付喪神の正体
今回は些か難産でした。つくづくもっと明晰な脳みそを持って生まれていたらなと思ってしまいました(^^ゞ
あれやこれやと考えている僕のことを雨子様の視線がずっと捉え続けていた。
「なぜ今のこの時期に我が現れたか?と言うことじゃな?」
僕は素直に黙ってうなずいて見せた。
「むぅ、殊勝じゃな。ところで祐二、そなた最近変わったことを経験したであろ?」
僕は一瞬あっと言う形で口を開いたままだった。雨子様がそんな有様を見て苦笑する。
「祐二よ、そなたは我の無くてはならぬパートナーじゃ、頼むからそのように間の抜けた顔をせぬようにしてはくれまいか?」
僕は自然唇が尖ってしまう。僕だってそうしたくてそうしたのじゃない。しかしそんな些末なことはどうでも良い。
「もしかして雨子様のせいなのですか?あの傘の精?が見えたのは?」
「うむ、まさしくそなたの推察通りじゃ。そなたの許しを得て我は汝の心と解け合い、今も一部はそなたと共にあるのじゃが、それがそなたの心に何らかの変化を及ぼしたものと思われる」
僕は雨子様の思わぬ発言に驚いた。
「雨子様は未だ僕と繋がっているのですか?」
少しばかり声が裏返っている。年頃の高校生ともなれば、かくも見目麗しい存在と繋がったままとか言われると、その意でなくとも動揺もしよう。
「何じゃその驚き様は?我と共にある存在として実にみっともないのう。それに今の繋がりは極めて限定されたものじゃ。これまでのようにそなたの全てが見えてしまう物ではない」
雨子様は僕の驚き様を少しばかり揶揄するように言葉を重ねた。
僕のような立場で有ればいきなりこの様なことを告げられれば驚いてしまうのも無理からぬ事だろう?それはさておき話を元に戻さなくてはならない。
「雨子様、ではそれは意味を持つんでしょうか?何か危険に繋がるのですか?あの傘の精に何かがあるのですか?」
僕はまず気になったことを聞いた。すると雨子様は苦笑しながら答えてくれた。
「あの傘の精がか?それともそれが見えるようになったことかの?」
僕は一瞬思案した後言った。
「ある意味両方かな?もっとも傘の精には何の脅威も感じなかったのだけれど」
「うむ、その感覚は正しい。実はあの傘の精、付喪神というのが正しいのじゃが、あれは至って大人しいものじゃった」
「付喪神?」
この時になってようやく僕はあの傘の男の子の正体に合点がいった。
「そうか、付喪神かぁ」
「そうじゃ、付喪神じゃ。空想上の物としての知識は有るようじゃが、些か説明せねばならぬようじゃな」
そう言うと雨子様は少しだけ何かを考えている風だった。
「そもそも付喪神という存在はこの世には存在しなかったものなのじゃ」
「この世に存在しなかった?」
僕は思わず聞き返してしまった。
「うむ、我らの知る限りでは、この宇宙に我ら以外の思念生命体は見出すことは出来なかったのじゃ。そしてそれがいわゆる通説で有った。じゃがの、そなたら人の思いがその常識を覆したのじゃ」
「人の思い?」
「むぅ、そうなのじゃ。本来何の意志も持たぬ草木物品に人が何故こうも強い思いを投げかけるのか我らにも分からぬ。しかし長年に渡って人より思いを掛けられることで、時としてそれらの物に意志が宿ることがある」
「意志が宿る?」
「うむ、長い年月の間極めて強い思いを掛けられると、希にじゃがその焦点に思いが滞留し更に変質することで残留意志のような物が生まれる。我らはそれらの物を称して付喪神と呼んで居る」
「付喪神…」
僕は独り言のようにつぶやいた。
小さい頃に読んだ子供向けの物語に何度か出てきたように思う。そんなものがまさかと思うのだが、現実に出会ったのは事実だし、目の前にそれ以上の驚異が存在しているとあらば、付喪神程度のことで驚くこともないのかもしれない。
僕の様子を見守っていた雨子様は、更なる情報を受け取る準備が整ったと思ったのだろう、再び話し始めた。
「もっとも付喪神と神と称していても多くはただ存在しているだけで、己の存在を認識するだけの者でしかない。そんな彼らは何かしようにも、我らのように力を使う方法を知らぬし、使う為の能力も無い」
ここまで言うと雨子様は一旦口を噤んだ。少し間を置きその後声を少し落としながら言葉を継いだ。
「そんな付喪神で有るが、時に僅かではあるが、とてつもなく強い悪意を持っているものが存在するのじゃ」
僕はなんだか背筋にぞっと冷気が走るのを感じた。
「そう言う悪意を持った付喪神は実に恐ろしい」
神様である雨子様に恐ろしいと言わせるなんて一体どんな存在なのだろう?僕はぞくりとする悪寒を打ち消すことが出来なかった。
「ところで祐二は、付喪神が我らと似た有り様の思念体で有ることは既に理解したかや?」
「思念体…はい」
完全に分かっているとはとてもじゃないが言えない。でも何となくイメージとしては感じられるように思う。
「彼らは人の心から念という形で精をもらうことで生まれ、更に我らと同じように精を受けることで存在するに足る力得る。じゃがあの者達と我らの大きな違いは、人との間に契約が存在するか否かと言うことなのじゃ」
「契約?」
「うむそうじゃ、契約じゃ。我ら神は人と契約を交わすことによってのみ、その精を分けてもらうことが出来るのじゃ。これは我らが人と関わるときに決めた最も神聖なる約束事なのじゃが、その契約にはいくつか種類がある。通常もっとも多いのが祈りによる契約じゃな」
「祈りによる契約?」
「うむそうじゃ。ある意味もっとも後腐れの少ない方法じゃな。人が我らに何か願いを述べ、我らがその願いを何らかの形でかなえる。それによって契約が成立し、初めて我らは一定量の精を人より得ることになるのじゃ」
僕たちが何気なく神様に祈っている事柄の裏に、このような相互利益があったとは。でも何となく納得出来るような気がするから不思議だ。
「そしてもう一、我とそなたが結んだような契約じゃ。あの時はそなたにただ許すとだけ言わせたのじゃが、実際には我に大きな縛りをもたらすものになって居る。」
雨子様はそこまで話したところで少し間を置いた。この先どう話したものか思案しているようだった。だがそれも束の間だった。
「我らが人の子により多くの精を分けてもらう為には、精を与える側が主になり、もらう側が従となる契約を成立させねばならぬ。そうなって初めて我らは制限無く精を分けてもらう事が可能になるのじゃが、精を分けてもらっている間、従は常に主の支配下にあり、従の存在は自らの事に直接関わること以外、主に断り無くその力を勝手に行使出来なくなるのじゃ」
僕はその説明に驚いて問うた。
「一体全体、何だってそんなに重要な事を許すの一言で決めてしまわれたのです?そんなに軽々しく契約してしまって良かったのですか?」
僕が半ば呆れるようにそう言うと、雨子様は穏やかな笑みを浮かべながら答えを返してよこした。
「かつてより汝のことは良く知って居る、故にそなたを選んだのじゃ」
「…」
僕にはそう言われて返す言葉がなかった。だが心の中にとても暖かな何かが満ちていく。
「分かりました。でもそうなると雨子様は僕の従となるわけですよね?」
「うむ、まさしくそうなるの」
「だとしたら雨子様は力を行使するためには、一々主である僕にに許可をもらわなければならないのですね?」
「うむ、まさにその通りじゃ。主の許可なくして従は多くの力を使うことは出来ないのじゃ」
「雨子様はそれで本当に良いのですか?」
「問題無い。先も言ったようにその答えに足るだけ十分にそなたのことを知って居るし、そなたも我が願えば都度応えるくらいはしてくれるであろ?」
雨子様にそこまで言われたら、それ以上僕が言うべきことは何も無かった。
その様を見守っていた雨子様は更に語を次いだ。
「だがこの話の要点はそれだけではない。肝心なのは主が従を通じて従の持つほとんど全ての力を使うことが出来るという点に有るのじゃ」
「何ですって?全ての力?」
「うむ、我らの間であれば、強く心で念じて我に何かを命ずるだけでよい。もちろん余り離れていてはその願いも届かぬがな」
僕はまさに唖然とした。目の前の神様にいきなり神様の持つ全ての力が使えると言われて驚かない奴がいたら、この目でお目にかかってみたいものだ。実際その時の僕に相応しい言葉はびっくり仰天だった。
「それって有る意味僕自身が神様になったも均しい事じゃないですか?」
僕は震える声でそう言った。
「うむ、まさにその通りじゃな」
実にこともなげにそう言う雨子様に僕は呆れ返った。
「雨子様は僕がその力を悪用するとは考えられなかったのですか?」
すると雨子様は実に優しい笑顔を浮かべた。
「むぅ、それが信じられる存在であるからこそ我はそなたを選んだのじゃ。そしてそれこそが、我とそなたが交わした契約の正体なのじゃ」
僕は許すと言う言葉の真の意味を知っていささか気後れしてしまった。
まさか雨子様と僕の間にそこまでの契約が交わされていたとは、全く想像すらしていなかった。
だが今更そんなことを言っていても仕方がない。僕は前向きに物事を考えることにした。
「かてて加えるなら、何かがあって雨子様がその力を使いたいと思っても僕自身がそのことを承認しない限り、雨子様はその力を使うことが出来ないのですね?」
「うむ、正にその通りじゃ。故に我はそのことをそなたに少しでも早く伝えるためにもこうして姿を現さざるを得なかった訳じゃ。そしてもう一つ」
僕は雨子様が更に話を進めるのを待った。
「神社に鎮座して居る我が神体を離れ、肉体も無しに純粋な思念の形でいる我は、例えようもなく目立つのじゃ。祐二の心の力を得る前の頃ならともかく、今となっては闇夜の灯台とでも言えば良いかの?正に煌々と光を放つと存在であると言っても過言では無いじゃろう」
僕は雨子様の話したことを思わずイメージしてしまった。真っ暗な闇の中でぴかぴか光る雨子様、目立つなという方が無理というものだ。
「当然のことながらその我を内包したままで有ればそなたも目立つことになる。故に放置しておくこと即ち無責任で有ると言わざるを得ぬじゃろ?」
そんな風に言われたら納得しないわけに行かなかった。
「さてここで付喪神どものことに戻らねばならぬが、我ら神がどのようにして人から精をもらうかは理解出来たのじゃな?」
僕はぶんぶん音がしそうな程の勢いで首を縦に振った。
「じゃが同じ思念体でも付喪神の精の取り方はいささか異なって居る。そうじゃな、手っ取り早く説明すればあの者達には契約の概念がないのじゃ」
「概念がない?」
「うむ」
雨子様はそう言いながら厳しい顔つきをした。
「故に彼らは人から精を奪うのになんの制約も受けることがない。じゃがそれでも多くの付喪神達は人に恩義を感じている故その様な無茶をする物は居らぬ。じゃがな、悪しき念に凝り固まった付喪神にその様な押さえになる物は何一つ無い」
「それじゃあ?」
「うむ、彼らは何の遠慮もなく人から精を吸い尽くすのじゃ」
それではまるで物語に出てくる狐狸妖怪の類と変わりないではないか。僕は何とも言えない恐怖を感じて震え上がってしまった。人の精を吸い尽くして滅ぼしてしまうとはなんと恐ろしいことだろう。
そこまで考えて僕ははっとした。狐狸妖怪に似ているのではなく、狐狸妖怪こそがこの悪意を持った付喪神から考えられた物なのだろう。
「何とも恐ろしい物なのですね」
「まさにの。じゃが多くの付喪神は、人には自分の姿が見えないことが当たり前だと思って居る。故に大抵の場合、積極的に人と関わろうとはせぬ。じゃから祐二が正しく心を使い、そう言う者達に巡り会っても心を揺らすことがなければ、何ら問題なく身をかわすことが出来るであろう。」
僕は雨子様のその説明を聞いてほっとした。しかし話には続きがあったのだ。
「じゃがの、悪しき付喪神となるとそうは簡単にはいかぬ。多くの場合彼奴等は、正に災厄そのもののような恐ろしい姿形をして居る。何の心の準備もせずにその様な連中に出会って、今の祐二に驚くなと言うのは無理であろ?」
僕は改めて自身の心を見直してみた。そして思った、多分だめだと。未だに大きな蜘蛛の姿を見ただけでも飛び上がるのだ。それ以上におぞましい者の姿を見て平然としていられるかというと、全くその自信はなかった。
色々と思いを巡らせる僕を見つめる雨子様は、おそらくほぼ完全なまでに今の僕の思いを見抜いているのだろう。
「実はの祐二、この話には更に恐ろしい続きがあるのじゃ」
僕は胃がきゅうっと小さくなって痛み出すのを感じていた。人間が付喪神に精を吸い尽くされることよりも恐ろしいこととは一体どのようなことなのだろう?
僕には想像も出来なかった。僕は雨子様がその話の続きをしてくれるのを待った。
すると雨子様はそれ以上無いと言って良いくらい厳しい顔をしながら話し始めた。
「では問うが、良からぬ意志を持った付喪神が、我とそなたの関係を知ったらどうなると思う?」
「…と言われても?」
僕には想像もつかなかった。
雨子様の目が厳しい光を放った。
「おそらくその悪しき付喪神どもはそなたの心を支配しようとするであろう」
「心を?」
「そうじゃ、そして万が一でもそなたが付喪神に意志を乗っ取られようものなら、付喪神はそなたを通じて、我の持つ全ての力を行使することが可能になるのじゃ」
僕は呆気にとられてしまった。
「それって付喪神にしてみたら何でも有りの状態じゃないでっすか?」
「正にその通りじゃ。おそらく付喪神は契約など無視させて、我にあらゆる人間の精を吸い尽くさせるで有ろう。自らが使える力を極限まで大きくするために…」
僕は体がどっと重くなるのを感じていた。そうなれば人間一人や二人の問題ではなくなってしまう。
「それで僕は一体どうすればいいのですか?」
僕にはそう聞く以外何も出来なかった。今の僕の状態を一言で表すならば、げっそりという言葉、それが一番言い当てている。
「むぅ、その様な事態はあらゆる手段を持って防がねばならぬ。幸いなことに通常であれば我の方が付喪神どもより幾千倍も強力じゃ。まったく恐るるに足らんとも言えよう。故に我はかなう限りいつも祐二とともにいるのが望ましいと考えるのじゃ」
僕は改めて雨子様の判断を受け入れざるを得なかった。
「はぁ」
つきたくなくても自然溜め息が漏れ出てしまう。そんな僕のことを見る雨子様はなんだか実に申し訳なさそうだった。
「付け加えるならば、祐二には必要に応じて我の言葉に積極的に耳を貸して欲しい」
「要するに雨子様が力を使おうとする時、そのことを許せば良いのですね?」
「うむ、その通りじゃ」
そこまで言うと雨子様は急に黙りこくってしまった。残念ながら何故そうなったのか、僕には解き明かすことが出来なかった。
雨子様の表情が少し重く沈んでいる。やがて雨子様は話しにくそうにしながら口を開いた。
「ついてはこのことについてそなたの母御に謝らねばならぬな」
「?」
合点が行かなかった僕は目顔で問い返した。
「むぅ、それは当然じゃろう?我に力を貸すことになったが故に、このような危険を背負うことになってしまったから」
雨子様はそう言うと微かに目を伏せた。きっとそのことについて随分負い目を感じているのだろう。
「ねえ、雨子様」
僕がそう言うと雨子様真っ直ぐに僕の目を見た。
「僕からのお願いなのですが、よろしいですか?」
雨子様は何の感情も交えずに言った。
「既に契約した仲じゃ、案ずることなく何でも言ってみるが良い」
僕は雨子様のそんな様子に少し慌てながら言った。
「いえ、何か命ずるとかそんな物じゃないんです。ただかなうなら、その話は母には話さないで欲しいなって思うのです」
「?」
雨子様は何も言わなかった。しかし思いは十分伝わってくる。
「これは僕の我が儘なのですが、母にはそんな形で気苦労を掛けたくはないのです。だからどうかこのことについては黙っていては頂けないでしょうか?」
雨子様は、そのまましばらく僕の瞳を覗き込み続けた後、静かに僕の思いを承諾してくれた。
「祐二の望む通りにするが良い」
僕はほっとしながら頭を上げた。
「ありがとうございます、雨子様」
「礼を言うならば我の方じゃ」
僕の心に不思議な温もりが伝わってくる。果たしてこれは雨子様の物なのだろうか?それとも僕自身の物なのだろうか?雨子様を見るとそんな思いを知ってか知らずかにっこりと微笑んでくれた。
「ともあれそんなに深刻になることもないかもしれん。相手に気がつかれなければよいのじゃからな。それにそう言った凶悪な付喪神に行き当たる確率も極めて低い物じゃ」
それだけでなく僕は、常に雨子様と一緒に居ようと思った。そのことで恐るべき付喪神の影響から脱することが出来ると思えば、多少の不自由は易い物だろう。強いてはそのことは自分以外の、多くの者の命を守ることにも繋がるのだ。
「要するに僕は出来るだけ雨子様と一緒に居るのが望ましいと言うことなんですね?」
「うむ、そうじゃな。不自由を託つかも知れんが許されよ。だが付喪神については案ずるでない、我さえそなたの側に居れば何ら危険の及ぶことはないであろ」
確かにそれは雨子様の言うとおりかも知れない。おそらく問題が有るとすればいかに常に一緒に居るかということの方だろう。
今回は祐二と雨子様の関係性の説明の回でした