予後
大変遅くなりました
厠、つまりトイレから外に出た僕は大きく伸びをした。漠然とした感覚なのだけれども急速に体調の回復していくのを感じている。
身体を動かす度に、新たな筋肉の存在を感じる様に思うのは、その都度組織の中に熱い流体が潜り込み、押し開き、流れ去っていくという感覚が有るからこそだった。
これは一体?僕は考えを巡らせる。これこそもしかして回復による変化なんだろうか?等と考えていたら、そんな僕のことを目を細めて見ていた小和香様に、その意味を教えて貰うことが出来た。
「祐二さん、今感じて居られるのは、新たな気の通り道が開いていく感覚だと思いますよ?身動きされることでまず血の流れが良くなり、それに寄り添うような形で気の流れが出来上がっていく、今その真っ盛りなんだと思います。だから意識して体中の筋肉を動かすように…、あ、そうか…」
そう言いながら小和香様はぽんと手を打った。
「どうかされたのですか小和香様?」
僕がそう言うと小和香様は微かに頬を膨らませながら言う。
「祐二さん、あなたはいずれ陞神して私達の仲間内に入るんです。なのですからもうそろそろ私のことを様付けで呼ぶのはやめて下さいな」
「ええ?」
思わぬ事を小和香様に言われて二、三歩後退ってしまう。
それを見ていた榊さんが、口元に手を当てつつ笑いを抑えながらその場を離れていく。
ああと言う間もなく素早く消え去ってしまった榊さんのことを、少しばかり恨めしく思いながら、さてどうしたものかと思い悩んでしまう。
「それでどうなんですか?」
そう言いながら小和香様は手を後ろで組みつつ、身体を少し屈めて下から覗き込むようにしながら僕の顔を見てくる。
くはっ、可愛い、可愛いけど今は反則だ。そうで無くとも普段から可愛い(小和香様と和香様はそっくりさんなのだけれども、その仕草の違いからどうしてこうも受ける印象が異なるのだろう?)小和香様にこの動きをしてこられると、なんて言うかその、上手く思考出来なくなるじゃないか。
僕はおそらく顔を真っ赤にさせながら、必死になって考えを巡らせ、それなりの答えを絞り出そうとしているのだった。
「あの、その、小和香さん…?」
なんとかかんとかぎりぎりの妥協の上で。結局僕の口から生まれ出た言葉はさん付けだった。
だが当面それでも十分だったらしい。
目の前に居る小和香様は、両の手を胸の前で握りしめると一回うんと身体全体で頷き、その場で嬉しそうにぴょんぴょん跳びはねている。
とにかくこれだけ嬉しそうにして貰えるのなら、まあ良いか。僕はそんな事を思いながら小和香様に聞いた。
「あのう、小和香さ…ん。お友達との待ち合わせは大丈夫なのですか?」
僕にそう指摘されて、慌てて肩から掛けた小さなポシェットより、携帯を取り出す小和香様。そして急ぎ時間を確認してほっとした表情になる。
「まだ全然大丈夫です、でも榊さんにもよく注意されてしまうんです。私達神はどうも時間にずぼらなところがあるって…」
ちょっとしゅんとした感じになってそう言う小和香様。
そんな小和香様のことを見ながら慰めるように言う。
「それはある意味仕方無いですよ、本来神様方は普段の生活の中で細かい時間に縛られることが無いのですから…、その方がゆったりしていて僕は好感持てますけれども」
そう言う僕の言葉に苦笑しながら小和香様が言う。
「そんなことを言ってくれるのは祐二さんだけですよ?」
「え?そうなんですか?」
「そうなんです」
そう言うと小和香様は、微かに口を尖らせた。
「だって巫女友達の皆さんはいつも私のことをのんびりしすぎって言うんですよ?酷くありません?」
む~~、一体どのようなシチュエーションでそう言う言葉のやりとりになっているのか分からない以上は、何とも言いようが無いというのが本音である。
仕方無く僕は少し曖昧な笑みを顔に浮かべながら、さきほど気になっていた言葉を問うのだった
「ところで小和香さ…ん」
思わずいつもの口癖で様と言いかけて留まったのだが、にっこり笑みを浮かべた小和香様にくいっと睨まれてしまった。
「先ほどあ、そうか…とか言われていたように思うのですが、一体何を納得されていたのですか?」
唐突に暫く前の話に戻された小和香様は、少しの間首を傾げながら考え込んでいた。多分自分の発した言葉の内容を思い起こしているのだろう。
やがて思い出したのか、顔色をぱあっと明るくしながら言うのだった。
「そうそう、そうですよね。祐二さんの回復する様を端から見ていて思ったんですが、血流が回復することで気の開通が早まるのでしたら、いっそうちの神社自慢の温泉に入って行かれたらどうかなって思ったんです」
その言葉に僕も成るほどと思ってしまった。確かに血流を動かすことで気の流れる道を開いていくという事であれば、運動もさることながら、お風呂が効果的で有ることは言うまでも無いことだろう。
体中の筋肉を一々意識しながら、全て動かすようなことを考えていてうんざり仕掛けていた僕は、お風呂に入るだけでそのほとんどが自動に行われるのだと思うと、心密かに快哉を叫ぶのだった。
「それはとっても良いアドバイスだと思います」
僕の言葉に小和香様は嬉しそうに笑った。
「良かった…」
そう言うと小和香様は僕に向かってちょこんとお辞儀をするなり
「では私もそろそろ時間なので失礼しますね?」
と言ってその場から走り去っていくのだった。
後に残された僕はと言うと、体中に残るこのぞわぞわした感じを取り払うためにも、直ぐにでもこの神社の名物の温泉へと足を向けるのだった。
かつて知ったる他人の何とかで、ところどころで見掛ける小者達に無言のまま頭を下げられたりしながら、あっと言う間に温泉の在る建物までやって来ていた。
迷わす建物に入ると男性の脱衣所に入り、常に用意されている湯着に着替えるとまず洗い場に向かい、ささっと身体を綺麗にすると早速露天に向かう。
勿論内湯も立派な浴槽があるのだが、温泉と言えば露天風呂に入りたくなるのは僕だけは無いだろう。
もうすっかりと馴染んだ感のある温泉なのだけれども、来る度に少しずつ色々な物が足されていたりもする。
今回の目玉はどうやら寝心地の良さそうな長椅子だった。
温泉に入って温まり、十分にほぐされ逆上せ掛けたところで、その椅子に寝そべって涼を取る、そう言う趣向なんだと思う。
そしてそこには既に人、いや神様が一柱気持ち良さそうに寝そべっていた
真っ白な湯着に身体を包み、お湯に髪を濡らさないように高く整えた雨子様が、気持ちよさそうに目を瞑っている。
ちょっぴり悪戯心でそっと近づこうとするのだけれども、何かをする間もなく目を覚まされてしまった。
「ようやっと来たか、遅かったのでは無いか?」
その言いように僕は苦笑しつつ答える。
「遅いも何も、小和香様が気が付いて下さらなかったら、僕はここには来ていませんよ?」
すると雨子様は柳眉を上げた。
「何じゃと?確か爺様が帰り際に、身体を温めるのが非常に良いので、まず温泉に案内してやれと和香に何度も言って居ったのじゃぞ?」
その後僕は何を言うべきか言葉を失ってしまった。
だって下手に何か口走ってしまったら、それが即ち和香様に迷惑を掛けてしまうことになるかも知れないから。なんてことを思っていたら…。
風呂場に例の十二単の正装でありながら、その裾をからげて走り込んだ和香様がやって来た。
「わ~~~、ごめんしてや祐二君。急用が入ったとはいえすっかり忘れとったぁ~!」
その余りの姿に雨子様は天を仰ぎ、僕はその裾から見てはいけない物が見えそうなので急いで顔を覆った。
「今、社出際の小和香に聞いてん。あろうことか小和香が風呂を奨めたんやて?ほんまごめんやぁ~」
だが僕の思いはそんな和香様の言葉の上には無かった。絢爛豪華ないつ見ても美しい十二単の、その裾をからげて和香様は露天風呂の直ぐ側にまで来ているのだが、今にもそれが濡れた床に着きそうになっているように…見える?
見るに見れない状態故、そんなあやふやな状況なのだけれども、ともあれ僕は必死の思いで和香様に言葉を告げる。
「和香様、それは良いです、それは良いからとにもかくにも早くここから出て行って下さい」
すると和香様はもの凄く情けなさそうな声を上げる。
「そんなぁ~~、祐二君そんなこと言うほど怒っとるん?わぁ~~ん、かんべんしてぇやぁ」
何だかもう泣き出さんばかり、一体これはどうしたら良いのだろう?そんな事を思っていたら何やらポカリという音が和香様の方から聞こえてきた。
「馬鹿者、祐二が出て行けと言うのは、そなたがその高価な衣装を濡らして駄目にせぬようにと言う計らいからじゃ。とっととこの場から出て行くが良い!」
指の合間から見ると、雨子様が目を釣り上げて和香様を叱りつけているところだった。
ポカリという音は、どうやらその雨子様が和香様のおつむに拳骨を振り下ろした音らしい。
雨子様に一喝された和香様はその直後、丸で風を喰らったかのように瞬く間にその場から消えていなくなった。
「やれやれ全くあやつは本当に…」
そうやって大きな溜息をつきながら、その場を去って行った和香様の方へ向けられた雨子様の視線が、とっても優しく見えるのは何故なんだろうね?
僕は小さく笑いを漏らしながら雨子様に言う。
「本当に御二柱は仲が良いのですね?」
僕にそう言われた雨子様は、顔を赤くしながらもどこか嬉しそうに言うのだった。
「年長者を揶揄うのでは無い」
そう言うと雨子様はぷいっと顔を有らぬ方に向けるのだった。
僕はそんな雨子様のことを微笑ましく思いながら、ここに来てようやっと湯に身体を浸けることになった。
「ふぅ~~~」
体中に何かが一気に励起して甦るような感じがして自然そんな声が出てしまう。
するとそんな僕の直ぐ傍らに、ほとんど音もさせずに雨子様が滑り込んでくる。
「もう…爺様のようなことを言いながら湯に入るでない」
そんなことを言いつつ雨子様はすっと僕に引っ付くと僅かに身体の重みを伝えてきた。立場や年齢の事も有って、余り甘えるのが上手い方では無い雨子様、でもこれは明らかに甘えてくれているのだろうな?
そんな事を思うと僕は嬉しくなってしまった。
そしてその一方、体中の気血が脈打ち、流れ、染み渡っていくのを感じていた。
「どうじゃ祐二、温湯の効果は現れて居るかや?」
そう言いながら僕のことを覗き込む雨子様は、まだどこか心配そうな面持ちだった。
だからこそ僕は、その心配している雨子様の思いを吹き飛ばせることを願って、より元気そうに、うんうんと頷いてみせるのだった。
「今もの凄く実感していますよ。これならそう時間も掛からずに復調しそうです」
「そうかそうか…」
そう言う雨子様はまるで花を散らしているかのように笑みを零すのだった。
と、そこへすたたたと足音がしたかと思うと、ドップ~~ン!と派手な湯音をさせて直ぐ間近に和香様が飛び込んできた。
「おまたせ~~~?」
等と言いながら和香様は僕と雨子様のことを見るのだが、当の僕達は和香様が派手に上げた湯しぶきを頭から被ってびしょ濡れ。
しまったって言う顔を和香様がするも、もう時既に遅し。
キリキリと歯ぎしり音をさせながら、かんかんになって雨子様が怒っている。
「うわぁかぁ~~~!」
そう低い声で言いながらじりじりと和香様の方へ向かっていく雨子様。
その雨子様の表情を見てガタガタと怯えるように身体を震わせる和香様。
後はもう逃げる和香様に追う雨子様。その二人のどたばたを見ながら、僕は一体何を見ているんだろうと自問自答しながら、身体の回復に努めるのだけれども、さて一体どうしたものか…。
暫く経って全てが落ち着いた頃には、二柱の神様が仰向けになって湯に浮かんでいることになったのだけれども、これは誰にも話せないなあ…。
因みに筆者もお風呂というか温泉好きです^^




