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天露の神  作者: ライトさん
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雨子様と古老

ギリギリでした

 さて夏休みのとある日、僕は近所の公園にあるものを見つけた。

それは僕が子供の頃から、既に古木の貫禄を呈していた大きな槁にかかっていた。


『来たる八月十八日午前九時から午後二時頃にかけて、この木を伐採することになりました。当日はご迷惑をおかけすることになりますが、ご協力願います』


 何気ない看板で、その槁を伐採することが書き込んであったのだけれど、夏の目の眩むような日差しの元、すっくと雄々しく立っているこの木が無くなってしまうのかと思うと、何とも寂しい思いで満たされてしまった。


 それこそまだ自身で虫取りをすることも出来ないような頃からそこに存在して、人々に涼しい木陰を与え、時に子供達の蝉採りの名所ともなっていた大きな木。

太さは大人の手で二抱えもあるだろうか、樹高はもう見上げるばかり。


 直ぐ手の届くところには枝がなかったので、木登りするためにはとても難易度が高い木だったけれど、それだけに上ることが出来た者には木登り名人の栄誉が与えられるような、そんな木でも有った。


 そんな木が一体どうして伐採されることになってしまったのだろう?

推測される原因は、先年この地方を襲った強力な台風の齎した惨禍によるものが大きいだろう。


 この槁の直ぐ近くにこれまた大きな榎木が生えていたのだが、台風の強風によって大きな枝が折れ飛び、近所の民家に甚大な被害を出したというのだ。


 その榎木の方はその直ぐ後に切り取られてしまったのだが、もう間もなくやってくる台風シーズンを前にして、この木もまた処理されてしまうこととなったようだ。


 普段目にしている風景の中に完全に溶け込んで一体化してしまっているような木だけ有って、それが無くなってしまうことに何とも言えない違和感を感じてしまう。


 十八日と言えばもう明後日。僕は木の元に歩み寄るとどっしりとした幹に触れながら高くそびえる木を見上げ、キラキラと差してくる木漏れ日を目に焼き付けた。

公園の中で自分が経験した様々な思い出が、フラッシュバックしてくるような気がする。


「何をしておるのじゃ祐二」


 ふと振り向くといつの間にやって来たのか雨子様がいた。

涼しげなコットンのワンピースを着、多分母さんからの借り物なのだろう、大人びた感じのする日傘を差していた。


 僕は黙って槁に掛かっている看板を指し示した。


「なんとな、この古老が切られてしまうのかや」


雨子様の顔が曇った。


「この木はの、我の社に有るどの木よりも古い時代からここに居っての、我の顔なじみなのじゃ」


そう言うと雨子様は僕の傍らに立ち、同様にそっと木肌に手を当てた。


「雨子様、もしかしてこの木にも付喪神が居るのですか?」


「さてどうじゃろうのう?特に信仰の対象になっているで無し、この公園が出来てからは子供達の精を僅かずつもろうて居ったようじゃが…」


僕たちがそんな話をしているとひときわ強く風が吹き、木の葉がざわめいて周囲の音を断ち切るかのように葉擦れの音がした。


「祐二よ見るが良い」


 そう言うと雨子様が木の幹に有る少し瘤になったような所を指さした。

見るとその部分で淡くモヤモヤしたような白い何かが形を取りつつあった。


「そうか、今になってようやくなのじゃな?」


はたしてそこに現れたのは人と言うのは些か小過ぎる、ドロイドのユウよりほんの僅か大きいくらいの翁の姿だった。


「雨子様、無事間に合いましてございまする」


「むう、槁老じゃな?」


「はい、ここ二三百年ほどの間、雨子様に度々難を祓って頂きました。そのお礼をば申し上げたく思っておりましたが、形を得るのに思いの外手間取り、ようやっと今になってお目もじ適いました」


そう言うとその翁の精は雨子様に深々と辞儀をした。


「礼などは良い、単に我はそなたの雄々しき枝振りが気に入って居ったのじゃ、じゃが折角こうやって形を得ることができっと言うのに、もう末が定まって居るとはなんとしたことであろうの」


そう言うと雨子様は僕の方へ振り返った。」


「のう、祐二よ。そなた何とか出来ぬものかの?」


 僕は何とも無念に思いながら頭を横に振った。


 仮に十二分に時間が有る状態であれば、伐採の中止を願う運動でも起こすことが出来たかも知れない。

だが既にその伐採が二日後に迫っていては、何をするにしても遅すぎた。


 だがその翁は、僕の否定の答えに動じること無く静かに口を開いた。


「雨子様、捨て置いて下さいませ。昨今の大風の厳しさは儂もよう知っております。おそらく再び先年のような風が吹けば、はたして儂もどうなることか」


 そう言うと翁は園内の遊具で楽しそうに遊ぶ子供達の姿を眺めていた。


「儂は万が一にも彼らの家屋敷を害したくはないのです。あの子らの泣く顔は見とうは無いのです」


そう言うと翁は満足そうな笑顔を浮かべつつ次第にその姿を薄れさせていった。


「なので雨子様、儂は満足しながら旅立つことにしますのじゃ、この身を長らえさせて頂いた大恩に報いることなく、先に逝くことになりますが、お許し下さいませ」


翁はその言葉を最後に深々と頭を下げ、姿を消した。


 それを見届けた雨子様は、優しく木肌をポンポンと叩くとその場を後にした。

僕もその後を慌てて追う。


「雨子様、あれで良かったのですか?」


僕は何だか後ろ髪を引かれる思いを感じながら雨子様にそう問うた。


「良い、槁老本人がそれで良いと言って居ったし、十二分に満足もして居ったようじゃ」


 その時僕は、人の精より遙かに長生きしておきながら、人よりずっと潔いその生き様に、何故だか妙に心打たれる思いを感じていた。


「ところで雨子様、かの翁が難を祓って貰ったとか言っていましたが、何をして上げたんです?」


雨子様の答えは坦々としたものだった。


「何、大したことでは無い、木気を感じて稲妻を祓うてやっただけのこと、木気が定まらずまだ朧なときに祓うは容易きことなのじゃ」


だがそう語る雨子様の背中はやはりどことなく寂しそうだった。


「雨子様、ああ言う翁って何か好物とか有るのでしょうか?」


「好物じゃと?」


「ええ、せめても明後日切られる前に、何かお好きなものでも供えられたら良いかなって思ったんです」


僕がそう言うと先に立って歩いていた雨子様が急に振り返った。


「祐二は本当に優しい男の子じゃの、褒めて遣わす故ちと頭を下げよ」


いきなりこんなところで頭を撫でられるのも照れ臭かったので下げないで居ると、むんずと襟を捕まれて無理から頭を下げさせられ、そして撫でられた。


「ではその日の朝にでも清水を供えてやるが良い、我の社の裏手に僅かではあるが水のしみ出して居るところがある。早朝そこで汲んで持って行ってやるが良い」


「ありがとう雨子様」


 僕はその情報に素直に礼を言った。

先ほどまで鳴き狂っていた蝉の声がはたと止む、まだまだ暑い夏の昼下がりのことだった。

ネムネム

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