「雨子様の一日:後編」
日常回で有ります
一部台詞修正しました
節子との会話の中、自分が感じたことを今一度色々と考えながら、それが決して不快では無いことを不思議な思いで居る雨子様なのだったが、当面深く考えることはよすことにしていた。
自身の気質としては、本当のところ色々と深く掘り下げたい気持ちもあるのだが、余りそれにかまけていると、一番大切にしていなくてはならない何か、その何かを疎かにしてしまいそうな気がするのだった。
実際に節子には振り回されてばかりという感が否めないのだが、彼女に悪意が全くないと言うことが如実に分かるだけに、安心して振り回されていられる?
そんなことを考えて居たら可笑しくなってしまって、一人吹き出してしまう雨子様だった。
「どうしたの雨子ちゃん?何だか楽しそうね?」
そんな雨子様のことを目敏く見つけた節子が問う。
「うむ、何と言うかの、元より全てのことに意味づけをしておらねば不安になる我なのであるが、そのようなことをせずとも十二分に楽しいものだなと気が付いての、それで思わず笑うてしもうたのよ」
「ふ~ん、そうなのね?」
不思議そうな顔でそう返す節子。多分節子には、雨子様の今考えて居ることなど、おそらくほとんど分からないだろう。
けれどもそれが分かろうと分かるまいと関係なく、彼女は雨子様に大きな影響を与える存在になっていた。
また雨子様自身もそのことを是認し、それを楽しんですら居た。
人として全くに不完全な存在であるのに、こうも自分に深く関わり、幸せな思いで満たしていってくれる。勿論祐二にも似たような物を感じるのだが、節子の場合はより大きな安心感を感じると言うか…。
そこで雨子様は理解したのだった、だからお母さんなのだと。
駅に着き電車に乗って車窓から流れ行く景色を見ながらも、二人で他愛の無い話をしながら、ころころと笑う。
駅を出、目的のファッション街に到着する。
人また人で雨子様としては少し尻込みしてしまうのだが、節子に手を引かれてどんどん中へ中へと入り込んでいく。
そうすると煩わしいとか、しんどいとか思う間もなく、新たなものがどんどんと目の中に飛び込んできて、そのきらきらとした輝きに幻惑されたかのようになっていく。
節子は目星を付けていた店に入ると、服の多さに雨子様が目を回している間に、あっと言う間にめぼしいものを抱えて持ってくる。挙げ句にそれを渡して雨子様をフィッティングルームへと追いやり、着せ替え人形よろしく次から次へと着替えさせていく。
その余りの手際の良さに呆れるやら可笑しくなるやら…。
節子は色々な視点に立って雨子様のことを、美麗に飾り立てたかと思うと、無骨な男どものハートをぎゅうっと掴んで離さなくなる位に、とんでもなくキュートに仕上げたりもする。それこそ神様である雨子様をして、魔法使いかと思うくらいだった。
で、そんな思いをちょこっと節子に漏らすと
「ごめんね、カボチャの馬車までは用意出来なくって…」
等と言ってけらけら笑う。
何故だか知らないが、彼女が笑うと不思議と自分の心の中も軽くなり、何時しか共に笑ってしまう。雨子様は節子のことを見つめながら、不思議な存在だなと、ほとほと感心することを繰り返すのだった。
さてそうやって幾ばくかの時間を過ごし、それなりの量の衣類を仕入れたところで、節子は言った。
「少し遅くなっちゃったけど、遅めのお昼にしましょうか?」
雨子様は一も二も無く頷いた。実は先ほどからお腹の虫がぎゅるぎゅると自己主張しっぱなしで、いつ人にこの音を聞かれるかと気が気でなかったのだ。
ほっとしたのと、節子が連れて行ってくれるのだからきっと美味しい物が食べられるのだという期待と、何を食べるんだろうというわくわくとで、にこにこ顔になる雨子様。
そんな雨子様のことがどうにも可愛くて仕方の無い節子は、再びその手を取って人混みをかき分け、良く行くイタリア料理の店へと向かった。
と、その途上のことである。雨子様はどこか見掛けたことのある姿を目にしてつと立ち止まった。
不意に立ち止まる雨子様に、急に手を引かれた節子は何事と思い、立ち止まった雨子様の視線の先を追った。
するとそこには、緑髪の古風な和装の年若い女性が、何するでも無くぼーっと人混みの中、立ち尽くしていた。
雨子様は節子と視線を合わせると言った。
「節子よ少しばかり良いかの?」
「勿論よ…」
否応は無い。節子としても何とも気がかりになる風情であったから、雨子様が関わることを良しと考えるのだった。
「咲花…」
雨子様はそう言って声を掛ける。
すると呼ばれた女性はのろのろと頭を動かすと、ぼうっとした表情で雨子様のことを見つめるのだった。
「雨子様…?」
そうやってぼんやりとした様子で返事をしてきたのは、誰有ろう、幾日もの間雨子様の治療に尽力した咲花様その人だった。
「いかがした斯様なところで?」
そう問われた時分にようやっと目の焦点が合ってきた咲花様は、目に涙を浮かべると雨子様に言った。
「雨子様…」
それだけ言うとしくしくと泣き始めてしまう。それを見てどうしたものかと慌てはするのだが、何をして良いのか分からない雨子様はおろおろとするばかり。
「雨子ちゃん、手を引いて上げて…」
そんな有様を見た節子は、その場からこの女性を急ぎ連れ出すことを決意したのだった。
「うううむ」
節子に言われ、そっと咲花様の手を取り、引き始める雨子様。その手はさらに節子に引かれ、端から見ると節子はまるでアヒルのお母さんよろしく、妙に微笑ましさを感じる光景だった。
巧みに人波を避けて二人を導いていく節子は、ままよと当初予定した店にやって来たところ、運の良いことに少し人目から離れた隅の方に席がある。そこでこれ幸いとばかりに二人を引き連れて席に向かったのだった。
席に着くと直ぐにオーダーを聞きに来たのだが、少し考えるからと時間を貰い、何を注文するかを考えながらも、二人の様子を見守る節子。
「あの、雨子ちゃん?」
咲花様のことを気遣って何事か語りかけている様子の雨子様に、節子は遠慮がちに声を掛けた。
「済まぬの節子、こやつは咲花と言うて、我が伏せって居った時に看てくれた神じゃ」
「成る程そう言うお知り合いでしたのね?」
「うむ、しかし、いかがして斯様なところに居ったのじゃ咲花?」
咲花様のことが心配な雨子様は優しい声音で静かに聞いた。
すると、席に座ることでようやく少し落ち着いたのか、咲花はゆっくりと話を始めるのだった。
「私は普段富士の麓の田舎神社に居りまする故、斯様に都会に出てくることが珍しく、衆世の暮らす様をこの目で見てみたく思い、ふらりと街中に出て来てみたのですが、余りの人の多さに、どうすれば良いか分からなくなり、ただもうあの場に立ち尽くしておりました」
そう言ってさめざめと泣く咲花様のことを見ていた節子は、雨子様に聞く。
「ねえ雨子ちゃん、この方も私達と一緒にご飯を食べて頂いたらどうかしら?」
節子は、それが当たるかどうか分からないながらも、お腹が膨れれば少しはこの状況が変わるのでは無いかと考えたのだった。
節子にそう言われた雨子様は、現在の咲花様の有り様に少し深く視線を通す。
「そうじゃの、今は咲花も我ら神の流行に沿って人の身で有るようじゃ。きっと喜ぶであろう」
「ならここのお勧めパスタがあるんだけれども、それで良いかしら?」
最近パスタ好きに成っている雨子様は束の間嬉しそうな表情をした後言う。
「うむ、それが良いかもしれんの」
そこで節子は店の人に合図を送ると、当初予定したものと飲み物、食後のデザートを三人分オーダーするのだった。
そうこうする内に、静かな店内でゆっくりと腰を落ち着けたことが功を奏したのか、咲花様は徐々にその涙を収めつつあった。
やがて何とか涙を収めきった咲花様は、節子に向かって優雅に頭を下げると言った。
「此度は急なところご迷惑をお掛けして申し訳ございませぬ節子様」
丁寧な言いように節子自身も少し改まった物言いを心がけた。
「いいえとんでもございません。特に雨子様は私どもにとっては家族同然、その雨子様のことを看て頂いた恩有る方、くれぐれもお気になさらないで下さいませ」
いきなりそのように改まった物言いをする節子のことを、興味津々で見つめる雨子様。節子は何だか居心地が悪くなってもそもそとしてしまう。
「なあに雨子ちゃん、何か言いたいことでも?」
咲花様には聞こえないように出来るだけ小さな声で言う節子。
その様に少し苦笑しながら言う雨子様。
「節子よ、咲花の言いようはああであるが、こやつは別に人の言いようにとやかく言うたりはせぬ故、普段通りの話し口調で構わぬぞ?」
「そ、そうなのかしら?」
いきなりばらされたことに少し不満は有るものの、肩が凝らない方が良いと言うことを考えると、まあ良いかと直ぐに切り替える節子。
そうやって三人でやりとりしていると、折り合いよく店のものが料理を持ってやって来た。
「ご注文の海鮮パスタでございます」
トントントンと、豊かな海鮮がたっぷり入ったパスタが、三人の目の前に置かれていく。全てが置かれるとごゆっくりという言葉を最後に、店員はすっと姿を消した。
後に残されるのは見るからに美味そうな見かけと香りのする、ちょっと量多めの海鮮パスタ。
咲花様が戸惑っているのを目にした節子は、頂きますという言葉を口にした後、あえて見やすいように少しゆっくりとフォークを手に取って見せた。
雨子様に続き咲花様も見よう見まねでフォークを手に取る。そして節子の手技を見ながらその様を真似て、くるりとパスタを巻き取り、恐る恐る口元へと運ぶのだった。
口に入るや否や、大きく見開かれる目。
「美味しい…」
そう一言述べると、後はもう止まらない。まだ慣れない手さばきで有りながら、ゆっくりと丁寧にパスタを巻き取り、口に運んだかと思うと味わうようにじっくりと咀嚼、幸せに満ちながら飲み込んでいる。
「昨今の人の食べるものは誠に美味しゅうございますね」
最後迄パスタを食べ終えた咲花様は、丁寧に懐紙で口元を拭うと満足そうな笑みを浮かべた。
お腹がくちくなったお陰か、見るからに顔色も良く、表情も柔らかくなっていた。
「如何です?落ち着かれました?」
節子がそう聞くと咲花様はぱっと花が散るかの様な笑みを咲かせた。
それは正に息を飲むようで、節子も目を丸くしてその様を見た。
「見た通りじゃ節子、正に花が咲くようであろ?故にこやつは咲花と呼ばれて居るのじゃ」
「本当に、仰る通りですね…」
そのように言って節子が褒めそやすと、咲花様は顔を赤くしながら袂で顔を覆うのであった。
そこで雨子様は咲花様に話しかけた。
「のう咲花、人の食い物は美味いであろ?」
「真に…」
そう言いながらゆっくりと頷いてみせる咲花様。
「人の身と変じて味わう食べ物の美味さは正に一驚の価値ありと思うの。ただの咲花」
そう言う雨子様の言葉に、咲花様はこてんと首を傾げながら聞く。
「なんでございますでしょうか雨子様?」
「この身になって人の食べ物を食するは確かに美味い、じゃがのその一方で、腹の膨れ具合が心の有り様にも大いに影響するのじゃ」
「なんと!」
心底驚いてみせる咲花様、その様が少し笑えてしまって苦笑する節子。
「じゃから人の身となって食べ物の美味さを堪能することを思うのであれば、適時腹に物を入れねばならぬ。それを忘れるから先ほどのように気を散じてしまうことにも成るのじゃ」
雨子様がそう言うと唐突に咲花はぽんと手を打った。
「成るほど、なればこそ先ほどの私のように、身体の内と外の両側から鬱なる思いが寄せてきたのでございますね?」
その言葉を聞いた雨子様は何だか毒気を抜かれたような顔をしながら言う。
「いずれにせよ、そなたはこちらのような人の込み入った土地には慣れぬ身、人の言葉で言うならストレスというやつじゃな?それに多分に曝されてしんどうなってしもうたのじゃろう。腹が減って居ったのなら尚更じゃな」
そうやって話しているところに、今度はアイスクリームとシャーベットの盛られたデザートと、エスプレッソコーヒーのカップが配されてきた。
「あの、咲花様。先に飲み物を飲まれると苦みが勝ちすぎるかも知れませんので、デザートの方を…」
そう言いながら節子はデザートの方を指さした。
「召し上がられてから飲み物を口にされると、美味しさが分かり易いかと思いますよ?」
その言葉は雨子様に対してのものでも有ったのだが、好奇心に負けた彼女は先に珈琲を口にして、自分が今まで見知ったものの比では無い苦さに驚き、顔を顰めた。
一方咲花様は、節子の説明通りの順で飲食を重ね、その類い希なる味のマリアージュに驚き、感動を重ねて破顔した。
「なんと本当に素晴らしい味わいでございますね?」
ただもう感歎する咲花様の言葉に、同様に味わった雨子様もうんうんと頷く。
丁寧に最後まで綺麗に食べ尽くし、飲み干した咲花様は、なんとも惜しそうな顔をして自らの食した後の眺めている。それだけでいかに彼女が美味しく味わったかが分かろうというものだった。
「ところで私どもは、この後もう少し買い物をした後、家に戻ろうかと思っているのですが、咲花様は如何なされますか?」
どうにもおっとりとしたところが有る咲花様のことが心配で節子はそう問うのだった。
「私もそろそろ和香様のところに戻ろうかと思います。然れどどうやら道に迷ってしまったようで、どうしたものか…」
不安そうにそう述べるのを捉えて雨子様が言う。
「我があやつに電話をして伝えるが故、案ずることは無い。おそらく榊辺りを迎えに寄越すであろう」
「それはありがとう存じます」
咲花様はそう言いながら優雅に辞儀をした。この神様のなさる所作は全て美しいのだ、節子は惚れ惚れとその有り様を見守ってしまった。
その後節子が支払いを済ませた後店を出ると、待ち構えていた咲花様が深々と腰を折るようにして礼を言う。
「此度は色々ご迷惑をおかけした上、大変なご馳走にまで成ってしまい、申し訳ありませんでした。真に美味しゅうございました、ご馳走様でございます」
そう言うと節子に向かってまたも華やかな笑みを振る舞った。
内心節子は思った、この笑みだけでもお釣りが来てしまうと。
事実その場に居合わせた人々は、皆その笑みに見蕩れてしまって暫くの間立ち尽くしてしまうのだった。
さてその間雨子様が和香様に連絡を取っていると、何でもこのショッピング街の入り口まで榊さんが車で迎えに来てくれるとのこと。
場所柄そう距離が有る訳でも無いので、直ぐにやってくるそうだった。
そこで三人で腹ごなしがてら、当該の場所へのんびりと向かったのであるが、お腹が膨れて安心し、更には見知った者が側に居てくれるという安堵感からか、始終咲花様はご機嫌だった。
元々節子も人間の女性としてはかなりの美人な方である、加えて雨子様はこれまたとびきりの美少女で有る上、花が咲き乱れるように笑みをまき散らしながら歩く咲花様と来たからもう大変。
道行く三人の周りを押すな押すなと見に来る人また人で、少し心配になってしまった節子なのであるが、目に力を込めた雨子様の一睨みで一蹴、皆借りてきた猫のように大人しくなってしまった。
「雨子ちゃん、そんな芸当も出来るんだ?お母さんびっくりよ!」
そう言って驚く節子の様に可笑しくなってしまってぷっと吹き出す雨子様。
「芸当とはまた、それにお母さんとは…」
ついつい思わずそう口にしてしまった雨子様。そしてぎぎぎと音がしそうな感じで咲花様のことを振り返ると…。
まあまあという感じで口元を袂で押さえ、嬉しそうに笑っている。
「そうなのね、雨子様、そうなのですね」
雨子様は思わず必死になって咲花様にしがみ付くと言う。
「さっ咲花?い、今のはその、物の弾みじゃ、我があのように言うたなぞ、誰にも言うでないぞ?良いか?約束ぞ?」
慌てまくる雨子様に、咲花様はにっこりと笑って約束する。
「勿論ですとも、和香様以外の誰にも言いませんともぉ…」
それを聞いて頭を抱えてしまう雨子様。何故に和香にだけは言うと言うのか?咲花様の論理の不連続さに、思わず天を仰ぎ見、我が身の迂闊さを呪ってしまう雨子様なのだった。 そのうんうんと呻く様が余りに気の毒で、節子の方からも咲花様に説明して差し上げる。
「咲花様、雨子様はとても恥ずかしがり屋さんなのでございます。ですからよろしければ和香様に申し上げるのも、勘弁して差し上げられないでしょうか?」
すると咲花様はまた首をこてんとさせながら言う。
「なるほど雨子様は、恥ずかしがり屋さんなのでございますね?忘れないようにしておきます」
はてさてこの後咲花様が、何を和香様に言ったのかは今はまだ誰も分からない。願わくは雨子様の願いが聞き届けられていたらいいのだけれども…。
咲花様ってちょっと・・・




