「幕間」
こう言うのを書くのは本当に難しいです。
力もテクニックも無い筆者としてはとにもかくにも勢いで推すのみ。
つい今し方まで激しい戦いが繰り広げられていた街の領域では、先ほどまでの凄まじい地響きや騒音が無くなって、いきなり静寂の世界が広がったかのような、そんな錯覚に襲われていた。
だがそう成ったからと言って、今は誰もその地に近寄ろうとする者は居ない。
連続して続く激しい戦いの音や、太陽かと思うような謎の眩しい光り、更にいきなりめくれ上がる道路のアスファルトと来れば、いくら物見高い連中でも、さすがに身の危険を感じて、誰もその騒動の元に近寄ろうとしないだろう。
そしてその中心地には天を仰ぎ見て嗚咽を漏らし続ける雨子様が居た。その両の手には無残に倒れ伏した祐二の遺骸を抱きしめている。
今その姿が余人にも見えるのだとすれば、おそらく彼女らは現世に戻ってしまっているのだろう。
少し離れたところからは、真っ青な顔をしながら土まみれになった小和香様が、地を這いずりながら、少しでも雨子様の側に近寄ろうとしている。
おそらくその姿も見えているに違いない。だがそれでも誰もその場に近寄ろうとはしなかった。
その理由は虚空の神鶏上から、和香様の放つ神力の矢に原因があった。
隗の抜けた間隙を埋めようとするが如く、通常の龍体達やその他の有象無象が攻め寄せつつあるのだが、それめがけて和香様が矢継ぎ早に矢を射かけている。
攻め寄せる敵自体は隠世に存在する為、人の目には見ることが出来ないのだが、それに射かけている和香様の矢は膨大な神力のせいも有り、目映いばかりに光って見えてしまうのだった。
天空からそのような光の矢が次から次へと降り注いできた日には、それが絶対に無害であると確信出来ない内は、とてもじゃないが近寄る気にはなれないだろう。
強大な力を持つ隗にこそ効かなかった和香様の矢で有るが、その他の者達には絶大な効果を発揮し、瞬く間に付近に居る敵を全て平らげていく。
その隗についてで有るが、凄まじい勢いで彼方に吹き飛ばされていくのは見えたのだが、以降それがどうなったかについては未だ確認が取れていない。
ただ一つ言えるのは吹き飛んでいる最中でも、隗の命の炎が消えることは無かったと言うことで、即ちそれは隗を討ち果たした訳では無いことを意味していた。
だがそれでも和香様には十分に有り難かった。地上の敵を掃討しきった時点で、ようやく神鶏を落ち着かせることに成功し、言うことを聞かせられるようになってきたのだ。
和香様としては少しでも早く雨子様の元に向かい、何が出来るかを考えてみたかった。そして小和香様のところに向かい、精を使いきっている彼女に力を分け与えて労をねぎらってやりたかった。
神鶏の首元に手をやり、優しく撫で語りかけながら地上に降りることを促す。
そうやって少しずつ高度を下げ始めた矢先のことである。
「あれはなんやのん?」
和香様は目を見開いて雨子様の方を見た。
既に泣き疲れたのか、祐二の遺骸を抱きしめたまま呆けたように天を仰ぎ見ている雨子様。その周囲から次第に滲み出てくる黒き闇。
すわあれも敵かと思って矢を射かけて見るも、何の干渉も及ぼすこと無くすっと闇の中に飲み込まれていく。
「あれは拙い、あれは拙いで…」
焦る和香様。急ぎ神鶏に雨子様の所に行くように促すが、あの闇が出てきてから再び神鶏が言うことを聞かなくなってきた。
これ以上の猶予は無いと和香様は、速度を無視することにして天歩に切り替え、神鶏より降りて自らの足で雨子様の元に向かう。
天を歩くと書いて天歩と言う。空中に足場を設けて、その上を走りゆく神術なのだが、神鶏の飛ぶ速度に比べると、明らかに遅い。
それでも人間が全速力で走るよりもかなり早いのだが、湧き出てくる闇の速度が幾何級数的に増してきて、どんどん雨子様達の身体を覆い隠していく。どうやらその闇が雨子様を覆い尽くすまでには間に合いそうも無かった。
ようやっと地に降りた和香様は雨子様のところに向かいながら、途中、小和香様のことも拾い上げていく。見ると精の尽きた小和香様はいつもの小さき分霊の姿にまでなっていた。
「小和香、ように頑張ったな」
和香様は自らの精を分け与えながら、小和香様の無事を喜びつつ、その健闘を褒め称えてやる。
しかし無事和香様の手により抱きとめられた小和香様は、一気に緊張の糸が途切れたのだろうか、ただもう泣きじゃくるばかり。
その余りに激しい嗚咽に、和香様もまた涙を流さずにいられなかった。
「祐二さんを…雨子様を…」
辛うじてそう言った単語を聞き分けることが出来たものの、それ以外に意味のある言葉を何も聞き取ることが出来なかったのだ。
そんな小和香様に優しく声を掛け、抱きしめ、癒やそうとしながら、和香様は足早に雨子様の元に向かう。
そしてその直近まで辿り着くことは出来たのだが、既に雨子様の姿は闇の中に飲み込まれてしまっていた。
「何やねんこれは?」
和香様が得体を探ろうとして、軽く手を触れようとして見るも、どうにも触れることが出来ないのである。
強く力を入れることで、黒き闇のようなそれの表面より、数センチのところ迄は近づけはするのだが、それまでである。それ以上は如何様に力を使おうとも梃子でも動く気配が無かった。
試しに小和香様が持っていた薙刀を借り受け、えいやと気合いと共に切りつけて見るも傷一つ付かないでは無いか?
「これは面妖な、そやけどどっかで見たことあるなこれ?」
そう呟きながら首を捻る和香様。そしてその首元にしがみ付いている小和香様。
もう涙でぐしょぐしょである。
丸で小さな女の子のように泣きじゃくる小和香様のことを慰めながら、暫く思案した和香様は、ようやっとそれが何に似ているのかを思い出したのだった。
「前に雨子ちゃんが落ち込んでしまって、祐二君が助けに行ったことがあったけど、あの時、雨子ちゃんの中に有った闇?あれになんやよう似とるで」
和香様のその言葉はまさに正鵠を射ていた。彼女の想像通りその闇、或いは闇のような物は雨子様の心の奥底深く、雨子様自身も与り知らぬような深み、そこより湧き出しものなのだった。
さて一方、その闇の中に飲み込まれてしまった雨子様なのだが、未だ祐二の遺骸を抱きしめたまま、魂を抜かれたようにただもう天を仰ぎ、じっと静止したままだった。
勿論そのような見かけであっても、雨子様が何もしていないわけでは無い。全て失ってしまったかに見えた精のエネルギーでは有るが、未だ完全に失いきってしまったわけでは無いのだ。
では一体それはどこに残っているのか?
答えは全くもって実に簡単、雨子様自身を構成しているその身、そのものだった。
そこで雨子様は自らを少しずつ削りながら精の形に戻し、その精を使って何とか祐二の命を取り戻そうと藻掻いていた。
だが今の雨子様にそれほどの力が残っているのだろうか?否。今の彼女に出来るのはせいぜいほんの僅かな合間、あるがままの姿の祐二をただ残す、それのみだった。
だがそれですら、刻一刻と雨子様の力を削っていく。
その為、雨子様はその形をどんどん維持出来なくなっていった。
高校生の姿を取っていた雨子様は、やがてに着物姿の小さな女の子になり、それが進むと可愛らしい人形の大きさの雨子様。
更には人型を維持することも適わなくなり、光りの塊のような存在になる。
そしてその間、常に雨子様は譫言のように祐二の名を呼び続けているのだった。
「祐二…祐二…」
光りの塊はどんどん小さく弱くなっていく。それと共に雨子様の人格そのものも崩壊し始め、退行現象を起こしていく。
でも、それでも雨子様の魂は祐二のことを忘れることは出来なかった。一度命を失いかけた時、その魂を分け合った仲であることを考えれば、それも当然のことだったかも知れない。
「ユウジ…ユウ…ジ…ユ…ウ…」
何度も繰り返し呼ばれていた祐二の名すら、もう呼ぶことが難しくなっていた。
やがてに全ての光りが消え去ろうとする。
そう成れば雨子様を為していた一切のものがこの世から失われ、もう二度と愛する者の名を呼ぶことも出来なくなってしまう。
後には命の炎の消えた、かつて祐二と呼ばれた人の残滓が残るのみ。
時が流れ、訪れ来る終焉。
真黒き闇が全てを飲み込み、支配し、その場のあらゆるものを均一に染め上げていく。
分け隔て無く一様に、祐二の遺骸をも取り込み、色濃き闇と静かに何もかもが同一になっていくのだった。
陰極まれば……




