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天露の神  作者: ライトさん
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試行錯誤

雨子様の人への好奇心は尽きることがないようです

 結局僕がその質問を持ち出すことが出来たのは、夜寝る少し前の時間になってからだった。


 勿論それまでだって時間が全然無かった訳じゃない。でも日常生活の中にどっぷりと浸かっていれば、人類存亡のような危機は無くともやることは山のようにある。それが例え食卓の配膳のようにごくつまらないものと思えるものだとしてもだ。


僕はベッドの上で寝転がりながら、すぐ側にいる雨子様に問いかけた。


「質問してもいいですか雨子様?」


 彼女はその時パジャマ姿で床の上にぺたんと座り、今日買ったばかりの教科書を含めたいくつかの私物に丁寧に名前を書き込んでいた。


 マジックインキで書き込まれた黒々とした文字は、誰がどう見たって綺麗なもので、寸分の違いもないように見えていた。

 だが雨子様は一つ名前を書き込むとしばしそれを眺め、何事か考え込んだ後また次を書くと言った感じで、果たして今夜中に全ての物に名前を書き終えることが出来るのだろうか?


 そんなさなかに話しかけたのだから、もしかすると嫌がられるかと思っていたのだが、以外にもあっさりと返事をもらうことになった。


「むぅ、何じゃ祐二、言ってみるが良い」


 僕は日中のことを思いだして質問しようと思った。が、口を開いたらまず今何をしているのか聞きたくなってしまった。


「二つほど伺いたいことがあるんですが良いですか?」


「うむ」


ペンに蓋をすると雨子様は僕の質問を待ち受けた。


「まず一つ。持ち物に名前を書いているようですが、どうしてそのう…」


そう言いながら僕は既に名前を書き終えられた品物を指さしながら聞いた。


「…一つ名前を書く度に眺めたりして時間をかけているのです?」


「むぅ、そのことか」


そう言うと雨子様は名前を書き込んだ品物を目の前に並べ始めた。


「これこの通り、見ても分かるようにそれぞれの字を変えてみておるのじゃ」


「?」


 そう言われて僕は改めて書き込まれている雨子様の名前を見比べた。

しかし残念ながら僕の目で見た限りでは、どの名前もそれこそ判で押したように同じ形をしている。


 僕は先ほどの雨子様にもましてじっくりと名前を見比べてみる。だが残念ながら僕にはその差違を見いだすことは出来なかった。


「雨子様、これって本当に違いがあるのですか?」


どうにもこうにも僕には違いという物を見いだすことは無理な相談だった。


すると雨子様は急に不安そうな顔つきになった。


「祐二には分からぬと言うのかえ?」


 その表情が余りにも情けなさそうだったのでなんだか気の毒な気がしてしまう。しかし事実は事実だった。


「…残念ながら僕には違いがある様には見えないのですが…」


雨子様は急にいくつかの字を指さすと説明し始めた。


「よく見るが良い、ここはほれ、ハネが少し角度が鈍くなっておるし、この字は全体に線が細いであろ?」


説明はされたもののそれは何ら事態を改善してはいなかった。


「ごめんなさい雨子様、僕には分からないです」


雨子様は目に見えてがっくりと肩を落とした。


「でもだいたいどうしてそんな風に字を変化させようと思われたのです?」


僕がそう聞くと雨子様はほんの少しだけ元気を取り戻したようだった。


「むぅ、七瀬に言われてから後少し別の角度で人について考えてみたのじゃ。すると人の動きには皆不完全さがあり、それが逆に人のすることに意味を与えたり、目的を与えることも有ると気が付いたのじゃ」


 不完全さが意味や目的を与えると言われても、今一ぴんとくる物がなかった。そのどっちつかずの表情が雨子様に今の僕の心の状態を伝えたのだろう。


「例えるならじゃ、字は練習しておくことにより上達し、上達すると言うことで満足感を得るであろ?」


「確かにそうですね」


「人は未熟であるが故に努力し、その努力の過程に自己を昇華し、その結果に満足感を得る」


なんだか雨子様の説明は妙に必死だった。


「と言うことは雨子様はそれを得たいが為に、僕達人間のように不完全になろうとしているという訳なのですか?」


雨子様はぱっと顔を輝かせた。


「うむ、正にその通りなのじゃ。そしてそなたらと共に進化しようと思っておる」


僕はまじまじと字を見比べながら言った。


「進化ねえ。ねえ雨子様、もしかして未熟さまで計算しようとしていません?」


「むぐぅ…」


 図星だったようだ。確かにそう言うことでも実現できないものではないだろう。しかし僕は思った。


 今の雨子様は客観的には人間という物を知っていても、主観的には余りにも人間を知らない。おそらくだからうまく人という存在を認識できていないのだろう。

しかしだからと言って一体どうすれば良いのだろう?


「そうだ雨子様、僕が思うに雨子様が雨子様たる所以は有る意味その素晴らしい思考力にあると思うのですね」


「むぅ」


「んで雨子様は先日言っておられましたよね、いくつもの思考を同時にすることが出来ると?」


「うむ、確かにそう言った」


「ならば人と同程度の思考の部分だけ残して後の余分な部分は封印してしまったらどうです?勿論必要に応じて使えるようにしておかないといけないけれども」


「むぅ…」


 雨子様は最後に一言そう言うと急に黙りこくってしまった。端から見ていても今どれだけの集中力でもって思考を働かせているか分かりそうなくらいだった。しばし沈黙の時が流れた。


「…確かに祐二の言う通りかもしれんの。我が人の間に入って人として暮らそうとするので有れば、我を神となさしめておるその部分は少々邪魔なものかも知れぬ」


そう言うとまたしばし沈黙の時を持った。


「しかしこの思考力はもはや我の一部なのじゃ。例え一時的に分離したにせよ、ほとんど無意識のうちに元に戻ってしまう」


 どうやら雨子様は今の短い時間に、すでにその方法を試してみたようだった。

僕はベッドから起きあがると机のところにいき引き出しを開けた。以前サッカーの試合を見に行ったときに買った有る物がそこに入れてあった。


僕はそれを持って雨子様のところに行くと言った。


「雨子様、手を出してくださいます?」


 雨子様は怪訝な顔をしながらも素直に手を出してきた。

僕は袋を破ると中身を取り出し、それを雨子様の手首に巻き付けてから結んだ。


「これはミサンガって言うんです。本来は何か願い事をかけて巻き付け、これが自然に擦り切れてちぎれた時にその願いが叶うというものなんです。まあ迷信なんですがね」


巻き付けたそれは赤と黄を基調にした実にカラフルで綺麗な物だった。


「それで思うのですが、こういう物を鍵としてみるのはいかがです?」


「鍵じゃと?」


「ええ、これをつけているときは普通の人になって、外したときは神様に戻る。何かそう言う鍵になる物があると便利かもって思って」


「なるほど、それは名案かもしれんの。ただ単純に鍵と言う訳にもいかんがしかし…」


珍しく雨子様は口に出してぶつぶつ言いながら何事か考えていた。しかしそれも束の間。


「祐二」


「なんでしょう?」


「我はそなたに良いアイデアをもらったと思う」


「それは良かった」


「ただの、いくら言ってもこのミサンガとやらはただの物でしかない。残念ながらそれでは我の役には立たぬ。じゃがな…」


何か言いかけた僕を手で制すると雨子様は言葉を続けた。


「じゃがな、この紐にそなたの思念を織り込むことが出来れば、立派に役に立つ物になる」


「思念?そんなこと出来るのですか?」


 まるで思いもかけないような提案だった。だがそんなことを言われても果たして僕に出来ることなのだろうか?全く想像も出来ないことだった。


 雨子様はそんな僕の心情を理解してくれていたのだろう。にっこり笑いながら僕を安心させようとしてくれた。


「それについては案ずることはない。もちろん我がきちんと教えてしんぜるが故」


 雨子様がそう言うのだから僕にだってきっと出来ることなのだろう。

そしてそんなに危険があることでもないのだろう。もちろん僕は雨子様を信頼していた。いや、そのつもりだった。だがやっぱりどこか不安に思うのは致し方のないことだろう。


 僕に話しかけた後の雨子様はしばらく押し黙ったままだった。

きっと僕には分からないところでいろいろ忙しく調整か何かをしているに違いない。勝手にそんなことを想像しながらしばしの間待つことにした。


 そしておよそ五分も経っただろうか?雨子様は目の前にいる僕の手をそっと握りしめ、さっき僕が結んだミサンガに押し当てるようにした。


「肩の力を抜き、ゆっくりと深呼吸するが良い」


 僕は言われるがままゆっくりと呼吸を始めた。見ると雨子様がその僕の呼吸に会わせるようにして息をし始めている。


 不思議なもので人は肩の力を抜こうと努力すると、何となくリラックスできたりする物だ。今は緊張を解くことをもっとも大事なことと考えて、僕は出来るだけ体の力を抜くようにした。深呼吸も功を奏して心も穏やかな状態にすることが出来たように思う。

そして次なる変化を待っていると、それは心の内側からやってきた。


 その状態をなんと言えば良いのだろう?胸の奥底がふんわりと暖かく少しむずがゆいような状態とでも言えばいいのだろうか?何かが僕の心と重なり、少しずつ深く混じり会っていくのを感じた。


『ユウジヨ、ワレヲカンジルカ』


 それは僕にそう問いかけた。僕にはどう答えて良いのか分からず、ただ黙って頭を縦に振った。


『ナラバワレニココロヲアズケヨ。ワレハソナタトトモニコレヨリマイヲオドル。トモニタノシムガヨイ』


 僕には何らできることもなく、ただ雨子様のなすがままにされつつその存在を全霊で感じ取っていた。

僕の心は雨子様の心に伴われて、ゆうるりゆうるりと揺れ動き、寄せては返す波のように心が揺れ動いていく。

最初の内は乱雑な動きだったのが、次第に不思議なリズムを刻むようになっていった。今度はそれに明暗のような感覚や香りのような物までが加わってくる。

それは速やかに僕の心にも染み込んでいき、同じでありながら対極の鼓動を刻んでいく。


 それで終わりかと思っていたらさらにいくつ物変化が僕の心を押し包んでいった。それをなんと言えばよいのだろう?本来の色ではないのだけれど、僕達人間の知っている物に例えると視覚的にイメージするのが最も近いのかも知れない。

色は千差万別に変化し、またその色自体も濃い薄いに複雑にその濃度を変えていた。


 ここまでくるともうその変化は複雑すぎて、意識しては追いかけることは出来なかった。だが結局それで良かったのだと思う。僕の心は雨子様に誘われるままに、ほとんど自立的にその動きに追随し、重なり、対峙し、高め合っていった。


 そしてある時それが十分にシンクロし、整合された時、僕は二人の混じり合ったその融合体が外に流れ出ていき、巧みに編み上げられながら、先ほどのミサンガの構造体そのものに融け合っていくのを感じた。


 ゆっくりとほとんど無意識の自立した動きのまま、時が引き延ばされたようになって過ぎていく。そのあまりの静けさに意識がぼうっとし始めていた時それは突然終了した。


「祐二?大丈夫かや?」


 気がつくとそこには心配そうな表情でのぞき込む雨子様の顔があった。

そう言われるがままに心に、体に意識を巡らせるがどこもおかしいところは無いようだ。

僕はかすれた声で言った。


「ええ、大丈夫みたいです」


すると雨子様はにっこりと笑いながら言った。


「そうか、大丈夫か。それは良かった」


 僕はなんだか猛烈な眠気におそわれながら、これだけは聞かなければと思ったことを口にした。


「それで雨子様、巧く行ったのですか?」


雨子様は満面の笑みを浮かべて言った。


「うむ、今の我はもうほとんどそなたら人と変わるところはない。もちろんいくつかの能力はそのままにしておるが、我の持つ多くの能力はそなたのくれたこのミサンガとやらを鍵として封じられ、眠っておる。もうまもなくその変更が完全に確定するじゃろう。次にその能力が必要になったときは、そなたがこのミサンガを切ってくれればよい」


僕はのろのろと自分のベッドに移動しながら聞いた。


「じゃあもし元の雨子様に戻りたかったらいつでも僕に言ってくださいね」


そう言うと僕は最後の努力でベッドにその身を横たえると言った。


「僕はもう限界です、お先に寝ますね…」


 もう一刻も目を開けていられないと言った状態だった。

雨子様が僕に対して何か言ってくるのだけれども、それが何を言っているのか、すでに上手く理解出来なくなっていた。


「祐二よ、人間になった我もよろしく頼む…」


雨子様が更に言葉を紡いでいるのは分かるのだが、眠くてたまらない。残念ながらもうタイムアウトだ。


「雨子様…」


 そこまで言ったのは覚えているが、その後はもう夢の中、意識の外にあった。




ブックマークを付けて下さったり、評価を下さった方には厚く御礼申し上げます。

まったく稚拙な物しか書けないのではありますが、とても励みになっております、どうか今後ともよろしくお願い致します。

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