閑話「川」
お待たせしました。
本当になかなか定時には上げられない。申し訳無いです(^^ゞ
僅かな時間だったと思うのだが、それが本当に短い時間だったのかどうかは、その場に居たそれぞれの者の、心の内にあるものでしか計ることは出来ない。
だがそれぞれに満足した時、再び時は動き始めるのだった。
「ありがとうの瀬織姫、そして祐二。二人共に感謝じゃ」
そう言うと雨子様はまん丸な笑みを浮かべるのだった。
そんな雨子様のことを瀬織姫は嬉しそうに見つめ、祐二はほんの少し困った顔をしながら見つめた。
「さて、明日のことも有るし、余り長湯しすぎても身体に毒じゃ、そろそろ上がろうかの?参るぞ瀬織姫」
雨子様はそう言うと、瀬織姫を引き連れて湯から上がろうとする。
だがそれを見送りながら祐二が少しも動こうとはしない。
「ん?祐二。其方も上がらぬか、身体に毒で有ると言うたであろ?」
そう言う雨子様に、少し困り顔の祐二が言う。
「う、うん。後もう少しだけ月を楽しんでから上がるよ…」
だが祐二の身体を慮る雨子様、尚も言い募ろうとするのだが、ふと祐二の必死の目配せに気がつくのだった。顔を赤くしながら必死になって目を動かしているのだ。
その目配せの先には瀬織姫が居る。はて、これは一体どうしたことか?数瞬考えを巡らせ、その末にとある事柄に帰結する。
そしてそれと同時に雨子様もまた、顔を赤くしながら言うのだった。
「む、その、うむ、分かったのじゃ。先に上がる故、早う上がるが良いぞ?」
そう言うと雨子様は、少しでも早く祐二が上がれる様に、急ぎ瀬織姫を連れて湯から上がっていくのだった。
後に残されたのは祐二独り、ほっとしながら息を吐く。
別に何も疚しい思いを、もしくは劣情を催した訳でも無いのだが、健全たる男の子としてどうしても仕方の無い反応もあるのだ。
それを大人の雨子様ならともかく、いや、それにしたって大いに触りがあるのだが、況んや瀬織姫様の前と言うのは矢張り何としてもまずい、そう考える祐二なのだった。
だから幸いなことに、早めに雨子様が察してくれたのは良かったのだが、大好きな子にその様なことを察せられるのは、それはそれでなかなかに大きいダメージなのだった。
だからすごすごと湯から上がり、浴衣に着替えた後、部屋に戻った祐二に何となく元気が無い。
そんな祐二に苦笑しながらも冷えたお茶を渡す雨子様。
「済まぬの祐二、其方にとっては災難じゃったの?」
そうやって思いやってくれる雨子様の思いやりは嬉しいのだが、それでもやっぱり釈然としない祐二なのだった。
そんなこととは露にも知らない瀬織姫様、風呂上がりの冷たいジュースを喉を鳴らして飲みながら、これからもずっとここに住むなどと、達彦が聞いたら困る様なことを頻りと口にしているのだった。
冷たい飲料もさることながら、部屋のエアコンも快適に身体を冷やしてくれる。
火照った身体が静まってくると、一日の旅の疲れもあって、自然に瞼が重くなってくるのは仕方の無いことだろう。
気がつくと窓際に在った安楽椅子で、瀬織姫様が既に舟を漕ぎ始めていた。
「むぅ、どうしたものかの?」
それを見ていた雨子様が、思案げな顔をする。
なので祐二が提案するのだが…。
「瀬織姫様?なら僕が布団に運ぼうか?」
すると雨子様、洗面所に行くと歯磨き粉の付いた歯ブラシを持ってきて言う。
「いやの、神変すれば別に然して重要なことでも無いのじゃがな、ただ人の間で暮らす場合、一つの習慣というかエチケットとしては、覚えておくべきことかなと思うての。況んやこれを教えてやれるのは恐らく今は我か、もしくは祐二、其方しか居るまいて…」
成る程確かに雨子様の言うことも尤もと思った祐二、ならばと自分も歯ブラシを持って来ると瀬織姫様の傍らに座る。
「瀬織姫様、瀬織姫様…」
祐二がそうやって呼びかけると、眠たげな眼ではあったがしっかりと目を開く瀬織姫様。
「祐二さん、何ですか…」
「僕達人間は寝る前には歯ブラシ、これなのですが、を使って口の中を綺麗にしてから眠るのです。良かったら試してみませんか?」
祐二としては、瀬織姫様の旺盛な好奇心に訴えれば、と考えてのことなのだったが、どうやら策は上手く行ったらしい。
僅かに目を大きくし、何とか眠気を払った瀬織姫様は、雨子様から用意された歯ブラシを受け取ると、祐二と共に洗面所に並ぶのだった。
ブラシの当て方、動かし方などを優しく丁寧に教えると、嬉しそうに笑みを浮かべながら実践する瀬織姫様。
お仕舞いにコップに貯めた水を口に含み、くちゅくちゅと濯ぐのだが、その後そっと祐二のことを見る。
どうしたのかなと思う祐二なのだったが、もしやと思ってそっと瀬織姫様に背を向ける。
すると背後で水音がした後、小さな声で言うのだった。「もう良いですよ」と。
これはあくまで祐二の想像でしか無いのだが、口の中を磨き洗い、濯いだ水。つまりは汚れた水を穢れとして考えた為、それを見られることを憚ったのだろう。
「如何です?さっぱりとしましたか?」
すると瀬織姫様はにっこりと笑みを浮かべるのだった。
「はい、村の子供達がしているのを何度か見たことはあったのですが、自分ではしたことが無かったのです。こんな風にするのですね…」
そう言いながら、好奇心を満足させられることが出来たのか、嬉しそうにしているのだった。だがそれも束の間、再び重そうに瞼が閉じてくる。
その様子を見ていた雨子様、瀬織姫様の手を引くと、川の字に引かれた布団の真ん中に連れて行くのだった。
「さて、此処で眠るが良いよ」
そう言うとそっと寝かしつけ、ふわりと掛けられたタオルケットの上から、優しくぽんぽんと背を叩いて眠りへと誘うのだった。
やがて完全に眠りに着いたのを見届けた雨子様が言う。
「不思議じゃの…」
雨子様が何を思ってそう言うのか分からなかった祐二が、静かに尋ねる。
「何が一体不思議なの?」
「我はな、小さき存在、例えば美代のような存在を、今までは可愛いという感情で理解して居ったのじゃ。じゃが今はそれに加えて愛おしいとも思う様に成ってきて居る。もしかしてこれこそが母性なのかの?」
何だか嬉しそうにそう言う雨子様に、祐二は黙って頷いて見せる。
本当のところは祐二にだってきちんとした答えは分からない。けれども今の雨子様を見ていると、間違い無くそうなのだろうと思えるのだった。
「くふふ」
嬉しそうに笑う雨子様。
「さてそろそろ我らも休むとするかの?」
そう言うと雨子様は、瀬織姫様を挟んで反対側の布団にそっと横たわる。
なので祐二もまた同様に横になり、ぐっと伸びをしながら、眠気が直ぐ側にまで来ているのを感じ取っていた。
「電気を消すよ?」
祐二は手元にある灯りのリモコンを見せながら、そう雨子様に言う。
「うむ、良いぞ」
雨子様の答えを待ってスイッチを操作すると、途端に部屋は真っ暗になる、いや小さな
優しい光りの常夜灯が一つだけ点っている。闇に慣れればその明かりでもうっすらでは有るが、部屋の様子が見える。後は窓の外から差し込む月明かりだけが光の元となる。
灯りを消すと祐二もまた一気に眠気を感じ始める。
だがそこに雨子様から声が掛かる。
「祐二…」
「なあに、雨子さん?」
「手…」
そう言うと瀬織姫様の身体越しに、雨子様が手をそっと差し伸べてくる。
安らけき闇の下、ぼうっと浮き上がって見える雨子様の白い手。
その手が、同じように伸ばされた祐二の手を優しく包み込む。
ほっと聞こえてくる小さな溜息。
「祐二、いつもありがとうの…」
それだけ言うと、すやすやという寝息が聞こえてくる。
そして祐二もまた、その寝息を子守歌に、速やかに眠りの世界へ入っていくのだった。
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