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雨子様の贖罪

雨子様の胸中が吐露され、物語が進行していきます

 雨子様は葉子ねえから預かった人形をぎゅっと抱きしめると、優しくベッドの上に置いた。人形を見つめる雨子様の目がとても優しい、そしてなんだか切ない。


 雨子様はそっと立ち上がると、机の前の椅子に腰掛ける僕の前に来、ゆっくり跪いて正座した後、頭を垂れた。その肩が微かに震えている…。


「祐二よ、我はそなたに謝らねばならぬ…」


そう言うと雨子様は押し黙ってしまった。膝の上に置いた手の甲に、光る滴がぽたりと落ちる。


「雨子様?」


 驚いた僕の口からはその言葉しか出てこなかった。

だが雨子様は俯いたまま暫くの間何も言わなかった。

 

 雨子様はじっと黙ってしまった心の内で、一体何を考えて居るのだろう?

だが僕にはまだその雨子様の胸の内を推し量ることは出来なかった。ただ待つことしか出来ない時間。重苦しい雰囲気が周りの空間を引き締めていく。


 一体どれくらいの時間が過ぎたのだろう、やがて何かが満ちたかのように雨子様は掠れた声で話し始めた。


「祐二よ、覚えて居るか?我がそなたの精を分けて貰う為に契約を行った時のことを。我はその際、祐二の精を使うのじゃから、そなたの為にのみ力を使おうと心に決めて居った」


 そう言ってようやっと顔を上げた雨子様。契約という言葉をより深く知る雨子様だからこそ、その表情には厳粛なものがあった。


「契約かあ、そう言えばそういうことが…」


「戯け!神と人の神聖なる契約をなんと…じゃがまあ人の身としてはそんなものかもしれんのかもな」


 そう言うと雨子様は苦笑いをした。固く固まっていた雨子様の感情がほんの少し解きほぐされた、そんな感じがした。だがそれも束の間なのだった。


「契約は厳正なものじゃったが、内容についてはそなたの言中言外にある思いを汲み取って我が総括して取り決めた。これは我とそなたの関係性を考えればやむなきこと。人であるそなたが意味を絞りきることなどとうてい無理なことじゃからの。じゃから我が決めた。悪なることを除いてそなたに利すると」


 そう言うと雨子様はきつく口をかみしめた。言葉が停まる、その無言の時間の合間に、どんな思いがその胸の奥に去来しているのだろう?


「であるのにこの度のことはどうじゃ?世に溢れる不確かな人の意思のかけら?それがどうしたというのじゃ、確かに多く集まり、澱んで膿めば悪にもなり、もしかするとそなたを苦しめる何かになるやもしれん。しかしそれは未だ可能性じゃ」


 思いの強さ故なのか、雨子様の話す言葉の中に意思が籠もり、音声が揺れる。

高ぶる思いを抑えられないのか、震える手を胸にかき抱き、足りぬ我が身を零さぬように抱き止めようともする。


 雨子様の吐露する思いが僕の心を侵食する。その熱さに僕は思わず雨子様の名を呼んでしまう。


「雨子様…」


「我はの、そなたを愛しく思い、そなたの母御や父御を大事に思い、そなたの姉を我が姉妹のように感じ、その子を目に入れても痛く無いとも思った。なのにこの為体はどうじゃ?」


自らの不甲斐なさに音がするほど歯をかみしめる雨子様。雨子様の思いの激しさは、徐々に心を飛蝗の群れのように蝕んでいく。


「そなたばかりかその家族全てに危機を及ぼすようなこの事態。そなたの為と言う、そなたらの為と言う、耳当たりの良いお題目を錦の御旗に仕立てて、意気揚々と動き回った挙げ句がこの様じゃ…」


 万全を思い、万全を尽くしたつもりが、いつの間にか全て裏目になっていく。雨子様は一体どんな気持ちでこれまでの経過を見守ってきたのだろう?

 言葉を吐き尽くしながら雨子様は下を向き、俯き、肩を落とし、小さく小さく縮こまって行く。そして苦い苦い後悔の言葉がその口から溢れだしてくる。


「我は、我のような卑小な神が、そなたに関わったりせなんだら…この様な、この様なことにはならなかったであろうに…」


 心の中の荒れ狂う心の叫びを必死になって押さえ、なおも漏れ出るのを捕らえて形にして言葉にし、その苦みに満ちた言の葉は丸で刃のように雨子様自身を苛んでいく。


 僕にはその刃がまさに雨子様を切り裂き、蝕み、崩壊させていく毒のようにすら思えた。

その場の大気に暗く冷たいものが忍び込み、雨子様の存在そのものを不確かなものにする。その姿が揺らぎ、震え、薄れ、掠れていくようにも感じられる。


「いけない雨子様!」


 僕はとっさにそう言うと小さく縮こまっている雨子様を抱きしめた、抱きしめようとした。

 雨子様の体ががくがくと震え、冷たく冷たくなっていく。抱きしめようとしている腕が、ともすればその身を擦り抜けてしまいそうに成る。


「雨子ちゃん!あかん!それ以上はあかん!」


 部屋の扉が突然叩き付けられるかのように開けられ、和香様が飛び込んできた。そして僕に向かって懇願するように叫ぶ。


「祐二君!雨子ちゃんを雨子ちゃんを助けたって!今の雨子ちゃんは君にしか助けられへん」


普段おっとりとしている和香様が血相を変え、憔悴している。その姿に普段鷹揚として構えている大神の有りようは微塵も無かった。


「でもどうすれば?」


雨子様の体を抱きしめたまま僕がそう叫ぶ。僕だってこんな雨子様、何とかしたい。何があっても助けたい!


「うちが送るさかい、雨子ちゃんの中に入って、雨子ちゃんを助け出してきて、お願いや!」


 そう言うと和香様は僕の後ろに来るなりぽんと背中を押した。

熱い波動が僕の体を突き抜けていく。僕の心に限りなく優しい和香様の思いが満たされていく。

 僕の心が充足され、満たされ、圧縮され、そしてついには溢れ出す。

と、僕はなんだかぬるりとした感覚とともに自身の肉体から滑り出たのを感じたし、理解もした。もしかしてこれが幽体離脱って言う奴なのかな?

 そんな僕のことを和香様が激しく叱咤激励する。


「頑張るんや祐二君!雨子ちゃんの中に入って雨子ちゃん助けられるのは君だけなんや。何が何でも探してくるんやで?雨子ちゃん自身の核を。頼んだで?」


 和香様には体から抜け出て霊体?になった僕のこともしっかりと見えているらしい。しっかりと見据えて雨子様自身を指差した。


 僕は和香様の言葉に従い、雨子様を助けに行く、そう心の中で決意した瞬間、気が付いたら底知れぬ闇の中に居た。


 濃い、どんな闇よりも濃い闇。深い、どんな闇よりも深い闇。いくら言葉で書き留めようともその一片すらも表すことが出来ない闇。僕が経験してきた悪夢の闇など、丸で児戯にも等しいものだ。


 いつもの雨子様のことを思うと、その中にこんなものが存在しているなんて、僕には全く想像することが出来なかった。闇は全ての光を奪い、全ての熱を奪っていく。束の間であれば優しく癒やしてくれるような柔らかさもあるが、時が過ぎればそこに有るもの全てを苛んでいく。


 ねっとりと絡みつくような濃い闇の中で藻掻きながら僕は思う。

こんなものの中から雨子様を救い出す力なんて果たして僕に有るのだろうか?ただの人間でしか無い僕にそんな力が有るとは到底思えなかった。がしかし、無くても見つけなくては、雨子様のこと。僕は雨子様を失いたくない、僕は強く強くそう思った。


 濃く深く纏わり付くような闇の中、小さな小さな光の点、染みでしか無い僕は雨子様を求めた。


「アマコサマ」


 自分では叫んでいるつもりなのに、口から出ていく音と言ったら、まるで小さな虫の鳴く声ほども無い。

無限にも思える闇の中、いくら発しようともその声はたちまちの内に減衰し、無と化していく。


 だが僕は諦めない。雨子様を求めて必死になって繰り返すことで次第に大きくなっていく。


「あまこさま」


幾度、幾十度繰り返しただろうか?次第に大きくなっていく声、繰り返し繰り返し響く声。


「雨子様」


 音声が形を無し、意味を得て言葉となり、更には意思を得て力となる。


「雨子様ぁ!」


 言葉は轟く音声おんじょうの響きとなって広大無辺の闇に木霊していく。

彼方まで届けと更に力を込める。


 と、その時、微かで有るが気配のようなものを感じた。

その感覚、冬の乾いた空気の中、セーターを脱いだ時に感じるふわりとした静電気の存在、あれを彷彿とさせるものだった。


「こっちだ…」


 僕はその感覚を信じて、ふわりとした感触の有る側に向かう。

だが向かうと言っても、起点も終点も無い闇の中、ただ自らの思いでこちらだと考えている方向に進んでいると思うだけ、それこそ藻掻き足掻きただ只管に雨子様を思う。


 だがそうしている間にも僕の体から温もりが奪われていく。ごく僅かずつなので気をつけないと分からないくらいに少しずつ。

 そしてそれが進むにつれ僕は僕という存在を失い始める。


 最初それは気にも成らないくらいだった。僕という大きな塊、その端っこの方から少しずつ少しずつ。失うにつれ僕は自分の中に在る色々なものを失っていく。


 楽しかった思い出、嬉しかった思い出、ここでふと僕は気がつく。過去の苦しかったり悲しかったりする思い出、それらは皆変質して良い思い出として片付けられている。

そして変質出来なかったものは全てどこかに消えてしまっているのだ。

 全くもって不思議な気持ちになってしまった。


 更に時が進むと、(果たして本当に進んでいるのだろうか?)僕が失ったものが既に限界を迎えつつ有るのか、僕が僕自身で有ることすらもだんだんと怪しくなってきた。


 だが僕の中には未だ核となるものが有る。


「アマコサマ」


 そう形作られている、何か。今はもう意味も分からないその何かを追い求めて、僕はより闇の奥深くに沈降していく。


 その時で有る、微かに感じられる光と熱。


遠い、遠い、本当に遠い彼方に見える光。


「アマコ」


 僕、いいやかつて僕で有ったもの。ただの形骸でしか無い僕の欠片。

僕にとって僅かに意味の残っている何かを抱えて、更に進む。


「アマ」


 もうあと少し、あと少しで行き着けるのに、僕はもう足りないのだろうか?


「ア…」


だがようようにして辿り着いた。


 一つは全て、全ては一つ。かつて僕で有った存在は、ただの一粒に成り果てながらも雨子様の元に辿り着いたのだった。


「ユ、ユウジ?ゆうじ?祐二なのか?」


 驚いたように響く雨子様の声なき声。


「一体どうしたというのじゃ?こんな、こんな…欠片も無いような姿に成り果て居って…」


 雨子様から熱が伝わり、ゆっくりと僕の粒を暖めてくれる。


「アマ」


「良い、喋らずとも良い。今はまず癒やせ。どうしてこんなところまで…」


 ああ、雨子様の心が泣いている…。


「ナカ…」


 泣かないでと言いたいのだと思う、多分。ただ今は未だその言葉を形作ることすら出来ない。


「お前はどうしてこんな無茶をするのじゃ?我など捨て置けば良いというのに…」


 そう言うと雨子様は光の塊であった有り様を変化させ、かつて逢った頃の人形のような姿に戻っていた。そして雨子様は、その二つの目から止めどなく光の粒を溢れさせていた。


「本当にこんなにも小そうなってしまいおって…」


 雨子様はそう言いながら必死になって周りの闇に散らばる僕の欠片を拾い集め、僕に戻そうとしてくれている。そしてこれ以上冷えぬようにその胸に抱き止めて暖めてくれている。


 だが、僕は少し無茶をし過ぎていた。僕から溶け出した欠片の多くが、既に溶けきり、闇と同化してしまっていた。


「な…なんと言うことじゃ…。これでは祐二を元の祐二に戻せぬでは無いか?祐二、祐二、我がこんなところに閉じこもったせいで、一体どうすれば良いというのじゃ…」


 雨子様は長い長い神様の生の中で、意識を得て以来初めて真の意味で途方に暮れてしまった。


 雨子様は考えた。長い永い途方も無い時間。現実世界から隔離されたこの世界で有るからこそ可能になることで有った。


 その末に一つの決意をした。そしてその決意を言葉にし、思いを込めた。


「祐二よ、今一度我と一つとなれ。かつては我がそなたに溶け込み一つとなった。じゃが今回は神たる我が身にそなたが溶け込み一つとなるのじゃ。おそらくは前回とは大きく異なった何かが起こるかもしれん。じゃが今は四の五の言って居る場合では無い。来たれ、我が元に来たれ、我が存在と解け合い一つとなるのじゃ」


 僕は言われるがまま、雨子様に抱かれ、その胸の奥にゆっくりと染み込み、溶け込んでいった。


 そこはなんと言えば良いのだろう?丸で宇宙のような?まさしく宇宙のような?


「祐二よ、そなたが見ているのは我の故郷の風景じゃ。我らはそこに有る光の一つを母星として宇宙に旅立った。だが今はそんなことはどうでも良い、暫し眠れ。もうそれ以上力を使うでない、お願いじゃから消えて無くなったりせんでくれ」


 僕は雨子様のそんな必死な願いを聞きながら、言われるままにゆっくりと眠りの中に溶け込んでいった。

雨子様、そんなに泣いたら目が溶けちゃうよ?今の僕には涙も拭えないのに…。




仕事で出先に行かなくてはならないため、前話と今話、一緒に一気に書き上げました。思考力が限界?先輩諸姉諸兄の凄さが身に染みます

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