七瀬家のカオス
子供の頃から何度か引っ越しを経験しました、そのたびにまさにカオスの状況を経験したのですが、これ、いつ片付くんだろうという果てない気持ちは何とも嫌なものです
さて時と場所が変わり、今居るのは七瀬の家だった。
「あー…これは酷いな」
「まったくじゃの」
「…」
誰がどの台詞なのかは言うまでも無い。
放課後、七瀬に付き添って彼女の家にやって来たのだが、家の中は嵐が吹き荒れたような状況になっていた。
「だって、ユウを探すのに必死になっていたんだもの…」
と言い訳する七瀬。その思いは分かるんだがこの状況は酷いと言うより凄まじい。
「なあ、お前の母さんいつ帰って来るって言ってたっけ?」
「明日の昼とか言っていた…」
「!」
僕は雨子様と顔を見合わせてしまった。
「おまっ、これっ?」
今日しか元に戻す時間が無い。一体全体これを元通りに戻せるのか?驚きを通り越して青ざめてしまった。
「ともあれまずこやつの入っている箱とやらを探さねばの」
口調では冷静さを装っている雨子様だったが、口元が微妙に引きつっている。
「祐二よ、人はこの状態をなんと言ったかの?カ、カオスじゃったかの?」
僕は思わず吹き出してしまった。家の中の散らかり様を表現する言葉がカオスに達するとは一体どれだけ?
それはさておき僕は、今は七瀬の肩口に居るユウに声を掛けた。
「それでお前の入っている箱はどれなんだ?」
すると呼ばれたクマの付喪神はふわりと宙に飛び上がったかと思うと、部屋の片隅にちょこなんと置いてある小ぶりな段ボール箱のところへと辿り着いた。
『これだよ』
僕は取り散らかった諸々の間を踏んだり壊したりしないように注意しながら通り抜けると、箱のところまでようようにして辿り着いた。
上に載っている書類と思しき束を脇に置き、ガサリと音をさせながら蓋を開ける。
「お!あったぞ」
僕がそう言うと、七瀬が途中あるものを全て蹴散らかしながら箱のところにやって来た。
「ユウ!」
そう声を上げると七瀬は急ぎクマのぬいぐるみを抱き上げ、愛おしそうに頬ずりをした。
僕はふと気がついて傍らに居る付喪神に声を掛けた。
「なあお前、あれに戻らなくて良いのか?」
するとユウと呼ばれている付喪神は妙にくねくねしながら言った。
『いやあ、あそこに戻るのは何だか照れ臭くって…』
「って、お前なあ、あそこにお前がいなかったら感動も半減じゃ無いか?」
そう言うとクマのぬいぐるみが頭を掻きながら問い返してきた。
『なら祐二さんは、あんな風に人前で抱きしめられても平気なんですか?』
数瞬思いを巡らせた後僕は答えた。
「無理だ…」
『でしょう?僕だって同じですよ』
呪の効力が切れているお陰で、幸い今の七瀬にはユウのことが見えていない。だからおそらく彼女はあのクマのぬいぐるみの中にユウがいると思っていることだろう。
「うん、黙っていよう」
小さな小さな声で、独り言のようにそう呟いていると、神妙な顔をした雨子様とユウが、顔を見合わせながら黙って頷いていた。世の中知らない方が良いものもあるものだよね…
ひとしきりギュウギュウ抱きしめられ、頬ずりされ終わったところ辺りでユウは本体へと戻っていった。
それまでふわふわでふっくらとした外見が一気にみすぼらしくなる。ま、それでも七瀬にとっての価値は変わらないのだろうけどね。
「しかしのう、仮にも神を称する者の入れ物としては、そのぬいぐるみはいかにもみすぼらしいのう」
そのぬいぐるみの余りにみすぼらしい様はどうやら雨子様の目にも留まっていたようだった。
「そう思わぬか祐二よ」
雨子様に問いかけられると僕も思わず肯定せざるを得なかった。
「まあ、そう言われれば…」
確かに。七瀬にとって外見では計れぬ価値ある存在であるとは言え、余りにもみすぼらしいという雨子様の言葉にも頷けるものがある。
「で、雨子様には何か手立てがあるのですか?そんな風に言うからには何か出来るのかなって思うのだけれど」
「無い訳では無いのじゃが、はたしてそれを七瀬が望むか否かが問題なのじゃ」
そう言うと雨子様は七瀬に声を掛けた。
「七瀬よ、そろそろ良いかえ?」
「?」
再会における感情の爆発の波がどうやら収まってきたのか、七瀬は目顔で問い返してきた。
「七瀬にとってそのぬいぐるみにいかほどの価値があるのかは分からんが、それはユウであるからなのか?それともその形代そのものに価値があるのか?教えてくれぬかや?」
「形代?ユウ?価値?」
七瀬には何が何やらのことらしい。その説明を雨子様に任せるのも申し訳ないので、僕が話すことにした。
「七瀬も少しの間だけれど、ユウのかつての姿を見ただろう?」
「うん…」
「その時の姿に比べて、今のそのぬいぐるみの姿はいくら何でも気の毒だなって雨子様は思われたんだよ」
「でもだからってどうにかなるの?」
「いや、まだそこのところは聞いてないから分からないんだけど…、雨子様、何とかなるの?」
「むぅ、なると言えばなるのじゃが、七瀬よ、ユウの入れ物が変わってしまっても良いのかや?」
「ユウの入れ物が変わる?一体どういうことなの雨子さん?」
未だに七瀬は狐につままれたような面持ちだ。もっともそれは僕も同じ事だった。
「そのユウなるものの本体となって居る入れ物が、余りにみすぼらしくなって居るものじゃから、移し替えてやってはどうかと問うて居るのじゃ。ただしそう成るとユウがユウであることは違いないのじゃが、ユウを包んでいた側が今までとは異なったものになる。それでも良ければの話なんじゃが…」
「そんな事出来るんだ…」
話を聞き終えた七瀬は暫しの間考えを巡らせている風だった。
「ユウが…ユウが心を持たない存在なのだったら、その姿というか本体?を変えるなんて思いも寄らないんだけれど、でも今はユウにはユウの心がある。そしてそのユウが私の色々なことを見てきてくれているんだって思うと、そのユウがみすぼらしいって言うのは何だか可愛そうだなあ…うん、そう思う…」
そうやって話をしている内に七瀬の心は理解し固まっていったようだ。
「でもユウは、ユウはそれで良いの?」
だが今の七瀬にユウのことは見えないし声も聞こえない、だから僕が代わりに聞いてやる。
「ユウ、お前は今のその体が別の体に変わってしまっても良いのかい?雨子様が聞いているのはそう言うことなんだけれど…」
するとみすぼらしいクマのぬいぐるみに重なって、二重に見える状態でユウが頷いて見せた。
『うん、僕は僕だから、僕はあゆみの側に居られたらそれで十分だよ。もしあゆみが嫌じゃなかったらあゆみが嬉しいと思うようにして貰っても良いかな?』
彼の意思をしっかりと確認した僕は七瀬にその思いを伝えた。
「ユウは姿形は変わっても、七瀬の側に居られたら良いってさ」
ユウの答えを聞いた七瀬は嬉しそうに微笑みながら、今一度そのボロボロのぬいぐるみをきゅうっと抱きしめた。
「うむ、そうすればおそらく母御に捨てられるようなことも無くなるのではないかの」
雨子様のその言葉を聞くと七瀬は更に嬉しそうに微笑んだ。
「ただその依り代を移すにしても今は替えになるものがない。よって実際に替えるのはその手配を終えてからとなろう。まあ、それはよしとしよう。じゃがな、七瀬、まずはここを片付けることじゃ。我も手伝どうてやるからさっさと動かぬか!」
前半は穏やかだった雨子様の言動が、後半は叱咤に近いものとなった。
「うははいっ!」
飛び上がるようにして動き始めた七瀬だったが、その手はユウの今の体を抱きしめたままで、地に足がつかないと言った感じだ。
「やれやれ…」
とぼやくのは雨子様。その傍らで僕は苦笑しながら片付けを始めた。
ユウはと言うと嬉しそうに声を上げて笑いながら、僕たちに手を振っている。
「これははたして今日中に片付くのかや?」
情けなさそうな雨子様の嘆きを聞いた僕は、彼の神の今まではなかった一面を見られたことが何とも嬉しかった。
雨子様、何だかだんだんと人間臭くなってきている?




