「車中でのこと」
さてその道中、本当に久方ぶりに人の世に戻った卯華姫様は、車窓から見る景色の何を見ても大騒ぎだった。
和香様と雨子様に挟まれて座しているのだが、御二柱の膝を乗り越えて窓の外の景色を指しては大騒ぎ。目をきらきらとさせながらあれは何と、続け様に皆に問われるのだった。
だが何よりの驚きは、自身の乗っている乗り物の快適さなのだった。
「ところでこれは何と言う乗り物なのでしょう?」
そう問う卯華姫様に、雨子様が苦笑しながら答える。
「これは自動車という乗り物じゃ」
「これだけの速さで走るのですから、さぞや優秀な馬が付けられてるのでしょうね?」
「確かに馬力という単位でその力の強さを表現されて居るが、生憎と馬は付いて居らぬぞ?第一其方、乗り込む前に馬の姿を見たのかや?」
卯華姫様は頤に人差し指を当てながら、はて、と思い出しつつ言う。
「そう言えば確かについてませんでしたね。でもてっきりこの箱のどこかに隠されているのかと…」
その言葉にぷっと吹き出しながら雨子様が言う。
「済まぬ、其方のことを笑うた訳では無いのじゃ。先ほど馬力と申したであろ?それでじゃの、仮に100馬力の車じゃとしたら、100頭の小さな馬が駆けて、この車を引っ張って居るところを想像しての…」
生憎と卯華姫様には何が何やらだったらしいが、その向こうに居られる和香様は膝を叩きながら笑って居られた。
「そりゃええな雨子ちゃん。そないな馬めっちゃ可愛いやろなあ、うち、乗りとうなってしもうたは」
「それにしても真夏のこの時期だというのに、この箱の中は涼しいのですねえ」
車に乗るまでの暑さのことを思うと、車内のこの快適さが思いの他嬉しかったようだ。卯華姫様はそう言うとにっこりと微笑まれた。
「クーラーと言うたかの?人は自分達の乗るあらゆる乗り物に取り付けて、快適さを確保して居るようじゃ」
「何と…」
そう言うと卯華姫様は目を丸くされる。
「でもそう言うたら、宮司の宅でも室内は涼しくされとったねえ…」
「うむ、人間は生活の中のあらゆる場面で快適さを追求して居るようじゃ」
雨子様はそう感心したような口ぶりで卯華姫様に説明していた。
だがそこに祐二から少し異なった説明が為されるのだった。
「確かに雨子様の仰るとおりなのですが、実際にはその環境を作り出すために膨大な量のエネルギーを浪費して、既存の自然環境に少なからず悪影響を与えて居るんですよね」
卯華姫様はそんな祐二の説明に感心しながら、耳を傾けている。
「成るほど、何とは無し何やけど、起こっていることが分かるような気がします。そうですけど、確かにそのことは問題なんか知れませんけど、人がそこまでの力を持ったと言う事は驚くべきことやし、よう頑張りはったんやなって思いますね」
そうやって否定するので無く肯定の意見を述べてくれる卯華姫様に、少し驚きの視線を向けつつ、親しみの念を固めるのだった。
そんな祐二に優しい笑みを浮かべながら雨子様が話しかける。
「祐二よ、人の進化はゆうるりと、大きな螺旋を描きながら進んでいくものなのじゃ。色々な物の考え方や技術が生まれ、それらが大きく花開き成長する時期。かと思えばそれらの限界にぶち当たり、既存の技術や考え方がどんどん否定されていき、その反省を伴っての混乱衰退期。そこから更にまた新たな物の考え方や仕組み、技術が生まれてきて次の延伸期に結びついて行く。凡そ人が前に進もうとする意思を持つ限り、順ぐり時間を掛けてゆっくりではあるけれども、その螺旋は上昇していく」
雨子様のその説明を受けた祐二は、未だ少し不安げな調子で言葉を口にする。
「そうなのかなあ?人間はまだまだこれからもずっと頑張っていけるのかなあ?」
祐二のその言葉は、昨今の世界情勢の様々な出来事や、不幸な歴史を背景としての物なのだった。
「何じゃ祐二、其方その様な若さで、何を悲観視して居るのじゃ?」
「だって、ネットやなんかで入ってくる色々なニュースを見ていたら、悲観視したくなるような物ばかりじゃ無い?」
そう言う祐二に優しい笑みを浮かべた雨子様が諭すように言う。
「確かに、色々な物事を批判する言葉や考えが多く発せられて居る。じゃがそれと悲観の言葉を混同しては成らぬのじゃ」
雨子様の澄んだその声は、車内の隅々にまで届いていたのだろう。それぞれがそれぞれの思いを顔に表している。
神様達は超然とした笑みを浮かべ、節子や令子は雨子様のその先の言葉に好奇心を示し、運転中の拓也は大きくうんうんと頷いているのだった。
「人の言葉に温故知新というものが有るであろう?故きを温ねて新しきを知ると言うて居るのじゃが、そうやって過去や現在のことを確りと知り、分析評価して駄目な物は駄目と言い、その上で未来は切り開いていかねばならぬのじゃ。そうして初めて人はより正しき道に進むことが適う。それとじゃな…」
そこまで言うと雨子様は、身を乗り出して前席に居る祐二に顔を近づける。
「人の歴史というものは、常に肯定的な考え方の者によって形作られて居る。本当なら此所で楽観主義者によってと言いたいところであるが、残念ながら根拠の無い楽観というのもちと力が足りぬでな。ただ言えるのは悲観主義の者が歴史を作るのでは無いという事じゃろうな」
雨子様のその説明を聞いていた祐二は、その意味が胸の奥に落ち着くのを待ち、その後こくりと頷いてみせるのだった。
そんな祐二のことを見ていた雨子様もまた、同じようにうんうんと頷いてみせる。
「して祐二よ、其方はいずれ我と共に、その様な人の行く末を見届けていくのじゃぞ?そして時に手を貸すこともあるであろう。その為にも今は大いに悩むが良い、そして学び。成長するのじゃ」
祐二はそうやって聞いた雨子様の言葉を、何度も胸中で反芻し、自らのものと為していくのだった。
だが、事が此所で終わらないのがお約束となっている。いや、本人はそのつもりは無かったのかも知れない。ほとんど独り言のように小さな声で呟いているだけだったのだから。
けれども丁度信号待ちをしていた車中は運悪く静まりかえり、居合わせた全ての者の耳に聞こえてしまう。
「なんや雨子ちゃん、お婆ちゃんみたいやな…」
説明するまでも無い、言わずと知れた和香様だった。
「和香ッ!」
目を釣り上げた雨子様が、和香様に襲いかかろうとするも、生憎とシートベルトが邪魔になって動きが取れない。が、それでも何とか挑みかかろうとするのだが…。
お陰で二柱に挟まれた卯華姫様はもみくちゃに成ってしまう。成ってしまうのだが、それがなんとも嬉しいと思ってしまう卯華姫様なのだった。
お待たせしました
何とか定時に上げようとは思っているのですが、何分にもなまものw
思い通りに行かずに苦労しています




