唐揚げ
唐揚げは筆者の好物の一つですね
そうこうしている内にあっという間に土曜日がやって来た。
早朝からなにやら騒がしいので目を覚ましてしまった僕は、ダイニングで余りのことに目を擦って思わず二度見してしまうことになる。
階下に向かう時点で良い香りがしてくるので、何を作っているのかは直ぐに想像が付いていた。だから有るべきものを予想してダイニングの扉を開けたのだが、テーブルの上にあったのは、聳え立つ唐揚げの山また山。
しかも二種類や三種類なんかでは無く、大方十種類以上あるんじゃ無いだろうか?
いや、多分いくらかは作って持って行くだろうとは思っていた。だが僕の考えは丸で甘かった。
なんと母さんは雨子様を助手にしてこき使いながら、更にその山を大きくしていく。
「か、母さん?さすがにその量は多すぎなんじゃない?」
僕がその量に驚きながら言うと、母さんはにこやかな笑みを浮かべつつあっさりと言う。
「別にこれくらいなら多くないんじゃ無い?」
「え?でもこれ一体何人分有るんだよ?」
すると母さんが呆れたように言う。
「何言っているの?あなた聞いていなかったの?今、宇気田神社さんにはそれはもう沢山神様がいらっしゃっているんでしょう?なら皆様にも食べて頂かないと…」
成る程母さんはそこまで考えていたのか…。まあ普段お世話になっている神様方に、こう言う形ででも恩返しが出来るならと言う、母さんの考えは分からないも無い。
でもそれにしたって多い、多過ぎるのじゃ無いのかなあ?ほら、雨子様の目から光が消えているよ?
「雨子さん、もう一踏ん張りよ!」
そうやって雨子様のことを叱咤激励する母さん。雨子様は一瞬僕の方を向いて口を動かし、何事か言おうとするのだが、母さんが唐揚げを量産していくのを目にすると、諦めたかのように頭を横に振る。
「う、うむ…」
そう言いながら再び手伝いに入る雨子様。僕がそっとその場を後にしたことは言うまでも無い。
もっとも後で、雨子様にさんざん嫌みを言われてしまうのだが、既にキッチンは今でも満員御礼過密状態。手際の悪い僕が入ったところで一体何が出来ると言えよう?
僕は心の中で大きな声でごめんなさいと言うと、這々(ほうほう)の体でその場を後にした。
結局母さん達は結構大きめのパッキングケースに、全部で十いくつか位になるんだろうか?全て唐揚げだらけに仕上げて、それを更に段ボール箱に詰めて車に運んでいた。
すっかり唐揚げの匂いにまみれてしまったとぼやく雨子様は、急ぎシャワーを浴びに行き、その後バスタオルを巻いたまま二階に上がってきたかと思うと、僕のベッドの上に倒れ込んでいる。
「あ、雨子様?」
一体全体どうして人のベッドの上で伸びているんだろう?しかも裸体の上にバスタオルを巻いただけの姿で。
「疲れたのじゃ…」
ベッドに突っ伏したまま雨子様はそう言う。
「いや、確かに朝早くから大変だったと思います。でもそれとこれとは違うでしょう?」
相変わらず雨子様は突っ伏したまま言う。
「何が違うというのじゃ?」
くぐもった声が何とも不機嫌そうだ。
「だっていくら何でもそんな格好で、此処は僕の部屋ですよ?」
「そんなことは分かって居るのじゃ」
「ならなんで?」
僕はまともに雨子様の方を見ることが出来ずに、明後日の方向を見ながら会話しているのだが、多分鏡を覗いたら上気した顔が真っ赤になっていることだろう。
そんな僕の様子を知ってか知らずか、雨子様は顔を横に向けて僕の方を見ながら言う。
「せめてもの嫌がらせなのじゃ」
「嫌がらせぇ?」
驚いた僕は思わず素っ頓狂な声を出してしまう。
「そうやって困って居るそなたの顔を見ていると、なんだか少し溜飲が下がるのじゃ」
何とも酷い理由付である。
「ねえ雨子様、それってただの八つ当たりじゃ無いですか?」
「そうじゃ、八つ当たりじゃ、八つ当たりして何が悪い?」
いやもう自分で八つ当たりって認めちゃったよ?なら僕としては一体どうすれば良いんだろう?途方に暮れていると尚も雨子様が言葉を繋ぐ。
「確かに節子が唐揚げを作ると言うた時、手伝うと言うたは我じゃった。じゃがの、節子があんなに大量に唐揚げを作るとは誰が思う?それはもうとんでもないような量の衣付けから始まり、揚げても揚げても唐揚げのオンパレード、我はもう唐揚げのことが嫌いになりそうなのじゃ。されど大好きな唐揚げのこと、嫌いには成りたくないのじゃ…」
僕は思わず苦笑してしまった。まさか雨子様の心の中で唐揚げがそのような事態を引き起こしているとは。
こんな話、余所で聞いたら一笑に付してしまうような馬鹿話になるのだろうが、今こうして目の前で起こって居ると、なかなかそうも行かない。
特に雨子様の惨状を見ているともうお気の毒と言うかなんと言うか、同情を禁じ得ない。ちょこっとだけれども八つ当たりさせて上げても良いかなって思ってしまう。
そんなこんなを考えながら、静かになったのでふと雨子様方を見ると、いつの間にかすやすやと寝付いてしまっている。
いくら何でもそのまま寝てしまっては、エアコンを効かせているとは言っても、風邪を引いてしまうに違いない。いや、そう言えば雨子様って風邪引いたことあったっけ?
ちょこっと悩んでしまったが、今はそんなことを悩んでいる場合では無いだろう。
仕方が無いので出来るだけそっと仰向かせて抱きかかえ、掛け布団を捲ってその下に潜り込ませた。
その時、見えてはいけない物が見えそうになっているものだから、それはもう心臓が大騒ぎして、下手をするとこちらの方が寝込みそうになってしまう。
でも無事何も見ること無く?ミッションを終えることが出来たので、静かにベッドの上から去ろうとすると、急に中から手が伸びてきた。
「え?」
そう言葉を漏らす間もなく、僕は雨子様の腕で抱きしめられていた。
「雨子様、起きていたんですか?」
僕がそう言うと雨子様はこくんと頷いてみせる。
「すまぬの祐二、八つ当たりして…」
雨子様はそう言うと素直に謝ってくる。
そんな雨子様に僕は苦笑しながら言う。
「まあ、気持ちは分からないでも無いです。僕でも同じ状況に置かれたらきっと八つ当たりの一つもしたくなったと思いますよ?」
そう言うと雨子様は何故か膨れている。
「え?何で膨れているんです雨子様?」
そう言うと雨子様は口を尖らせながら言う。
「どうして祐二はそのように冷静なのじゃ?我には魅力は無いと言うのかえ?」
そんなことを言いながら上目遣いで見上げてくる。ちょっとこれって、神の杖も斯くやって言う破壊力なんですけど…。
「僕は雨子様がこんなに甘えん坊だって知らなかったです」
そう言うと僕の方からも腕を回して、力強く雨子様のことを抱きしめた。
そして額に軽くキスしようとすると、不意に唇を合わされてしまった。
「…もう、いたずらっ子さんですね。でも此処までですよ?」
そう言うと僕は意志力の全てを費やして、雨子様から身を引き剥がした。
「むぅう」
雨子様が少しむくれて見せるが、今はそんな時じゃないし、雨子様とそうなる時は、なんて言うのかな、ちゃんとそうなりたい?だから今は例えどんなことがあっても我慢我慢。
多分雨子様にはそんな僕の我慢が伝わったのでは無いだろうか?
「ん、我が儘を言ってすまぬ…」
そう言うと雨子様は顔を赤くしながら布団をかぶった。
くぐもった声がその布団の中から聞こえてくる。
「本来なら年上の我の方が、そなたを抑える側に回らねばならんのに、丸で逆じゃな?すまん祐二。なんと言うかの、人の身で居るとこう言う部分、微妙に抑えが効かぬように思うのじゃ。迷惑を掛けてしまうが、これからも頼むの…」
いやもう何?斯くもしおらしい雨子様、ちょっと可愛すぎなんですけれど?
「ところで祐二、ちょこっと部屋から出ては貰えぬか?」
「?」
何のことやらさっぱり分からないので戸惑っていると、雨子様が説明する。
「部屋に戻って着替えて来たいのじゃが、その、バスタオルが取れて居っての…」
僕はその説明を聞くや否や部屋から飛び出し、速攻で階下に降りてリビングに入った。
「どうしたの祐ちゃん?」
そこには出発までの一時、のんびり寛いでいる母さんが居た。
「あなた顔が真っ赤よ?」
そう言うと彼女は何かに思い当たったのか言う。
「雨子ちゃんのことは誰よりも大切にね?」
察しが良すぎる母親というのも考え物である。そしてとんでもなく気まずい沈黙の時間、その何とも言えない時間は、その後雨子様が着替えて降りてくるまで続くのだった。
もう後どれ位になるのかなあ?




