「爺様の思い」
近々台風が来るって?やだなあ
雨子様ならぺぃって出来るんだろうか?
まさかそんな事になるとは、当人も全く考えていなかったようなのだが、翌日の朝から毎朝爺様が祐二の所にやって来た。
一体何をする為かというと、一重に祐二がいずれ神に成る為の修行をさせるのが目的なのだが、その為にはまず身体作りというか、それに類いしたことから始めないといけないらしかった。
その内容を祐二に話してもまだ分からないと考えたのか、雨子様が窓口となって色々な話を聞いている。
その雨子様から祐二に施した説明によると、祐二ら人間の身体は神様達の水準からすると、余りに統制が取れて居らず、気や精の流れがばらばらでどうしようも無いらしいのだった。
まずはそれをどうにかしなくてはならないと言うことで、祐二は一つの訓練を申しつけられたのだった。
もっとも訓練とは言っても今の段階は極めて単純なものだ。何故ならそれは木刀様のものを真っ直ぐ振り下ろす、ただそれだけのことでしか無かったからだ。
だがその見た目と、実際にやっていることの間には、難しさという面に於いて大きな乖離が会った。
木刀では無く木刀のような物と言うのには訳があって、木刀のような長さ、木刀のような重さは有るものの、長さが約七十センチ、幅が五センチ、厚みが二ミリくらいのヘロヘロの板のようなものを振らされている。
柄の部分だけはちゃんと握りやすいような構造になっているのだが、振りにくいことこの上も無く、ちょっとでも真っ直ぐに振れていないと簡単に横に曲がってしまい、扱いにくいことこの上も無い。
そうそう、金属製のメジャーを一メートルくらい伸ばして、それを木刀のように振ることを想像したら丁度良いかも知れない。
長さが長さなだけに庭で振らされているのだが、ゆっくり振れば良いと言われているのだけれども、そのゆっくりでもまともに振るのが難しい
すうっとなんとか振り下ろせたかなと思っても、風でも少し吹こうものならあっと言う間にへにゃへにゃになってしまう。
本当にそんなこと出来るのだろうか、或いは意味があることなのかと祐二が問うたところ、爺様と顔を見合わせた雨子様が、貸せとばかりにその木刀もどきを手から受け取った。
「見ているが良い」
雨子様はそう言うとヒュンと言う小気味の良い音と共にその木刀もどきを振る。
そして全くへにゃる事無しに、色々な角度で鮮やかに振り続ける。
「最初の内は難しいかも知れぬが、まずはここに在るがままの力を信じて素直に振り下ろす事じゃ。それがある程度自在に熟すことが出来るようになったならば、その力に少しずつ自分の力を足すような感覚で振れば…」
そう言うと雨子様は初めて本気でその木刀もどきを振ってみせる。ビシュッという空気を切り裂くような音が微かに聞こえる。
「どうじゃ?ちゃんと振れるものじゃろう?」
そうやって試技を見せた後祐二に木刀もどきを返して寄越す雨子様、ちょっと自慢げなのを見た祐二が少しむっとした顔をしている。
勿論雨子様に腹を立てているわけでは無い、ただ自分の不甲斐なさに苛立っているのだった。
爺様はと言うと窓際のソファーに座って、にこにこしながらただ祐二の動きを見守っている。
そんな爺様に静かにお茶を勧める節子。
「これは奥方、いつもすまぬの」
そう言うと爺様は嬉しそうにそのお茶を啜る。
「あんな子がいつか神様になれたりするんでしょうか?」
そう心配そうに言う節子。どうにも親の目で見ていると幾つになっても頼りなく見えるらしい。
すると爺様は節子のその不安を埋めるかのように優しく言った。
「素質としては十分に有るかと思うぞ?ただな…」
「ただ?」
新たに不安を誘うような言い方に戸惑いながら節子は聞いた。
「あやつが神に陞神することについてはかなりの確度かと思うて居るので、儂も余り心配はしておらんのじゃ」
「では一体何を心配なさって居られるのでしょう?」
そう言う節子の表情はとても心細そうだった。
そんな彼女のことを労るような優しい声で話を続ける爺様。
「問題はな、あやつの優しさにあるのよ」
「優しさ?」
「うむ、儂が見立てるにあやつは本当に優しい。目の前で困っている者が居たら、助けずには居られぬ位に優しかろう?」
「確かにそんなところが有るかもしれません」
「それが人の身で有る時は良いのよ。人間という存在にとって出来ることは本当にたかが知れて居るからな。だが神とも成れば違う。工夫次第によっては、行う事柄によっては、出来ることはそれこそ無数に広がっていく。そんな存在にあやつがなったらどうなるか?儂の危惧も分かるというものじゃろ?」
「…」
節子は黙って静かに頷いた。人間としてそう言う優しい素晴らしい性格である息子のことを誇らしく思いつつも、その性格故に将来困ったことになるやもと言う不安。
だがその時その節子の手を優しくそっと握りしめる者が居た。
雨子様だった。
「節子、心配せずとも大丈夫じゃ。その様な時には我が居る。我を愛し助ける為に陞神してくれようとするあやつのためなら、我もまた全てをかけて支えよう」
そう言って力づけてくれる雨子様のことを見ながら節子が僅かに涙ぐむ。
普段底抜けに朗らかで、皆を励まし勇気づけてくれる。そんな存在が今、目の前で不安な思いを隠せないで居る。
その様を見て雨子様は知った、節子のこの不安は、自分のためでは無く愛する息子のことを思ったればのことなのだと。
もしかして彼女自身がこの世を去ってしまった、その遠い先に祐二が苦しむことになりはしないかと、そんな事を思って涙を浮かべているのだと。
雨子様はこの時になって初めて、親の愛とは一体どのようなものかと言うことを、その片鱗を知ったように思ったのだった。
神様だって決して情が無い訳では無い、けれども、定命の存在の者ならではの繊細さ、柔らかさで以て人を思うと言うことは、傍らで見ているだけではなかなかに分からない事なのだった。
そう思うと雨子様は、祐二への思いとはまた違った思いで、節子のことを愛おしく思ってしまうのだった。
そんな彼女らのことを見ていた爺様は、また別のことを考えていた。
今はまだ頼りなき存在で有るこの人間という種族の者達が、この先いずれもしかすると、和香様を筆頭とする神達に、新たな未来を切り開いてくれるのでは無いかと。
何故なら生きて存在している者がその先未来もまた存続し続け、更に発展していくためには必ず変化が必要であるから。
爺様の見るに今の神族にはその変化が欠けている。この変化を欠いたままでいるならば、神族がいくら強大な力を持っていようとも、いつか滅びの運命を辿るのは間違いの無いことだったから。
そう言う意味では爺様にとってこの神と人、つまりは雨子様と祐二の結びつきというのは、神族の未来への大きな希望ともなり得るものなのだった。
こうやって無事お届け出来ることに感謝です




