無尽
遅くなりました。
さて、雨子様の後ろに付き従いながら、恐る恐ると言った感で僕はその蚪龍とやらの側に行った。
向こうは向こうで僕達がその姿を認識していることに気が付いているようで、青鈍色した蜷局の中から鎌首を持ち上げて、こちらの動きに注視している。
そんな相手に雨子様は何の警戒心も持たずに、気軽にすたすたと歩み寄っていく。
そして一言声を掛ける。
「名乗るが良い」
どうやらその一声で相手には格の違いが分かったようだ。
静かに鎌首を下げ、礼をするとちゃんと喋った!
「某は無尽というつまらぬ龍でございます。そちらは漏れ出る神気を拝見するに、何処かの神様と思われますが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
その龍の対応を見た雨子様は、自らもそれに即した態度を取ることに決めた。
「我は天露の…」
そこまで言ったところで雨子様の言葉は龍の言葉に遮られた。
「もしやもしもし、雨子様でございますか?」
名乗り切る前に急に名を呼ばれた雨子様は、驚いた顔をしてその龍を見つめていた。
「なんじゃお前は我のことを知って居るのかや?」
するとその龍は嬉しそうに?多分そう思ったのだけれども、実際、龍の表情はその顔からは読み取れない。あくまでその声の調子から思ったことなのだった。
「はい!雨子様、もう随分前のことになりますが、雨子様が雨を降らす呪を唱えられた時に、龍の一族郎党うち揃った中に居りました、当時はまだ半なりの龍で名前も無き者でございました」
「おおっ!確か百五十年ほど昔のことじゃな?」
「はい、その時の功を以て半成りから一人前の龍となり、名を得ることが出来たのですが…」
そこまで言うと龍は何やら、もにゅもにゅと身動きをし始めた。
「いかがした?」
その妙な動きに雨子様は首を傾げながら龍に問う。
すると龍は更にそのもにゅもにゅとした動きを速くしながら言う。
「申し訳ありません、恥ずかしいというか、いたたまれなくなって身じろぎ致しております」
おやおや、龍というのは恥ずかしがるとあのように動く物なのか?僕は思わず感心しながらそのことを記憶の中に残した。
一体何をその様に恥ずかしがっているのか分からずに、不思議そうな顔をしながら雨子様は何故にと問うのだった。
「お前は一体何をそのように恥ずかしがって居ると言うのじゃ?」
すると龍は頭を地面に擦り付けるようにして平伏しながら言った。
「それは付けられた名前のせいでございます」
「なんと!しかし無尽とは良き名前ではないか?」
雨子様にそう言われたことが余程嬉しかったのか、龍は尻尾を地面に何度もたんたんと叩き付けていた。
「真でございますか?真でございますか?」
だが元気が良かったのはそこまでだった。勢いよく地面を叩いていた尻尾が元気なく垂れ下がる。
「けども名前ばかり良くともこの見てくれでは…」
そう言うと表情としては分からなくても、何となく見るからにしょぼくれているのが感じられる。
その消沈ぶりが雨子様には気の毒に思われたのだろう、優しく龍に問いかけてやるのだった。
「そのように言うには何か訳があるのじゃな?聞いてやるから話してみるが良い」
そう言う雨子様の言葉に、龍は嬉しそうに首をもたげ、話し始めるのだった。
「功なりて半成りかられっきとした龍となり…と言っても未だ蚪龍と言ったざまでありますが…それでも暫しの間は人々の信仰を受け、力を蓄え成長しつつあったのです。けれども今は参る人とて無く、かつて得た力も次第に失い、このまま行けばまた半成りに戻ろうかというところなのでございます」
そうやって無尽と名乗る蚪龍の話を聞いてやっていた雨子様は、何とも悲しそうな顔をする。
無理もない、自らも全く同じような状態に置かれ、あと僅かで儚くなってしまうところまで行っていたのだから。
その悲しそうな表情のまま雨子様は僕に視線を送ってくるのだけれども、これは一体何?
そんな事を思いながら僕が目顔で問うていると、雨子様が渋々思いを言葉にしてきた。
「そのな、祐二よ…こやつを、その…」
雨子様には珍しくなんだか奥歯に物の挟まったかのような言いように、僕は思わず苦笑してしまった。
「それで雨子さん、一体何が言いたいんですか?僕はあんまりその…腹芸って言うやつが苦手で…」
「腹芸とは何と言うことを言い居るのじゃ…いずれ我が夫になるのであればもうちっと察することもしてくれぬかの?」
そんなことを小さな声でもごもご言っているのだが、果たしてこれは僕に聞かせたいと思っている言葉なんだろうか?
「いくら仲が良くたって、察しろの一言で済ますには限度があります。ちゃんと聞きますからちゃんと話してくれません?」
僕がそう言うと、雨子様は思いを決めたのか考えて居たことを話してくれた。
「あのな祐二、出来ればこやつを連れ帰ってやろうと思うのじゃ」
そう言うと雨子様は僕の目を通じて、その心の奥に有る思いを伺おうとしている。
はて、なんで雨子様はそんなに慎重な物言いをしているんだろう?不思議に思いながら僕は自分の考えを口にした。
「良いんじゃないですか?困っている時はお互い様です。それでその龍が何らかの形で救われるのでしょう?」
「う、うむ。そうなのじゃが、居候の我が更に居候を引き連れて帰るのはなんじゃか気が引けての?」
そう不安そうに言う雨子様に、僕は安心出来るように笑みを浮かべながら言った。
「雨子さん、多分母さんはそれくらいでは何にも言わないと思いますよ。言うとしたら…それは良いことをしたわね?位かな?」
僕のその言葉を聞きながら雨子様は母さんのことを思い起こしていたらしい。
「成るほどの、節子なら言いそうなことじゃの」
「ええ、だから心配いらないと思いますよ?」
僕のその言葉を聞いた雨子様は、ほっと表情を和らげると龍に向かって喋り始めた。
「無尽よ、そなたさえ良ければ我とともに行くかの?さすれば一時には無理でも少しずつにでも精を分けてやることも適うと思うがいかがする?」
そう言われた無尽は実に嬉しそうに激しく頷いて見せている。
そんな無尽に雨子様が少し言葉固く言い聞かせる。
「ついてはそなたに一つ約束して貰いたきことがある」
「なんでございますでしょう?」
真摯な言葉でそう雨子様に問う無尽。
「実は我は今人の身で有って、こやつの家に…」
そう言いながら雨子様は僕の腕を捉え、自らの横に並び立たせた。
「居候して居る身の上じゃ。ゆくゆくは家人に成る予定ではあるが、その居候が更に居候を拾ってくる訳じゃ?くれぐれも大人しくし、家の者に害なすことはまかり成らんぞ?」
それを聞いた無尽は僕に対してもしっかりと頭を下げ、その上で雨子様にその約束を守ることを確約するのだった。
その言葉を聞いて安心した雨子様は、自らそっとその龍に手を差し伸べると、龍はするすると腕に巻き上がり、くるりと輪を描いたかと思うと、青銅の腕輪へと身を転じた。
「うわ!そんなことが出来るんだ!」
と僕が驚いていると、雨子様が何食わぬ顔で説明してくれた。
「こやつらのような長虫どもは、神に付き従う時この様に輪になって装飾品と化することが多いのじゃ。青龍や黄龍のような大物達でも神に付き従う時は同様に輪になり居る。もっとも神の側にもそれなりの威が無いことにはとてもじゃないが、携帯することも出来ないがの」
そうやって僕達は新たな同行者を加えて、とんでもない傾斜の舗装された道路を、行きに来た神社目掛けて歩を進めるのだった。
そして歩きながら僕は、新たに雨子様の腕に填まったその装飾品を眺め見るのだったが、一見して当たり前の腕輪と何ら変わりは無い。けれども時折その目の部分がきょろきょろと動くので、それがただものではないことが理解されるのだった。
干ばつについて色々と調べてみると。かつて有った色々な飢饉のそのほとんどが冷夏によって引き起こされた物であることに気が付きました。これはちょっとびっくり!昔から飢饉というと、水がなくなった田にひょろんと実る穂もなく生えている稲の姿が、イメージに有った物ですから…全く違うじゃん!




