「和香様の悩み」
三人分の荷物を持った祐二が、お弁当を食べようと言っていた所に着くと、当然のことながら既に和香様と雨子様が居た。
しゃがみ込んでいる和香様に、雨子様がポカポカと殴りかかっている。
ほとんど見かけだけで、全く力の入っていないのを見て取った祐二は、何も言わずにお弁当を広げる準備をする。
頭を打たれまいと手で庇っている和香様が、そんな祐二を見て言う。
「なあ祐二君、自分この状況見て、何とも思わへんのんかな?」
そう言う和香様に、暫し手を止め祐二が返事を返す。
「何か思わないか?ですか。そうですねえ…相も変わらず和香様と雨子さんは仲が良いなって思います」
「ふへ?」
和香様が神様らしからぬ声を出す。
「祐二君、それは違うやろ?うちはこないに雨子ちゃんにどつかれてんねんで?」
そう言われて祐二はにこにこしながら答える。
「和香様、漫才というお笑いの芸風の中に、どつき漫才って言うのが有るんですが、あれはどつく側とどつかれる側の、絶対の信頼感があって成り立っているんですよね?だから…」
祐二のそんな説明を聞いていた雨子様、途中から叩く手が止まっていたかと思うと、やがてに吹き出しながら和香様の上にしなだれかかる。
「ぷふふふふふっ」
そんな風に笑いながら雨子様は、しなだれかかった先の、和香様のことをぎゅっと抱きしめる。
抱きしめてくる雨子様のことを受け止めた和香様が、仕方無そうに言う。
「そないなこと言われたらもう何にも言えへんやんか?」
そう言いながら和香様は小さく溜息をつきつつ、そっと雨子様を押しのけ立ち上がる。
そして二柱互いに顔を見合わせるとおかしそうに笑い始めるのだった。
愉快そうに笑っている神様方を見ていた祐二は、自分もまた楽しそうに笑いながら言う。
「僕はそんな風に仲の良い神様方が大好きですよ?」
祐二の突然のその言葉に、二柱は再び顔を見合わせる。
そして同じように顔を俯かせて赤くするのだった。
「なあ雨子ちゃん、祐二君のあれ、本気で言うとるん?」
小さな声でそう聞いてくる和香様に、雨子様もまた同じように囁くように言葉を返す。
「うむ、あやつは至って真面目じゃ。ああ言う奴なのじゃ。我も時折どう対応したら良いか、分からなくなってしまうのじゃ」
そう言いつつ雨子様は更に顔の赤みを増すのを感じていた。
「うはぁ。分かるはその気持ち。うちも何や知らんけどこそばゆーて…」
そこまで言うと和香様は特大の溜息をつく。
「如何したのじゃ和香?」
余りに大きな溜息を心配して、そう尋ねる雨子様。
すると和香様は先ほど抑えた声を更に抑え、雨子様にだけ聞こえるようにして申し訳なさそうに言う。
「うちな、これが終わって社に戻ったら、また神化するようにするわ…」
和香様のその言葉に驚いた雨子様が言う。
「和香!其方?」
応える和香様は少し泣きそうな顔をしている。
「うん、そうやねん、そやけどな」
そう言うと和香様は、自分達の昼食の用意をいそいそとしている、祐二の方を密かに指さした。
「いくら何でもあんなん酷いと思わへん?」
言われて応える雨子様は、実に申し訳なさそうに言う。
「うむ、確かにの。和香がそのようになるのも何と言うか、仕方無きところが有ると言うか…」
そう言いながら雨子様もまた特大の溜息を吐く。
「で有りながらあやつは、そのことを全く意識して居らぬのじゃから始末に負えぬ」
「ほんまやな、ある意味罪作りやで?」
「まったくじゃ」
和香様はそこで少しの間考え込む。
「うちいっそ、この身体になるの辞めようか…」
「何じゃと?」
急に雨子様が大きな声を出すものだから、驚いた祐二が二柱のことを見つめている。
「しーっ!しーっ!しーっや雨子ちゃん」
慌ててそう言う和香様に、雨子様が申し訳ないと頭を下げる。
「もう、内緒やで雨子ちゃん?」
「済まぬの和香。しかしその身体を辞めるとは一体どう言うことなのじゃ?」
「そやからな、今うちは女の姿に顕現しとるやん、だからそれ辞めて男の…」
それを聞いた途端、息を飲んだ雨子様がよろよろと二、三歩後ろに後退る。
「なななな、何を言うて居るのじゃ和香?其方は今やこの国の国母ぞ?そそそれを、男になるじゃと?」
「そんなん言うたかて…何や毎度雨子ちゃんに迷惑かけとるみたいで…」
和香様はそう言いながらしょぼんとする。
「それはそれ。これはこれじゃ。第一我は其方が思うて居るほど迷惑とは思うて居らんぞ?むしろあやつの甲斐性とすら思うて居る」
それを聞いた和香様、雨子様の目の奥を覗き込みながら問う。
「雨子ちゃん、それってほんまのほんま?」
そうやって真剣に見つめられた雨子様は、挙げ句僅かに目を逸らしてしまう。
「済まぬ和香、じゃが半分くらいは本当のことじゃ。じゃがな」
そう言うと雨子様は少し離れた和香様との距離を詰める。
「我自身も嫌じゃし、小和香はどうするのじゃ?間違い無くあやつは泣くぞ、おそらくは大泣きし居るぞ?」
そう言われた和香様は、口をへの字にしながら考え込む。
「まあ、確かに言われたら多分そうなるやろうな?」
「であろ?それだけで無く神族の間での衝撃が大きすぎるぞ?」
「でも雨子ちゃんはええのん?」
そう和香様に問われた雨子様は、彼女の手を取ると言う。
「我はの、其方には、和香には今のままで居って欲しい。思うに我も悋気を起こすこともあるやも知れん。いや、必ずあるであろう。しかしの和香、我はもうこの先当分神化は出来ん。祐二が神となれた暁にはまた別かもしれんが、ここ当分は」
そう言うと雨子様は更に力強く和香様の手を握る。
「そんな我にとって何の外連も無く思いを吐き出し、しがみつけるのは其方しかおらんのじゃ」
そう言う雨子様に、少し口を尖らせた和香様が言う。
「それこそ、そんなん祐二君が居るやん?」
そう言う和香様に雨子様は少し目を大きくしながら話す。
「祐二と話せる事柄と、其方と話せる事柄は違うのじゃ」
「やっぱりそうなんや、そうなんやな」
「何じゃ和香もちゃんと分かって居ったのでは無いか?」
「うん、分かっているような気はしててん。でもそれが確信にならへんかってん。けど今納得したは。納得はしたんやけど、ほんま祐二君があないに良い子や無かったら、そして唐揚げがあんなに美味しゅうなかったら…」
「和香は一体何を言うて居るのじゃ?」
呆れた表情で言う雨子様。
「そんなん言うけどな、元々の人化の意図とは異なるとは言え、あれを食べたらまたって、思うてしまうのは仕方あらへんで?」
「まあ確かにの」
「そしたらますます人の身で有ることを楽しんでしまうし、楽しもうとも思うてしまう」
「うむ、それはまったくじゃの」
「そう言うのを繰り返していくうちに、段々と色々なものが柵となったり、思いとして染みついてきたり、様々な形で外側からうちらを変えていく…」
そう言うと和香様は暫しの間、雨子様のことを見つめた。
「なあ、雨子ちゃん、うちらはこのまま変化していってええのやろか?」
「むぅ…」
和香様に言われたことを反芻して考え続け、何とか答えを見つけようとする雨子様。
けれども雨子様をして、簡単に答えを出せるようなものでは無かったようだ。
暫くの沈黙の後、ゆっくりとした口調で話し始めるのだった。
「おそらくは、この我こそがその急先鋒なのだと思う。だからこそもっともその答えに近いものであるはずなのじゃが、済まぬの、我にも未だ答えは出せぬよ。ただこの先手探りで行くしか無い」
和香様がそんな雨子様に笑いかける。
「雨子ちゃんにしては珍しいな、そこまで答えが出せへんのは…」
「実際我も驚いて居る。だがの和香、今まで色々なことを経験していればこそなのだが、流転こそ世の本質。例え神で有る我らも実は変わらぬのではと思うのよ」
その言葉にうんうんと頷く和香様。
「まあ確かにそうやね、うちらかて元々はと言うか、今も世の一部でしかあらへんとも言える。余りにも変化を恐れるのは、ええことでは無いのかも知れへんな」
「うむ、暫しは良かれと思うことに動いてみようぞ」
「そうやなあ、そうしたら今少しの間、神化するのは止めておこうかなあ?」
「むぐぐぐぐ」
なにか言いかける雨子様なのだが、そこで深呼吸を一つする。
「まあ良い、そう思う心の甘美さを我も要に知って居るから、少しはその思い和香にもお相伴させてやるわ」
「ええ?なんやのんその言い方?少し上から目線過ぎなんとちゃう?」
「その様に言うのなら神化せよ」
「嫌や、もうせえへんと決めたんや」
「何じゃと?」
「べ~~~」
あろうことか片目に指を当てて、あかんべーをする和香様。そしてそれを見て地団駄を踏む雨子様。
そこに祐二が声を掛けてくる、いつの間にそんな近くにまでやって来たのやら?大いに焦る二柱。
「あの~~そろそろお昼にしませんか?」
当たり前のことなのであるが、全く何も無かったかのようにそう祐二は言う。
その言葉を耳にした二柱は、互いに相手に体重を預けると、大きな吐息を吐くのだった。
「本当に御二柱は仲の良い神様なのでありますね」
事情を知らぬ次郎がそう言うのだが、彼は大いに二柱から睨まれるのだった。
遅くなりました




