閑話「月の光」
少し遅くなりました
少し遅めの夕食を終え、暫くごろごろしていた祐二だったのだが、幾分お腹の熟れたのを感じて風呂に向かうことにする。
先程、月をとても美しく見ることが出来たので、実を言うと食後の風呂を楽しみとしていたのだった。
既に食器などは片付けてあり、三組の布団が敷かれて居る。その内の一つで、雨子様と瀬織姫がごろりと幸せそうに転がって、何やら話しに興じているのだった。
そんな二柱に向かって、祐二はこれから湯に行くことを告げるのだった。
「お先、お風呂頂いてきますね」
頻りと話し込んでいる雨子様、祐二のことを見もせずに言葉だけで送り出す。
「うむ、ゆうるり入ってくるが良いよ」
そう言う雨子様の言葉に甘えて、祐二は着替えと備え付けの浴衣を片手に、のんびりとした足取りで脱衣所に向かう。
大浴場という訳でも無いので、服を脱ぐとそのまま外への扉を抜ける。
隅の方には小さな灯りが点っていて、そこにはシャワーが在り、洗い場になっていた。
その場でそそくさと頭と身体を洗い、わくわくしながら湯に浸かり大きく息を吐く。
「ああ!これは気持ちが良い!」
熱すぎず、温すぎず丁度良い湯温で、これなら浅い場所で上半身を風に晒せば、いくらでも入っていられそうだった。
見上げると、残念ながらまん丸お月様のせいで、満天の星という訳には行かなかったが、それでも都会で見るよりも、遥かに多くの星々を見ることが出来るのだった。
周りに灯りらしい灯りがほとんど無いのだから、さもありなむである。
さすがに山間の土地だけ在って、夜とも成れば吹く風は涼しく、肌を撫でる様は何とも心地好かった。
祐二としては今この瞬間だけを捉えても、この地に来て良かったと言えそうだった。
遠くで時々口笛の様な音が聞こえるのだが、さてこれは一体何の音なのだろう?
等と考えながらぼうっと時を過ごしていると、建物の方から何やら音がする。
「?」
振り返ってみるとそこには雨子様と瀬織姫様の姿が在るのだった、付け加えて言うなら勿論裸身である。
「雨子さん?瀬織姫様も?」
上ずった声でそう言う祐二、彼は慌てて手近にあったタオルを取ると、それで前を隠しながら、雨子様達から最も離れた方にすすすと動く。
「あの、もう上がりますから!」
そう言う祐二に向かって雨子様から声が掛かる。
「そのまま居るが良い、ちと話したきことが有るでの」
「えええええ?」
雨子様のその一言で退路を封じられた祐二。話したきことが有るとまで言われれば、それを押してその場を去るという訳にも行かないのだった。
仕方無く、出来るだけ隅っこの方で小さくなり、雨子様の方へ一切目を向けない様にする祐二。確か宇気田神社の温泉で、雨子様と湯を同じくしたことは有る、有るには有るが、あの時はどちらも湯着を着てのことなのだ。
まさかそれも無しに、雨子様達二柱の神々がそのまま湯に入ってくるなど、想像もしないことなのだった。
シャワーの在る方からは「きゃっきゃ」と言う瀬織姫様の笑い声が聞こえてくる。
そしてその笑い声に混じって二人の何気ない会話も聞こえてくるのだった。
「雨子様、私はこうやって誰かと一緒に風呂に入るのも始めてなら、顕現して風呂に入ること自体初めてなのです」
「ほう、ならば満足出来る経験になるであろうよ」
「そうなのですね?楽しみです」
「ほれ、目を瞑って居らんとシャンプーが目に入るぞ?」
どうやら雨子様が、入浴初体験の瀬織姫様のことを、色々と手伝っているらしかった。
「くすぐったい」
そんな言葉が聞こえてきたかと思うと、けらけらと笑う声もする。
「さあ、これで良い。一足先に湯に浸かってくるが良いよ。我も急ぎ身体を洗って参る故、祐二に相手をして貰うが良い」
「はぁ~~~い」
元気の良い返事の後、ひたひたと足音がしたかと思うとザブンと派手な湯音がする。
その後一直線に向かってくるザブザブという音。
「祐二さん祐二さん、お風呂とは何とも気持ちの良いものですね?」
瀬織姫のその声は、直ぐ傍らからしてくる。
実を言うと祐二は今、生きた心地がしていないので在る。
何せ姫神様と慕われている童女神と、只人の男でしか無い祐二がまさか裸身で同じ湯に入っているなど、地元の者達に知られたら一体どう言うことになるのだろう?
何とも想像したくないことなのだった。
絶対に瀬織姫様のことは見まいと、少しずつ天頂に向かう月を睨んでいると、ふよと祐二の腕を掴んでくる手が一つ。
「祐二さん…怒って居られるのですか?」
手の持ち主から、微かに震える言葉でそう尋ねられる。
どうやら必死の思いで天上の月を見つめていたせいで、瀬織姫様に勘違いさせてしまっている様だった。
祐二は音にならない様にふっと息を吐くと、全てを諦め、仏の様な目になってゆっくりと瀬織姫様の方へ顔を向けるのだった。
「ごめんなさい、瀬織姫様。別に怒ったりしておりませんよ。ただ、畏くも女神様と同じ湯に浸かることが、もしや不敬では無いかと感じていたのです」
すると心配そうな顔で祐二のことを見つめていた瀬織姫様、満面にお月様の様な笑顔を浮かべると言う。
「確かに私は神ですが、ちっとも畏れ多くは無いですよ?」
そこで瀬織姫様は声を落として言う。
「それとももしかして、雨子様は違うのですか?」
そうやって心配そうに祐二のことを見る瀬織姫様に、もう顔を強ばらせたまま居るのは不可能なことだった。
祐二は思わずふふと笑い声を漏らすと、優しい声で瀬織姫様に話しかけるのだった。
「いいえ、雨子さんもとっても親しみやすい神様です、偶に怒ると怖いけど…」
すると祐二のその言葉を受けて、雨子様の声が直ぐ側でするのだった。
「誰が怒ると怖いと言うのじゃ?」
どうやら湯船の縁を回ることで、湯音をさせること無く近づいて来ていたらしい。
湯の外にすっくと立ち、かろうじてぎりぎりタオルで身を隠しては居るものの、優しく照る月の光りで、真白き肌が輝く様に見える雨子様。
その得も言えぬ美しさに、普段の祐二なら慌てて目を逸らしているところ、この時だけは感嘆の余り、ぽかりと口を開けたまま、思わずじっとその裸身を凝視してしまうのだった。
人の身に変じる時に、取り分け美しくあれと工夫した雨子様なので、自身のその身にそれなりの誇りを持っていた。だから少しばかり祐二に見られたとしても嬉しいと思えばこそ、恥ずかしいと思うことなど無かろう、そう思っていたはずなのだが。
「じぃ~~~~」
丸で全てを忘れ、惚けたかの様に、じっと自身のことを見つめてくる隆二の視線に、雨子様の思いが次第に変化していく。
「ゆ、祐二?い、いくら何でもその様に見つめられると、そ、その…」
誇らしげにしていたはずの雨子様の顔に、少しずつ羞恥の朱が混じり始めてくる。
やがてに顔を真っ赤に染め上げながら、その場にきゅんとしゃがみ込んでしまうのだった。
そうやって雨子様が、恥ずかしさの余りにしゃがみ込んでしまったところで、はっと我に返る祐二。
そして遅ればせながら視線を明後日の方向に逸らすのだった。
すると数瞬を置いて祐二の隣で湯に入る音がする。
「もう良いのじゃ、こちらを向くが良い」
言われた祐二がそっと顔をそちらに向けると、半分湯に顔を浸けた雨子様がじっと祐二のことを睨んでくる。
「うっかりじっと見つめてしまったことを怒っているの?」
すると雨子様は顔を上げ、ほんの少しだけ唇を尖らせて言う。
「それも無いでは無いが、ある意味どうでも良い」
そう言った後に小さな声で付け足す。
「どうでも良くは無いがの…」
その後にきっと顔を祐二のもとに寄せると言う。
「其方それだけしか言うことは無いのかや?」
少し不満げな雨子様の表情を見ていると、さすがの朴念仁の祐二で在ったとしても、求められる答えが自然と見えてくる。
「うん…、とっても綺麗だったよ」
「くふふ、そうなのじゃな?」
そう言うと途端に機嫌の良くなる雨子様なのだった。
しかし、そんな雨子様の様子を見守り、祐二の語る言葉を聞いていた瀬織姫様、ふむふむと頷きながら、果たして一体何を考え、何を思っているのやら。
「して、其方とこの様に同じ湯に浸かりに来た訳なのじゃが…。先に我が、後で話すと言うて居ったこと覚えて居るかや?」
「えっと、なんだっけ?そうそう、後で話すと言われた訳では無いけれども、逸らされた話なら在った様な気がするな」
「むう、そう言えばそうじゃった。少しばかり沽券に関わるかなと思うたものじゃから、余人の居らぬ所で話したかったのじゃな」
「その沽券って僕には良いの?」
すると雨子様はにっと歯を見せて笑いながら言う。
「良い。何せこうやって共に湯に入る仲じゃしの?」
「恥ずかしがったくせに…」
祐二がそう口を挟むと、ザブリと思いっきり湯を掛けられる。
「言うな、其方が余りに見とれるからでは無いか?」
「それは雨子さんが…」
と、祐二はそこまで言い募ったところで口を閉じる。
何故なら祐二と雨子様の会話に、目を爛々とさせながら聞き耳を立てている瀬織姫様が居るからだった。
「ともあれその話はこっちに置いておくとして…」
「うむ、その方が良さそうじゃな」
「それで雨子さんは、どうしてあの時寂しそうな顔をしていたの?」
祐二は、話しの発端になった時のことを思い起こして聞くのだった。
「まあ今をして思えば、そうさしたることでも無いと言えば無いのじゃが。あの時はの、その。この瀬織姫が今も氏子らに慕われ、請われて顕現して居る様を見て、何とも羨ましいと感じてしもうての。そう言った時が既に遠い過去に過ぎ去ってしまったこと、そのことを寂しいと思うてしまったのじゃろうな…」
そう言うとなんとは無しに、遠くを見る様な顔つきに成る雨子様なのだった。
「そうだったんだ。それで雨子様の村にはどれくらいの人たちが居たの?」
「あれは確かミヨの話をした時、祐二は我の記憶の中で垣間見て居ったであろう?しかしあれは一部での、村全部じゃと凡そ百余人。十件ほどの小さな村じゃった」
「そうだったんだ」
「うむ、それが過ぐる時の中で皆離農し、土地を離れ、何時しか誰も我の社を訪れなくなっての。そんなつもりは無かったのじゃが、思わずその時の寂寥感を思い出してしまったのじゃ」
「寂しかったね…」
僕がそう言うと、思い起こした寂しさを振り払う様に笑みを浮かべる雨子様。
「今は其方が居てくれる…」
すると傍らからザブリと音を立てながら瀬織姫が近付き、雨子様の腕にしがみついて言う。
「雨子様雨子様、私も居ります」
そう言って精一杯慰めようとする瀬織姫様のことを、ぎゅうっと抱きしめながら愛しげに目を瞑る雨子様。
「嬉しいの、嬉しいの…」
そう言ってすっと一筋銀の涙を零す雨子様、そんな彼女のことを祐二もまたそっと肩を抱いて慰めるのだった。
いいね大歓迎!
この下にある☆による評価も一杯下さいませ
ブックマークもどうかよろしくお願いします
そしてそれらをきっかけに少しでも多くの方に物語りの存在を知って頂き
楽しんでもらえたらなと思っております
そう願っています^^




