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天露の神  作者: ライトさん
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帰宅

 形がこれと定まらない人の思いを書くのは、時に百文を書くよりも難しいなと思う今日この頃でした。


 和香様のところでの楽しい時間を過ごした後、僕達は和香様と小和香様に見送られて車に乗り、帰宅の途についていた。


 まず七瀬を送っていくと言うことで少し遠回りになっているのだが、それでも掛かる時間がそう延びるわけでも無く、おそらく三十分も経たないうちに到着することだろう。


 そのように短い時間であったにもかかわらず、母さんと七瀬はニー吸いと言う騒ぎに疲れ果てていたのだろう、車が走り始めて数分と経たないうちにすやすやと寝息を立てていた。


 七瀬の膝の上にはユウがいて、彼もまた眠りこけている。が、ともすれば転げ落ちそうになっていたので慎重に押し返してやる。もう食べられないとか言っているが、余程沢山食べてきたのだろう。

 その七瀬の膝の上に涎の水たまりが出来つつある。きっと後で一悶着あるのだろうな?

そう思うと苦笑を禁じ得なかった。


 夜の町を疾走する車の中から、じっと外を見つめている雨子様の横顔、街の明かりが次々と過ぎていく。

 最近雨子様はよく笑う、実によく笑う。僕はそんな笑っている雨子様のことも好きだったけれど、今のように、あるがままで何かを眺めているような雨子様を見ていると、本当に綺麗だなって思ってしまう。


 勿論そう言った思いを口にすることは無いのだけれども、何時かちゃんと言葉にすることが出来る時がやってくるのだろうか?ん?少しくらいは口にしたっけ?


 外を見ながらじっと黙ったままで居る雨子様に囁くように話しかける。

もしかしたら何事か考え事をしているのかと思い遠慮しがちの小さな声だった。


「雨子様?」


 耳聡く雨子様は直ぐに気が付いたようだ。


 雨子様からはさん付けで読んで欲しいと言われては居るのだが、どうしても様付けで呼んでしまう、それだけ口に馴染んでしまっているのだろう。

 雨子様本人からはそれについての不満を時折漏らされている。しかし最近は匙を投げ気味というか、努力目標で良いと言われてしまった。ごめんなさい雨子様。


「何じゃ?祐二?」


「今日は小和香様と例の杖の話をされておられたのですね?」


 雨子様の片眉が微かに上がる。


「…見て居ったのかえ?」


 僕は小さく頷きながら言葉を返す。


「ええ、そしてお二人のとても真剣な表情が気になってしまって…」


「はぁ…」


 雨子様は小さくため息を吐くと頭を僅かに横に振った。


「そなたらに聞かせたくない、見せたくないからこそあの時を選んで居ったというのにのう…」


「すいません」


 僕は何だか申し訳なくなって頭を下げた。

それを見た途端、雨子様が小さく吹き出す。


「プフッ、何を謝って居るのじゃそなたは本当に…」


 そう言った後、雨子様は僕の耳元にそっと口を寄せた。


「そなたの言う通りじゃ、現在の杖の進捗状況について話しておった」


「それで?」


 そう言いつつ僕が雨子様の方を向くと、雨子様の唇が目の前にあった。

艶やかでしっとりとした光りを帯び、魅惑的な美しい唇。

 その唇が静かに言葉を紡いでいく。僕はそのたおやかな動きから目を離せなかった。 


「杖の動きは順調で何の問題も無いということじゃった」


 そう言いつつ雨子様は少し顔を赤くした。


「祐二…そなた一体何を見て居るのじゃ?」


 僕はその時魅入られたようになって普段なら言わない様なこと、心の奥にあるそのままの言葉を口にしていた。


「雨子様の唇が綺麗だなって思って…」


 するとその唇は何か言葉を形作ろうとした途中のまま止まり、やがて再びゆっくりと動き始める。


「馬鹿…」


 そう言うと雨子様はそっと手で僕の頭を引き寄せ、僕の額にしっとりと口づけをしてくれた。


「そなたの我に対する賞賛、それに対する褒美じゃ…」


 そう言い終えると雨子様は身をよじり、車の外の風景に心を移していったようだった。


 それでも、それでも何となくでは有るけれども僕は感じていた。

雨子様の思いが窓の外に有るのでは無く、今も僕に向けられていることを。


 狭い車の中、隣同士で座っているのだから伝わるものも有る。

ゆっくりと高まっていく僕と雨子様の体温、別々の温もりが肌の接している部分から次第に混じり合い、ゆっくりと一つの熱になっていくのを感じる。


 もしかすると僕は雨子様のことが好きなのかも知れない。まだ微かな感覚、予感の前兆ですら無いのかもしれないが、そんな事をふと思ってしまった。


 でも…。雨子様は神様。そして僕はただの人間でしか無い…。

そこまで思い馳せ考えを巡らせたが、その先に思いを届かせること適わず、僕は、今のこの思いを深く心の奥にしまい込むこととした。


 それから少しして車は七瀬の家に到着した。

すっかりと熟睡している七瀬の肩を揺らし、家に到着したことを告げる。

 がしかし、丁度熟睡期にでも入っていたのだろうか、なかなかすっきりと起きてくれない。


「ほらしっかりしろよ」


 ここに来てようやっと目を覚ます。そして気が付く膝の上の涎の水たまりに。


「!」


 むんずとユウを掴み上げる七瀬、目が怖い。これは相当怒っているぞ?


「ユウ?あなたこれどうするの?」


 七瀬の騒ぐ声に母さんが事態を知り、ハンドタオルでその水たまりを拭いて少しでも綺麗にしようとする。

 幸いただの涎なので(笑い)ごく普通の湿ったシミにしか成らなかったのだけれども、七瀬はかんかんになって怒っている。


 一方ユウは自身の失態に素直に頭を下げ、甘んじて怒られるままという状態になっていた。


 ルームミラーを見ると、父さんが興味深そうにことの成り行きを見守っている。

良いなあ、僕もその立場になりたいよ。そう愚痴りたかったが残念ながらそうも行かない。


「七瀬、そのくらいにしておけよ、さっき母さんがレインしてたから、そろそろお前のお母さんが出てくるぞ?」


「え?まじ?大変これどうしよう?」


 そういう七瀬は何だか泣きそうな顔になっていた。確かになあ、見ようによってはまるでお漏らしでもしたかの様に見えないでも無い。


「そそっかしい祐二がそなたに飲み物を渡そうとして、うっかり零したことにでもすれば良いのじゃ」


 とは雨子様。そそっかしい?それで僕の失敗って言うことに?そんな…。まあ仕方無い良しとしよう。


「いいよいいよその理由で。それで良いからさっさと車から降りるんだ。ほらお母さん来られたぞ?」


 そう言いつつ僕は七瀬の手の中に居たユウをつまみ上げてその肩に載せた。

心得たものでユウはたちまち穏身を掛けて姿を消した。


 七瀬に続いて僕達吉村家全員も車から降りて、彼女のお母さんと挨拶をした。


お母さんはしきりと頭を下げて礼を言っているが、家の母さんがその身を無理くり起こして、楽しかったのはこちらもですとか何とか言っている。


 一応我が家から近所のスーパー銭湯に行ってきたのだと、皆で口裏を合わせてある。


 一頻りの交流を終えた後、僕達は再び車上の人となり、さようならの言葉に見送られつつ七瀬達を後にした。


 七瀬の家から我が家までとなると僅か数分の距離となる。

加速して少し走り、直ぐに減速する程度だから本当に近い。


 父さんはやや眠そうだったが、母さんは一頻り眠った上に、たっぷりのニー吸いの後ともあって、元気いっぱいでにこにこしている。


「良かったなあ猫ちゃん」


 そんなことを一人呟いている。


「母さん、言っとくけれどもニーは黒豹なんだからね?そして本当の所は人工知性みたいなものなんだからね?」


 僕がそう忠告するも、母さんはきょとんとして


「でもニーちゃんはニーちゃんじゃ無い」


 と言う一言の元に切り返してくる。むー、これはもう論理じゃ無いんだ。感性か何かの問題なんだろう。

 見るとルームミラーの向こうで父さんが頭を横に振っている。

多分なんだけれども、父さんが既に何度も乗り越えてきていることなんだろうな。


「それくらいにしておくが良い祐二」

 

 雨子様も苦笑いしながら僕にそう言う。多分雨子様をして母さんのあの論理には適わないと思ったのだろう。


 やがて家の車庫に到着すると、皆それぞれ荷物を手に家の玄関をくぐった。


「ただいまあ」


「お疲れ様あなた」


「お疲れ様じゃったの」


 当たり前のことなのだが、やはり我が家というものは良いものだ。

何はなくともまず我が家、そんな言葉が自然に心の内から湧いてくる。


 洗濯物を出し荷物を片付けると僕は部屋に戻り、どさりとベッドに横たわった。

和香様のところも凄く綺麗で落ち着く環境なんだけれども、それでも今ここに在る物は代えがたい、そう思ってしまうのだった。


「トントン」


 ノックの音がする。

僕は慌てて起き上がるとベッドの端に腰を掛けて返事をした。


「はぁい、どうぞ」


 僕がそう言うと雨子様が入ってきた。両の手に布団を抱えてのことだった。


「今日は楽しかったですね?」


 僕がそう言うと雨子様はにっこりと笑んだ。


「そうじゃの、久しぶりに何と言うかその、羽目を外してしもうたかの」


 そう言う雨子様の口調が何故か少し柔らかいような気がする。


 雨子様は僕のベッドの傍らに布団を広げると、ぽんぽんと叩いてシーツの皺を伸ばしている。足下に折り畳んだ布団を載せ、頭となる方にぽふんと枕を置く。


 そこで僕は暫く疑問に思っていたことを口にした。


「雨子様」


「何じゃ祐二」


 そう言うと雨子様は自分の布団の上にすとんと女の子座りで腰を下ろした。

袖口にフリルのついた可愛らしいパジャマの上に、暖かそうなフリースのカーディガンを羽織っている。


「最近は和香様に力を分けて貰うことが多いのですよね?」


 雨子様が口にされることは無いが、見ているだけで幾度か有るような気がする。


「何じゃそなた、気が付いて居ったのか?」


「はぁ、何となくですが、そうかなって」


「何とも目敏いやつよの?」


 そう言うと雨子様は苦笑した。


「そう言う時に側に居ると、なんて言うのかな?静電気みたいに肌がぞわってするんです」


 僕がそう言うと雨子様は驚いたようだ。


「なんとそのような副次現象が生じて居るのかや?」


 そう言う雨子様に僕は首を横に振った。


「七瀬が横にいても何も感じていなかったみたいですから、多分僕だけが感じているみたいですよ」


 それを聞いた雨子様は暫く沈思黙考状態になった挙げ句、やがて静かに口を開いた。


「おそらくでは有るがの」


 僕は雨子様が言葉を継ぐのを待った。


「そなたと我の間に回廊が開いて居るからなのであろうな」


「回廊?」


「我はそなたから精のエネルギーを融通して貰って居るであろう?更にそれだけでは無くそなたは我の心の内にも…。その時通常の繋がりよりも遙かに帯域の広い繋がりになったのじゃ、多分。我らはそれを回廊と呼んで居る」


「成る程そう言うことですか…」


 僕は自分だけに起こる謎の現象の答えに行き着いて少しほっとしていた。


「それで?」


 雨子様はそう言うと僕の目の奥を覗き込んできた。


「それでって?」


「そなたが聞きたいことはそれだけでは無いのであろ?」


 そこまで言われて僕はようやっと、自分がしたかった最初の質問のことを思い出した。


「雨子様は和香様から精を分けて貰うことで、以前のように精の不足に困って居られるわけでは無いですよね?」


「うむ、確かにそうじゃの」


 そう答える雨子様の唇が微かに歪む。


「なら…なんて言うのかな?その…妙齢の、美しい女神様である雨子様が…」


 そこまで言って僕は言い淀んでしまった。

だが雨子様には僕の言いたいと思ったことなど全てお見通しのようだった。


「のう祐二、そなた我と共に居るのは嫌かの?」


 僕は思わず声を高くしていった。


「嫌なわけ無いじゃ無いですか!」


 そういう僕に対して雨子様はあくまで静かにゆっくりと言う。


「我もなのじゃ。我もそなたと共に居たい…」


 そう言うと雨子様は立ち上がり、僕の元へやってくると、両の手を広げて優しく僕を包み込んだ。


「我にとってそなたは心を分かち合った愛し子ぞ、母にとって子が居らぬ寂しさはこの上も無い。我は永い時の中、そのほとんどを孤独の元生きてきて居る。適うならもう独りは嫌なのじゃ。側に居てはくれぬか?」


 その時雨子様が自らを母と呼び、自分がただの女として祐二を愛しつつある思いを偽って語ったこと、そのことを僕は知らなかった。


 だからその後雨子様が吐いた吐息を、孤独を苦に思うものだと思い、孤独から解き放たれたことを安堵に思うものだと思うのだった。


 だが実際、雨子様にとってその吐息は、愛しい者に事実を語れぬ自分の不甲斐なさを吐き出すものであり、神たる身で期せずして嘘偽りを言ってしまったことへの、慚愧の念に由来するものでも有るのだった。



 徐々に、本当に僅かずつではありますが、雨子様と祐二の恋心が交わりつつある?のかな?

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