再会
2話目にしてようやっと神様との関わりが少し濃くなってきます
やがて僕は中学校に入学し、ごく当たり前の子供として普段の生活を過ごせるようになりつつあった。
やがて二年の夏を迎える頃には、過去の心の傷など全くなかったかのように、元気いっぱいに中学生としての日々を送っていた。
その夏休み、葉子ねえが、僕の元気な様子を自分の目で確認出来る時を待っていたかのように嫁いでいった。
葉子ねえが最後に家を出る時に、僕の目を見つめながら涙で目を一杯にし、お終いにぎゅうっと抱きしめてくれた時のことを、きっと僕は生涯忘れないと思う。
そんな思いも少しずつ薄れゆく中僕は高校生になった。
少年から大人への変化を経験していく時期、誰かに頼ることも無く、自分自身の足で道を歩くことにも慣れてきた。
そんな僕だったけれども、今でもごくたまに寂しいような、頼りないようなそんな感覚をふと思い出し、ふらりと葉子ねえの部屋に入ることがある。
机やドレッサー、ベッドは置いてあるものの、主の居なくなってしまった部屋には、生きている者の息吹が感じられなくなってしまった。何故だかがらんとしてしまう空虚感、僕はそう言う感覚がたまらなく嫌だった。
でもそんなことを思ったとしても、感じたとしても、それは誰にも言えないことだった。
僕は葉子ねえに思いっ切り幸せになって欲しかったから。僕は葉子ねえが本当に大好きだったから。
こればっかりは多分一生変わらないのじゃ無いのかな?友達にはシスコンかと笑われるのだけれども。
その日は偶々昔のことを思い出して、なんだか心にぽっかりと穴が開いたような気分で落ち着かない思いを抱えていた。
家にいてもどうしようもないのでふらりと外に出かけると、桜の若葉がとっても綺麗だった。何となく僕はそんな木々の緑に連れられて、いつしか近所の神社にやってきていた。
あまり大きくは無い神社だったけれども、さすがに神域だけあって、むやみには人の手が入っておらず木々がとても綺麗だった。
僕は社の脇に聳える桜の古木に手をやると、木肌の温もりを感じながらぼーっとしていた。その時だった。僕の服の裾を引っ張る者が居る。
「?」
ふと見下ろすと、年は七つか八つくらいだろうか、綺麗な艶々の髪をした女の子だった。
この辺にこんな子居たっけ?まるで古くから有る日本人形のような和装姿で、手に鞠を持っている。
その子が僕に何事か話しかけているのだ。
「祐二とやら、我を覚えてはおらんかの?」
話す言葉も何とも古風だった。
しかし覚えがない、さてどうしたものだろう?
「あの…道でも迷ったのかな?家は近くなのかい?」
すると一瞬女の子は僕のことを睨みつけた。だがすぐに何かを諦めたようだ。
「まあ詮無いことよの、お前は何と言ってもがんぜない童であったからな」
向こうは僕のことを良く知っているようだった。
しかし僕にはその子の記憶が全くなかった。だがその喋り方には何か引っかかるものがある。
そんな僕を彼女はやれやれと言った感じで見つめた。
「祐二とやら、もう蜘蛛の怖い夢を見たりせんのかの?」
僕の心の中を一筋の稲妻が走ったような気がした。まさか?
「もしかして君はその…」
僕は震える声で恐る恐る言葉を繋げた。
「雨子様?」
そう言うと女の子の顔がぱっと輝いた。
「そうじゃ、良く思い出したものじゃ」
僕は愕然としながら当時のことを思い出した。あの時の光景が一瞬にして脳裏をフラッシュバックしていく。
「思い出すもなにもあの時はただの光の固まりだったし、まるで人間の姿をしていなかったじゃないですか」
「ふむ、確かにそうじゃったな。ならば何故我と分かったのじゃ?」
僕は半ば呆れ、半ば惚けたようになりながら言葉を返していった。
「だって僕の人生の中で、君…」
僕が君というと彼女の視線が何となく少し堅くなった、なので慌てて言い直した。
「雨子様ぐらいしか、そんな古風な話し方をする人に会ったことがないから」
「そうであったか、我の話し方は古風であったか」
なにやら物思いに浸る風だった。
「じゃがそれも後僅かじゃの」
そう言いながら笑う様が何とも寂しげだった。…と、話す内にその姿が妙にぼやけたり濃くなったりする。
「一体どうして姿が…」
そう言いかけている内にも一瞬限りなく透明になったかと思うと、また濃くなった。しかしその時の姿はそれまでのものとは異なっていた。そう二、三歳くらい幼くなって見える。これは一体どうしたことなのか?
「わ…あたいはもうここにいられないのじゃ」
そう言う彼女の表情はどこか寂しげで何か悟りきったような感じがするものだった。
僕の中ではまだ現状がきちんと認識できておらず、雨子様という存在が夢のように思えてしまう。
しかし雨子様のことを知っているのは僕以外、雨子様本人以外にあり得ない。よって彼女が本人だと信じざるを無いのだった。
「でもここは雨子様の社なのでしょう?」
「うむ」
「ならどうしていられなくなるのかな?」
相手が小さな女の子の姿をしているせいか、どうもその姿に見合うような口調で話しかけてしまう。
雨子様は一瞬肩をすくめると、何かを諦めたかのような表情をする。そして語を継いだ。
「あたいの命が尽きようとしているの」
「命が尽きるって神様にも寿命があるのかな?」
「本来はない」
「ならどうして…」
「あたいら神様は、人の思いを受けていないと生きていられないのじゃ」
「人の思い?」
僕がそう聞いている間にも雨子様の姿が薄れているような気がした。
「そうじゃ、思い、心の力とも言うかの。あたいにはもうそれが無い」
「だから消えるというの?」
雨子様はにっこりと笑いながら頷いた。
「でもでも、何で僕なのかな?」
よりにもよって何故僕の前に現れてそんなことを言うのか、納得の行く答えを見いだすことが出来なかった。
「それはの、あたいが…」
そう言っている間にも姿がかすれる。
「あたいが最後に顕現して通力を使った者が、そなただったからじゃ」
僕の頭の中を当時のことが走馬燈のようにかけ巡った。
「ただ消えてしまうのも寂しくてな、誰かに覚えておいてもらいたいと思ったら、お前が通った」
そう言うと雨子様はにこにこしている。
どう言えば良いのだろう?僕の中が何とも言えない損失感のようなもので満たされていく。
神様といえども、自分が消えて無くなってしまう時にどうしてそうも落ち着いていられるのか?つらくはないのだろうか?
それに自分だけ助けてもらっておいてそれで良いのか?考えてみたら僕は、雨子様にありがとうの一言さえ言っていなかった。
「そろそろおさらばじゃな…」
いよいよその姿が薄れていく。
「ま、待って雨子様」
「ん?まだ何か願い事かえ?だがあたいにはもう…」
僕は急く気持ちを抑えながら、でもどう言えば良いのか分からないまま必死になって言葉を紡いだ。
「いえ、その、そうじゃなくて、どうやったら雨子様は消えずに済むのですか?僕には何かして差し上げられないのでしょうか?」
消えかけていた雨子様がしばしその色を取り戻した。
「あたいに力をくれると言うのかえ?」
「力?」
「消えない為というのはそういうことなのじゃ」
僕二はまだ話半分くらいにしか理解できていなかったけれど、それでも大きく頷いて見せた。
僕がそう言ってから後、雨子様は次第にその姿を薄れさせつつも暫くの間黙りこくった。
真剣な表情から見るに、何事かを考え、心の中で葛藤を繰り返しているようだった。静かに静かに凝縮していく時間。やがて雨子様はゆっくりと口を開いた。
「ならば今はあたいを受け入れておくれ」
「でもどうすれば?」
「許すと、今はそう言えば良い」
許すと言えば一体どうなるのだろう?そんな思いが頭の中を横切ったが、ますます薄れつつある雨子様の有様を見ているとそんなことを考えている暇はなかった。
僕は喉をからからにしながらうわずった声で言った
「許します」
すると満面の笑みをたたえた雨子様が実に優雅に会釈をした。しかし許したからと言って一体どうなるのだろう?
後先も考えずに許すと言ってしまった僕だったが、不安が無かった訳ではない。ただ、消え行く時の雨子様の寂しそうな表情を見てしまったら、許すという言葉以外にどんな選択肢も持つことが出来なかった。
雨子様の薄まりかけた姿がぐっと濃くなったかと思うと、小さく小さくなっていく。
「雨子様?」
不安に思った僕が聞くと雨子様は顔に笑みを浮かべたまますっと光の玉へと変化を遂げた。その光の玉がふわふわと宙に浮かびながら、僕の方へと向かってくる。
思わず手を出して触れてしまいそうになるが、果たして触れても良いものだろうか?
『かまわぬ』
雨子様の言葉で無い言葉が心に響いてきた。その言葉に導かれるかのようにしてそっと光の玉に手を伸ばす。
ほんのり暖かいけれども、何かに触れているような感じはしない。ただ何と言えばよいのだろう?冬の乾燥した空気の元、セーターとかで強くこすった下敷きに起こるあれ。そう、静電気のような、ふわっとした微妙な感覚が伝わってくる。
だがそれも束の間で、光の玉はさらに僕に近づき、そして僕の胸の部分へと沈み込んでいったのだった。
「?」
するとまた声無き声が、僕の内側から聞こえてきた。
『感謝する、だが今は少し疲れた。少し休むのでしばらく放っておいておくれ…』
それから後はもう何の声も聞こえなかったし、気配すら感じることが出来なかった。数瞬もすれば今起こったことが現実にあったことなのかどうかすら分からなくなりそうな、そんな儚い現実感だった。
ともあれなるようにしかならない?それが率直な僕の思いだった。
日本人形の市松さんをイメージすると最も近いかも知れない?