「脱兎」
遅くなりました
「やあ、済みません、僕までお呼ばれしてしまって」
そう言いながら和香様にぺこりと頭を下げているのは祐二の父親、拓也なのだった。
その傍らでは節子もまたにこにこしながら、楽しそうに小和香様と何か話している。
「令子さん令子さん、お久しぶりです」
そう言いながら小学生位の可愛らしい女の子の手を取って、嬉しそうにしているのは瀬織姫様だった。
「雨子様、こちらの吉村家の皆さんは、本当に神様方と近しく係わって居られるのですねえ」
そう独り言のように零しているのは沙喜、大して雨子様はにこにこしながら答えているのだった。
「うむ、我が当家に居候するように成って以降、この家の者達は皆我らのことを敬意を以て迎入れながら、特に畏まりすぎること無く丁度良い距離で居てくれる。本当に得がたい者達じゃと思うて居るよ」
そうやって一同の者達が賑々しく会しているのは、既に宇気田神社の名物とも成っている、神社専用の温泉に付属するとある一室、吉村家にとっては何度も来慣れた場所だった。
そうこうする内に神様方に挨拶を終えた吉村夫妻が、沙喜の元へとやって来る。
そしてそのイニシアティブはどうやら節子が取るらしかった。
「こんばんは、初めまして沙喜さん、吉村節子と申します。過日は家の雨子と祐二が大変お世話になったそうで、しかも美味しいお米を沢山お送り頂きまして、本当にありがとう御座います」
そう挨拶する節子の言葉に、一瞬戸惑う沙喜。何せ神様で有る雨子様のことを呼び捨て、おそらくは娘扱いしてのことなのだろうが、完全に家族として扱っていることに、心底驚くのだった。
だがさすがに雨子様が、第二の節子と言うほどに評価している沙喜のこと、直ぐに気を取り直して挨拶をする。
「こちらこそ初めまして、八尋田沙喜と申します。そちらの雨子様のお陰をもちまして、旱魃に苦しんでいた私どもの村に恵みの雨が降り、無事米作を終えることが出来ました。その恩義はもう語り尽くせないほどです。それこそ…」
尚も沙喜の礼の言葉が続きそうな所、節子はその手を握り、にっこりと微笑むと言うのだった。
「その辺にしておきませんか沙喜さん?どちらかと言うと家も、雨子ちゃんには何かと世話になっている方ですし…」
そう言うと雨子様の方へぱしりとウインクを送る節子なのだった。
その節子に対して雨子様が少し苦笑しながら言う。
「お母さん、出来たらその、さっきみたいに呼び捨てにしては貰えぬかの?未だにちゃん付けで呼ばれるのはどうにもその、こそばゆうて適わんのじゃ」
あっさりと節子のことをお母さんという雨子様に目を剥く沙喜。
尤も、雨子様のお母さん呼びも、最近ようやっと板についてきたばかりなのだが…。
「あらそう?ならちゃん付けでね?」
「むぐぅ!」
敵も然る者引っ掻く者で有る。雨子様をして言葉を詰まらせ目を白黒。
だがそんな彼女らを見ていた沙喜は、そこに本当に仲の良い母娘の姿を見いだすのだった。
そして一瞬ちらりと瀬織姫様の方を見ると、彼女もまた沙喜の方を見ている。
見るとそんな瀬織姫様の耳元で、今の今まで和気藹々と話をしていた令子が、何事か囁いたようだ。そしてぽんとその背中を押す。
さほどの勢いで押された訳では無いのだが、とととと沙喜の所までやって来ると、ほんの少しだけ不安そうな目をしながら問う瀬織姫様。
「ねえねえ沙喜」
「何で御座いますでしょうか、姫神様?」
「あのねあのね沙喜、私も雨子様のところのようになりたいのです」
そう言う瀬織姫様の真意を測りかねて、首を傾げるようにして問い返す沙喜。
「雨子様のところのようにと言いますと?」
沙喜の答えにもどかしそうに、僅かに唇をへの字に曲げながら言う瀬織姫様。
「私も沙喜のことを、お母さんと呼びたいのです」
その答えに驚いた沙喜はぽかりと目と口を開く。
「でも姫神様、姫神様には母神様がいらっしゃるではありませんか?」
「でも、でもでもでも…」
そう言うと目を潤ませる瀬織姫様。
困り切った沙喜はまず節子を見るのだが、さすがの節子もこればっかりはどうしようも無い。次に雨子様を見るとゆっくりと頭を左右に振っている。
お仕舞いに最後の頼みの綱とばかりに和香様を見る沙喜。
すると和香様、瀬織姫様の所までやって来るとしゃがみ込み、優しくぽんぽんと頭を叩いた後立ち上がる。そして沙喜に向かって言うのだった。
「あんな沙喜さん、うちら神の間では通常母とは名がついたとしても、自分ら人間みたいにウエットな関係や有らへんねん。一応生みだしたから母、そんな感じやねん。そして今の瀬織姫ちゃんの望んどるんは、恐らくそんなドライな母や無いんやろうと思うで?」
そう話す和香様の言葉を聞いた後、ゆっくりと視線を動かして瀬織姫様のことを見る沙喜。
「そうなので御座いますか?姫神様…」
唇を大きくへの字に曲げながら頷いて見せる瀬織姫様。
それを見た沙喜、微かに眉を顰めて困ったなと言う顔をしながらも、どこか嬉しそうに言う。
「私、よもや自身が神様とお慕いしていた方の母になるとは、想像もしていませんでしたわ…」
それを見ていた雨子様、にっこりと笑みを浮かべると穏やかな声で言う。
「大丈夫じゃ沙喜、こう言うことは吹っ切って考えればなんとかなるものじゃ、そうであろうお母さん?」
そう言いながら節子のことを見ると、腕組みしていた節子がうんうんと大きく頷いて見せるのだった。
「我なぞ、何やら訳が分からぬ内に気が付けば娘にさせられたものじゃが、まあ何とかなって居るからの?」
「雨子様を?無理くりですか?」
そう言いながら節子のことを尊敬の目で見る沙喜。
その節子はと言うと、今になって自分のやったことがちょっぴり?無謀だったのかなと苦笑するのだった。
さてどうやら腹を決めたと見える沙喜、しゃがみ込んで瀬織姫様と視線を合わせると静かな声で問うのだった。
「姫神様…私のような、私のようなありふれた人間でよろしいのでしょうか?」
そう問う沙喜に、瀬織姫は満開の櫻のような、この上ない笑みを浮かべる。そしてゆっくりと頷ずくと、目の前に居る沙喜の腕の中に、正に飛び込む様にしがみつくのだった。
満開の櫻?はて、何故にそのように思ったのかと、そこに居合わせた者達は皆思ったのだが、間を置くこと無く、ああと理解に至のだった。
今その瞬間、その場には見蕩れるほどに美しく、多くの櫻の花びらが舞い散っているのだった。
「はて面妖な?」
首を傾げる雨子様。その傍らでぽんと手を打ってみせる和香様。
「和香よ、この花びら、何か分かったのかえ?」
「うん、それなんやけどな、さっきからこの二人に、何や微妙な気配というか、違和感があるなと思てたんやけど、どうやらこの子ら咲花ちゃんから加護もろとるで?」
驚いた雨子様が目を細めて二人を凝視すると、確かに彼女らの額に浮かび上がる櫻の花びらの紋。
「いやしかし、この二人に、一体何時加護を貰う機会があったというのじゃ?」
すると瀬織姫様のことをしっかと抱きしめていた沙喜が、首を回して和香様のことを見、話すのだった。
「すいません、話すのを忘れておりました。こちらに向かう飛行機の中から富士山を見ておりましたら、突如として機内に咲花様と仰る神様が現れて、私たち二人に加護を下さったのです。そして和香様と雨子様、お二人によしなにとの御伝言で御座います」
その言葉に思わず目を見合わせる和香様と雨子様。
「まさか飛行機の中にまで現れるとはの?」
少しばかり呆れている雨子様に、笑みを漏らしながら和香様が答える。
「多分なんやけど、きっと瀬織姫ちゃんのことが気になったんやと思うで?その証拠に見てみ、沙喜さんの額の加護紋は花びら一枚やけど、瀬織姫ちゃんのは丸々花一つや」
「成るほどの、よもや神が飛行機を使って移動するとは思うて居らず、覗きに来てみたら幼神と言うことで慈悲の心を出したので有ろうの」
「多分そうやろうね…」
そこで雨子様はふと思うことが有って口にする。
「ならば我が新幹線を移動して居った時にも現れれば良かったのに、つれないものじゃの?」
すると和香様、まじまじと雨子様のことを見る成り言うのだった。
「そりゃあ、いちゃいちゃしてる男女の邪魔なんか、誰もしたい思わへんで?」
「何じゃと?」
顔を真っ赤に染め上げた雨子様が言う。
「誰がいちゃいちゃして居ったと言うのじゃ?瀬織姫も居ったと言うのに?」
「え?せえへんかったん?」
「和香!」
怒声を上げると和香様に掴みかかろうとする雨子様。
しかし和香様も心得たもので、脱兎の如く逃げ始める。
「和香ぁ~~~!」
廊下に逃げていく和香様を追いかけて、雨子様もまた凄い勢いで駆けていく。
そんな二柱を、呆気にとられたように見送るその場の者達。
「いつもああなんですか?」
と小さな声で節子に尋ねる沙喜。
その問いにどう答えたものかと節子が迷っている間に、恥ずかしそうに顔を赤らめた小和香様が言う。
「それだけ仲が良いのだと、思って置いて下さいませ…はぁ~~」
節子姉妹が揃いましたw
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