雨子様の時間
時の流れ方というのは人それぞれ、さて雨子様にとっての流れとはどんな何だろう?
翌朝目が覚めるとやっぱりもう雨子様はいなかった。寝ぼけ眼で階下に降りていくと、彼女は母に髪を結ってもらっていた。なんだか気持ちよさそうに目を閉じている。
母もそれが満更で無いようだった。
「おはよう」
僕が声をかけると雨子様は目を開けた。
「むぅ、おはようじゃな」
それは全く日常の朝の光景だった。ただ彼女が神様であることを除けば。だがそれさえもこうやって日常の中に埋もれていくと忘れてしまう。
当たり前に朝御飯を食べて、当たり前に家を出、当たり前に学校に通う。僕にとって当たり前のこと。雨子様にとってはどうなんだろう?
全能神とは行かないまでも僕たち普通の人間に比べたら、十分にそれに近いのに何か違和感のようなものは感じないのだろうか?
僕は並んで歩く雨子様のことを時々ちらちらと盗み見た。
「何じゃ祐二、我に何か用が有るのかや?」
と雨子様。しっかりと僕が見ていることを察知していたらしい。
どう返答したものか僕も迷ったが、正直に聞いてみることにした。
「雨子様」
「むぅ?」
「雨子様は僕とこうやって学校に通っていることに何か思うことはないのですか?僕にはどうも…」
「なんじゃ、言うて見るが良い」
「神様が人間の学校に通うなんて不思議な気がしてしまうし、退屈とかそう言うことはないのですか?」
すると雨子様は微かに声を漏らしながら笑った。思うに最近の雨子様は何かにつけよく笑う。神様って元々そんなに良く笑うものなのだろうか?
僕自身は神様を知っているとは言っても、雨子様しか知らないから何とも評価の下しようがなかった。
「そうじゃな、有り体に言えば本来は退屈なことであるはずじゃ」
「本来はって?」
「むぅ、祐二は我が元々肉体に頼らずに存在できる存在だと知っておるの?というか、それが本来の形なのじゃが」
僕は雨子様の問いに黙したまま頷いて見せた。
「うむ、今の我はこうして肉の体を纏うて居るが、本当のところ心の部分は実は本来の状態のままの形を保って居る」
「それは一体?」
僕は雨子様の説明の意味することがわからず質問した。
雨子様はそんな僕の質問ににっこりと微笑んだ。
「うむ、そのように好奇心を持つのは良いことじゃ。して、それが何を意味するかということなのじゃが、まず祐二らの有り様を考えてみるが良い」
「僕たちの?」
「うむ、そなたらが物を考える時はどうやって考える。それは何に依存しておるかや?」
僕は頭を働かせながらゆっくりと話をした。
「僕たちが物を考えるのは、頭、つまり脳で、脳は電気化学的な反応で思考を形作るのじゃなかったっけ?」
僕はうろ覚えの知識をなんとかかんとか引っ張り出すことに成功した。
「むぅ、まあおよそそんなものじゃな。じゃが我らはそなたらの様に肉体の反応に依存しておらん」
僕はその説明で何となく合点が行ったように思った。
「なるほど、だとすると雨子様の思考は肉体に依存することなく、もっと高速度で動く、行ってみたらコンピューターの高速素子のようにはやい速度で演算…していることになるのかな?」
「コンピューター?とやらについてはまだ今一つよう分からんが…」
雨子様が手招きするので何事かと近寄ると、背伸びしながら手を伸ばしいきなり僕の頭を撫でた。
「あ、雨子様?」
僕が慌てると雨子様は怪訝な顔をした。
「なんじゃ?人間の間では子供が何か頑張って正解を出した時には、かようにして頭を撫で賞賛するのではなかったかえ?」
僕は思わず顔を赤くしながら説明した。
「確かにそれはその通りですが、あくまでそれはもっと小さな子供の時の話です」
雨子様はまだなにか腑に落ちないらしい。
「我と比べればそなたは十分に子供じゃが、それではまずいのか?」
確かにそれは雨子様の言うとおりなのだが、それだとうちの両親だって子供も同然だ。僕は父が雨子様に頭を撫でられて御満悦になっているところを想像し、思わず吹き出してしまった。
「むぅ」
そう言う雨子様はなんだか少し不満げだった。
「どうやら我の基準で物事を計ってはいかんと言うことのようじゃな」
雨子様はそう言うと実に残念そうに自らの手と僕の頭を見比べた。
「それはさておき、思考の速度の問題じゃが、我らの思考速度はおそらくそなたらの言うコンピューターとやらの早さよりも圧倒的に早い。何故なら我らの思考は物体に依存しておらぬからな。しかも常に最適となるように形態を変えもして居る。そして記憶容量も比較にならんほど大きい。そこから何が考えられるかや?」
雨子様から僕に質問が投げかけられる。仕方なく超鈍速の頭脳をフル回転させて思考した。そして考えたことを述べた。
「と言うことはもしかして、雨子様の生きている時間の流れって実は僕たちのものよりも圧倒的に早いのですか?」
雨子様は我が意を得たりと満面の笑みを浮かべた。
「まさにそのとおりじゃ。しかも我は表面上は一人じゃが思考の中では多数の流れを持っておる」
雨子様にそう説明されてもすぐに合点が行くほど僕は切れ者じゃない。だがじっと僕のことを見ている雨子様のことを見ながらあれやこれやと考え、少しずつその意味を理解し始めた。
「あの、それで雨子様は僕たちみたいに思考速度の遅いものと関わっていてじれったくはならないのですか?」
すると雨子様は苦笑しながら言った。
「それがの、我も不思議なのじゃがなぜかちっとも退屈にならんのじゃ。まあ一つには我が今に至る迄、これほどまでに深く人とつきあうことがなかったせいもあるかの」
「え?そうなんですか?」
「うむ、じゃがそれだけではないな。何故なら我が何か考える場合、周りに有る事象全てをひっくるめて考えてしまう、そんな癖?が有るでな。多くの場合役にも立たんのかもしれんが、習い性というのかの…、ともあれ我が思うほど人のこと知らなんだと言うことに今更ながら気付かされて居るよ」
雨子様ほども長く生きる機会が有れば、深く人と関わることも一度や二度ではないと思っていただけにその言葉は以外だった。
「勿論、願いを叶えるために何度も人等の間に分け入ったことはあった。じゃが関わることはなかったからの。ふむ…」
雨子様は僕と並んで歩きながら何やら物思いに沈んだ。果たしてそんな風に考え込むようなことが何かあったっけ?
疑問に思った僕は何はともあれ雨子様に声をかけた。
「雨子様?」
すると雨子様は今初めて存在に気がついたとでも言うような顔で僕のことを見つめた。
「むぅ?」
その一言で何用かと僕に問う。ともあれ僕は聞きたいことを聞いた。
「一体何を考えておられるのですか?」
一瞬きょとんとした顔をした後雨子様は苦笑した。
「ああ、すまぬな。すっかりと考えることに夢中になっておった。大したことではないのじゃ。要はそなたとどうしてここまで深く関わるようになったのかと、今までの経緯を考えておったのじゃ」
その答えに今度は僕の方が首を捻ることになりそうだった。
ふと気がつくと道の先で七瀬が手を振っている。僕も応えて手を振る。だが振るまでもなくあっと言う間に彼女のところにたどり着いた。
「おはよ!」
元気良く七瀬が話しかける。
「おはよう」
とは僕。しかし雨子様はまだ何か考え続けているらしく、
「うむ」
と一言言うだけだった。
そんな雨子様の様子を見た七瀬は、その場から僕を少し引き離すと耳元で小さな声で囁いた。
「あなたのところの神様、また何かあったの?」
僕は思わず苦笑した。
「またとはまた…」
「だって…」
と七瀬は口をとがらせた。ここで彼女の機嫌を損ねても意味がないので今までの経緯を話してやった。
「ふーん、そんなことで考え込んでいるんだ」
そう言った七瀬はなんだか不満げだった。だがそれが一体どうしてなのか思い当たることがない。
だがいきなり僕の腕をつかんだかと思ったら突拍子もないことを聞いてきた。
「祐二はあの神様のこと好きなの?」
いきなり一体何を聞いてくるのかと思ったら、何とも呆れた質問だった。
「相手は神様だぞ?恋愛の範囲に含めるには少し無理が有りすぎないか?」
僕にしてみたら好きとかそうでないとかの埒外に分類されている物だった。
しかし七瀬は食い下がってきた。
「祐二はそうでもあちらはそうじゃないかもしれないよ。」
残念ながらこういう色恋沙汰は僕なんかより七瀬の方が遙かに詳しいだろう。
「そうなのか?」
そう聞くと七瀬はしばらく考え込んだ。
「うーん、わかんない」
「わかんないって、お前なあ」
妙なことを言って勝手にこちらの心をかき乱しておいて、分からないなんて言うのは無いだろうに。しかし愚痴ってみても始まらない。
僕自身にはそんな思いはないし、雨子様にだって有るとは思えなかった。おまけに七瀬自身にしてみたってその兆候を見出すことが出来ないと言うので有れば、それはもう無いも同然のことだった。
きっとその思いが表情に出ていたのだろう。僕の顔を見つめていた七瀬は軽く肩をすくめて見せた。
いよいよ押し詰まってきました。もし定期更新がなかったら、その忙しさに飲まれているのだとご理解下さいませ




