雨子様の秘密一
極めて卑小な我が生体CPUが、オーバーロードして煙を上げそうになりました。
突然の和香様の言葉に僕は驚いてしまった。これから僕は一体どんな話を聞くことになるのだろうか?
僕が本当にそれを聞いて良いのかと、恐れる気持ちはあったのだけれど、思うに和香様が話す必要があるからこそ話されるのだと考え、黙って拝聴することにした。
「それでなんやけど、祐二君は最近の雨子ちゃんのこと見てどない感じてる?」
突然の和香様の問いに、僕はその答えを求めて暫く逡巡した後に喋り始めた。
「なんて言うのかな、明るくなったというか、良く言えば人間臭くなった?悪く言えば神様っぽさが抜けた?…こんなことを神様に言って良いのかどうか分かりませんが…」
僕が心配そうにそう言うと和香様は屈託無く笑いながら言った。
「あ~、かまへんかまへん。今回に限っては何言うてもかまへんで。オフレコって言うことにしておくから。もっとも祐二君に限って言うなら本当ならもう何言うてもかまへん。君はそれに値するだけ、もううちら神様の信頼を得てるねん」
僕はそこまで自分のことを信頼してくれることを嬉しく思いながら、これから先話されるであろう内容について不安を感じていた。
「それでな、その雨子ちゃんなんやけど、確かに君の言うように、ここ暫くの間にほんまに大きく変わったって思うてるねん。その変化の度合いが余りに大きいもんやから、実を言うと、八重垣と一体何が起こっとるんやろうって、不思議がっとってん。それで色々調べたり検討したりしとってんけど、どう考えても君の存在が鍵になっているとしか考えられへんねん」
僕は意外な神様の打ち明け話に困惑しながらも、なお続く話にじっと耳を傾けた。
「それでな、八重垣と色々話おうたんよ。雨子ちゃんの変化の元になってる君には、一度話せることを話しておくべきやないやろかってね」
今、こうして話している和香様の顔には、普段全く見せたことのないような真面目な表情があった。
その和香様は、僕が何かを決心するのを待っているかのように暫し言葉を止めた。ぴんと張り詰めた、息をするのも辛くなるような重い沈黙の中、静かに時間が流れていく。
無言の時の重みが心にのしかかる。僕の心の中を、僕と雨子様が紡いできた様々な思い出が去来する。雨子様の喜び、雨子様の悲しみ、雨子様の笑み、そして雨子様の涙。
皆が知っている雨子様も居れば、僕しか知らない雨子様も居る。厳格な神様のことも有れば、屈託のない一女子高生の雨子様。
僕は本当に様々な雨子様のことを思い出しながら、その雨子様の過去を知るという重みを考える。本当に僕なんかがそんな話を聞いても良いのだろうか?
だが僕は思った、僕はこの話を聞かなくてはならないと。だから僕は何も言うこと無く黙ったまま首肯した。
すると和香様は、これまで見せたことのないような厳かな笑みを見せながら言った。
「ありがとうな祐二君、なんやむっちゃほっとしたは。うちは思うねん、雨子ちゃんのことをほんまに救うことが出来るのは、祐二君しかおらへんと…」
「雨子様を救うですか?そんな…神様を救うなんてこと、僕なんかにはたして出来るものなんでしょうか?」
僕がそう話すのを聞いた和香様は相好を崩して言う。
「何言うてんの、君はもう二回も雨子ちゃんのこと救うてるやんか?」
なるほど、そう言われてみれば思い当たらぬことも無いでは無い。しかしあれらは偶々(たまたま)で、本当の意味で救おうと思って救ったのでは無かった。ただ失いたくない、そんな思いで夢中になって動いた、その結果でしかないはずなんだ。
「なんや迷うてるみたいやなあ。祐二君らしいと言えば祐二君らしいな。一度目はこの世から消えようとしていた雨子ちゃんに、縋るものの無い雨子ちゃんに、君と言う寄る辺を与えたこと。二度目は、深く自信を損失してしまっていた雨子ちゃんに、君自身という生きる目的を与えたと言うこと」
僕は苦笑した。
「僕自身が雨子様の生きる目的ですか?いくら何でもそれは大げさすぎるのではないですか?」
僕は余りの和香様の言葉にかなり困惑していた。雨子様が自責の念で消失しかけた時に、僕に出来たのはただ雨子様を追いかけ、求めたと言うことでしか無いからだ。
「あのな祐二君、君見てて雨子ちゃんには自己肯定感というか、存在を安定させようという意思というかそう言う類いのものが薄いと感じることはあらへんか?」
僕は和香様にそう言われてみて初めて、雨子様のこれまでの有り様を一部理解出来たような気がした。
「神様って君ら人間が呼んでいるうちらのこと、本来は純粋なエネルギーだけで出来た知性体なんや言うことはもう知っているんやな?」
「はい、昔雨子様に教えて頂きました」
「うん、ちゃんと教えていたんやな。それでその純粋知性というやつは、元々その有り様として、強烈な自己肯定とか存在感というようなものが無いと存在できひんのや。元々が何も無いところに精のエネルギーだけ集めて存在を成り立たせているんやから、当然というたら当然かも知れへんな」
僕は黙って神様について今明らかにされることに耳を傾けた。
「まあそうや言うても、その存在の為の仕組みって言うのはほとんど潜在意識下で自然に働くもので、普段はあえて意識するようなもんやあらへん。でもな祐二君、雨子ちゃんはその仕組みがものすごう脆弱なんよ」
「それはまたどうして?」
僕の中では神様という存在はイメージとして盤石のように思えるものだった。なのに同じ神でありながら、どうして雨子様だけがそのように脆弱なのか?僕は雨子様のことを思い浮かべながら自然とその答えを求めてしまう。
「これを説明する為には時間を遡らなあかん。それで祐二君、君はどうしてうちら神族がこの地球に来たとか、そう言う話は聞いている?」
そう聞かれた僕は、雨子様から聞いていた話を思い起こしていたのだが、はたして和香様に、そんな神様の深奥の秘密に関わるようなことを、既に雨子様から聞いていると言っても良いのだろうか?僕は迷いに迷ってしまった。
だが和香様はそんな僕の思いや悩みをも既に十分に理解していたようだ。
「心配いらへんで、祐二君。うちも八重垣も、君が何を知っていたとしても驚かへんし、それを責めたりもせえへん。それはうちの名において保証するから安心し」
そこまで言われて僕は初めて全てを話す決心をすることが出来た。別に和香様のことを信用していない訳では無いのだ。それでも雨子様の存在を掛けるということは話が別になるので有る。
「僕が伺っているのは、神様方が遠い遠い昔に肉の体を捨てられて純粋知性体になられたこと。その時に一族の科学力を結集して宝珠というものを作り上げ、それを皆さんの命の糧としたと言うこと。その後、一族間の考え方の相違から争いに発展し、結果その宝珠を失うことになったと言うこと。その後生きる為の糧を求めて宇宙を彷徨い、その内の一集団がこの地に来られて僕達人間と関わりを持ち、やがて神になられたと言うことくらいでしょうか?」
僕の説明を聞いた和香様はうんうんと頷きながら言った。
「そうやね、概ねはそんなようなことや。宝珠を失ったうちらは精の損失を最小限にするべく、それぞれの個性に別れとった存在を一度集合させたんよ。それからうちらは新たに精を得る為に宇宙を彷徨い、時に道を異とするものを集団から分離させたりしながら、それこそ何千万年も宇宙を流離うてきたんよ。実はな、ここからが肝なんよ」
和香様はそう言うと空の遠い彼方を見つめるように視線を彷徨わせた。
「うちらは本当になーんもあらへん、茫漠とした宇宙空間を彷徨うとったんやけど、あ、勿論途中には色々な星々もあったし、生命体もおったんよ。けどそれらのいずれもがうちらに精を与えるようなもんと違うかったんよ。まあでも今はその話はどうでもええは。それでやな、あてどなくその宇宙空間を彷徨いとったところ…」
神様方が宇宙を彷徨くって、僕は動物園の檻の中を彷徨く熊のことを思い出して苦笑した。
「…恒星間に横たわる空間の、ほんまに何にも無いような所で見つけたんよ」
「見つけた?一体何を見つけられたのです?」
僕は和香様の持って回ったような言い方に、微かな苛立ちを感じがなら聞いた。
「それはな、間違い無くうちらの一族のものなんやけど、何と言えば良いんやろか、言うて見たら全ての感情やら生きる意志やらが抜け落ちたような…」
僕は恐る恐る聞いた。間違いであって欲しいと思いつつも、既に確信を持ちながら。
「それが雨子様だった?」
「そうやねん、まさに祐二君の言うた通りや。ただな祐二君、当時の雨子ちゃんは雨子ちゃんであって、雨子ちゃんやあらへんかった」
それを話す時の和香様は何だかとても苦しそうだった。多分その当時のことを思い出すことすら躊躇われているに違いない。神様をしてそのように思われるとは、一体当時の雨子様はどのような存在だったのだろう。
「その時の雨子ちゃんは、感情というものが一切存在せず、うちらが何を話しかけても、どんな刺激を与えても何も返してこない、黒い穴のような存在やってん。当時のうちらは数十万の個性の集合からなる一団でな、その合議によってこの知性体は放棄した方が良いと言うことになりかけてん。でもな、うちや八重垣を初めとする幾万かの者達が反対してん」
「それはまたどう言うことで反対されたのです?」
「それがな、皆には聞こえへんねんけど、一部のもの、つまりは反対した者達だけにやねんけど、たまに雨子ちゃんのところから歌のようなものが聞こえてくるねん」
「歌のようなもの?」
「そやねん。あくまで歌のようなもの。君らの概念で一番近いものと言うたら歌やから、取り敢えずそう言っているんやけど、うちらの心に悲しみのようなものが、微かにでは有るけれども伝わってくるねん。思い出すにそれは例えようも無く深く悲しいものやった。そしてそれを聞いた者は何とかせなあかんと言う思いで満たされていったんよ」
「それでどう為されたんです?」
「それでな、その者らはなんとか助けたい思うてんけど、それは全体の決定に反することやんか?そやから意見を異にする者達だけで袂を分ってん。言うて見たらその集団がこの星に来ると言うことに成ったんやけど、それはまた別の話やから置いとくな?」
「はい」
「それでうちらはその存在の心を取り戻すべく、色々なことを試みながら、徐々にでは有るけれども人間性を、うちらの場合は神性かな?を取り戻すことに成功しつつあったんや。けど、そうは言うてもうちらに何とか出来たのはせいぜいそこいら辺くらいまでやった。取り敢えず個として存在できる程度にはリハビリ出来たんやけど、後は本人が何とかせなあかん。取り敢えずこの先どうしたらええんやろうな、そんなことを考えておった時分に、うちらはこの星に辿りついたんや」
「それで僕達人類に関わることを始められたと?」
僕がそう言うと和香様はくすくすと笑われた。
「おもっきり端折ったら祐二君の言う通りやねんけど、当時の君らは、確かに少しばかりもらえる精は持ってはいたけど、まんま猿も同然やってん」
「さ、猿ですか」
僕は苦笑しつつ吹き出した。
「ごめんしてや、別に悪気が有る訳や無いねんで?」
僕は慌てて謝る和香様を言葉と手振りで止めた。
「とんでもないです和香様、和香様に悪気があるなんてこれっぱかしも思っていませんから」
僕がそう言うと和香様は嬉しそうに頷いた。
「で、その当時のうちらは何とかもう少しまとまった精がもらえる存在になるよう、君らの進化を後押しすることになってん。これも大変な事業で偉い暇がかかったんやけど、それでもようように目処が立って、祈りの形で君らからある程度まとまった精がもらえるように成ったんや。丁度それと同時やな、君らからうちらが神様認定されたのは」
そう言うと和香様は少し照れ臭そうに笑った。
「やがて祈りを通じての精の授受と、願いの寄与のシステムが上手く行き出すようになると、より柔軟に人の願いを聞き届けられるようにせなあかんやろ?事ここに至って初めて、これまで精を節約する為に維持していた集団をばらすことになって、それぞれが独自の神として君らと係わることが出来るようになったんよ」
「つまり今で言う八百万の神々の誕生という訳なんですね?」
「ん、まさにそう言うことやね。その頃には雨子ちゃんもまだ少し危うさは有ったものの、独り立ち出来るようなところまでは来とってん。そやから彼女の個を尊重して独立させてんけど、まだちょこっと心配やったから、うちと八重垣の側に置いとってん。そしたら雨子ちゃん、あないに理知的なところがあるやん、うちと八重垣が喧嘩したりするとしょっちゅう仲裁とかしてくれて、お陰でうちも八重垣もさっぱり頭が上がらん様になってしもうた。って、その話は横に置いといて…」
そう言うと和香様は暫し口を噤んだ。そして少し悔しそうに唇を噛むと、やがてゆっくりと絞り出すように言葉を吐いた。
「まあそうやって何でも熟すようになったから、もう大丈夫やろおもて、完全に独り立ちさせて、社も持たせとってん。本来うちら神は、互いに干渉しすぎることを嫌うから、暫く雨子ちゃんに構うことを止めて放っておいとってん。そしたらあのざまや…」
そう言う和香様は本当に何とも無念そうだった。でもなんとはなしにだけれども僕には分かるような気がした。
ある意味それは無限の命を持つという、神様方の特性故と言えることなのかも知れない。
要するに時間に無頓着なのだ。雨子様のことを放っておく…つまり放って置きすぎたのだと僕は考えた。
「結果は祐二君も知っとるよな?いつの間にか祈りを受ける民を失い、生きる為に必要な意思を見失い、小さく小さく収縮していって、完全に消えてしまう直前、君が見つけてくれたんや。そして雨子ちゃんの強き寄る辺となってくれた。祐二君…」
そう言うと和香様は僕に向かって居住まいを正した。そして丁寧に深く頭を下げると言った。
「君には心から感謝する」
僕には和香様のその動きを止める暇も無かった。この国の神の頭となるこの御方に、まさかこのように頭を下げられるとは思いもしなかった。
「和香様どうか頭をお上げ下さい。僕は自分が思ったまま、為すように為しただけなんですから」
僕にそう言われて頭を上げた和香様は泣き笑いをしながら少し困った表情をされる。
「祐二君、うちはなあ、そんな君やからこそ雨子ちゃんを任せられるんやで?ありがとうな」
そして和香様が言葉を続ける。
「それでな、雨子ちゃんの話はまだこれからなんや」
和香様はそう真剣な眼差しをしながら言われると、更に言葉を繋いでいった。
今回もまた重く面倒な文章をここまで丁寧にお読み頂きまして、ありがとうございます
もう少しだけ続きますので、どうかのんびりで良いのでお付き合い下さいませ。




