呼び名
快気祝いの続きの話しです
さて、雨子様の無事帰宅と言うことで開かれた快気祝いもやがてに終わりの時を迎えることになった。
外から祝いに来てくれていた者達が三々五々、今一度雨子様のところに行ってその無事を喜んだ。
そんな中、葉子ねえと七瀨が、二人で雨子様のことをぎゅうぎゅうハグでサンドイッチにしている。お陰で当の雨子様は目を白黒させているのだが、僕はそれがおかしくて思わず吹き出してしまった。
ついつい笑ってしまった僕のことを見て雨子様は睨むんだけれども、これはどうしようも無いよね?
ともあれそうはあっても申し訳なくも思うので拝むように手を合わせていると、ぷいっと横を向かれてしまった。
こういう所、最近の雨子様は本当に普通の女の子っぽいところが有るな等と思っていたら、誠司さんが肩をぽんぽんと慰めるように叩いてきた。
優しく気遣ってくれる誠司さんに僕は苦笑しつつも頭を下げて見せた。女性には女性で通づるところが有るように、男性には男性でこういう所通じ合えるのは良いかも知れない、そんなことを僕は思った。
そうこうする内に全ての客が引き上げていき、、我が家は平生の静けさを取り戻していった。沢山の客が引き上げた後、今ダイニングに居るのは僕と母さん、それに雨子様の三人だけとなっていた。
そして改めて母さんが淹れてくれたお茶を頂きながら、ほっとした安らぎの時を迎えていた。
さてそんな中、雨子様のことを祝いつつ、皆をもてなす為に沢山の料理を作ってくれた母さんに、雨子様が居住まいを正しながら頭を下げていた。
「節子、済まぬの。色々と迷惑を掛けた」
それに対して幾分の疲れは見せては居るものの、にこやかな笑みを湛えて母さんは言った。
「何言ってるの雨子ちゃん、母親が娘の快気祝いを催すのは当たり前の事じゃない」
そんな言葉に雨子様はちょっと泣きそうに顔を歪める。
「もう節子は…本当に我を娘にしてしまうのじゃな?」
「そうね、今は立場的にもそんな感じだし、今までの雨子ちゃんの有り様とか知ってしまうと、なんか自然と母性が反応しちゃうのよね?」
そんな母さんの台詞に雨子様が苦笑している。
「母性が自然に反応するじゃと?事ほど左様に我は頼りないのかえ?」
「ううん、頼りないとか頼りあるとかそう言うこととは違うと思うの、なんて言うのかしら?最近の雨子ちゃん、なんか妙に可愛いのよね?」
そう言う母さんに雨子様は何とも不思議そうな顔をする。
「そう言えばあゆみにもそんなことを言われておったの」
「あゆみちゃんに?可愛いって?」
「そうなのじゃ、何故なんじゃろうな?」
人が人のことを可愛いって思うのに、どう言う理由があるのかなんて言うのは、なかなか難しい。凡そ論理で無いところで、感覚として感じてしまうところが有るから。
僕がそんなことを考えている間にも更に会話は続く。
「それにね、雨子ちゃん」
そう言うと母さんは少し声を潜めた。けれどもそんなに離れた場所に居る訳では無いのだから、その程度声を小さくしても聞こえてくるものは聞こえてくる。
「いずれはさ、本当に娘になってくれるのでしょう?」
とかなんとか言っているのが丸聞こえだよ母さん?
もっともその言葉を聞いても数瞬、雨子様には何のことだか良く分からなかったらしい。 だが理解が行った瞬間に雨子様は真っ赤になって下を向いてしまう。
「せっ節子、どうかそう言うことについては我を余りからかわんでくれぬかの?わ、我にはなんと言うか全く耐性が無いのじゃからして…」
僕も母さんの行っている言葉の意味が理解出来た途端に、脈拍が跳ね上がるのを感じていたが、それはさておき、母さんが雨子様のことを可愛いって思ってしまうのは、今のような反応があるからこそなんじゃ無いかな?そんなことを考えてしまった。
「まあ娘って言うのはその時に備えての、そうね、既に予行演習かしら?」
「予行演習じゃと?」
なんだかもう雨子様は母さんに押されて目を白黒させている。
世間では良く母は強しなんて言うのだけれども、案外こう言う押しを出せるところなんかがあるのかも知れないなあ。
そうやって僕があれこれ考えていると、そんな僕のことを盗み見るようにして視線を送ってくる雨子様。気がついて僕が目を合わせると、慌てて逸らしたりしている。
うん、僕から見ても可愛いよ雨子様。
だがそんな会話も落ち着いて一段落した頃、僕は気になって居たことがあって雨子様に問うた。
「雨子様、少し宜しいでしょうか?」
僕がそう言うと雨子様が片眉をくいっと上げる、そして何も返事を返してこない。
仕方が無いので僕は言い直す。
「雨子さん、少し宜しいでしょうか?」
「うむ」
今度は返事を貰えた。
「う~~~ん。様付けでもさん付けでも、僕にとっての雨子さんは雨子さんなんだけれどもなあ…」
少しばかりぼやくように僕がそう言うと。
「むぅ、祐二が言うのも分からんでも無い、じゃがの祐二、我にだってそう呼ばれたい時もあるのじゃ」
成る程、雨子様にそう言われてみると、何となくだけれども納得出来るものも有る。そして考える、そのうち何時か、何時かの話なんだけれども、雨子様のことを呼び捨てにする時も来るのだろうか?
なんだかその時のことを考えると、それだけで呼吸が速くなってきそうな気がする。
と、そんな僕の様子を見ながら雨子様が言う。
「どうしたのじゃ祐二?何を考えてそんな妙な顔をしておるのじゃ?」
「妙な顔って…」
僕は苦笑した。
「さて?何を考えておるのじゃ?」
興味深そうに雨子様が問うてくるので、別に隠すことでも無いなと思った僕は、自分の考えを披露した。
「いえね雨子さん、何時か雨子さんのことを『雨子』って呼び捨てることも有るのかなって…」
そう言ってしまってから、言うつもりの無かった言葉を言ってしまったことに気がつく僕。
そんな僕の目の前に居る雨子様は噴火寸前?よろしく顔を真っ赤にしてわなわな震えている。
「大丈夫ですか雨子様?」
心配になって聞くと雨子様はそっと目を瞑り、何度か深呼吸を繰り返した。
「済まぬ祐二、もしかすると些か我は望みすぎじゃったかも知れぬ」
「望みすぎ?」
「いやもうともかくじゃ、当分は呼び捨ては禁止する物とする」
「禁止ですか?」
僕が改めてそう聞くと、雨子様はぶんぶんと音がしそうな勢いで頭を振った。
「そう願う、なんと言うかその、我にとってそなたにそう呼ばれるのは、破壊力がありすぎるのじゃ。なんと言うか平静でおられんようになりかねぬ。故に禁止じゃ!」
なんとかそう言い切ると雨子様は、また大きく息を吸ったり吐いたりを繰り返した。
雨子様のそんな様子から、弱点を知ってしまったかのように感じた僕は、ちょっぴりだけ意地悪をする。
「雨子様は僕のこと呼び捨てなんだけれどもなあ…」
僕がそう言うと雨子様はくいっと口をへの字に曲げた。
「祐二、そなた分かってそのようなことを言っておるのじゃろ?」
「ばれました?」
そんな僕のことを呆れたような表情で見る雨子様。だがその後、にやりと少し悪い笑みを浮かべると、素早く僕の唇に雨子様の柔らかな物を押し当て、そして言う。
「駄賃じゃ、これで今の件は不問とするが良い」
いきなりのことで僕は身動き一つ取れなかったのだけれども、ふと視線を感じて振り向くと、母さんがじとっとした目でこちらのことを見ていた。
「あなた達ねえ、そりゃもう恋人同士なんだからって言うのは分かるのよね?でもせめても親の目の前って言うのは勘弁してくれる?」
今になって身近に母さんが居たことを思い出し、なんだかあうあうしている雨子様。
そんな雨子様のことを見ながら少し顔を赤くしつつ、ゆっくりと頭を横に振る僕。
僕は母さんに向かうと思っていることを話した。
「もしかするとこういう所なんじゃ無い?母さんが雨子様のこと可愛いって思うのは?」
僕の言葉に少しの間考え込む母さん。その後ぽんと手を打つと言う。
「確かに、その通りかも知れない…」
そんな僕達の会話を聞きながら、真っ赤になった雨子様は頻りとぶつぶつと何か言っているのだけれども、こればっかりは自業自得なのでどうしようも無いなあ。
将来この二人掛け婚式を挙げるとしたら、雨子様ははたしてどんな花嫁姿を取るのかなあ?
伝統に従った和服?それども思いっきり可憐なウエディングドレス?
筆者としては後者を見てみたく思うのですが、はたして・・・




