「閑話休題・令子の夏休み」
連休中に雨子様達のことを、どうしているのかなと思って下さっている読者の方に
感謝の意味を込めてのイレギュラです
これからもよろしくお願いします。
普通の人間として当たり前に暮らす、そう望んだ令子は、和香様や小和香様、そして雨子様と色々話をした。
実際そう望みはしたものの、一体全体どうしていけばそれを実現することが出来るのか?自分でも未だなにも分かっていないからだった。
幽霊の身体からうさぎの身体、そして今の人形に成って既に結構時間が経っている。
それなりに今有る形に於いてではあるが、人としての様々な経験を積み、それに付随した感覚的記憶もそれなりにある。
だから今のこの子供の身体を手放し、一気に大人の身体に成ることには、強い抵抗も感じていた。で有ればこの身体を成長させ、大人となっていくことを目指さねばならない。
加えて人間という物はただ大人の身体を持ったからと言って、それで本当に意味で人間として成り立つかというと、そう言う訳にもいかない。
何故なら人間という生き物は、互いに認め合って社会という枠組みの中で生きるからこそ人間なのであって、ことこの国に於いては、そのことが非常に重要になるからだ。
その為には一体どうしたら良いのか?令子は神様方と色々と話し合いをしたのだが、彼女らは揃って学校へ行くことを勧める。
何故なら大人の社会とは異なって、子供社会であれば色々な試行錯誤が出来るし、時に何か大きな過ちがあったとしても、大抵の場合、何らかの形でやり直しが利くからなのだった。
だが神様方にそう言われたからと言って、見かけこそ子供で有るものの、中味は成人の令子。果たしてそう上手く行くものかどうか、不安で不安で仕方が無いのだった。
その思いを抱えて節子に相談したところ、この夏休みを使って思いを決めたらどうかとのアドバイスを貰った。
夏休み明け、肉体年齢を考えれば令子は小学校に行くことになる。なら何年生になれば良いのかな?周りの子供達と、どんな関係を作っていけば良いのかしら?子供の達の間に入っていって、孤立したりはしないだろうか?虐められたりはしないだろうか?
一度不安に思うと、次から次へと気になることが思い浮かび、ますます彼女の心を苛んでいくのだった。
身近にいる祐二や節子、雨子様が、そうやって思い悩んでいる令子のことを、色々と気にしてくれているのだが、こればっかりは自身で乗り越えていかねばならないことなのだった。
日々の生活という決められたルーチンの中で、次第に焦りを募らせていく令子。
節子の手伝いをしたり、祐二達と軽口を戦わせたりして気を紛らわせるのだが、どうにもはかが行かない。
そんなとある日、午前中の未だ暑さがましな時間を縫って、令子は気分転換を兼ねて外に出掛けることにした。
「はぁ…何やっているのかしら私…」
自分で決めて自分で進むことを決心したというのに、その先全く進歩出来ていない自身に、少し嫌気がさしていたのだった。
吉村家の玄関を出てふとどこに行こうかと迷う。
爺様の世界に行こうかな?あそこは花が咲き乱れて美しいけど、少し単調過ぎるかも?
そう思い、家の敷地を出て、さてどこに行こう。
逡巡しながら周りを見回すと、少し離れたところに森の様な木々が見える。
「あそこって…」
令子が目にしていたのは、かつて小さな祐二が救いを求めて迷い込んだ、雨子様の小さな社を守る鎮守の森だった。
尤も森とは言っても、その区域だけ濃く大樹が密集しているお陰でそう見えるだけで、木々の数から言うと林というのがせいぜいだろう。
だがそれら大樹の濃い緑のお陰で、鬱蒼としていて、雨子様の社を取り囲む空間に、聖域としての存在感を醸し出して居た。
そんな木々を目に留めた令子の足は、自然その方向に一歩踏み出しているのだった。
「直ぐ近くにあるのに、余り来たことが無いのよね…」
そう独り言ちしながら、鎮守の森の直ぐ側にまでやって来ると、入り口にある小さな鳥居の前でゆっくりと頭を下げる。
つい先程朝食を取りながら、わいわいと軽口をたたき合っていた雨子様の聖域。
普段から本当に仲が良くて、揶揄い合ったり、なんだかんだと互いに相談し合ったり、時に抱きしめて貰ったりしている仲の、友で有り、姉で有り、無くては成らない存在である雨子様。
そんな彼女が神で在るとは、今でも時折信じられなくなることがある。
でも今こうして聖域の前に立って、何となくでは有るのだけれども、その存在を感じると、ああ、間違い無いのだなと思ってしまうのだった。
そして一歩、中に足を踏み入れる。
かつて本当の人間の身体であった時には感じられなかった様に思うのだが、今こうして聖域に入ると、鳥居を抜ける瞬間、すっと体の中を何かが通過して行き、浄化されていく様な感覚を味わう。
これは宇気田神社に行った時もそうだった。
即ちこれこそが、神社といった聖域の中に、神様方の力が充ち満ちていることの証左なのだろう。
そう長くない参道を歩くと、直ぐに小さな社の在る境内へと行き着いた。
周囲に生えている木々が上手く重なり合って、周りの街の喧噪から隔絶されている。正に聖域、サンクチュアリの風格十分なのだった。
軽い足取りで社に近付き、その濡れ縁に腰を下ろす令子。木々の緑の間を抜けてきた風がどことなく涼しい。これはこの時期良いところを見つけたと喜んでいると、自分以外に人の気配を感じた。
気配の方向を視線で探ると、そこには確かに先客が居るのだった。
見かけ小学生の三、四年くらい?背丈は多分令子より少し高いくらいだろう。
自分の背丈より長い虫取り網を手に持ち、腰には虫かごを下げていることから、見るからに昆虫採集まっ最中といった感じだろうか?
今は神社の木に留まっている蝉を、一生懸命に捕らえようとしているのだが、どうにも拙い。もう後一歩のところまで網を近づけているのだが、焦っているせいなのか動きが急で、蝉に気づかれてしまうのだ。
二回三回と繰り返し挑むものの、毎回逃げられてしまっている。そして四回目。
「うわっ!」
と悲鳴を上げている。何と言うこと無い、蝉の逆襲を食らって居るのだった。
最初の内こそ固唾を飲んで見守っていた令子だったが、その悲鳴には思わず吹き出してしまった。
「ぷふぅ!」
聞こえない様に小さく吹き出したと思って居たはずなのだが、どうやらその男の子には聞こえてしまったらしい。
「何だよ?俺が失敗したの可笑しいか?」
顔を歪めながらそう言う男の子の言葉に、申し訳ないことをしたと思った令子は素直に謝る。
「ごめんなさい、人の失敗を笑うのは良くないことだよね」
あっさりと謝罪されたのが以外だったのか、少しきょとんとした後、頷いて見せる男の子。そしてどうしても蝉を捕まえたいのか再び木に向かう。
また二度三度、蝉に逃げられてしまう。段々とコツを掴みつつあるのか、もう少しの所まで来ているのだが、後一歩が足らない。
「頑張って!」
いつの間にか両手を握り締め、固唾を飲んで見守る様になっていた令子は、思わず応援してしまった。
応援の言葉を受けた瞬間、男の子の肩が微かにぴくりと動く。
彼は諦めること無く更に次の目標に向かっていくのだった。
そしてめげること無く更に二回の挑戦を経た後、彼はついに捉えることに成功した。
「じじじじじっ!」
彼の振り回している網の中から、蝉の鳴く声と羽音が同時に聞こえてくる。
「うおっしゃ!」
そう言ってガッツポーズをとり、令子の方へ振り返ってみせる少年。
その瞬間、彼の目と視線が絡んだ令子は、一瞬胸の熱くなる思いを感じた。
あくまで瞬間的なことなので、その意味を問う暇とて無い。
彼の顔に浮かんだ思いに応えて令子が言葉を口にする。
「やったね!」
少年は嬉しそうに笑みを浮かべながら言う。
「うん、やった。いつも兄ちゃんが獲ってくれるもんだから、自分で獲ったこと無かったんだよ。だから滅茶苦茶嬉しい」
そう言いながらにこにこしているのだが、網に入ったこと自体が嬉しいのか、蝉をそのままにしたまま喜んでいる。だが蝉はそんな彼の油断を見逃さない。
「ああ。逃げちゃう!」
令子が脱走を指摘する間もなく、網から飛び立ってしまう蝉。
「ああああ…」
残念さの余りに声が出てしまう令子。だが少年の落ち込み様はそれ以上だった。
「嘘だろぉ」
がっくりと地面に膝を落とし、天を見上げる少年の様は、丸でどこかで見た漫画の一シーンか何かのよう。
その余りに意気消沈した姿に気の毒になってしまった令子は、そっと濡れ縁から大地に足を下ろすと、すたすたと少年の元に歩み寄った。
「ほら、まだまだ蝉は一杯居るんだし、頑張って!」
下から令子のことを見上げる少年。
興味深そうな視線を令子に向けると、にっと笑みを浮かべる。
「応援してくれる?」
その何とも言えない無邪気な笑みに、令子はつい何も考えずにうんと頷いてしまった。
「おっしゃ!」
そう言うと少年は再び捕虫網を片手に、身近な木々に突撃していく。
何だろうこの純粋さは。かつて令子自身もそんな頃を経てきているはずなのに、いつの間にかすっかりと忘れ去っていた思いなのだった。
そして再びその時は巡ってきた。見事無事網の中に蝉を捕らえた少年。今度はきちんと蝉を掴み、虫かごの中へと入れ込むことに成功する。
その直後、彼は令子の方へ振り向くとガッツポーズをしてみせる。
果たしてそれに釣られてしまったのか、令子もまたほとんど同時にポーズをとる。
少年が声を上げて笑う。令子もまた同様に楽しそうに声を上げて笑ってしまう。
気がつくと令子は少年と二人、蝉の入った籠の周りをスキップしながら回っていた。
一頻りの歓喜の思いが終わると、少年は令子のことを真っ直ぐに見つめて言う。
「ありがとうな、お前の応援のお陰で捕まえられた」
そんな少年に令子は軽く頭を横に振りながら言う。
「ううん、君が頑張ったお陰だよ」
そう言って微笑む令子に、真面目な顔をした少年が言う。
「俺、修太。高山修太、本山小四年だ」
純粋に何も考えずにそう言ってくる少年に、令子もまたついあるがまま答えずには居られなかった。
「わ、私は吉村令子。学校は…」
学校と言いかけてその先が言えないことに気がついてしまう。そして何故かとても頼り無い思いに胸が一杯に成り、思わず涙を浮かべてしまう。
まさかこんなところで、自身の所在の無さを感じてしまうとは、思ってもみなかった令子なのだった。
だがそんな令子に少年は優しく言う。
「令子は転校してきたんだな。俺も去年そんな感じだったから分かるぞ」
小さいながらも令子のことを慮ってくれたのか、そんな風に言ってくれる高山修太と言う名の少年。
こんなにも幼気な少年に慰められてしまい、少年の素朴とも言える優しさに令子は涙を止められ無かった。
そうやって泣く令子に、少年が心配そうに言葉を掛けてくれる。
「大丈夫だ、今は寂しいかもだけど、学校に行って一杯友達が出来たら、また楽しくなるから」
そんな優しい言葉を掛けられた令子は、余計に涙を抑えられなくなってしまう。
果たしてこんなに泣いたのは、何時以来なのだろう?げしげしと手の甲で目を擦りながら泣いていると、心配したのか少年が肩に手を置きながら言う。
「泣くな、俺が友達一号になってやるから、泣くなよ」
その言葉が余りに優しすぎて、とうとう令子は声を上げて泣き始めるのだった。
わんわんと声を上げて泣く令子に、困り切った顔をした少年。
けれどもだからと言ってどこかに行ってしまうことは無く、心配そうに側に寄り添ってくれている。
これが大人の男性なら、抱きしめたりしながら慰めてくれたりもするのだろう。
けれども今目の前に居る少年は、令子の泣くのを前にしておろおろしながらも、それでも辛抱強く側に居続けてくれるのだった。
きっと彼の心の内には、泣いている時に誰かに側に居て貰えると、それだけでも落ち着いてくるものなのだ、と言う過去の体験があるのだろう。
暫く時間が経って、ようよう泣き止んだ令子。散々泣いたお陰で涙と洟で偉いことになっていることに気がついた。
「やだぁ…」
そう言って顔を真っ赤にしながら少年に背を向ける令子。
そんな令子に少年は、ポケットにぎゅうぎゅうに押し込んであったタオル地のハンカチを渡してくる。
「これ使えよ」
「でも汚れちゃう」
「良いよ、使えってば…」
そう言う少年に本当に良いのとばかりに視線を向ける令子。
大きく頷いて見せる少年。なので安心して涙を拭う令子。うん、ちょっと汗臭い。そしてついうっかりなのだが、ちんとばかりに洟も序でにかんでしまう令子。
その瞬間だけ少年は、げっ!と言う様な表情をしていたのだが、健気にも直ぐに平静を装うのだった。
お陰で何とか顔を綺麗にすることが出来た令子は、恥ずかしそうに笑いながら言う。
「ありがとう、修太君…」
礼を言った後ハンカチを返さなくてはと思って気がつく令子。涙だけでなく洟も合わせて…ああ、これは酷い。
慌ててこそこそとハンカチを後ろ手に隠す様にすると言う。
「あの、ハンカチ洗って返すから、家教えて?」
だが少年は首を横に振る。おそらくは女の子に親切にして上げたことを、家人に知られるのが恥ずかしいのだろう。
「でも…」
令子が食い下がるのだが、彼は頑として頭を縦に振らなかった。
「それはやる」
彼がそう言ったところで、そのお腹が大きく音を立てる。
恥ずかしそうに顔を赤らめる彼の前で、令子のお腹もまた大きな音を立てる。
二人は顔を見合わせると、どちらとも無く声を上げて笑い始める。
「お腹空いたね?」
「ぺこぺこだ!」
そう言い合うとまた笑った。そして一頻り笑った後少年は言う。
「じゃあ俺帰るは」
少年の言葉に令子もまた家に帰ることにする。
「じゃあ私も…」
「また会えると良いな、お前この辺の子か?」
そう問うてくれる彼の言葉がとても嬉しい令子。
「うん、直ぐ近くだよ」
「ならまた会えるな」
令子が頷いて見せると、少年はにっと白い歯を見せて笑い、その後、籠と網をひっつかんで鳥居の方へ駆けていくのだった。
「またな」
少年の声がその方から響いてくる。
令子は手をメガフォンの形にしたかと思うと、叫ぶ様にして言う。
「またね!」
声が聞こえたのか、少年は一瞬立ち止まり、手を振ったかと思うとそのまま走り去っていった。
令子はその後何とも言えない思いに満たされながら、ほっと一つ溜息をついた。
するとその背後から声が掛かる。
「良かったの、令子よ」
見るとそれは雨子様だった。
「お昼の時間になったので呼びに来たのじゃ」
そう言う雨子様に令子は首を傾げて問う。
「どうしてここに居ると分かったの?」
令子のその問いに、雨子様は笑いながら答えるのだった。
「当然であろう?言うても此処は我の神域じゃ。誰かが入ってくれば直ぐに分かるのじゃ」
「ああそう言うことなのか」
令子は納得する。
そんな令子の前にしゃがみ込むと視線を合わせた雨子様が言う。
「ここ暫くどこか頼りなげな、不安そうな顔をして居ったのじゃが。今はその、何と言うか、満たされた様な良い顔になって居るの?」
雨子様にそう言われた令子は、その言葉にどう答えれば良いのか分からなかった。
だが満たされているという実感は確かにある、そしてそれがどれだけ幸せなものかと言うことも感じている。
未だ理解はしていない、けれどもそう感じられることが嬉しくて、令子は雨子様の首っ玉に飛びついた。
「くふふ、善哉善哉…」
それだけ言うと雨子様は、令子が満足しきるまでその身体を抱きしめてくれるのだった。
さてそれから数日、令子は機会がある度に神社の境内へと姿を現していた。
けれども高山修太と名乗ったあの少年とは、あれから以降一度も会うことが出来ないのだった。
突然埋められ、再びぽっかりと穴の開いた令子の心。
何度も何度も神社に向かうその様子に、どうしたものかと頭を悩ませる雨子様なのだった。
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