「出立前に」
さて、雨子様と祐二の、ある意味とてつもなく心の力を必要とする決断があった後、直ぐに事が成るかというと、実は難しいのであった。
ああだこうだと色々あったのだが、その内の一つが次郎の強化。
何せこの神社に於いては卯華姫様以外、宮司にその姿を見ることが出来ないのだ。
そればかりか意思の疎通も難しい。
これでは宮司にしても手の打ち様が無いと言うことで、急遽顕現出来るレベルまで次郎に力を分け与えることになったのだ。
お陰で知恵を使うことには宮司、力を発揮することについては次郎という分業体制が可能となる。それで十分かというと、未だ全く足りないのではあるが、環が儚くなってしまった後のことを思うと、随分ましと言えるだろう。
その次にと言うか、本来は最初に考えられるべき事なのだったが、強力な分霊を作り上げると言うことが有る。しかし残念ながらこちらの土地では、疑似人格を作り上げようにも、中核になる電子部品が揃わないのだった。
勿論いくつかという程度なら手に入らないでも無い。
しかしこれから作り上げようとしているのはただの分霊では無い、小和香様にも比肩するような分霊を作ろうというのだ、簡単に行かないのも当然のことだろう。
当初はそこまでのものを作り上げるつもりは無かったのだが、宇気田神社ならまだしも、この元居神社にはまともな小者の数が全く足りていない。
それを今後なんとかしていこうと考えるならば、中途半端なものでは足らないだろう。そう神々は考えられたのだった。
ならばどうするのか…?
「卯華姫様。残念ながら私どもで今すぐ提供出来るものと致しましては、こちらのものしか御座いません」
そう言いながら宮司が手にするのは、朱袴が目にも鮮やかな巫女装束だった。
それを見ながら和香様がぼやくように言う。
「いや、いくら何でもその格好で列車に乗って移動するのは、どないなんやろ?衆目に晒される卯華姫ちゃんの気持ち思たら…」
確かに都市部に行けばコスプレなどと言うものがあるので、さほど好奇の目で見られることも無いのかも知れない。
しかし田舎も田舎、コスプレなどと言う言葉を聞いたことも無い、その様な人が多く居る土地で、この格好のまま移動するのは、余りにも衆目を集め過ぎるのでは無いか?
和香様としてはそう危惧したのであった。だが和香様の危惧は実に簡単に解消される。
「何を言うて居るのじゃ和香は?列車に乗ったとて、一車両に一人か二人しか客は居らぬであろうが?」
雨子様にそう指摘を受けた和香様は、来がけに乗った列車の車内の様子を思い出していた。
「あ~~、ほんまやなあ」
そう言いながら苦笑する和香様。都会のど真ん中に社を構える和香様としては、何とも想像しがたいところがあったとしても仕方が無いことだろう。
ところがそこへ祐二から更なる良案が提示される。
「別に今日、無理して卯華姫様を連れ出さずとも、明日帰る途中に車でこちらにお寄りして、それでお迎えしていけば良いじゃ無いですか?」
それを聞いた二柱の神々はシンクロしながら手をぽんと打つ。
「全くじゃ。失念して居ったわ。我らは車にてこの地に訪れて居ったのだな。成る程拓也には少し迷惑を掛けるが、それが一番良かろうて」
「幸い席は一つ余っとるし、今晩一晩有れば卯華姫ちゃんも、暫く出掛けて留守する支度も出来るやろ」
わいわいとそうやって打ち合わせる者達のことを見つめつつ、卯華姫様ははらはらとしながら立ち尽くしている。
元々がおっとりとした質で、物事を素早く決めるのが苦手な性分なので、今は只もうおろおろするばかりなのである。
実はこのことも有って余計に、しっかりとして能力のある分霊の作製が望まれているのであった。
「卯華姫様…」
そんな卯華姫様に静かに話しかける宮司。
「先程次郎様に力をお分け下さいましたことで、非力な私でありましても、次郎殿としかりとお話が出来るようになりました。本当にありがとう御座います。これなら暫し卯華姫様がいらっしゃらない間くらいは、何とか切り盛りしていけるのでは無いか?その様に思っております」
そう言う宮司に卯華姫様は申し訳なさそうに言う。
「すまんね宮司さん。いや遠山よ」
「何のこれくらい、折角の余所様への神旅でございます。色々お楽しみ下さいませ」
そう言う宮司の心尽くしの言葉に、卯華姫様の表情がゆったりと華やいでいくのだった。
「しかしあの御方々…」
そう言うと宮司は二柱と一人のわいわい騒ぐ様を見守っている。
「あの様に神々と人間が仲良き様を見るのは、何とも嬉しくも有り、空恐ろしくも御座いますね」
そう言う宮司に卯華姫様がこてんと首を傾げて問う。
「宮司さんは何がこわいと言うてはるんやろね?」
そう問われた宮司は思わず苦笑する。
「怖いと申しましても、何か具体的なことがあって、そう申して居る訳では御座いません。しかしこれまで十年一日の如く、日々一様な時を過ごして参りますと、あの様な方々が、これからの世をどのように変化させていくのだろうかと、私にはまるで想像が付かないので御座います」
「成る程ほんまやね。得体が全く知れない未来とは、期待半分、畏れ半分やものね」
「仰るとおりで御座います。人として老齢の時期に入った私などに取りましては、その変化その物が怖くすら有るので御座います」
「いややわ、そないなこと言うたら、うちかて同じですよ。前に進むことが怖くなってしまいますやんか?」
そう言いつつ、卯華姫様は宮司の手をそっと取って言う。
「頼りにしていますよ?」
神様直々にそう言われた宮司は、もう怖がってばかりは居られないと、ぐっと腹に力を込めて将来に挑むことを密かに誓うのだった。
つくづく、丁寧な睡眠が大切と思う、今日この頃であります




