雨子様大喜び
人は生まれて暮らしていく間に、色々なものを手にしていきます。
皆さんはその中で何を手にしたときがもっとも嬉しいと思われましたでしょうか?
さて翌日の夕食時のこと、今日は父さんが早めに帰ってくると言うことで、それを待っての夕食となった。
「ただいま」
噂をすれば影が差すと言うが、父さんは余り暗くならないうちに帰ってきた。
「さっと風呂入ってくるよ」
そう言うとさっさと風呂場に向かっていく。夏のこの時期、いくら職場や電車の中のエアコンが利いているとは言っても、一日も過ごせば汗ばんで気持ち悪いものだ。
母は大凡の時間を見計らって配膳を始める。その辺は長年の夫婦の連携というか、ほぼ父さんの上がってくる時間を的中させる。
大方の料理は加熱を残すだけとなり、その他は冷蔵庫から出して冷たいものとして供する。次々と食器を出し、料理を出して配膳を進める。
以前はその母の動きに従って僕が一緒にその準備を行っていたのだけれど、今は雨子様が進んでその役を果たしている。
別に男尊女卑でも無いので僕も手伝おうと思うのだけれども、現実問題として然程広くない我が家のダイニングでは邪魔になってしまう。
なので大きな図体の僕の活躍は申し訳ないが遠慮するという体を成している。
ほぼ全ての食器を並べ終え、後はコップに麦茶を入れ、箸を並べるところまで来ると、風呂から上がったらしき音が聞こえてくる。
「お待たせ」
と言いながら父さんが席に着くのを見計らって皆で席に着く。
後は三々五々頂きますと唱え、ご飯を食べ始める。
「母御よ、この茄子の煮浸しは格別に美味いの」
雨子様も人と同じように食事を摂ることになってから、供されるものの味を一入よく味わうようになっていた。
そして自ら美味しいと感じる物に対しては、積極的に評価を口にするようになっていた。
母としてはそれがとても嬉しい様だった。
「あら嬉しい雨子様、雨子様だけなんですよ、そうやってきちんと料理に対する評価を下さるのは」
おっとこの流れは良くない。そう感じたのは僕だけではなかったようだ。
「いやそれは僕も感じていたよ、うん、この茄子は素晴らしい」
いや父さん、二番煎じでそんな事言ってもダメなんだけれども。
一応母さんはにっこりしてくれはするものの、あんまり目は笑っていない。
でもそれ以上の追求をしないあたり、母は母で父の限界をきちんと把握しているようだ。
仕方ないわねと軽く目を瞑ると意識を切り替えていた。
「ふむ、良い夫婦じゃの」
いつの間にやら雨子様はこの二人のことをしっかりと観察していたようだ。
「互いに相手の勘所をよう押さえて居って、無理ないところで妥協することも知って居る」
「雨子様?」
雨子様の言葉を聞いた母さんはそう言って苦笑することしきり。父さんはと言うとあんぐりと口を開けているに留まっている。
これだけを見ても我が家の勢力図が分かろうというものだった。
「ところでこれ…」
皆の食事もそろそろ終わろうかという頃、父さんが傍らに置いていた何かの紙袋を母さんに手渡した。
「あら、お父さん、ちゃんと買ってきて下さったのね?」
どうやらそのことにて父さんは先ほどの失点を大いに回復したらしい。
「そりゃあ、母さんからの頼まれごとだからね、忘れる訳がないだろう」
僅かだけれどもその目が微かに泳いでいるところを見ると、もしかすると危うく忘れるところだったのかも知れない。でも今はそのことは何も語られなかった。
「ありがとうお父さん」
そう言うと母は紙袋を一旦受け取り、その後改めて雨子様の方へと手渡そうとした。
「雨子様、これどうぞ」
母さんは雨子様に紙袋を受け渡しながらニコニコしている。
「さて母御よ、これは一体何を頂いたのかや?」
そう言いながら雨子様は紙袋を受け取り、中を改める。中からは綺麗な包装紙にリボンのかかった箱が現れる。
「はて、これは一体?」
そう言いながら雨子様が包みを解くと、中から現れたのは携帯だった。
「これはなんと!」
雨子様は携帯をきゅっと胸に抱きとめるようにしながら母に言った。
「母御よ、これは高価なものでは無いのかえ?」
母さんは少し苦笑しながらそれに答える。
「それは確かに決して安価とは言えないかも知れませんが、それでも我が家が雨子様によって頂いている幸せに比べたら、いえ、比べられるほどのものでも無いですわ」
「感謝する…」
雨子様はそう言うと食卓の椅子から立ち上がり、母さんと、そして父さんに丁寧に辞儀をして見せた。
「雨子様、写真に格別の興味を示しておられたと聞いていたので、メモリーカードの大きさをかなり大きなものにしておきましたから、存分に写真を撮れますよ」
とは父さん。
「それはありがたいことよの。記憶としては目にしたあらゆる事が我の中には完全な記憶として残って居る。じゃが…」
雨子様はそう言うと慈しむように携帯を撫でた。
「こやつの撮る写真というのは、その時その場面に自身が何を思ってそれを撮ったのかという思いが入っている。そして撮られた写真を見ることで再びその感情を体験出来るというのは実に楽しきことなのじゃ」
そう言う雨子様は本当に嬉しそうだった。
「祐ちゃん、私たちに出来るのはここまでだから、後、設定とかはあなたがして差し上げてね?」
と母は言う。
「へぇーい」
そう返事した後、ちゃんとご馳走様をしてから僕たちは自室へと戻った。
「祐二よ、これで我もハヤトのことが見れるのかや?」
「ええ、その通りです、それにレインもセットしておきますから七瀬とも文字で話すことが出来ますよ。勿論音声で普通に電話も出来ますけれどもね」
そう聞いた雨子様はよほど嬉しいのだろう?僕が色々と設定し終わるのを今か今かと待ち侘びていた。
そしてセットアップを終えた後携帯を雨子様に渡すと、それはもう喜び勇んで触り倒していた。そして瞬く間に扱い方に習熟していき、教えても居ないのに七瀬だけで無く両親とまでレインで話をし出している。
呆れるほどの適応力に舌を巻いていると、それまで笑みを絶やさなかった雨子様が急に真面目な表情をした。
「しかしのう、これほど多くの人との間を取り持つことが出来る携帯やパソコン、ネットの能力を考えれば、早々に何らかの付喪神が発生してもおかしく無いところであるに、まだその痕跡がない」
「それって何かおかしいのですか?」
僕がそう聞くと首を傾げている。
「我も付喪神についてさほど遭遇した訳でもないし、また調べてみた訳ではないから詳しゅうは分からぬが、彼奴らが生まれるには、十分な人の精が集うて居るのは間違い無いことよの」
雨子様からそんな話を聞くと、最近流行の人工知能の事も有って何だか不安に感じてしまう。何か悪し事に繋がらなければ良いのだけれども。
「雨子様、それでもし付喪神が生まれたとして、何か良くないこととか起こったりするのですか?」
雨子様は少し遠くを見つめる様にして語を継いだ。
「そうじゃな、その付喪神を生むのに消費された精に良きものが多ければ問題ないが、悪しきものが多ければ、もしかすると良くないものが生まれるかも知れぬの」
「それは不味いなあ…」
僕が独り言のようにそう言うと、雨子様は苦笑した。
「それは確かにそうじゃが、その時はほれ」
そう言うと雨子様は腕に掛かっているミサンガを指し示した。
「そなたがこれを切れば良い、我が祐二達の味方になるが故、さしたる心配は要らぬであろうよ」
雨子様のその一言のお陰で、僕は心の中にわだかまる不安から解放されていくのを感じた。
なんと言っても雨子様は神様なのだ、いざというときは頼りになる存在なのである。
私が手に入れて嬉しいと思ったのは自転車だったかなあ?




