「開けごま」
「のう和香、これは卯華姫は起きるつもりが無かったのかも知れぬの?」
神鏡の表面に手を押し当てた雨子様がそう言う。
「なんや雨子ちゃんの言うの、分かる気がするわ。出入り口を封鎖するにしても、ちょっとこれ堅すぎやもんな?」
雨子様の言葉に呼応してそう言う和香様は、顔を顰めた。
傍らでは宮司が深刻な顔をして成り行きを見守っている。
「しかしこうして喋ってばかり居ても埒があかぬの?」
「そやな、何とかせなあかんのんやけど…」
そうやって二柱揃って首を捻って考えているのを見た祐二が、雨子様に尋ねる。
「雨子さん、お二方をして一体何を悩まれているのです?」
対して答えたのは和香様の方だった。
「それがな祐二君、この神鏡って言う奴こそが、この先にある神の私室たる空間を守る要に成っとるんやけど、普通はほんの僅か、それこそ髪の毛の何分の一かくらいは隙間を空けて、外部との連絡が取れるようにしておくものやねん」
「はぁ」
いくら説明されても今一それが分かっている訳では無い祐二、ついつい間の抜けた返事を返してしまう。
「はぁって祐二君…」
思わず苦笑してしまう和香様。だが直ぐに気を取り直して説明を続ける。
「ところが今回のこの神鏡、その隙間が全くないばかりか、異様な堅さで閉じられているねん」
「そうなんですか?」
何事かを思案しているように見える祐二は、そう返事を返す。
そんな祐二の有り様に少し疑問を持ったのか、今度は雨子様が話を続ける。
「弱まりつつある卯華姫の気配と思われたものは、実のところこの空間に残されたあやつの残り香でしか無かったのじゃ。そしてあやつ自身からの波動は、全く完全に神鏡の部位にて遮断されて居る」
「それって全然内部と連絡が取れないって言うことですよね?」
「正に其方の言う通りなのじゃ。」
そう言うと頭を抱えてしまう雨子様。それを見ながら親指の爪を噛みつつ提案する和香様。
「いっそそれなりの力を以て一当てしてみるか?今の雨子ちゃんならかなりのことが出来るんやろ?」
そう言う和香様に、頭をぶんぶん音がしそうな程に横に振りながら答える雨子様。
「とんでもない、何と言うことを言うのじゃ?確かにかち割れと言われれば出来ぬ事では無かろう。がしかし此処は大地の上ぞ?下手をすればこの星が割れてしまうかも知れぬぞ?」
青ざめながら雨子様が話を続ける。
「しかもあやつの力はこの神鏡の面積に全て集約されて居る。下手をしたらそれでも割れぬ事すら有り得るのだぞ?」
「そかぁ~~、あかんかぁ~~~」
そう言いつつ項垂れる和香様。そんな和香様に祐二がふと顔を上げて問いかける。
「ねえ和香様、別に大きく口が開かずとも、僅かでも隙間が出来れば良いのですよね?」
「うん、そうやで?」
そう返事をしつつ、何事か案を出しそうな祐二に目を向ける。同様に見る雨子様。
「何じゃ祐二、何か案があるのかえ?」
二柱の爛々とした目に見つめられ、苦笑しつつ祐二は答える。
「でも上手く行くかどうか分からないですよ?」
そう言う祐二に、少しやきもきしながら雨子様が言う。
「ことの如何を案ずるより先に、まず何をするつもりなのか言うが良い。ええい、早う言わぬか?」
気が急くのか雨子様は、祐二の両の手を持って身体を揺さぶる。
「あわわ、雨子様?」
「ええい早う言わぬか?」
「って、雨子ちゃん、そないに揺さぶったら祐二君が目え回してしまうで?」
和香様としては比喩でそう言ったつもりなのだが、実際祐二は危うくそうなりかけていた。
「言います、言いますからちょっと待って雨子さん」
悲鳴のような声でそう言う祐二の姿に、はっと我に返った雨子様は恥ずかしそうに俯いてしまう。
「す、済まぬ。つい夢中になってしもうた…」
短い時間ではあるが、雨子様としては真剣にあらゆる方法を考えたのだろう。その最中に祐二の言葉を聞いたものだから、思わず必死になって聞いてしまったと思われる。
「それで祐二君は何を考えついたと言うん?」
雨子様に変わって和香様がそう聞く。
「それなんですが和香様。神威を使ってみたらどうかなって思ったのです」
「神威じゃと?」
祐二の言葉に目をぎらりと光らせた雨子様が言う。
「た、確かにあれなら、呪が幾層積み重なろうが、問題無く切ってしまうことが可能じゃろう。しかも周りに大きな被害を出すことも無く速やかにじゃ…。」
雨子様のその台詞を聞いた和香様が好奇心で目を光らせる。
「なあなあ祐二君、話しにだけは聞いとるんやけど、その神威とか言う刀、いっぺん見せてくれへん?」
そう言われた祐二は雨子様に向かって問う。
「ねえ雨子さん、神威って確か所有者制限が掛かっていましたよね?和香様に渡してお見せするとか出来るのかしらん?」
その言葉に雨子様はにべもなく言う。
「無理じゃの」
雨子様にあっさりとそう言われてしまった和香様は、ぷっくりと膨れるのだが、こればっかりは爺様の設定なのでどうしようも無いことなのだった。
せめても出来るのは、祐二が手に持って見せることなのだが果たして?
「これは仕方無いですね、爺様の決められたことですから。ところで和香様、この様に神聖な場所に、刃物など出してお見せしても宜しいのでしょうか?」
そう言われた和香様、膨れてばかり居ても仕方無いとばかりに、可愛らしいほっぺをペにょんと凹ませると言う。
「まあ確かに、人斬り専門の刀なんかはごめんしたいところやねんけど、実際やむを得ずそう言う役割果たし取るものも有ることやし、うちらが認めればやむなしと言うことにはしとるな?」
和香様のそう言った答えに対して宮司が異論ありげに声を上げる。
「和香様?」
その声を聞いた途端に少し慌て気味に言葉を継ぐ和香様。
「まあでも基本は禁止なんよ、禁止。ただな祐二君、そう言った話しはまず人の手に寄って成った刃物についてや。雨子ちゃんの持ってる薙刀や、自分の使う取る神威は神の手成ものやんか?一切お咎め無しやで?」
幸いなことに宮司もその話を聞いて幾分ほっとした様子だった。
そしてそれを聞いた祐二は安心したように言う。
「なら神威を用いて試してみることになさいますか?」
「そうやね祐二君、やったって!」
和香様の言質を頂いた祐二は、早速に神威を取り出して見ることにする。
ふっと息を吐き、蹲踞の姿勢を取ったかと思うと、二柱と神鏡に対して礼をし、力まずその場にすっくと立つ。
今までの当たり前の高校生と言った雰囲気が雲散したかと思うと、凜々しくも逞しい剣士の雰囲気が満ちていく。
「おいでカムイ」
「ぷふぅ!」
折角の美しい立ち姿を醸し出した祐二だったのだが、その呼び出し方が何ともまずかった…、と思われる。雨子様が傍らを向いて吹き出している。
「ゆ、祐二よ、その犬でも呼び出すような言い方はなんとかならぬのかや?」
そんな二人のやり取りを見聞きしながら、何とも微妙な顔をしている和香様と宮司。
だがそんな場の様子など意にも介さぬままに、ぱくりと開いた空間の裂け目から、しずしずと神威がその姿を現すのだった。
「ちゃっ…」
裂け目を抜けきると、掲げられた祐二の両の手にすっと落ち込む神威。
重くも無く軽くも無い、ぬるりとした持ち手感に、祐二は神威を手にしたことを確信した。
「主よ、参上仕りました」
何処に口があるのか分からないのだが、静かな声音でそう語るカムイ。
「久方ぶりなんだけれども、手を貸してくれるかい?」
そう言う祐二に、カムイが謙って答えてくる。
「承りまして御座います。拙に何なりとお申し付けを」
鞘に入った刀と主の会話、見ようによってはとんでもなく奇妙な様を見守りながら和香様が口を開く。
「何とも美しい刀やな、祐二君、君の手に有るままでかまへんから、ちっと見せて貰える?」
頭を是と振りながら、鞘に入ったままの神威を掲げてみせる祐二。
「何や、吸い込まれそうな感じの渋い黒やな?その束に嵌まっ取るのは疑似宝珠と違うのん?」
和香様に見抜いてと言うか、理解して貰えた祐二は嬉しそうに言う。
「仰るとおりこれは疑似宝珠だそうです。何でも物の怪を切り伏せた時にはこれが働いて、遺骸を無くしてしまうそうです」
それを聞いた和香様は感心する。
「それは有り難いもんやね。大体の付喪神は倒すと消えてしまうんやけど、年を経た物とかになると跡を残すことがあるからね」
「はい、爺様もその様なことを言っておられました。そしてこの鞘なのですが、隠世?ですか?」
祐二が雨子様の方を向いてそう問うと、うんうんと頷いて見せるのだった。
「…隠世を生成して、現世への戦いの影響を最小限にして呉れるそうです」
そう言って祐二は鞘に入ったままの神威を和香様の間近に掲げてみせるのだった。
掲げられた刀に、和香様はぎりぎりまで顔を寄せると、それこそ嘗め回すかのように隅々まで見ている。
「その鞘に散りばめられた銀の模様と言い、何やまるで宇宙その物みたいやな?」
そう呟くように感想を述べながら、目を細めるのだった。
そして十二分に見られたのを確認した上で少し離れ、ゆったりとした所作で刀身を抜いて見せる。
「おおおっ!って待ちこれ!一体何やのん?信じられへんような呪が、一体何層に渡って刻み込まれてるん?うわ、うわ、うわぁ!凄すぎ!」
和香様は口元に手を押し当てながら、それこそ仰け反るように成りながら刀身を見つめていた。
「これは一体全体凄まじいな?」
和香様は、雨子様にそう話しかけると、それ以上の言葉を失うのだった。
そして暫し目を瞑ると深呼吸をする。
「はぁ~~~、ありがとう祐二君。もう十分や、堪能した…」
対して雨子様が静かに言う。
「…であろ?」
そう言う雨子様は心底嬉しそうだった。
そんな雨子様のことを見た和香様が言う。
「祐二君が誇るならともかく、何で雨子ちゃんがそないに誇らしげなん?」
「むふぅ~」
そう問われたことに対して雨子様は少しばかり反っくり返りながら言う。
「当然じゃ、この神威成るもの、我と祐二の合作であるからな。勿論一部爺様の手も入って居るが…」
『嫌々、一部どころからその多くが爺様の手に寄る』祐二はそう心の内で思うのだが、言わぬが花を知っていた。
だがそれに対する和香様の返答は思いも掛けぬものなのだった。
「なんやて雨子ちゃん?自分ケーキ入刀もせん内からそないな共同作業しとるんや?」
だが言われても、それが何のことやら分からない雨子様。きょとんとしている。
しかし祐二と宮司は違った。
「「ぷはははは!」」
二人揃って後ろを向くと、腹を抱えて笑うのだった。
一人焦る雨子様。
「何故じゃ、何故にこやつらは笑って居るのじゃ?祐二?どうしてなのじゃ祐二?」
そう問うのだが、ちょっとの間笑うことが優先されて、返事の言葉を言うことが出来ない。
暫く経ってその意味を知った雨子様が、顔色を変えて本殿の外まで和香様を追いかけて行く。
そんな二柱のことを笑みを浮かべて見る宮司。
彼は外に駆けていく二柱を目で追いながら、ふと祐二に目を向ける。そして新たな時代が来ているのかも知れないと彼もまた実感するのだった。
遅くなりました
刀の呼び名のですが
物体としては神威
意識体としてはカムイとしています




