「新生」
今日は少し短いです
全てが終わり、しんと静まりかえっていたその場の雰囲気から、何かつんとした圧力のようなものがふっと消える。
それと共にその場にはいつもの街の喧騒や、鳥の声などが染み込んできた。
祐二が思うに恐らく神様が結界を解かれたのだろう。
咲花様がゆったりとした足取りで、雨子様の社脇にある櫻の古木の元に行く。
既に主無く枯れ果ててしまった櫻爺の抜け殻なのである。
咲花様はその木の樹皮に触れると愛おしそうに撫でさすった。
そして社と木の位置関係を見定めると、軽く人差し指でとんと一押しした。
と、大きな木が根元からゆっくりと倒れ始め、しかも倒れる途中にあちこち頽れていく。
「本当にもう寿命だったのであるな」
しみじみと言われる咲花様。
「少しでも我と寄り添おうと頑張ってくれたのじゃな…」
そう言うと雨子様は、倒れ伏した木にそっと手を当て黙礼していた。
「それでその木は一体どうするん?めっちゃ大きな木やねんけど?」
とは和香様。
すると咲花様がそっと手を上げて言う。
「あの、私が頂いていっても宜しいでしょうか?」
「さて、一体どないするん?」
好奇心一杯といった風で和香様が問うと、咲花様は嬉しそうにその問いに答えた。
「私の住まうところの近くに木地師の村があり、そこに最近腕の良い若者が参ったので、素材として与えてみようかと思うのです」
その話を聞いた雨子様は少し嬉しそうに言う。
「それは良いの。爺の遺骸が何かの形で世に残るかと思うと、何故か嬉しいの。そうじゃ、出来たもの何でも良いのじゃ、我にも一つ分けては貰えぬかの?」
そう言われて咲花様はうんうんと頷いて見せる。
「成る程、承りました。その者にも話しておきます故、励みになりましょう」
咲花様のその言葉に雨子様はゆったりとした黙礼を以て返す。
「ところで咲花ちゃん?その若者とはなんか仲よさそうやなぁ?もしかして自分とこも雨子ちゃんとこみたいに、人の子と仲良ようなるんかな?」
「和香様!」
そう言う咲花様の頬がほんのり赤くなっている。
「それ以上仰るのであればこれから和香様のことは、ずっとお婆様とお呼び致しますからね?」
さすがの和香様もこれには慌てた。
「うわぁ!いくら何でもそれはきつすぎるのとちゃうのん?ごめん、ごめんやて咲花ちゃん」
見ると和香様はすっかり動揺しきっている。思うに余程お婆様呼びされるのが嫌であるらしい。
完全に白旗を揚げてひたすら謝り倒す和香様であったが、咲花様はぷいっと顔を横に背けたまま、全くとりつく島も無い。
仕方無いので和香様は雨子様にしがみつくようにしながら取りなしを依頼する。
「なあなあ雨子ちゃん、なんとかしてぇなあ」
少し離れたところで、そんな神様の遣り取りを見聞きしていた節子達が、三柱に背を向け必死になって口元を押さえている。
何と言うことは無い、大笑いしてしまい兼ねないのを必死になって堪えているのだった。
致し方のないことである、つい先ほどまで荘厳なまでの神事の舞を執り行っていた方々が、今はどこぞの漫才のような遣り取りをしているのだ、これを笑うなと言う方が無理かと思われる。
未だ見事なお召し物を身につけたままの神様方が、わいわいと賑々しく話をしているのを見ながら、祐二はふと櫻爺の木の倒れた跡へとやって来た。
どれほど前から存在していたか分からぬ程の老木故、その切り株は二抱えも三抱えもあるような大きな物だったのだが、よく見るとその中の一部にこけらに混じって緑の何かが見える。
何だろうと軽い気持ちで祐二がそのこけらを払うと、どうにもそれは櫻の小さな若葉のようだ。
「雨子様!」
祐二は大きな声を上げて雨子様のことを呼んだ。
その呼びに一瞬眉を顰める雨子様だったが、大神二柱が居るに加え、神事の後とあっては致し方が無いことと首を振って諦める。
「いかがした祐二?」
祐二の側にゆっくりと歩み寄るとそう聞く雨子様。
「雨子様、これを見て下さい」
そう言うと祐二はこけらの中にぽつねんと見える櫻の若葉らしきものを指し示した。
「何と!」
そして振り返ると手招きをしながら咲花様のことを呼ぶのだった。
「咲花!来やれ!」
雨子様の急を告げる様な呼び声に、咲花様は急ぎその元に駆け寄った。
「いかが為されました雨子様」
そう問う咲花様に、雨子様はそっと指で指し示す。
「なんとこれは…」
咲花様もまた袂で口を覆いながらも目を丸くされた。
そんな咲花様の傍らに、同様に駆けつけてきた和香様が言う。
「いやびっくり、これは間違い無く櫻の葉っぱやんか?これは一体どう言うことなん咲花ちゃん?」
そう問われていた咲花様は、目を糸のように細くしながら、その葉の部分を見つめていた。
「これは輪廻とか転生とか言うものでは有りませんね。行ってみれば櫻爺の心残りから生まれた、枝分かれとでも申しましょうか?どれ、話しかけてみましょう…」
そう言うと咲花様は、優しく華奢なその葉に触れ、祐二には分からないような言葉でそっと何事か呟いていた。そして言う。
「起きよ」
するとその葉の中から、小さな、丸で小指の爪程の童が出てくると、囁くような声で呼ばわった。
「何で御座いますでしょうか咲花様?」
「そなた先代櫻爺の後を継ぎ、これよりこの地にて天露雨子様の御身をお見守りするが良い」
咲花様がそう言うと、その小さな小さな童がぴょこんと礼をし、そして言う。
「承りまして御座います」
そして言い終えるや否や、葉の中へと霧のように消えていくのだった。
「未だ生まれて間がない為、余り長くは顕現出来ませぬ。雨子様どうかこの子のこと、宜しくお願い致しまする」
そう言うと咲花様は、雨子様に丁寧に頭を下げた。
同様に雨子様もまた咲花様に頭を下げ返す。
「礼を言うならばこちらこそじゃ、爺が居らぬようになって寂しく思うて居ったのじゃが、これでまた春の楽しみを得ることが出来ようの」
そう言うと雨子様は、その小さな櫻の若葉を、この上なく優しい笑顔で何時までも、何時までも眺め続けるのだった。
寂しくなくなって雨子様良かったです




