いらっしゃい幽霊さん
お待たせしました
すっかり日も落ちた頃、何とか令子さんはその涙の溢れるのを止めることが出来た様だ。
「もう良いか?」
雨子様が意識して出来るだけ優しい声音で話しかけている。
「はい…」
そう答える令子さんはまだともすれば涙が零れそうだったが、それでも必死になって堪えている、そんな風に見えていた。
「ともあれ我らも家に帰らねばならぬのでの」
そう言う雨子様に令子さんは急に情けなさそうな顔になる。
「あの、私はここに一人で取り残されるのですか?」
おそらくは自身の幽霊と言う身の上を考えてのことなんだろうと思う。
その言葉を聞いて僕と雨子様は顔を見合わせた。
「置いて行かれるんですか?」
僕がそう聞くと、雨子様は不思議そうな顔をして問い返してくる。
「置いていくのかえ?」
僕は縋る様な目をしている令子さんのことを見ると、頭を掻きながら言った。
「まさか…」
そんな僕の台詞を聞いた雨子様もまた苦笑しながら言う。
「じゃな、あんな目をしている者を置いては行けぬよの」
そう言うと雨子様は立ち上がり、令子さんに向かって声を上げた。
「一緒に連れ帰るが故、ちゃんと挨拶するのじゃぞ?」
その言葉を聞いて余程嬉しかったのか物凄く良い返事が返ってきた。
「はい!」
その元気な答えを聞きながら、僕もまた尻を払いながら立ち上がった。
「ところで…」
そう言いながら雨子様が僕に問いかけてきた。
「こやつを可視化するか否かなのじゃが…」
今一意味が良く分からなかった僕は素直に聞き返した。
「それってどう言う意味なんですか?」
雨子様と僕は並んで先に立ち、少し遅れて令子さんが着いて行く。その様を確認しながら雨子様が答えた。
「今あやつは我らだけに見えて居るのじゃが、家族の他の者にも見える様にするか否かという事なのじゃ。もっとも節子は何もせずとも見えそうな気がするのじゃが、拓也は間違い無く見えないじゃろう。相手が幽霊で有ることを考えると、どちらでも良さそうな気はするのじゃが…」
それに対して僕は自分の考えを述べた。
「僕はやっぱり可視化した方が良い様に思えますね。他の幽霊がどんなものか僕には分かりませんが、今の令子さんを見ているとそれは拙いって思います。家族のプライバシーの問題もあれば、皆の精神衛生上の問題もあるだろうし…」
そう言う僕のことを、少しの間じっと見ていた雨子様は頷く様にすると言った。
「成るほどの、確かにそうじゃの。令子が居る前で拓也が風呂に入ろうでもしようものなら…」
そう言うと雨子様は腹を抱えておかしそうに笑う。
「ともあれ何かやるにしても一つずつじゃ」
そんなことを言いながら僕達は家に行き着いた。神社と家はそれくらい間近に在るのだった。
僕達が玄関の扉を潜り中に入っていくと、令子さんの姿が見えなくなった。
どうしたのかと思って戻ると、扉の前でしゃがみ込んで小さくなっている。
「どうしたんです令子さん?」
すると令子さんは、小さく丸まったまま顔を手で隠しながら言う。
「確かに私、雨子さんに身ぎれいにはして貰いましたけど、でもでも、幽霊なんですよね?人様のお宅に伺っても良いのかなって思うと…」
その話を聞いて僕は、この人、って言うか幽霊が、本質的に良い存在なのだなと思った。そして僕の後ろからひょっこりと顔を覗かせた雨子様も言う。
「何をやって居るのじゃ令子?さっさと来るが良い。まず節子に紹介せねばならんのじゃ」
そう言われてふっと顔を上げて僕に聞いてくる令子さん。
「あの、節子さんって?」
「僕の母です」
僕があっさりとそう返すと、令子さんの表情がまた歪む。
「お会いしても大丈夫なんでしょうか?」
令子さんは未だに幽霊として、他の人に合うことに強い抵抗を感じている様だった。
多分自分が同じ状況に置かれたらどう感じるかとか、そんなことを考えているのだろうな。
「母さんならきっと大丈夫ですよ」
僕はそう言いながら安心させる様に笑って見せた。
何せ今の令子さんには実体が無い。その手を引いて連れて行く訳にはいかないのだから、何としても納得させるしか無いのだ。
「本当に?」
尚も心配そうにするのだが、僕としては笑顔を見せてそれを信用して貰う他なかった。
雨子様がそんな僕を見ながら苦笑しつつ言う。
「本当に祐二は祐二じゃの」
一体何を言っているんだって思うのだけれども、それはともかくとして、令子さんは無事僕達の後を着いて家の中に入ってきた。
折良く、或いは折悪しく?母さんがエプロンで手を拭きながら出て来た。
「お帰りなさい、随分遅かったのね?なんだか大変だったみたいだけれども身体は大丈夫なの?」
そこまで言ったところで母さんが大きく目を見開いた。
「祐ちゃん、そちらはどなた?」
それを見た雨子様はうんうんと頷きながら言う。
「思った通り節子にはやはり見えてしまうのじゃな?」
「って、雨子ちゃん?」
そんなことを言いながら僕達全員に目を走らす母さん。
「すまぬの節子、行きがかり上連れ帰ってしもうたのじゃが、こちらは令子と言う」
「令子さん?」
母さんは話の流れ上まだ何か合点がいかない様だった。
ここに来て雨子様がようやく爆弾発言。
「この令子は幽霊なのじゃ」
さすがの母さんも一瞬大きく口を開けたかと思うと、何も言えず口をぱくぱくさせるばかりだった。
だがそんな母さんを見て、令子さんが物凄く申し訳なさそうな顔をしたのを見た途端、おそらく気持ちを切り替えたのだろう。
満面の笑みを浮かべつつ言う。
「いらっしゃい、幽霊さん」
思うに、ここで令子さんと言わずに、幽霊さんと言ったのはおそらく、例え幽霊であったとしても受け入れますよと言う意思表明なんだろうな。
そう言いつつ母さんは令子さんの所に歩み寄ると、その手を引いて部屋の中に引き入れようとした。
「あっ…」
当然のことながら手は擦り抜けてしまう。
「本当に幽霊さんなのね?」
そう言う母さんに令子さんが問う。
「あの、怖くは無いのですか?」
そう言う令子さんに母さんは破顔しながら言う。
「だってさ、ほら、うちには神様も居られることだし…」
そう言いながら母さんは雨子様の方を向く。そして雨子様を除く全員がうんうんと頷くのだった。
筆者も節子さん好きだなあ




