七瀬の思い雨子様の思い
人の心ってままならぬ物だと思うのですが、神様にしてもそれは同じことなのかも知れませんね
「それで七瀬よ、我に何か言いたいことがあるのじゃろ?」
公園の明かりの下、夜闇の薄らいだところを出たり入ったりと揺れながら、雨子様は小さな声で問うた。
「雨子さん、なんでそう思うの?」
ゆっくりのんびりブランコを漕ぎながら七瀬が言う。
「なんでと言うてもの、時折そなたの目が意味ありげに我のことを見つめてくるのを見て居れば、何かあると思うのが当然であろ?」
「そんなに私見ていた?」
「うむ、そう言えば葉子も気が付いて居ったようじゃぞ?」
「そうなんだ…」
そう言った後七瀬は暫く沈黙した。どこか遠くから微かに虫の鳴く声がしてくる。
「七瀬が問うというのであればおそらくは祐二のことなのであろ?」
「ええ?」
七瀬の動揺が伝わり、ブランコの揺れが僅かにぶれる。
「雨子さんは何でそう言うの?」
「何故とな?じゃが祐二以外は皆知って居るぞ?そなたが祐二のことを思うて居ることは」
「!」
七瀬は自分でも驚くほど激しく上気していたが、誰もそれを目にした者は居ない。七瀬だけがそのことを知っていた。
「わ、私ってそんなに分かりやすい?」
七瀬のその言葉に雨子様は小さく、くくと笑った。
「そう言った思いを隠せていると思うのは当人ばかりと言うことらしいでな」
「それは?」
「葉子の受け売りよ」
「何だかめちゃくちゃ恥ずかしい…」
「まあそうであろうの。で、七瀬よ何を問いたいと思うて居るのじゃ?」
「さっきここ数日の内に何が起こったのかって言うことを雨子様が説明してくれていたけれど、あれが本当に全てのことなの?」
「どうしてそう思うのじゃ?」
「なんかね、祐二君が微妙になんか違うの」
「!」
驚いた顔をした雨子様が頭を反らして七瀬のことを見つめる。
「まったく驚きじゃの、人を思うと言うことはそこまでの理解力を持つものなのか」
そう言うと雨子様は、いつの間にか静止していたブランコを降り、近くにあったベンチに腰を下ろした。
七瀬もまたひょいとブランコから、雨子様の方へと移動し横へと座る。
「余りそなたに生き死にに近いような話はしとう無かったのじゃが、そこまで思うて居るならやむを得ないの」
「生き死にって誰が?誰がそんな事になったの?」
七瀬が雨子様の二の腕を掴んで揺する。
「これ、ちゃんと話して聞かせるが故、斯様に揺するでない」
「はい…ごめんなさい」
七瀬は苦労しながらどうしようも無く不安に思う気持ちを抑え、雨子様が話し出すのを待った。
「先に話した時には、そなたには少し内容的に厳しいものがあるかと思ったものじゃったから、大分割愛して居った」
「やっぱり…」
「何故そう思ったのじゃ?」
「これって言う理由は無いのだけれども、どこか少し内容が繋がっていないって言うか、不十分な感じがしたんです。だからもしかしたら私に話していない何かがあったのかなって」
「むう、七瀬の女の勘?とやらもなかなかにあなどれんの」
そう言うと苦笑する雨子様。
「実を言うと全ては我のせいなのじゃ」
そう言われた七瀬は少し口を開きそうになったが、思い返したのかそのまま噤んで雨子様の言葉を待った。
「実に恥ずかしいことなのじゃが、我は今回のことで周りの皆にとんでもなく迷惑を掛けてしまった。恥ずかしくも曲がりなりにも神を称して居りながら、直面した事態を上手く処することも出来ず、この身をとことん苛んでしまうことになってしまったのじゃ」
「苛む?」
「そうじゃ。そなた等人の場合はもとより肉を心に纏って居るから、自らのことを苛んだ場合その影響はまず体に出居る。じゃが我は大本は精神体の身じゃ、自らを苛むと言うことはそのまま自身の存在そのものを苛むと言うことになる」
「そんな…、それでどうなったの?」
「我はそのせいで無明の闇に落つることとなり、自ら己の精神を食らうような…あのまま放って置いたら多分我は消滅してしまったであろうな」
そこまで言う雨子様が言うと、七瀬は急に顔をくしゃっとしたかと思うと、傍らの神を抱きしめた。
「だめ!雨子さん消えたりなんかしたら絶対にだめ!」
抱きしめられた雨子様は目の前に有る七瀬の頭を優しく撫で付けた。
「心配するでない七瀬よ。我はもう消えたりはせぬ」
「本当に?」
「本当にじゃ。我はそなた等人から幾つものことを学び、かつてより少しばかり曖昧であることに慣れつつあるつもりじゃし、何かあったら先ずそなた等に相談することに決めたからの」
「相談してくれるの?」
「うむ」
「そっか、でもだとしたらその時はどうやって雨子様は助かったの?」
「それが今回話さねばならぬ核心に当たる部分あのじゃ」
そう言うと雨子様は一つ大きく深呼吸をした。
「果て無き闇に深く深く落ち込んでいった我は、その中で自らの心を食らい、どんどん収縮し、小さく小さくなり居った。そうやって己食らいをして居れば、そう遠からぬうちに我はこの世を去って居ったと思う」
七瀨は固唾を飲んで雨子様が先を話すのを待った。
「その時おそらく我は、その先消えゆくことしか考えてなかったかと思う。じゃが祐二はそれを良しとしなかったようじゃ。そこで祐二はその身の全てをかけて、我を救い出しに来てくれたのじゃ」
「祐二君らしい…」
「うむ、まったく以て祐二らしいと言えば祐二らしいかも知れぬの。じゃがの、祐二が我を探しに来たのは我自身果ても知らぬ広大な無明の闇ぞ。光りも無く温もりも無く、僅かな命の欠片すらも無い」
七瀬は雨子様の語る言葉の厳しさの中に何かを感じ、震えが来てしまうような、そんな恐れを感じていた。
「そのせいで祐二の心はどんどんその闇の中に融け出し、祐二が祐二で有るべき為に必要なものを次第に手放し、我の中に溶け込み、同化していき居った」
「え?でも祐二君は?」
そう言うと七瀬は、離れたところに居てユウとじゃれ合っている祐二のことを見つめた。
「うむ、あれに居るのは真性、祐二で間違いない。今はもうちゃんと祐二として存在し、元通りになって居るはずじゃ。じゃがあの時は、我の許に辿り着いた時の祐二は、たった一欠片しか残っておらなんだ」
「そんな…それなら今の祐二君は?」
「ギリギリのところで祐二の存在を受け止め、受け止め返された我は全霊を持って、我の中に溶け込みつつあった祐二を回収し、有るべき姿へと戻したのじゃ。正直紙一重の所じゃったと思う…」
そこまで言うと雨子様は一度ベンチから立ち上がり居住まいを正した。そして七瀬に向かって深々と頭を下げた。
「七瀬よ、そなたも祐二のことを心より大切に思う者の一人、そなたにも本当に迷惑を掛けた、すまぬ」
そう言って頭を下げたままの雨子様に立ち上がった七瀬は寄り添った。そしてそっとその手を両の手で包むように握りしめた。
「ううん、雨子さんだってそうしようと思ってそうした訳じゃ無いこと分かるもん」
「じゃが…」
「今はね、雨子さんのこと祐二君と同じくらい大事なんだもの。そう考えると祐二君、良く雨子さんのことを助けてくれた、偉い!」
「七瀬よ、そのようにゆうてくれるのか…」
そこまで言うと雨子様は言葉を詰まらせ、七瀬の手を握り返しながら、はらはらと熱い涙を落とした。
「ん、大丈夫だよ雨子さん…」
そう言うと七瀬はポケットからハンカチを出すとそっと雨子様の涙を拭った。
「済まぬの七瀬」
そう言うと雨子様は何とか涙を止め、笑って見せた。
「何故か知らぬが最近の我は涙もろうていかん」
七瀬は雨子様のその台詞に微笑みかけた。
「でもそんな雨子さんのことなんか良いなって思うな。神様に向かって人間らしいなんて言ったら怒られるかしら?」
雨子様は七瀬のその台詞に苦笑した。
「別に怒ったりはせん、何と言うか今の我としては何故か嬉しいことのように感じられるの」
「そうなの?」
「うむ」
「良かった…」
そこまで話すと七瀬は急に雨子様の目の奥をのぞき込むようにしていった。
「ところで雨子さん、他には話すことは無かった?」
「他にはと言うと?」
雨子様には何のことかまったく分からず首を傾げるばかりだった。おそらくでは有るが、このことは七瀨以外の誰にも分からなかったのでは無いだろうか?七瀨のそれは、誰かに思いを向けている人間独特の特別な観察力、故の違和感だったのかも知れない。
七瀨の質問の真意がつかめず、戸惑いを見せる雨子様のことを見つめながら、七瀬は素直に自分の疑問点をぶつけていくのだった。
「雨子さんは今祐二のことをどう思っているの?」
問われた雨子様はきょとんとしている。
「祐二のことは愛し子、大切な庇護すべき存在だと思って居るがの?」
「それだけ?」
「むう、祐二は我のことを二度も救うてくれた存在なだけに、ある意味特別な存在でもあるの」
「う~~ん」
聞きたい思いが上手にまとまらずに暫く天を仰ぐ七瀬。この季節にしては星が数多く見え、とても綺麗な夜空だった。
「雨子さんは女の子だよね?」
「むう、かつてならともかく、今の我は確とそう思って居るしそう感じても居るな」
七瀬は更に問う。
「なら女の子の雨子さんは男の子の祐二のことをどう思うの?好き?」
「あ?…う?あ?」
心の中で様々な思いが散らばり言葉にすることが出来ない雨子様。
ある意味七瀬にとってそれこそが答えのようなものだったかも知れない。
ただ雨子様自身にとって、色恋の感情は今までまったく経験したことの無いものだった。故に今この時、確信を持って何も言うことができない、それが今の状況だった。
「の、のう七瀬よ。我にはよう分からぬのじゃ。今の我はそうなのか?」
己の中に湧き起こる言葉に出来ないような感情の渦に手を拱き、ただ狼狽えている雨子様の様子を見ていた七瀬は、何だか一気に毒気を抜かれたような気分になってしまった。
「どうなんだろうね?でも雨子様の視線、時々とっても優しくなって、そして祐二のことを追いかけているから、だからてっきりそうなのかなって思ったの」
「じゃ、じゃが我は神で、祐二は人な訳で。それに祐二はそなたの思い人であろ?」
雨子様は七瀨の述べた言葉に思いを向ければ向けるほど、どんどん自分が混乱していくのを感じていた。
「わ、我はどうすれば良いのじゃ?」
考えれば考えるほど論理的思考からはかけ離れていくばかりだった。
雨子様は今この時になって初めて、祐二に対する自らの思いが、これまでのものとは少し変質し始めていることに気がついたのだった。
もちろん雨子様自身、この様な思いを得ることはかつて経験したことも無く、何をどうすれば良いのか分からずに、ただ戸惑うばかりだった。
そんな雨子様の心の内を、何となくではあるが肌で感じ取ることが出来た七瀨は、だからと言って雨子様のことを責めることは出来なかった。
「うん、思うに雨子様は祐二のことが好きなんだと思う…」
「我が?祐二のことを?そんな?あり得るのかや?」
当の本人が一番信じられないで居るようだった。だがそんな雨子様の様子を見れば見るほど七瀬は自らの考えを確信に変えていくのだった。
「あのね雨子さん」
「七瀬?」
「私は雨子さんのことだーい好き、そして祐二君のことも大好き。これはどちらも変えられない…」
雨子様はただ黙って七瀬が言葉を継ぐのを待つことしか出来なかった。
「だから、だから私にもどうして良いか分からない。ただ思うの、ここから先は祐二君次第かなって。だからこの先、私は今よりもっと彼に好かれる為に精一杯頑張るつもり」
そこまで言うと七瀨ははにかみながらふいと下を向いた、だが言葉はなおも続く。
「それでね、それでもし祐二君が私のことを選んでくれたら、雨子さんは私のこと祝福してくれる?勿論、祐二君が雨子さんのことを選んだら、その時は私が目一杯雨子さんのことを祝福して上げる」
「待て待て待て待て、我にはもう何が何やらよう分からんのじゃ!そなたに言われて初めて気が付いた我の中に有る何かの思い。それが何で有るかすら今の我には分かって居らぬ。そんな状態で我に何かを決めろと言われても、我にはどうして良いのか分からぬのじゃ…」
自らの中に湧き出つつ有る不可思議な思いに振り回され、呆然としている雨子様のことを見つめながら、七瀬はクスリと笑いつつ言った。
「まあ、人を好きになるってそんな訳の分からないところが有るよね」
そう言うと七瀬は大きく深呼吸をした。
「まあいいや、ともかく雨子さん、私も雨子さんも祐二君のことが好きなのは変わりないと思うから、一緒に頑張りましょう?」
「む?む?それでいいのかや?我には良く分からん」
「良いの!だって恋愛なら私の方が先輩なんだもん」
「む、むう?」
尚も目をキョロキョロとして挙動不審状態だった雨子様だったが、今は七瀬の勢いに身を任せ、その意に従うことにするのだった。
「さ、そろそろ祐二君と合流して先を急ごうか?」
とは七瀬。そう言うと彼女は先に立って祐二の所に向かった。
慌てて後をついて行く雨子様。まだ混乱の最中に居ると言った感じだったが、祐二のことを見ていると妙に顔がほてるのを感じている。
「これがはたして男の子を好きになるという女子の心の有り様なのかの?分からぬ、解せぬ…」
自らの中に有る不可思議な感情を上手く理解出来ぬまま、小走りで七瀨の背を追いかける雨子様だった。
この先どうなるのかな等と作者すら思っております




