お腹空いた!
おにぎり、美味しいですよね?皆さんは中の具、何がお好きですか?
暫くの間、互いを失うことを恐れているかのように、ずっと抱き合ったまま二つの鼓動を一つにしていた僕達だったが、思わぬことからその身を引き離すこととなる。
「ぐ~~~~ぅ」
どちらが鳴らしたお腹の音なのかは敢えて口にしない。しかしお腹の虫も随分激しく自己主張を行ったものだ。
いかにまじめな雰囲気を醸し出している最中であっても、この音に抗うことはおそらく無理だろう。
「お腹空きましたね?」
一応男として雨子様の立場を慮って、自分がお腹を鳴らした体で言葉を発する。
でも実のところ、その顔色を見れば一目瞭然で、顔を真っ赤にしたのは雨子様だった。
「うむ…」
雨子様はそう言うと、もう一度だけこてんと胸板に頭を押しつけた後、何とも名残惜しそうにその身を引き離していった。
僕だって同様に離れがたい思いはしたのだけれども、こればかりは致し方ない。
携帯の時計を見るに、実際随分長い間食べ物を口にしていないことになっている。
そして曜日を確認するや否や思わず声を上げてしまった。
「あー、学校!」
だがそれに対して雨子様が言う。
「それなら心配要らぬぞえ。我らの戦いのせいか、…痕跡は何も残っておらんのじゃがな…世間では何かと騒ぎになって居って、学校は今日一日休校になったそうじゃ。そなたが伸びて居った故、母御が学校に電話したところ聞いた話なんだそうじゃ」
「そうなんだ。それで戦いの方はどうなったの?宇気田神社は無事防衛出来たの?」
その問いに対して、雨子様はうんうんと頷いてみせる。
「そなたが切られた隗成る化生、どうやらあやつが今回戦いの頭目に当たる立場だったようでの、あやつを倒した後は、敵は潮のように引いていき居った。じゃが本当に酷い目におうた。」
そう言うと雨子様は辟易したような顔になった。
「本当のところ、何でそなたはあの場に来たのじゃと、説教の一つもたれたいところなのじゃが、あのような形で命を救われてしまっては、言うに言えん。じゃがお願いじゃから今後もう少し良く考えてはくれぬかの?」
そう言って懇願する雨子様の言葉に僕はうんうんと首肯した。
そんなことを会話しながら階下に降りると、リビングのソファには目を赤くした母さんが居た。
母さんは黙って立ち上がると僕の所にやって来て、そして無言のまま僕のことをぎゅうっと抱きしめた。
その傍らで雨子様が申し訳なさそうに頭を掻き掻き言う。
「済まぬ祐二、節子の前で大泣きしてしもうた後に、洗いざらい吐かされてしもうた」
は、吐かされたって?雨子様?
驚いた顔で雨子様のことを見ると、ふぃっと視線を逸らす。なんと言えば良いのだろう?母は偉大なり?雨子様をして全て吐かされてしまうとは…。僕はちょっと畏敬の念を持って母さんのことを見てしまった。
「言いたいことはそれこそ山のように有るけれども、今回はまあ良いわ…と言いたい所なんだけれども、やっぱりちっとも良くない!自分がお腹を痛めた子供が、自分より先に死んでしまうなんて信じられない!話を聞いた時は目の前が真っ暗になってしまったもの!」
そう言うと僕を見上げる母さんは、目にうるうると涙を溜めていた。
「先にあなたが生きている姿を見ていたからなんとか耐えることが出来たけれど、そうで無かったら母さん、きっと心が潰れてしまっていたと思うわ」
母さんの言うことを黙って聞いていた僕だったが、その言葉の一言一句もっともだと思えることばかりだった。
逆縁の不幸って言う言葉があるけれども、こればっかりは確かに子供がやってはいけないもっとも罪なことだなと思う。
「でも雨子様に聞いたら、私達だけで無く、日本や世界の安寧に関わるようなことだって言うし、仕方無い…仕方無いって思おうとはしたのよ?でも理性ではそう理解しようとは思っても、心ではどうやったって納得出来ないのよ。何でうちの子がってね」
そこまで言うと母さんは僕のことを解放してくれた。
「ごめんなさいね、雨子さん。この子の為に身体を張ってくれたというのに母親がこんな自分勝手なことを言ってしまって」
母さんのその言葉に雨子様がゆっくりと頭を横に振る。
「そんなことは無い節子。我にもそなたの気持ちは痛いほど分かるのじゃから。我も一度こやつを失ったと思うた時には、世界を呪いそうになったものじゃ…」
そう言うと雨子様は母さんの前に跪き、居住まいを正して正座すると頭を下げた。
「本当に申し訳ない、我が付いておりながらこの為体…改めて心より詫びるのじゃ」
だがそんな雨子様に慌てて駆け寄りその手を掴む母さん。
「何言っているの雨子ちゃん、もうそんなに謝らないで下さいな。そう言う話はもう先ほどとことん話し合って、互いに納得し合ったじゃないですか?」
母さんの呼び方がさん付からちゃん付に変わる瞬間、雨子様は一瞬とても嬉しそうな顔になる。
何時だったか話してくれたのだが、その呼びをされている時、雨子様は本当に母さんの娘になったような気がしてしまうのだそうだ。
そしてその時はついつい本気で甘えてしまいたくなるのだとか。実際何度か甘えたことがあるようなのだが…
雨子様曰く、『易々と我を娘扱いしてしまうとは、節子は実に危険な女子ぞ』と言うことらしい。
ともあれそうこうしている内に母さんも気が済んだみたいだし、雨子様は…え?母さんにひっついて甘えている?最近もしかして雨子様、甘え癖でも付いたのかしらん?
このままでは少し埒が明かなさそうだったので僕が音を上げてみせる。
「お腹空いた~~」
僕の情けなさそうな声を聞くと、それまでまじめな顔をしていた母さんの表情が一気に崩れ、吹き出していた。
「祐ちゃん、あなたのその気の抜けた声聞いていたら、なんだか色々一遍に馬鹿馬鹿しくなってきたわ。もう、なんなのかしらねこの子は」
そう言いつつ苦笑している母さん。
そして雨子様は僕達親子の会話を楽しそうに見守っている。
すると母さんはなにやら思い出したかのように話し始めた。
「そうそう、お腹空いたの台詞で思い出したのだけれども、葉子ちゃんから、小雨ちゃんがなんだか急にお腹が空いたって言い出して大変だってレインが来ていたの」
僕としてはなんの話か分からず、雨子様の方を見ると、あっとばかりに口を開けている。
「そう言えばあゆみちゃんからも来てたわね。祐ちゃんに連絡しても全然出ないとかなんとかぼやいて居たみたいなんだけれども、ちゃんとチェックして上げなさいね?」
そう言われて直ぐに僕はレインをチェックしてみた。
すると何件も何件も連絡が入ってきていて、そのほとんどがユウが空腹だと騒ぐのだけれどもどうしようというものだった。
僕にはやはりその意味が分からなかったので、雨子様に内容を見せると、雨子様は頭を抱えていた。
その様子から見て雨子様は答えを知っているに違いない。僕と母さんは雨子様が答えを言ってくれるのを待つことにした。
「節子、そして祐二、彼奴等はその…此度の戦いで我に協力したが故に腹を空かして居るのじゃ。なので誠に心苦しいのじゃが、当面握り飯でも何でも構わぬ故、満足いくまで食わせてやるよう、頼んでは貰えぬかの?」
そう言いつつ母さんにぺこぺこと頭を下げる雨子様。
なんだか今日の雨子様は頭を下げてばかり?
取り敢えず一応僕と母さんについてはまあ、なんとか納得したのだけれども、果たして葉子ねえや七瀨には一体どう説明したものなんだろう?
一頻り頭を悩ませ色々と考えるが解が無い。どうしたものかと母さんの方を見ると、既にもうなにやら携帯に向かって打ち込んでいる。
「へ?母さん?なんて答えているの?」
僕の問いに対して母さんは平然とした顔で答える。
「何ってあなた、雨子さんの言う通りのこと書いているだけよ」
「え?それで良いの?」
僕が悩んだことって一体何って思いながら言う。
「だってあなた、小雨ちゃんが急にお腹が空いたって言うのが心配って言って来て、別にそれが異常じゃ無いって分かっているのだとしたら、そしたらもう後はご飯食べさせて上げてと言うしか無いじゃない?」
「はぁ…」
僕が何とも言えない顔つきをしていると、雨子様が自分の膝を叩きながら笑っている。
「さすがにこれは年期の差じゃの…」
そう言ってケラケラと笑う雨子様のことを憮然としながら見つつ、僕もまた同様の内容で七瀨にレインを打った。
すると速攻で返事が返ってくる。
「ご飯を上げるのは良いのだけれども何で?」とのこと。
それを肩越しにのぞき見た雨子様がぼそりと言う。
「節子の方にはただ一言と分かったと返ってきたのみじゃったが、そなたは何でと来たか、まあこれは仕方無いじゃろうな、ともあれ詳細はまた今度有った時にでも説明すると送ってやれ」
言われるがままレインで送るとそこでようやっと分かったと返事が返ってきた。
そして思う、この辺もまた年期の差なんだろうなと。
だがそれはともかくとしてお腹が空いた。まずは何を置いても自分のお腹の心配をしたいものだ。
「母さんお腹が空いた!」
情けなさそうに僕がそう言うと母さんは楽しそうに笑いながら言う。
「此処にも欠食児童が一人居るのね?」
すると傍らに居た雨子様が顔を赤くしながら手を上げる。
「済まぬが節子、我もじゃ…」
「え?雨子ちゃんもなのね?」
そう言うと母さんは、愉快で仕方が無いと言った表情をしながら最後に一言言う。
「お握りで良い?」
僕と雨子様は顔を見合わせる、だが否応は無い、二人揃ってぶんぶんと頭を振るのだった。
書いていて自身もお腹が空いてしまいました。(^^ゞ




