夜話二
お互いに少しずつ歩み寄る二人であります
「ところで祐二よ、そなたのところに参ったそもそもの話になるのじゃが、一体何が目的で和香の所に行ったのじゃ?」
そう訊く雨子様はごく普通の表情で、今は特に怒っている訳でも何でも無かった。
「やはり聞きますか?」
僕がそう言うと雨子様は少し寂しそうな顔をする。
「その…祐二がその、聞かれて嫌な思いをするのであれば、我慢することを考えぬ訳でも無い」
なんだかとても今の雨子様らしいと言うか、苦しげな物言いだった。
僕は大きく息を吐くと、決心を固めた。
「別に僕自身が嫌な思いをするとか、そう言うのは無いのです。むしろ僕が心配しているのは雨子さんが嫌な思いをされないかなって思うだけのことで」
僕がそう言うと雨子様は少し不思議そうな顔をした。
「それは祐二が我のことを気遣う為に、秘密裏に和香の所に行ったと言うことなのかや?」
「まあ、そう言うことですね」
すると雨子様は嬉しそうな顔になった。
「もしかすると我は、我自身が思う以上にそなたに大事にされて居るのかもしれぬの」
「……」
雨子様のその言葉に、僕は何も返すこと無くただ頭を掻くばかりだった。
「で有ればまず我がやらねばならぬことはもう決まって居るの」
そう言うと雨子様は椅子に座ったままではあるが居住まいを正し、ゆっくりと僕に向かって頭を下げた。
「すまぬ祐二、迷惑を掛けた」
「いや、何と言うか、全然迷惑とかじゃ無いですから気にしないで下さい」
またも雨子様は少し不思議そうな顔をした。
思うにおそらく雨子様の感覚と、人間の感覚の間には微妙なところで色々と齟齬が有るのだろう。
「むぅ…」
何やら一人唸りながら考え倦ねている風の雨子様。
「どうかされました?」
「何と言うかその、我にはまだまだそなた達人間の細かい心の機微が分からぬ。だからどう言えば良いのかの?思うままに語るのが怖くもある」
神様が人間に対して言葉を述べるのに怖いと思うなんて不思議な話だ。けれどもそれだけ相手のことを思っていると言うので有れば話は別になってくる。
だから此所は僕の方から歩み寄ることにした。
「雨子さん、もう変に遠慮し合うよりも、きちんと言葉にし合って思いを形にした方が良いのではないですか?」
「そうなのかえ?」
僕は笑いながら言った。
「少なくとも今はそうあるべきだと思いますよ?」
僕がそう言うと雨子様は小さくふっと息を吐いた。
「ではやはり聞いても良いか?」
雨子様は僕の表情を見て安心するかのようにそう言った。
「ええ、ではお話ししますね」
僕はそう言うと雨子様の目を見つめた。
僕の見つめた雨子様の瞳は、深い深い英知を湛え、目の前にある何もかも全てを見通すかのように僕の目と心を見据えるのだった。
「僕がその、和香様のところに行ったのは、和香様に知恵を拝借したかったからなんです」
すると雨子様はただ不思議そうな顔をしながら僕に聞く。
「祐二よ、そなたは我が思兼神で有ることも知って居るよの?」
「はい」
「もっともそうは言っても全てを知るにはほど遠く、爺様に比べると月とすっぽんのような物であるが、それでも仮にも知恵の神とも言われる我をさておいて、何故和香なのじゃ?」
その問いに僕は努めて平静に答えた。
「それは雨子さんが僕にとって当事者で有るからなんです」
「当事者?」
「そうです、雨子さんは僕にとって彼女ですよね?」
「うむむむ、確かにそうじゃ」
そう言いながら雨子様は顔を赤くしつつも何とか踏みこたえ、そのまま僕が語を継ぐのを待っていた。
「僕は、なんて言うのかな、雨子さんに相応しい存在になりたかったし、僕自身に神に成るために足るだけの存在意義を与えたかったのです」
「存在意義とな?祐二は我という神に選ばれたと言うことだけでは不足と言うのかえ?」
雨子様はそう大真面目に言うのだった。
「勿論こうやって雨子様に選んで貰えたって言うのは嬉しいですよ?でも、僕もまた雨子さんのことを選んだんですよね?」
そう言うと雨子様は少しの間何事かを考え、ゆっくりと頷いて見せた。
「確かにの、我もまたそなたに選ばれたと言えるの。それは真に嬉しいことじゃった」
「そう考えていったら、僕は雨子さんという神様のただの添え物って言う訳じゃあないし、そうであってはいけないし、そう成りたくないと思う訳なんです」
「ふむ、ある意味矜持の問題でもあるの」
「ええ、ですから僕は和香様に、神様になった時に僕にも出来ることは無いかって聞きに行ったのです」
「その様なことを思って居ったのか?」
雨子様の僕を見る目がそこはかとなく嬉しそうに見えるのは気のせいなのだろうか?
「我の側に居って我を喜ばせてくれるだけでも十分であるのに、またどうしてその様な苦労をとも思わぬでも無いがの」
そんなことを言う雨子様に僕は言う。
「でもそんなひっつき虫な状態になった僕って、直ぐにつまらない存在になっちゃうと思いますよ?」
「何故にその様に思うのじゃ?」
「だってね雨子さん、僕という存在が居て、その中にそれこそ数え切れないほど色々な僕がいた方が、きっと楽しいだろうし、お互い飽きること無く生を共にしていけるのでは無いか?そんな風に思うのですよね?それに…」
僕はそう言うとこれまでに無く真剣に雨子様の目の奥を覗き込んだ。
「かつて雨子さんも一人に成ってしまったが故に、存在理由を失いかけて、消えそうになっていたのでは無いですか?」
そう言う僕のことを暫し見つめ、後に頷く雨子様。
「確かにの、言われてみればそうじゃの。我が無関心で有ったが故に、逆に誰からも関心を持たれず、お陰で精を得る手段も失われて我は消えかけた、確かにそうであったの」
そう言うと雨子様は少し恥ずかしそうに笑った。
「そなたはそう成らぬよう色々な形で人と結びつき、縁を繋げておこうというのじゃな?」
「まあ、凡そそれに近いかな?和香様には、人から陞神して神に成る存在なら、もっとも人に近い神と言うことなのだから、どの神様方よりも人のことを良く分かることが出来るだろうみたいなことを言われました」
「確かにそうじゃな。祐二ならば我ら神でしか無いものよりも遙かに良く人の思いを理解し、細やかに願いを受け取って叶えるであろうな」
「でもそれは雨子さんにも言えることなんですよ?」
「我にも?」
そう言う雨子様は驚いたように僕のことを見つめる。
「雨子さんは僕のために、他のどんな神様よりも人に近くあろうとして下さっている。だからあらゆる神様方の中でももっとも人の思いをよく理解しうる神様なんです。で有りながら、神様で有るが故に神様のことをよく知っている」
「成るほどの。そうやって二人合わせて双方の種族の橋渡しになり得る訳なのじゃな?」
僕はそう言ってくれる雨子様のことが嬉しくて溜まらず、思わずその手を握りしめてしまった。
「そうなんです、そうやって二人で協力しながら生きていけるとしたら、大変かも知れないけれども、きっときっと楽しいだろうな、そう思うんですよ」
「むふぅ」
雨子様はそう言うと静かに微笑んだ。
「本当にそなたら人間は面白いの。なんだかんだと普段は藻掻き苦しみながら生き居るが、時にひょっこりその様に新しい地平を我らに見せてくれる。神と人がその様な形で協力し合うなど、想像もせなんだわ。人は精を捧げ、神は幾ばくかの願いを叶える、ただそれだけの関係でしか無いと思うて居った。むぅ、良かろう。そうやって一歩前に進むのも良いかと思うぞ?」
そう言うと雨子様はおもむろに立ち上がり、僕のことをぎゅうっと抱きしめる。
「さすがは我の惚れた相手よの?ほれ、褒美じゃ」
そう言うと雨子様はつんと唇を前に突き出した。
「え?あの?そうやって僕から口付けしに行ったら、僕が雨子さんに褒美を与えているような…」
僕がそんなことを言っていると、雨子様の柳眉がひょいと持ち上がる。
「何をごちゃごちゃ言うて居る?早うせぬか?」
「うははぁい」
そうやって受けたご褒美のはずなのだけれども、なんだかどきどきばかりして訳の分からないうちに終えてしまった。果たして本当にご褒美になっていたんだろうか?
こんなご褒美なら欲しいなあw




