カオスその後
雨子様は段々とではありますが、人で有ることを楽しむようになって来た、のかも知れません。
結論から言うと七瀬家の混乱は何とかなった。いや、ぎりぎり何とかなったと言うべきか?
日が落ちて暗くなり始めた時点で一旦仕事を止め、七瀬も引き連れての帰宅。母に事情を話して食事の後、また七瀬の家に向かった。
おおざっぱではあるが何とか片付けきることが出来たのが、もう少しで日付が変わる頃のこと。
散らかした当の本人が真っ先に音を上げ、自分のベッドに突っ伏している。
最後に掃除機をかけ終えた僕が床にへばっていると、ドスッと背中に何かがのしかかってきた。
「のう祐二よ、人というのはかように辛きことをいつもやって居るのかえ?」
そう言うと雨子様ははぁっとため息をついた。
僕は背中に雨子様のぬくもりを感じながら苦笑しつつ答えた。
「まあいつもって言うわけではないのでしょうが、でも仕事となるといつもって言うこともあるのかなあ?」
「むう、するとそなたの父御は毎日出かけていってはかようなことをこなして居るのかの。何とも難儀な事じゃ、今度逢うた時には肩の一つも揉んでやるとしようかの」
僕は神様に肩を揉んでもらっている父親の姿を想像した。思うのだけれども、きっと恐縮してしまって揉んでもらうよりも余計に肩がこるのじゃあないだろうか?
「ともあれそろそろ帰りましょうか?」
「うむ、我も早う眠りたい。この体になってこれほど疲れたのは初めての事じゃ」
帰る旨七瀬に伝えていこうかと思ったのだが、突っ伏しているところに近づくとすやすやと寝息を立てている。
黙って雨子様の方へ向くとぼやくように言った。
「寝ています」
「くぅ…」
雨子様が文句の一も言うのかなと思っていたら、その元気もなさそうだ。
玄関に鍵をかけた後郵便受けから放り込むと、雨子様と連れだって帰途についた。
横に立って歩いているはずの雨子様が時々ぶつかってくる。
見ると目が半分閉じかけていて、ふらふらしているのだ。
「大丈夫ですか、雨子様?」
「ね、眠い。肉の体を持つというのはかような影響を受けると言うことなのかの…」
放っておくとふらふらとどこかに行ってしまいそうになるので、仕方なくその手を握った。
力なく僕の手を握り返した雨子様は糸に引きずられる風船のようにふらふらとついてくる。
「ただいまぁ」
無事家に帰り着いた僕たちのことを母が心配そうに待っていた。
「お帰りなさい、遅かったのね?」
「寝ててくれても良かったのに」
「そうは行かないわよ、雨子様は神様でも女の子なんだし。やっぱり心配になる物よ?」
そういう母に雨子様を引き渡すと、母は手を引きながら奥へと向かっていく。
「先に雨子様をお風呂に入れるから少し待っててね」
「いやもうお風呂は良い、このまま寝るよ」
すると母は顔を顰めながら言った。
「お願いだからお風呂には入ってね、汗臭くて大変よ?」
自分では気がつかなかったのだけれども、かなり臭うらしい。そりゃああれだけ頑張って汗をかけば臭いもするよなあ。
「雨子様、ばんざいして」
脱衣所に雨子様を連れ込んだ母が服を脱がせているらしい。母にかかったら神様も形無しだなあ。僕はかつて母に風呂に入れられていた頃のことを追い出しながら苦笑した。
部屋に戻った僕はそのままベッドに上がるわけにも行かず、仕方なく椅子に腰掛けたまま携帯プレイヤーで音楽を聴いていた。
ふと気がつくと誰かが体を揺すっている。
「祐二、祐二…」
見るとパジャマに着替えた雨子様が僕の体を揺らしていた。
「済まぬの、祐二が一番働いて疲れて居ったであろうに、我が先に湯を使ってしまって。早う湯に入ってくるが良い、そして早う寝よ」
「はい、そうします…」
そう言いながらのろのろと動き始めた僕を尻目に、雨子様はいつの間にか敷かれていた布団の中へと潜り込んでいく。
そして僕が部屋を出ることには既に寝息を立てていた。
翌朝目を覚ましてみると、雨子様は未だ眠っていた、せっかくの土曜日と言うこともあり、起こすのも気の毒に思ったからそっと傍らを通り抜け、階下に向かおうとした。
「むぅ、我も行く…」
なにやらムニャムニャ言いながらそう言うのだけれども、寝てて良いのに本当に起きるのかな?
「雨子様、寝てても良いのですよ?今日は土曜日なんだし」
雨子様はというと、布団の中でごろごろ転がりながら身悶えている。
「眠い眠い眠い、じゃがこう空腹では寝ておられんのじゃ」
昨日あれだけ活動したことが、今になって効いてきたようだ。
「祐二よ、そなたはそうではないのかえ?」
抱えた布団の合間から顔を出した雨子様は、何とも悔しそうな表情でそう問うてきた。
「んー、確かに眠いしお腹が空いているしで悩むところだけれど、せっかくのお休みの日に寝て過ごすのはもったいないかなって思って」
「もったいない?」
雨子様はきょとんとした表情で聞き返してきた。
「ええ、もったいないです」
「つかぬ事を聞くが何がもったいないというのじゃ?」
「だってせっかくのお休みの日、特に何かしなくてはならないこともないし、自分の好きなことに時間を使えるのだとしたら、何もしないで眠っているのってもったいないじゃないですか?」
「ほう、なるほどの」
何事かに感心している雨子様はむっくりと起き上がると布団を片付け始めた。
「悠久を生きることになれると、時という物の大切さに無頓着になってしまうようじゃの。もっともそうは言うてもついこの間危うく終焉を迎えるところじゃったが…」
「とにかく僕は先に行って顔を洗ってきます、雨子様はその間に着替えてきて下さいね」
「むぅ、分かった、先に着替えるとするかの」
「って、雨子様!僕が居る内にパジャマ脱がないで下さいったら!」
慌てて部屋から出ようとする僕に雨子様はにっと笑って見せながら言った。
「祐二も男の子であったか…」
全くもってひどい神様である。からかうにしたってからかいようがあるだろうに。
なんだかんだで支度を済ませ、キッチンに向かうとちょうど朝食の準備が整ったところだった。
「なんだか起きてそうそう賑やかにしていたけれど、何かあったの?」
とは母。要は僕が雨子様にからかわれたって事なんだけれど、内容を自分の口で言うのはどうも憚られる。
「別に何でも無いよ」
そこへ雨子様。
「うむ、母御よ、別に大したことは無い。ただ祐二が男の子だなとゆうて居っただけの事よ」
「?」
母の視線がじろりとこちらを睨む、全くとんでもない濡れ衣だ。
「僕のせいじゃないよ、僕が部屋を出ようとしているのに、それよりも先に雨子様がパジャマを脱ごうとするんだからどうしようもないだろ?」
僕がそう言うと母がぷっと吹き出していた。
「…そうなんですか、雨子様?」
「むぅ、確かに祐二の言う通りじゃ。空腹に耐えかねた我が急ぎ服を着替えようとしただけのこと。祐二の目が大きく見開かれたのは内緒の話じゃ」
「雨子様ぁ…」
まさかこんな形で雨子様の攻撃を食らうとは思ってもみなかった。それに口にしていたらちっとも内緒じゃないじゃないか。僕は大いにむくれていたが、申し訳ながった雨子様に頭をぐりぐりと撫でられている内にうやむやになってしまった。
全くもって賑やかな朝、というには既に昼近い時間のことだった。
さっと書ける時もあれば書けない時もある。書けない時って皆さんどうなさっておられるのでしょうね?




