「雨子様の不安」
お待たせしました
そう質問する雨子様のことを、暫しじっと見つめている節子。
暫くは黙っていたのだが、段々と不安になってきたのか、徐々に落ち着かなげに成っていく雨子様。
「節子、その…」
「ごめんね雨子ちゃん、雨子ちゃんが一体何を不安に思っているんだろうなって、少し考えていたら、黙りこくっちゃって…」
「それは良いのじゃが、聞いても良いかの?」
「もちろんよ」
そう言っていつも通りの優しい笑みを浮かべる節子のことを見た雨子様は、安心したかの様に、ほっと息をしながら尋ね始めるのだった。
「我はの、祐二と夫婦になった暁に、当然のこととして赤子を設ける、そのことしか頭に無かったのじゃ。だが考えてみれば人の場合、赤子を作るというのは、我ら神が分け御霊を作るのとは全く異なるのじゃよな。そう考えているとなんじゃか知れぬが色々と不安に成ってしもうてな…」
「まあ私達人間だって、それこそ当たり前のように子を作り、産み育てているように見えて居るかも知れないけれど、実のところ皆不安で不安で、仕方無いものなのよ。況んや人に有らざる雨子ちゃんが何かと不安に思うのも、当たり前のことだと思うわ」
「うむ」
「ところで雨子ちゃん、あなたの様な神様にとって、その分け御霊って言うのが子供に当たるのかしら?」
「むう、あくまで様なもので、正確に言うと子供という訳では無いの。言うて見れば自らのコピーのようなものじゃ」
「コピーなの?」
「まあ正確に言うと色々手を加えて居るから、完全なコピーとは言えぬが、それでも核となる部分については、十分にコピーと言えるかもしれんの。自分と言う存在の中の一画を隔離し、中に自らと同じ論理システムを構築する。その後色々付加していって論理部の閾値越えにより自我を生せしめ、そこに更に様々な機能を加えて一個の存在と為すのじゃ。で、必要十分と見なされたところで本体と分離して外界に送り出せば、その時点で分け御霊が誕生したことになるの」
さすがに節子には、この説明は少し難しかったようだった。顔を顰めながら少しばかり頭を傾げている。
その顔を見ていた雨子様、どう話せば良いのか思わず悩んでしまう。
「これは困ったの、きちんと説明をしようにも、基本となる部位の情報が理解出来ないとなると、もちっと言い様を変えて、詳しゅう説明せねば成るまいか…」
そんなことをぶつぶつと言いながら雨子様が言葉を選んでいると、節子が声を掛けてきた。
「いまいち良く分からないのだけれども、私なりの理解を話すから聞いて貰える?」
「無論じゃ」
「私ね、この春、庭の薔薇を増やしたくって、伸びた枝を少し切り取って挿し木をしたの。そうしたら上手く行って…勿論全部じゃ無くて、十本植えたらその内三本しか上手く行かなかったのだけれども、今はその三本がすくすくと育っているのよね。分け御霊ってある意味その様なものなのかしら?」
それを聞いた雨子様、何度か節子の言葉を心の中で反芻しながら確認し、節子自身の理解としてはそれでほぼ十分であろうと考えるのだった。
「まあ凡そその様なものじゃな。尤も切り取る前に色々手を加えることによって、咲く花を様々に変化させることが普通じゃがな」
「成る程…なら変化するとは言っても、それは皆雨子ちゃん自身の目指す既知のものへ、って言う感じなのでしょうね」
話していることが次第に、核心へ近づいている実感を持った雨子様は、少し嬉しそうに笑った。
「うむ、そう言うことじゃな。我らにとって分け御霊は自家薬籠中というか、どこまで行っても既知なる自身の延長でしか無い。じゃが…其方ら人の子は、環境こそ母体が与えるものでは有るが、その中で育つものは丸で未知のものでは無いか…」
そう言い終えたかと思うと雨子様は、自身の身体を自ら抱きながらぶるると震わせる。
「わ、我が身の内に、その様に得体の知れぬ存在を抱えるのかと思うとの、どうにもその、怖くて堪らぬのじゃ」
「あらあら…」
「それにの、その様に訳も分からず、曖昧模糊としたものを果たして、我が導いて育てていけるものなのじゃろうか?」
そこまで言うと雨子様は口をへの字に曲げて、べそをかきそうになっていた。
「我は、我はこの身の衝動のまま、そして祐二への思い入れのまま、ただ単純に何時か彼の者の子をと思うて居ったのじゃが、いざそれが彼方に見えてきて、現実的に今後どうなっていくのかと言うことが理解されてくると、途端に腰が引けてしもうて居るのじゃ…」
そう言うと雨子様はほろりと小さな涙を零すのだった。
「前に進みたいとは思う、じゃが前に進むことが怖いのじゃ」
言い終えた雨子様は唇を震わせながら、止めどなく涙を流し続ける。
節子はそんな雨子様のことを黙って抱きしめ、暫し赤子のようにあやしながらそっとその身を揺するのだった。
そのまま暫く経った後、次第に雨子様が落ち着いてきたのを見計らって、ゆっくりと身体を離すと、静かに言うのだった。
「少しは落ち着いた?」
小さく頭を振る雨子様。
「何故に其方に斯様にされると、こうやって心も体も落ち着いていくのであろうな?」
不思議そうにそう言う雨子様。
対して節子が静かに言う。
「多分ね、私達の身体はそう言う風に出来ていると思うの。そしておそらくは私達にとっての妊娠も同じ様なものなんだと思うわ。そうなるように出来ていて、そして産むように出来ている。それでね雨子ちゃん」
未だ不安そうにしている雨子様に、節子は静かに問う。
「子供のことについては一旦置くとして、子供を宿す母体としては、常に健康であれる様に、雨子ちゃんならきちんと対応出来るのでは無いの?」
問われた雨子様は、その質問に対しては自信を持って是と答えることが出来るのだった。
「それについては容易いことじゃ、体内にて育つ子供にとって最適であるように身体を整えることが出来るし、出産の時も恐らく最適化することが可能であろうの」
その答えに対して、いっぺんに顔色を明るくした節子が言う。
「あら、なら何も心配することは無いじゃ無いの?」
「そうなのかえ?」
未だ縋るような目でそう言う雨子様。
「ええ、私達人間の女性が不安に思うことと言ったら、凡そほとんどが自分の身体が妊娠という現象に耐えられるのかと言うことや、無事に出産が出来るのかと言うこと、後は子供が健康に育っているのかって言うことなんだもの。それがちゃんと対応出来る雨子ちゃんなら、後は成るようになるで、なんの心配も要らないと思うわよ?」
雨子様としては、自分が人間達の中で、最も信頼している女性の節子により、この様な形で太鼓判を押されたというのは、本当に心強いことなのだった。
「ならば、我でもちゃんと子を成せそうかや?」
「勿論よ」
だめ押しで節子にそう言われた雨子様は、その時点で漸く不安な思いを払拭し、晴れ晴れとした顔になることが出来るのだった。
「それとね、雨子ちゃん」
「うむ、何なのじゃ、節…お母さん」
心の重荷が取れた雨子様は、嬉しそうに節子の言葉を聞く。
「あなたもしかして祐二と一緒になったら、即子供を作らなければならないって思って居やしない?」
そう言う節子に、不思議そうにしながら雨子様は問い返す。
「そうでは無いのかえ?」
節子は余りに一途な感のある雨子様のことを、一時見つめたかと思うとふっと天を仰いだ。
「あのね雨子ちゃん、あなたがもし祐二と、人として本当に仲良くなれたのだとしても、だからと言って直ぐに子を成さなくても良いのよ?そんなに焦らなくとも、あなた達には時間は十分に有るのでしょう?折角なのだし、少しは二人の時間を大切にしても良いのでは無いかしら?」
「そ、そうなのかえ?」
素直にただうんうんと頷きながらそう言う雨子様。
「ただ…」
「ただ何なのじゃ?」
「かなうなら私と拓也さんが余り年取って、年齢的にお爺ちゃんお婆ちゃんに成りきる前に、あなた達の赤ちゃんを見せて貰えると、嬉しいかなあってね。でもそれだってあなた達の決めること。私達がああしろこうしろと口を出すことじゃあ無いって思っている」
「むぅ、分かったのじゃ」
雨子様のその答えを聞いた節子は、再び雨子様の手をしっかりと握り、その目を見つめながら言う。
「まず私達が思うのは、何よりもあなたと祐ちゃんが幸せになること。これ以外の何物でも無いわ。そこから先はおまけみたいなものなの。幸せにおなりなさいな、雨子ちゃん」
「うむ…」
そして雨子様はこの時初めて知るのだった。
人は本当に心の底から嬉しくても、何時しか自然に涙が溢れることが有るものなのだと。
今更ながら雨子様は、この家の者達の家族になれたことを、心底感謝するのだった。
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