文殊の爺様と僕三
少し遅くなりました、申し訳ありません
いくら考えてみても僕自身の中に答えが見つからないと言うのであれば、後は外に答えを求めるしか無い。幸いにも?ここには英知の塊とも言える文殊の爺様が居るのだ。
これを頼らない手は無いのじゃ無いだろうか?
そこで僕は襟を正して爺様に向かった。
「申し訳ありません爺様。この問題は僕一人でどうのこうのするには大きすぎます。どうかお知恵をお貸し下さいませんか?」
僕はそう言うと丁寧に頭を下げて見せた。
すると爺様は僕がその様な形で頼んでくることを予想していたのか、にこにこしながら頷いていた。
「さもありなむ、神と関わることをそなたのような人間の子供が一人で解決しようと思ったとしても、それは無理に過ぎることじゃからな」
全く以て爺様の言う通りだった。あくまで僕自身が示せる回答なんて、ちっぽけな人間がその短い人生の中で生み出すことが出来る、本当に小さなものでしか無いのだから。
況んや今回のことについてはその回答にすら至れていない。
「この問題はお前の寿命が雨子の物と比べて極端に短いことにある。もちろんあやつの能力を以てすれば、かなりの期間の延命が可能となるであろうな。しかし実際それは問題の先送りでしか無い。ではどうするかなのじゃが…」
僕は爺様の言葉が再び語られるのを待った。
「一つにはお前もしくは雨子、或いは両方の記憶を改ざんしてお前達の出会いが無かったことにすること。実を言うとこれが一番容易い。最も労力を使わずに短い時間で行うことが出来る」
僕はその言葉の意味を一瞬理解することが出来なかった。耳から単語は入ってくるのだけれども、脳がその言葉の意味を解することを拒否する、とでも言えば良いのだろうか?
自然浅く、荒くなる呼吸を必死になって静めながら爺様に懇願する。
「爺様、どうかその解決策だけは選ばないで下さいませんか?そんなことをしてしまったら僕が僕で無くなってしまいそうと言うか、耐えられる気がしません」
「じゃがこの処置をすれば、お前自身はその処置をされたこと自体既に覚えて居らぬのじゃぞ?」
爺様は何故か面白がるかのようにそう言う。
僕はそのことを訝しみつつも必死になって言葉を尽くした。
「例えそうであってでもです。変化した先の僕のことは分かりませんが、今ここに居る僕自身にはその選択を耐えることは出来ません。そしてもしその選択の末に僕が居るとしたら、その僕はもう僕であっても僕で無い、まるっきり別人の僕なんです。だから例え外から見て僕が存在しているように見えたとしても、本当の僕は既に死んでしまっているも同然なんです」
僕が必死になってそう言い募るのを聞いていた爺様は、声を殺して笑った居た。
「くっくっくっく。観測者による物の見え方の差違をちゃんと知って居るようじゃの。まあ良かろう」
爺様のその様子を見るに、もしかすると僕は試されているのでは無いだろうか?そんな思いが胸の中に湧いてくるのを感じた。
「さてそうなると残る一つは、お前が自身を変えていくことしか無いの」
「僕が自身を変えていく?」
そう言う僕二爺様は何とも言えず辛そうな表情をしながらゆっくりと頷くのだった。
「そうじゃ、お前が変わらねばならぬ」
爺様はそう言うと暫しの間沈黙を守った、そしていくらかの時が過ぎた後、漸く言葉重く話をし始めた。
「要はお前が雨子と同じ存在に成ると言うことなのじゃが、その意味を想像出来居るか?」
雨子様と同じ存在に成る?一瞬僕は信じられない思いで一杯になった。もちろん当初は雨子様と一緒に生きていける事への喜びで一杯だった。
だが暫く落ち着いて考える内に、その意味の重さを改めて思い知ることになる。
そう、僕は自分で人であることを捨てなくては成らないのだ。つまりは時の彼方に家族を置き去りにし、友人を置き去りにし、人としての全てを置き去りにしつつ、永遠を生きていかなくては成らないことになるのだ。
もちろんその傍らには雨子様が居てくれる。そのことは僕にとってとても大きな救いになるであろう。けれども本当に僕の心はその試練に耐えて幸せになっていけるのだろうか?
例えば八尾比丘尼のように、人魚の肉を食らうことで永遠の命を得た人間がやがて孤独に苛まれ、その末に死を選ぶと言う話があるが、実際この様な不死に関わる話は世界中にあり、枚挙に暇が無い。
そしてその多くが不幸な物語の終わりを迎えている。果たして僕自身がそう言った不幸な結末を迎えないという保証があるのだろうか?
僕は更に思考を深化させながら色々な考えを突き詰めていった。
その中で僕はふと気がついてしまった。こういうことを考え、突き詰めようとすればする程に、自分や自分達のことばかりを考えてしまうと言うことを。
そうじゃない、それではいけない、僕はそう思った。
そこで厚かましいとは思いつつも、ある思いを胸に爺様に向かって口を開いた。
「すいません、お待たせしてしまっています」
そう言う僕の言葉に爺様は破顔しながら言う。
「何構わぬよ、お前達とは違って儂には悠久の時間がある。いくらでもしっかりと考えるが良いよ。それにな、一つ言っておくと、この世界における時間の流れと、お前の属している世界の時間の流れは異なって居る。そしてそれは儂の意のままに有る。じゃからいくらでも時間を使って考えると良い」
そう言うと爺様は僕のことを優しい目で以て見つめた。
「いえ、僕の中のことだけで考えても仕方の無いことがあると思うのです」
そう言う僕の言葉に爺様は片眉をひょいと上げる。
「ふむ、してお前は何を言いたいのじゃ?」
「色々と必死になって考えては見ているのですが、そこにあるのは皆僕と雨子様のことばかりなんです」
「しかしこれはお前と雨子のことであるのじゃから、それは当然なのでは無いのか?」
「確かに直接的な事柄に於いてはそうかも知れません、けれども僕達人間は一人で生きている訳ではありません、多くの周りの人間に支えて貰って初めて生きています。だから僕自身の問題だからと言って、周りの人間のことを蔑ろにする訳にはいかないと思うんです」
「ふむ、成る程の。確かにお前の言う通りかも知れぬな。儂はもしかすると、一人で生きることに慣れすぎているのかも知れないのう…」
そう言うと爺様は暫し遠い目をした。
「それでその様に説明するからには、儂をして何か要望があるのであるな?」
爺様のその言葉に僕は静かに頷いて見せた。
「はい、基本的にこれは僕自身の問題なので、先ず僕がどうするべきかを決めなくては成らないと思っています。けれどもその先、一人だけで決めるものでは無いとも思っています。まあ一番最初に尋ねるべきは雨子様ですね。そしてその次には僕の家族にもちゃんと話をすることが必要だなって思うのです」
「ふむ、それで?」
僕は身を乗り出すようにして爺様に向かって話した。
「もし可能であるならば、そう言った話をする為に家族にもこの場に来て貰いたい、その様に思うのですが、可能でしょうか?」
「くっくっく、連れてきてくれでは無く、連れてきて貰うことが可能かと聞いてくるのじゃな?まあなかなかに思慮深くはあるな。良かろう、それについては引き受けよう」
爺様のその言葉に僕の胸の中にあった重しが少し取り除かれた。
「まあ、本来であれば儂のことや此処のことが外部に漏れる可能性は極力抑えたいのであるが、何分にもお前達は直接の関係者でもあるしの、かてて加えて言うなら、我が娘の配偶者にも成ろうかという存在の願いとあれば、聞いてやらない訳にも行かないだろう…」
此処でまさか爺様に、雨子様の配偶者などと言われるとは思っていなかったので、思わず顔が赤らむのを止めることが出来なかった。
「じゃがな、定命の者がその命を果てなく伸ばすこともさることながら、永き命を得た者同士が夫婦に成ると言うことも、これまたなかなかに大変なことかと思うぞ?」
「確かに。僕自身そのことを前に、果たしてそれに耐えうるだけの心の強さを持っているのかどうか?知りたいとも思いますが、こればっかりは…」
「確かにのう、お前自身の恐れもよう分かるつもりじゃよ。まあ儂とてその部分を蔑ろにしてそなたを前に進ませるつもりは無い。そこでじゃ、お前にはいくつかの試練を与えて然るべきかと考えて居る」
「試練ですか?」
「うむ、正に試練じゃ。受けてみるか?」
ここまで来たらもう考えるまでも無い、僕ははっきりと頷いて見せるのだった。
ここのところ暫く、頭をかきむしりながら書いています(^^ゞ




