里帰り
また新たな話が始まる?
「こんにちは、お初にお目にかかります」
「こちらこそ。葉子殿であるな?我はこの身では天宮雨子、元は天露の雨子と言う。この吉村家に居候して居る身の上じゃ」
「居候だなんてそんな…」
と、女三人が頭を下げてはまた上げるを何度も繰り返しながら、自己紹介しつつ互いに距離を詰めようとしている。
場所は我が家のリビング、父さんは仕事なのでここには居ない。
傍らには誠司兄さん、皆と同じようにソファーに座っている。少し強ばって何も言わずに黙ったままだ。思うにどうにも居心地が悪そうだ。言わずと知れた葉子ねえの旦那さんだ。
「あなた…」
「誠司と申します、よろしく」
元々誠司兄さんは寡黙なのだが、今日はそれに輪を掛けている。
「それであのう、雨子さん?」
「うむ、それで良い」
「家族の者からは聞いているのですが、あの、神様であるとか…」
「うむ、まあそのようなものじゃ。もっともそなたら人の子らが、何を神と呼ぶかにも寄るのじゃろうがな」
「でも葉子ちゃん、祐二が昔、蜘蛛の本のせいでおかしくなっていたのを覚えているでしょう?あれを癒やして下さったのが雨子様なのよ」
母さんがそう言うと葉子ねえは僕の方へと目を移した。
「うん、前も母さんが説明してくれていると思うのだけれども、雨子様が僕を助けてくれたのは本当だよ」
「そうなんだ、うん…私は家族のみんながそう言うのなら…それが真実だと信じるわ」
そう言いながら葉子ねえは旦那さんの方を向いた。
目顔で葉子ねえに問われた誠司兄さんは少し目が泳いでいる。
「俺だって君や君の家族の言うことなら信じたいと思う、けど、流石に神様というのは…」
まあ誠司兄さんの言うのも当然だと思う。僕だっていきなり目の前に現れた人が神様なんだって言われて、はいそうですかと信じられるかと言うと、まず無理だろう。
「まあ信じてもらえずとも我としては一向に構わぬのじゃが、世話になって居る家の者が悪意からで無いとは言うものの、疑われて居るというのは何とも居心地の悪いものじゃ。なので少しだけ神通を見せてみようかと思うのじゃが、祐二よ、そなたの付けてくれたこのミサンガとやらを一時ばかし外してはもらえぬか?」
僕はそこまでしてくれる雨子様の思いに少し驚きながら返事した。
「うん、分かった雨子様。でもどうすれば良いの?」
「うむ、一番簡単なのはこれを何か刃物で切れば良いのじゃが、まだその時ではないし、勿体なくもある。もそっとこちらに寄るが良い」
僕は言われるがまま雨子様の側に行く。すると雨子様は僕を床に座らせ、その額にコツンと自分の額をぶつけた。
「目を瞑るが良い、さすれば瞼の裏に光る文字が焼き付く。それを読んで心の中で唱えるが良い」
言われるがままに目を瞑ると、確かにそこにはくねくねとした光る文字のようなものが見える。こんな文字?今まで一度として見たことないのだが、何故だか読めてしまうのだから不思議だ。
「…」
僕は雨子様に言われた通り、訳も分からないままでは有ったけれども、その文字を心の中で唱えた。
そして目を開けると、雨子様の手の中に既に外されたミサンガがあった。
「まあ、だからと言って大した力が使える訳ではないがの」
雨子様はそう言いつつ苦笑する。申し訳ないながら、僕から与えられる精だけではきっとそうなのだろう。
「ではそろそろ良いかの?」
雨子様が皆に問いかける。この場に居る誰も雨子様がこれから何をするか分からない。ただ言われるがままに皆こくりと頷いてみせる。
「うむ」
雨子様はそう言うと目を瞑った。と、見る見るうちに姿が薄れていく。
「おおおおお!」
とは誠司兄さん。種も仕掛けも無しに自分の本目の前で人が消えていくのだから無理ないことだと思う。
完全に姿が消え去ったそこには、人の握りこぶしくらいだろうか?淡く輝く光りの玉があった。
『誠司殿、葉子殿、これで満足かえ?』
その光りの玉から、声ならぬ声が直接心に響いてくる。
それを見、聞いた誠司兄さんと葉子ねえは大きく目を見開きながら頭を振っている。
それで満足したのか、雨子様は再び人の形を取った。
「まあ、このように些少なことしか今は出来ぬが、勘弁しては貰えぬかの?」
すると誠司兄さんは額の汗を拭きながら震える声で言った。
「いえいえ、もう十分です、重ね重ねの不敬をお許し下さい」
「いやいや、それほど畏まられるほどのものでは無い、適うならば普通に接してくれることを望む」
そこまで言うと雨子様はすくっと立って葉子ねえの所に行った。
「すまぬの葉子殿」
「葉子で良いです雨子様」
「では我も雨子で良い」
「なら雨子さんと言うことで…」
そう言われると雨子様は嬉しそうに頷いた。
「じゃがそうでは無い」
そう言うと雨子様はそっと葉子ねえの腹部に手を当てた。
まぁるく膨らんでいるそこは今はもう一つの命を宿している。
「つまらぬ事で緊張させてしまって申し訳ない。ほんにすまぬ、すっかり固とうなって居る」
そう言うと雨子様は慈しむように優しくその腹を撫でた。
「これからお産に向けて障りが無きよう軽くでは有るが呪を施した。我は一応では有るがそなたらの産土神で有るが故、守り慈しむこともその役目、力なき神で申し訳ないが精一杯責務を果たす所存じゃ」
雨子様がそう言うと、葉子ねえと誠司兄さんは居住まいを正して静かに頭を下げた。
「さて、肩の凝る話はもう仕舞いじゃ、して葉子よ、生まれ日は何時なのじゃ?」
雨子様はニコニコしながら葉子ねえに問う。
「丁度一月くらい後かなあ?」
「それまではようよう大事にせねばな」
そう言いながら雨子様は葉子ねえの手を両の手で包むようにして握りしめていた。
その様を見ている誠司兄さんはちょこっと嬉しそうな顔をしている。
そりゃあ、地元の神様が付いていてくれるとなれば嬉しくもなるだろう。
葉子ねえは里帰り出産をするために実家に戻ってきて居た。この後誠司兄さんは仕事のために一人自宅に戻るのだが、きっと不安感を少しは和らげることが出来ただろう。
「して、この子の名はもう考えてあるのかや?」
雨子様は特上の笑顔を浮かべながら葉子ねえのお腹を摩っている。
「まだ母さん達には話していないのだけれども、ここに来る少し前に調べて貰ったらお腹の子は…」
「女子じゃな」
と雨子様。葉子ねえと誠司兄さんは目を丸くした。
「本当に神様なんだ…」
どうやら誠司兄さんは今正しく実感として、雨子様が神様であると理解したようだった。
理系人間の誠司兄さんとしては、目の前で人の姿が消えることよりも、むしろお腹の子の性別を当たり前のように当てることの方が、より神がかり的に思えたのだろう。
「…それで色々女の子の名前を考えて居るのですが、なかなか決まらなくて…。それでもいくつか決めてあるので、お父さんに決めて貰おうかなと思っています…」
「うむ、楽しみにしておる」
どうやら雨子様は、新たな子が生まれるのが嬉しくて仕方ないようだった。
そうやってワイワイ皆で騒いでいる内に、やがて父さんが帰ってきた。
久しぶりに葉子ねえに会った父さんはとても嬉しそうだった。
葉子ねえのお腹の丸さ、大きさを見るに目を丸くし、そして細くして心の底から喜んでいる。
雨子様に守りの呪を掛けて頂いたと言うことに話が及ぶと、やにわに雨子様の手を握り、そして上下にぶんぶん振りながら何度も頭を下げている。
普段これほど感情を表すことが無い父さんだけに、雨子様は目を丸くして驚き、笑っている。
そしてそれを見ている誠司兄さんも、葉子ねえも、母さんも、更に僕も笑いで顔を一杯にしている。
もし、もし笑う門には福来たるという言葉が真実であるなら、この場にはきっと福が満ち溢れていることだろう。
加えて言うならその代表格は、きっと雨子様なんだろうなと、僕は思っている。
お産というものは万全にしていても色々と不安があるものです。
そして言いようが無い不安というものは人の心を蝕んでいく。
実は人間にとってこの不安という奴がもっとも苦手なもの、故に神様に祈ったりもするのですが、身近に神様がいて守ってもらえる葉子ねえは安心だなあ




