閑話「静けさの中」
また少し物語りは進んでいきます…
日曜日の午後一時を少し回った頃、人数分の焼き飯を調理し終えた節子は、皿に注ぎ分けると、廊下に出て家族に声を掛けた。
もっとも、今日は夫は出張先に行ったまま戻っていないので、祐二と雨子様の二人と言うことに成る。
階上から扉越しに直ぐに返事が返ってくる。
ダイニングテーブルに料理を盛った皿を配し、湯飲みにお茶を注いでいると二人がやって来た。
そして節子は雨子様の赤く腫れた目を見るなり、慌ててその元に飛んでいった。
「どうしたのその目は?何かあったの雨子さん?」
だが雨子様は直ぐに答えるでなく、少し顔を赤くしながらそのまま俯いてしまう。
雨子様の挙動を見て、彼女からは直ぐには聞けないと思った節子は、少し強めの口調で祐二に聞いた。
「祐ちゃんは答えられるの?どうして雨子さんの目がこんなに赤いの?」
すると祐二もまたどこか困ったような顔をしながら顔を赤くしている。
節子はここに来て二人の反応から、有る結論を導き出していたのだった。
「雨子さんちょっとこちらへ…」
そう言うと節子は雨子様の手を取り、キッチンの中へと連れて行くのだった。
そして雨子様の手を取り自らの手で包み込むとその目を優しく見つめた。
恥ずかしそうに下を向いていた雨子様がおずおずと顔上げ、そして節子の目を見つめると微かに頷いてみせる。
節子の顔にぱあっと笑みが広がる。
「そう…、ようやっと思いを繋げられたのね?」
節子がそう言うと、雨子様は顔に朱を散らしながら再び頷いた。
「おめでとう、雨子さん」
そう言うと節子は雨子様の身体を引き寄せ、ぎゅうっと抱きしめるのだった。
その言葉に雨子様は感動したのだろうか、泣き止んでいたその両の目から再び涙が溢れ始める。
それを見た節子は、優しく雨子様の背中を叩きながら、彼女の泣き止むのを静かに待っていた。
「頑張ったのね?雨子さん…」
何とかようようにして泣き止むことの出来た雨子様は、申し訳なさそうに微笑む。
「さて、はたして本当に我が頑張ることが出来たのかどうかは分からぬのじゃが、祐二がその…、だ、大好きじゃと言うてくれたのじゃ」
「あら?」
そう言うと節子は眉根を持ち上げた。そして確認の為にも聞く。
「と言うことは祐二の方が先に好きと言ってくれたのね?」
雨子様はかろうじて節子の目を見ながらそうだと頷く。
時に神様然とした姿がとても凜々しい雨子様なのであるが、恋を初めて知った乙女に相応しい初々しさで、当たり前に見掛ける女子高生達と何ら変わることの無い、そんな趣だった。
「祐ちゃん頑張ったんだ…」
そう言いながら節子がダイニングの方を見ると祐二と目が合う。
すかさず節子は腕を振り上げてガッツポーズをしてみせる。
離れたところから節子ら女性二人の様子を眺め見ていた祐二には、大凡二人がどんな話をしているのかについて、想像出来ていたのでは無いだろうか?
節子のガッツポーズを見るや否や、顔を赤くしながら小さくピースサインを送ってくるのだった。
そうやって息子の健闘を密かに褒め称えている節子に対して、雨子様は小さな声で言う。
「まさか祐二が、普通の女子に対するように、我を好いていてくれているとは思わなんだ…」
「あらあら…」
節子はそう言いながら雨子様の目を見つめると優しく言う。
「私の目には時に雨子様も普通の女の子に見えますよ?」
「そ、そうなのかえ?」
節子の言葉を聞いた雨子様は、笑みを咲かせながら嬉しそうに言う。
「ええ、勿論ですとも…」
節子のその台詞を聞くと、雨子様は独り言を言うように呟いた。
「そうなのか、今の我は普通の女の子なのじゃな…」
神様である雨子様にとってそれが喜ぶべきことなのか否か、時に議論を呼ぶようなことなのかも知れないが、本人にとっては間違いなく嬉しいと思えることのようだった。
だが雨子様は、そこでふと顔に影を差しながら言う。
「じゃが節子はそれで良いのかえ?」
そう言いながら雨子様はとても不安そうな表情になる。
「雨子さんは一体何をそんなに心配しているの?」
節子は雨子様の不安の原因が分からず、仕方なしに素直に問うた。
「その、何と言えば良いのかの?わ、我は、我が身は神じゃ。だからその…」
そう言うと雨子様は顔を真っ赤にして下を向いてしまった。
だが少しずつではあったが何とか言葉を紡ぐことは出来たようだ。
小さな、小さな、蚊の鳴くような声で言う。聞き耳を立てなくては直ぐ側に居る節子にも、聞こえないほどだった。
「声声声声声声声声声声声声声声」
雨子様のその言葉を聞いた節子は、ようやく合点がいき、申し訳ないとは思いつつも思わず吹き出してしまった。
「雨子さんたら…」
そう言いながら必死になって笑いを抑え込み、手の甲で涙を拭った。
「あのね雨子さん…、今はまだそんなこと考えなくて良いのよ。恋してその素晴らしさを楽しむ、それだけで十分よ?今この時この瞬間を雨子様にも存分に楽しんで欲しいと思うわ」
「楽しむ?」
不思議そうにそう言う雨子様。
「そうよ雨子さん、楽しむの。読書家の雨子さんのこと、そういう小説も沢山読んでいたのでは無いの?」
節子にそう言われて、雨子様は初めて思い当たったようだ。
そして人の身で楽しむことの意味を少しずつでは有るが、理解し始める雨子様なのだった。
しかし彼女をしてまさか自分の身に起こりうることとは思っていなかったようで、何とも夢のように感じている。
「のう節子よ」
「なあに雨子さん?」
節子はそんな雨子様のことが可愛らしくて仕方無いらしい。
本当のことを言えば、神である雨子様の年齢は節子など比べるべくも無いくらい、遙かに年上なのであるが、今の彼女はただの年頃の女の子でしか無かった。
「我はそなた等、人と言う定命の存在のことを、命短く哀れな物と捉えて居るところが有ったが、どうして。一体どれだけ生きて楽しむことに長けて居るのじゃ?」
今度は節子が不思議そうに問う番だった。
雨子様のその言葉に節子は思案気な顔をしながらふと考え込む。
「さてどうなのかしらね?私なんか毎日夢中になっているだけだから、あんまり考えてみたことは無いかも?」
「そうなのかえ?」
やはりどこか不安なのかも知れない、雨子様は節子のことを本当に縋るような目で見てしまう。丸で拾ってきた子犬みたい?
そんなことを思っていた節子は、葉子の子を抱いた時以来の胸の痛みを感じていた。
「ああもう…可愛いんだから」
そう言うなり節子は雨子様のことをぎゅうっと抱きしめてしまう。
脈絡も無く急に抱きしめられた雨子様の方は、何がなにやらまったく分からないと言った感じで、目の視点が定まらない。
そんな二人の様子をダイニングの方で見ていた祐二は、急に抱きしめられて目を回している雨子様を見ながら、母さんは一体何をやっているんだろうと訝り続けていた。
だがそれも僅かな時間のことで、節子に手を引かれるようにしながら雨子様が戻ってきた。
全員が席に着くのを見計らったかのように節子が口を開く。
「さあ、冷めない内にって…冷めちゃったか。皆、温め直す?」
節子のその問いに雨子様も祐二も首を横に振る。
「じゃあ食べましょうか…」
「「頂きます」」
そう言って口を付ける。たかが焼き飯、されど焼き飯。
料理上手な節子が作ったそれはなかなかの逸品だった。
雨子様は一口々に入れるなり顔を綻ばせて次へと進む。祐二に至ってはもう息をする暇が無いのでは無いかと思うくらいだった。
だがそんな祐二では有ったが、節子からの声が掛かった時点でぴたりとその手が止まる。
雨子様も節子が何を言うのか気になって食べるのを止めた。
「祐ちゃんも雨子様も良かったね?」
何が良かったかなんてここではもう言う必要は無いだろう。
「最初雨子様から相談を受けた時には、どうしたものかしらって思うこともあったのよ。だってこう言うのってある意味、成るようになってみるしか無いところがあるから…」
そう言いながら節子は少し身を乗り出す。
「ただ家の場合、二人とも私の家族という立場でも有るから、どちらかが一方的にしんどい思いになりでもしたら、困るかなーって思っていたんだけれども、まずはおめでとう、二人とも」
そう言う節子の言葉に雨子様と祐二は目を見合わせると、顔を赤くしながら素直に喜んだ。
雨子様はやはり未だ恥ずかしいのか、ついつい下を向いてしまう。
一方祐二は頭を掻きながらの照れ笑いとなっていた。
「それでこれからのことなんだけれども…」
そう言うと節子はほんの少しだけ眉根に皺を寄せた。
「雨子さんはある意味大人の女性なのだから、私の方からはもう何も言いません。もっとも今はちょこっと危なっかしいけれどもね」
そう言うと節子は雨子様にウインクしてみせる。
それを受けた雨子様は微苦笑をしながら、居座っている椅子の上でほんの少しだけ縮こまる。
「それから祐ちゃん、こんなことは女親の私の口から言うのも何なんだけれども、あなたは男の子なんだから、自重することもちゃんと考えてね。そして雨子さんのことしっかりと守るのよ?例え雨子さんが神様であろうが何であろうが、私は祐ちゃんにそう言う男の子で居て欲しい。あくまで私の希望ね?」
そう言うと節子は照れ洗いをしていた。
それに対して祐二はなんの言葉も口にすることは無かったが、しっかりと口を結び、意を決するかのような面持ちで頷いてみせるのだった。
以前、雨子様を書いて行くに当たってまずイメージを求めて、とあるイラストの使用許可を得たと書きましたが、実は節子にもモデルとなる存在がいます。とある物語りの登場人物なのですが
彼女は女魔術師で、妹の子どもを育て一国の王への道を歩ませ、世界の危機と対峙させます
実は似てないところだらけなんですが、勘が良く聡明であるところなど、有り様は寄せているかも?




