれから暫くの間鏡の通信をつけたり消したりしながら、七瀨にその使い方の奥義をレクチャーしていった。
僕はと言うとそれをただ聞いているのも暇なので、読みかけだった文庫本を手に取った。
読んでいる内にいつの間にか寝てしまったのだろう。
目を覚ますと雨子様が窓辺で外を見ていた。
その口元からはなんだか懐かしい歌声が静かに響いている。なんだろう、聞いたことがあるような…。深い郷愁へと誘うような優しい歌声だった。
新たな話しへのプロローグ?




