月明かりの元
遅くなったと思って居たら、メンテのお陰で更に遅くなりました(^^ゞ
さて皆が食事を終え、葉子ねえは美代と小雨を連れて寝かしつけに行き、残った僕達は食後のお茶をのんびり飲んでいた、はずだった。
母さんの目配せに気がついてふと雨子様の方を見ると、テーブルの上に突っ伏して眠って居る。なんだかんだ言ってもやはり結構疲れていたのに違いない。
こんなところで寝かせたままにする訳にも行かず、僕はそっとその肩を揺さぶった。
「む、祐二かや…、済まぬの、うっかり気を抜いたら思った以上に疲れて居ったみたいで、再び気を込めようとしても受け付けぬのじゃ。そのせいか、もうこうやって喋るのも億劫での…」
そう言うと雨子様はへなへなと頽れてしまいそうになる。
さすがに冗談ならともかく、実際に二階まで雨子様を抱えて上がるというのは無理なので、必死になって雨子様の目を覚まさしながら、その身を支えて二階へと向かった。
ようやっと部屋のベッドの所まで行き着くと、雨子様はそのまま崩れる様にしてその上に倒れ込んだ。
「…済まぬの祐二、今日はありがとうなのじゃ…」
そう言うと雨子様はすやすやと幸せそうな顔をして寝入るのだった。
雨子様の話からすると、身体への負荷がもう限界に成っていると言うことなのだろう。
僕はそっとその場を離れると自分の部屋へと戻った。
そしてその場ではたと思った、歯磨きさせてない!だがあの状況では多分無理なことだったろう。
いずれにしても、人の身を纏って居るとは言ってもあくまで雨子様は神様なんだし、それくらいのことは何とでもするだろう。
残念ながら未だ人の身である僕はそうはいかない。仕方無く今一度階下に降りて丁寧に歯を磨いてから部屋に戻った。
ベッドに身を横たえると、やはりそれなりに疲れていたのだろう。あっという間に睡魔が襲ってくる。
そして一体何時間くらい眠ったのだろう?ふと何とはなしに目を覚まして時計を見ると真夜中を少し回ったくらい?
まん丸のお月様が煌々と輝いて、丁度僕の顔の辺りに光が届いていた。
恐らくこの光のお陰で目を覚ましたのでは無いのかな?そんなことを思いながら窓から外を眺める。
完全なる白黒では無いのだけれども、限りなくモノトーンに近い世界がそこに在って独特の雰囲気を醸し出している。
寝付いたのが多分九時前くらいじゃないかと思うから、寝たとしても恐らく三時間ちょっと。これで起きてしまうのはいくら何でも無理があるので、もう一度目を瞑ろうとするのだが、なぜだか目が冴えてしまって上手く眠れない。
だからと言って本を読む気にもなれなかったり、音楽を聴こうという気にもなれなかった。
仕方が無いのでそっと階下へ降りて麦茶で喉を潤し、静かに庭に出て天を仰いだ。
静まりかえった街の空に光る月は、本当に孤高を感じる美しい光りで、心を穏やかに不思議な気持ちにさせてくれる。
そうやって落ち着いてくると、暫く前に少し考えていたことが自然と心の上層に浮かんでくる。
『自分が陞神した時に一体僕は何を得て何を失うのか?』
得る分には構わないのだけれども、失うとしたら何を失うのだろう?そうやって何かを失うかも知れないという思いは、それが何で有ると言うことが分からなくとも自然に心を不安にさせてしまう。
もしかするとこんな思いって、ただの杞憂でしか無いのかも知れない。
だがおかしなもので人間と言うのは、何かを失うかも知れないし、失わないかも知れないという状態の時、必ず失うことを前提に不安を感じてしまう。
この様に得体の知れない不安、雨子様に話したらもしかすると鼻で笑われてしまうかも知れない。
だが、適うなら、僕が不安に思っていると言うこと自体雨子様に知られたくない、そう思ってしまうのだった。
そう言ったとりとめも無いことを考えながら僕はゆっくりと歩き始める。
僕は自身の考えが上手くまとまらない時に良く散歩に出掛けている。歩いていると何とはなしに良い考えが浮かんでくることがあるのも事実だし、例え何の考えも浮かんでこなくても、気持ち的には幾分成りともすっきりする、そう言う効果があるからなのだった。
歩き出すとは言っても庭はそんなに広い訳では無いから、その先は直ぐに爺様の世界へと足を踏み入れてしまうこととなる。
今まで修行の為に何度もそこには入っているので、何のためらいも無く歩を進めたのだが、少し驚くことがあった。
普段この地はいつも塗りつぶしたかの様な青空が広がっているのだが、今日に限って言うと僕が庭で見ていたのと同じ月が中天にあるのだった。
それで見とれていると傍らから声がしたのではっとして振り返ると、そこには爺様が居た。
「たまにはこう言った空もええかと思っての…」
そう言うと爺様は目を細めながらじっと空にある月を眺め続けている。
「それでこんな時間に一体どうしたというのじゃ?」
爺様は月から視線を外すこと無く僕にそう聞いてきた。
どうやら爺様には、僕が何かを悩んでいることなどお見通しらしい。
「未だ出来るかどうかは分かりませんが、何時か陞神出来る時が来るとして、その時に僕は何を得て、何を失うのかなと…」
僕がそう言うと爺様は破顔した。
「いやまた気が早い話じゃな?」
しかし僕が真剣な顔つきのままでいるのを見た爺様は口調を改めた。
「しかしまた何でその様なことを思う様になったのじゃ?」
そこで僕は雨子様が今、人の身を得たことを如何に大事にしているかという事を話し、そうやって得るものが有るのなら失うものも有るのでは無いかと、気にし始めているのだと話した。
「何と、お前は本当に苦労性じゃの?」
爺様は呆れた様にそう言うと笑った。
「だって爺様、僕は言ってもたかだか人間の、しかも成人にも成らない小僧ですよ?何をするのでも分からないことだらけなのに、神様になるなんて、誰も経験したことの無いことなんですよ?」
そう言うと期せずして自然と口元が尖ってしまっているのを感じた。
すると爺様は束の間考えを巡らせた後、うんうんと頷きながら話し始めた。
「確かに言われてみたらそうじゃの。お前にとっては何を得るにしても、何を無くするにしても、その大本になる部分と比較すればとんでもなく大変なことと捉えても全くおかしくは無いの」
そう言う爺様の言葉に僕は情けなさそうな表情をしながら聞き入っていた。
「じゃがな、儂はお前のその心配は、やっぱり杞憂じゃと思うのじゃがな?」
「それはまたどうしてですか?」
「儂にはな、今のこんな時期からその様に思い悩む様なことが出来る奴が、何かを失うにあたってそうそう簡単に手放したりするとは思えぬのよ。それに儂はな、お前のその適応能力の広さを知って居るつもりじゃ」
僕は思いも掛けぬ爺様の言葉に驚いた。
「爺様の様な存在に褒められる程の適応力を僕が持っているんでしょうか?」
すると爺様は僕のことを見ながら本当におかしそうに笑うのだった。
「元よりこの世界のどこに、気軽に神とつきあい始めて、更には将来嫁にしようかという者が居る?それだけでも十分誇って良い物だと思うぞ?」
そこまで言うと爺様は優しく僕の肩をぽんぽんと叩いてくれた。
「それにの、陞神するか否かは別として、既に雨子の夫となることは確定して居ろう?」
その言葉を聞いて僕はほんの少しだけ溜息を漏らした。本当に確定してしまっているのかななんて思いながら。
だが爺様にとっては今の僕のそんな不確定な思いも既に織り込み済みの様だった。
「そして雨子は我が娘の同然の存在。そんな雨子が望むお前の事じゃ、何か困ったことがあればちゃんと手助けしてやるから、余り気に病むのでは無いのじゃ」
かつて初めて会った頃には、この様に人間寄りの考えなどされる存在では無かったので、少し不思議に思いながら見ていると、爺様にはそのことが分かったらしい。
「儂もの、あれからそなた達人間のことを色々と学んだのじゃ」
そう言うと爺様は大いに苦笑いするのだった。
「まあ学んだとは言っても、今の雨子には到底適わぬがな?」
そう言うと爺様は僕のことをさも面白そうに眺める。
「それもこれもお前という存在が雨子をそうならしめておる。この先どのように変化していき居るか楽しみでもあるの」
そう言うと爺様は呵々と笑った。
ただ僕としてはその爺様の笑いを聞いているだけでも随分気が晴れる様に感じていた。
別にだからと言って全ての問題が綺麗さっぱりと解決している訳では無い。しかしそれでもそんなに深刻にならなくても良いのかと思えるくらいには、十分に気持ちが軽くなって居るのだった。
「少しは気が晴れたか?」
気を遣ってくれているのか、爺様がそう聞いてくれる。
「はい、お陰様で…」
「うむ、お前のその細やかさが色々と雨子の救いにも成って居るのじゃ。良く助けてやってくれ…」
そんな風に行ってくれる爺様に対して、僕は丁寧に頭を下げることによって答えとするのだった。
お話を書くために必要となってたまに読み返すのですが、あれは一体どこだっけ?
と言うことが増えてきて大変(^^ゞ




