久々の登校
今日もまた猛暑のようです。皆様ご自愛下さいね
翌日の朝のこと、今日から学年末テストと言うことも有って、その為に出かけていく支度をしていると雨子様がやって来た。
既に制服に着替えているので聞くと、一緒に学校に行くとのこと。
てっきり今回のテストは休むものと思っていたのだが、どうやらそうでは無く、ちゃんと出るつもりらしかった。
体育を除きほとんどの教科で満点に近い点数を取り、学年席次でも常にトップをとり続けているのだから、今回休んだところで問題ないだろうと言ったのだけれども、元気になってきたのだから出るとの一点張り。
雨子様の現在の体調を考えると、ぎりぎりの時間に行くのも心配なので、少し早めに家を出ることにした。
母さんにその旨伝えると、超特急で朝食を作ってくれた。
何でもその日一日しっかり頑張ろうと思ったら、その分ちゃんと食べ物をお腹に収めないとだめだとのこと。
もっともこれは僕に向かっていって居るのでは無く、あくまで本調子で無い雨子様に向かって言っている。
雨子様自身も母さんが不安げな顔をするものだから、心配させまいと懸命に頷きながら、出来るだけ元気な笑顔を浮かべて見せている。
ともあれきちんと朝食を平らげる様子を見るに、大丈夫そうだけれどもね。
そうそう、一つ説明しておくと、我が家では当分お握りが出ることは無いと思う、当分ね。
食事を終え、雨子様が身支度を終えたところで僕達は学校に向かった。
雨子様が言うようにすっかり元気になっている様に見えるのだが、時折足下が不確かになるので、鞄は僕が持つようにしている。
初めは自分で持つと我を張っていたのだけれども、少し歩いてみて、おそらく不安を何か感じたのだと思う。素直に僕に任せるようになってくれた。
まだ二月の内とあって、肌を刺すような寒さなのだが、時折蝋梅の薫りなどがしていて、雨子様は嬉しそうにその薫りを吸い込んでいた。
「早う桜など見たいものじゃな…」
雨子様が独り言を言うかのようにぽつりと言う。
「そう言えば咲花様のお召し物、桜の花柄でとてもお綺麗でしたね?」
僕がそんなことを言っていると、雨子様が微かに口元を曲げた。
うっかり気のせいだと思ってしまった僕は、その後も普通に会話を続けてしまうことになる。
「祐二はああ言う和装の女子が好みなのかえ?」
まるで世間話として雨子様が話されるものだから、ついつい僕もそのつもりで返答してしまった。
「そうですね、雨子様の治療に当たっておられたので、割とお話をさせて頂く機会が多かったのですが、楚々として実に美しい方だなって思いました」
そう答えた時点で、僕は自分が失策を重ねていたことに気が付くのだが、時既に遅しで有った。
因みにその答えは膨れ上がった雨子様のほっぺに具現化されている。
「成るほどの、祐二は楚々とした咲花のような女子が好みとな。きっと我のように気の強い女子など…」
「…って何を言ってるんですか雨子さん?」
何だか妙な雲行きになってきていたので、皆まで言いきる前に雨子様の言葉を遮った。
見ると雨子様の唇がすっかりと尖っている。
思わず天を仰ぎ見てしまう僕。だがそんな僕が何か言葉を発する前に、先に雨子様からの謝りの言葉を頂いてしまった。
「済まぬ、祐二。そなたがそのようなつもりで言うた訳では無いこと、我には分かって居るのじゃ。じゃがの、何と言えば良いのじゃろうか?何故か胸のこの辺が…」
そう言うと雨子様は自分の胸の辺りをそっと手でさすった。
「もやりとしてしまっての、ついつい吐かんでも良い、いや、吐くべきでは無い言葉を吐いてしもうた。一体全体、我の為に命まで張ってくれた男の子の、どこをどう疑うと言うのやら…。我ながら情けのうなってしもうた」
そう言うと雨子様は急にしゅんとしてしまった。
でもその様がとても可愛く見えてしまって、ドキドキしてしまったのは内緒の話。
僕はあっと言う間に自己解決してしまった雨子様に苦笑しながら言った。
「それだけ雨子さんに好かれているんだなって思っていますから、あんまり気にしすぎないで下さい」
だが雨子様にとって別の面でもの凄く気になってしまったようだ。
ふいっと僕に背を向けるのだけれども、長く美しい髪から見え隠れしている耳が、丸で霜焼けにでもなったかのように真っ赤に染まっていた。
それを見て何か言葉を掛けようかなとも思ったのだが、下手に何か言って揶揄っているとでも思われたら心外なので、ここは一つ沈黙を守ることにした。
諺では沈黙は金と言うらしいのだけれども、はたしてどうなんだろう?
だが結局そんな思案をしている間もなく、偶々脇道から来た七瀬と合流することになったのだった。
少し離れたところから、雨子様の姿を見つけるや否や、全速力で走ってきたらしい。
はぁはぁと息を荒げながら、雨子様の腕に自らの腕を絡める七瀬。
「雨子さん、もう学校に行けるんだね?」
七瀬はそう言いながら雨子様の顔を横下から覗き上げる。
すると雨子様、まだ顔に赤みが残っているのを見られるのが恥ずかしかったのか、慌てて顔を背ける。
「ん?何で?」
まあ逃げられたら追いかけるよね?七瀬は尚も覗き込む。仕方なしに雨子様は腕で隠そうとするのだけれども、これは余り成功しているとは言えないなあ。
「七瀬、そこまでにして上げろよ」
「え~~~」
ちょっと不満げだったけれども、なんとはなしに察したのか、大人しく引き下がる七瀬。僕のことを軽く睨め付けると笑いながら言う。
「祐二はあんまり雨子さんのこと虐めちゃ駄目なんだからねえ?」
余りの言いように僕もすかさず反論する。
「おい、人聞き悪いなあ。僕が雨子さんのことを虐めたりなんかするもんか」
「どうだかなあ」
七瀬はそう言いながら僕にいーってすると、改めて雨子様の片腕を両の手で持った。
「私と一緒に行こう?」
雨子様はそんな七瀬の誘いにうんうんと頷いている。僕のところからうかがい見るに、どうやら顔の赤みも取れてきているようだった。
「でも雨子さん真面目なんだなあ」
そう言いながら少し呆れた顔をしている七瀬。
そりゃそうだ、病み上がりいきなりテストに出てくる人間なんてそうそう居ないだろう。もっとも雨子様は神様なのだけれどもね。
「それ僕も思って言ったんだよ。雨子さんの成績なら今回のテスト休んだくらい、どうってこと無いよって。でも本人が休むのはいやなんだってさ」
それを聞いた七瀬はまた雨子様の顔を覗き込む。だが今度は隠そうとはしなかった。
「ねえ雨子さん、それってもしかして真面目って言うことだけじゃ無いのでしょう?」
七瀬のその台詞に僅かだが雨子様は反応していた。
「あ~~~、やっぱり。そうだと思ったんだ」
僕には七瀬が何を言っているのか良く分からなかった。だからその言葉の意味を知りたくて聞いてみる。
「七瀬は雨子様が何がしたくて出てきたって言うんだ?」
すると七瀬はさも得意げな顔をしながら言い渋る。
「え~~~?祐二にも分からないんだ?」
何だかとても悔しいのだけれども、残念ながら僕には何があるのか分からなかった。
そのまま聞かないでも良いのかも知れないが、僕の好奇心はあっさりと白旗を揚げてしまった。
「あ~、何だ、良かったら教えてもらえると助かる」
だが七瀬は一筋縄ではいかない。
「え~~~、そこは七瀬様お願いって言うのじゃ無かったっけ?」
何だかめちゃくちゃむかっ腹が立ったのだけれども、そのことがとても大切なことのように感じた僕は、何とか怒りを抑えて彼女が必要とした言葉を口にしようとした。
「分かった分かった。七瀬…」
だが皆まで言葉を口にする前に、雨子様の言葉に遮られてしまった。
「我が何が何でも登校しようと思ったのは…」
そう言うと雨子様は僕と七瀬の顔を交互に見た。
「我が命をかけて守ろうとした者達の顔を見たかったのじゃ。普通に日常を過ごすあやつらの顔を見て安心したかったのじゃ…」
そう言うと雨子様は唇を噛んで少しうつむき加減になる。
その雨子様のことを七瀬がハグしながら言う。
「やっぱり、雨子さんのことだもの、多分そう言うことなんじゃ無いかなって思ってたのよ」
そういう七瀬に雨子様が少し怖い顔をして言う。
「それは良いとしよう。けれども七瀬は酷いのじゃ、どうしてあのように祐二のことを虐めるのじゃ?」
あら、雨子様が僕の為に七瀬に怒ってくれている。対して七瀬は何も逆らうこと無く素直に謝った。
「ん~~、ごめん。別に虐めるつもりまでは無かったのよ。ちょっと揶揄いたかっただけで…。でも不快な思いをしたのならごめんなさい」
多分僕と二人だけの時なら、こんなにも殊勝に謝ることなど無かっただろう。
雨子様がいればこそ何だろうな、僕はそんな事を思った。
「でも…」
僕はさらに言葉を継いだ。
「でも雨子さんがそんな風にクラスの連中を思ってくれているのって、なんか嬉しいよな」
僕のその言葉に七瀬もまた大きく頷きながら言う。
「私もそう思う。胸の辺が何だか暖かくなって、凄く嬉しくなっちゃったもの」
七瀬はそう言うと少し横を向いて目の辺りを擦っている。
「本当は学校に着いたら分かるから、言わないつもりだったんだけれども、クラスの皆もね、雨子さんが休んでいる間とても心配していたんだよ。もっとも連中には、雨子さんがまさか死にかけたなんて、口が裂けても言えないけどね」
ただそこまで言った七瀬は、はたと急に困ったような顔つきになる。
その顔の変化を見た雨子様が不安な面持ちで七瀬に聞く。
「どうしたのじゃ七瀬?何故にそのように困った顔をするのじゃ?」
すると七瀬は頭を横にふりふり諦めたように言うのだった。
「あのね雨子さん、今回は雨子さんがそんなんだったから、テスト勉強会出来なかったじゃ無い…」
「あ~~~~…」
僕は改めて合点がいった。最近クラスの連中は、テストの度に雨子様の指南で高得点を物にしていた。
それが今回ばかりは何も出来なかったのだ…。これは皆きっと随分参っていただろうなあ。
勿論皆気の良い連中ばかりなので、恨みごとを言うような奴はまず居ないのだろうけれども、多分テストの後で泣き言の一つ二つは聞くことになるのだろうなあ。
表情を見るに雨子様もまたそのことに思い当たったのだろう。どうしようと言った顔つきで僕のことを見るのだけれども、こればっかりはどうしようも無いよね?
七瀬もまた雨子様の気持ちが良く分かるのだろう、慰めるようにその背中を優しく叩いているのだった。
色々無理をしたことが祟ったのか、雨子様の身体の復調が思いの外時間を食っています
早く元気になってほしいものでありますね




