七瀬、雨子様を知る
昔から祐二と仲の良い七瀬、彼女もまた雨子様のことを知ることに。
その数分後僕らは我が家にたどり着いた。その間交わされた言葉はない。
「ただいま~」
僕がそう言うのと同時に七瀬はその手を離した。どうも手を握っていたこと自体忘れていたらしい。珍しく動揺を表に現していた。
「おかえり」
とは母。台所からタオルで手を拭きながらやってきたが、それはきっと雨子様のことをおもんぱかってのことだろう。
だがそこに七瀬がいたことから、多分即座に事態を見抜いたのだろう。余分なことは何も言わずに彼女を招き入れてくれた。
「あらいらっしゃいあゆみちゃん、家に来てくれたのは随分久しぶりね?」
「あ、お久しぶりです」
七瀬の母に対する信頼は絶対のものがある。そのせいか彼女の緊張が見る見る内に解けていった。
「飲み物持っていくから上がって上がって」
母の言葉に追い立てられるかのように僕たちは玄関を上がり、部屋に向かった。部屋には雨子様が真っ先に入り、次に僕、おしまいに七瀬の順だった。
雨子様は既にちゃっかりと僕のベッドに腰掛けている。そこで僕は七瀬を僕の勉強机の椅子に座らせ、僕自身は隣の部屋から葉子ねえの椅子を借りてきて座った。
「さて、話をする環境は整ったようじゃの?」
と雨子様。全く落ち着き払って丸で天気の話でもするようだった。あの泰然自若とした話しぶり、さすが神様と言うべきなのか?
「して七瀬よ、我に何が聞きたい?」
単刀直入に雨子様は聞いた。七瀬が僕の顔を見た。ここに来て本当に聞いても良いのかどうか不安になったのだろう。それは彼女自身のためでも、雨子様のためでもなく、おそらく僕のためを思ってくれてのことだと思う。
実際七瀬は芯に強い部分を持ちながら、どこかアンバランスな部分があってそれが脆さに通じている。その脆さは滅多なことで表にでることもないし、その脆さ自体を知るものもほとんどいない。だが結果、その脆さ故に守ったり支えてたりしてくれる存在を常に必要としているのだった。
だがどうも本人自身はそのことに気がついていないらしい。そしてなんだかんだと言いながら人の庇護者を演じようとする。
今この瞬間そんな七瀬の心の一端を垣間見たような気がした。口ではどんなことを言おうと、繰り出されるパンチでどんな痛みを与えようと、彼女の本質はとても優しいものだった、少なくとも僕にとっては。
僕はにっこりと七瀬に笑って見せた。その笑みの意味を七瀬がきちんと解しているかどうかは怪しいものがある。だがそれでも七瀬にとっては十分だった。
ほうっと溜め息をついて少し深呼吸した後、ゆっくりとした口調で話し始めた。うん、今の七瀬なら大丈夫だ。
「じゃあ単刀直入に聞くわね。天宮さんが祐二の従姉妹だって言うのは本当?」
七瀬とは決して短くない付き合いだ。その付き合いの中で今まで一度として雨子様の話など出たことがないのだから、その疑問は至極当然の物と言えるのではないだろうか?
「むぅ、否じゃ」
雨子様も七瀬に負けずあっさりと直球で投げ返す。だがその返事自体が変化球なので七瀬は戸惑った。
「否って?否って何?」
その質問は雨子様ではなく僕に向けられた。
やれやれ、ここは両者の仲立ちをする役目を仰せつかるしかないだろう。
「否って言うのはな、従姉妹だろうって聞いたからそれは違う。それは否だって言うことさ」
七瀬はそう説明する僕の顔をまじまじと見つめている。まあ普通はそうだろう。今の世の中にこれほど大時代じみた言葉で会話を行おうとする人間はおそらくそうは居ない。
七瀬の頭の中に僕の言葉が染み込んでいき、発酵して次の質問が泡となって浮かんでくる。
「じゃあこの人は一体誰なの?」
まあ普通ならそう言う疑問が浮かんでくるだろう。果たしてその問いに対する答えを彼女は受け入れることが出来るだろうか?
「我か?」
雨子様は丸で躊躇することもなく、世間話のように話を進めている。
七瀬がごくりと喉を鳴らすのが聞こえてきそうな気がした。七瀬は黙ったまま頷いた。
「我は神じゃ」
それまで雨子様の方に向いていた七瀬はぐるりと振り返って僕の方を見た。
僕は軽く肩をすくめてみせる。七瀬の唇が無音のまま僕に問いかける。
『本当?』
僕もまた黙ったままゆっくりと頷いて見せた。
七瀬の目がゆっくりと時間をかけながら、少しずつ見開かれていく。元々クリクリと大きな黒目がちな目をしている七瀬だったが、こんなにまん丸な目をしているのを見たのは初めてだった。
「やれやれ…」
そうつぶやいたのは僕だったのか、それとも雨子様だったのか今一つ確かに記憶が残っていない。
ともあれ僕は雨子様との馴れ初めを、少しずつ一から話して聞かせたのだった。
途中母がお茶菓子を持ってきた時の中断を除き、ほぼ二時間余り僕と雨子様の出会いを説明した。
そしてすべての説明が終わった時、七瀬はその目に大粒の涙を浮かべてボロボロとこぼし始めていた。
「神様が、神様がこの世に居るというのなら、どうして、どうして…」
七瀬がそう言うのにも十分に訳がある。
彼女の母が父親と別れてから後、七瀬母子が歩んできた人生には一言では語り尽くせぬ物が有った。
当然ながら子供の頃の七瀬が心の声を引き絞るようにして神様に祈ったのも一度や二度ではなかったろう。
だがその願いが聞き届けられることはなかったのだ。まあ当然と言えば当然だ。
我々人間が思い描き奉った神様と、たまたま縁あって人間と結びつく様になっていった雨子様たち神様では、接点はあるもののある意味全く別個の物だった。
だから仮に七瀬の願いが聞き届けられなかったとしても、その責めは雨子様たちに問われるべき物ではなかった。
もちろん一からきちんと説明を受けたのだから、七瀬にもそのことは十分理解出来ているはずだった。だがそれでも神というブランドは強力無比な物なのだった。
流し始めた涙が止まらず、かつて見たことがなかったくらい泣きじゃくる七瀬。
その様に居たたまれ無くなった僕が彼女のそばに近寄ろうとすると、雨子様がそっとそれを止めた。
「良い、これは我の仕事じゃ」
そう言うと雨子様はゆっくりとベッドから立ち上がり、七瀬の側に歩み寄った。肩に優しく手をかける。耳元に何事か囁きかける。
その言葉が一つ、また一つと染み込んでいくに連れ、何度も何度も頷く七瀬。やがて彼女は雨子様にしがみつくようにしてその胸に顔を埋めた。
時が止まり、そして流れていく。ゆっくり、ゆっくり、傷つき傷んだ魂を癒しながら。
しばしの間感情の大波に身を任せていた七瀬は、深い海の底から浮かび上がるかのように、ゆっくりと普段の自分を取り戻していった。
雨子様の胸からとき放たれた七瀬の顔は、涙とはなでそれはもうどうしようも無い状態になっていた。
そんな七瀬に僕はボックスごとティッシュを渡した。
気恥ずかしそうに笑う七瀬。そんな七瀬の生の感情を表した顔は久方ぶりに見たように思う。
一方雨子様は…。涙とはなでべたべたになった制服の胸を見て呆然としていた。そして有ろうことか今度は雨子様がポロポロと涙をこぼし始めた。
「あ…雨子様?」
驚いた僕が声をかける。
「いやな、そなたの母御が用意してくれたこの制服とやら、結構気に入って居ったものでな…」
そう言うとまたはらはらと涙をこぼす。どうも僕には雨子様の心の内がまだ良く分からない。七瀬の泣きやんだ今はとにかく雨子様を慰めることにした。
「心配いりませんよ雨子様。葉子ねえの制服はまだいくらも換えがあるし、それだって洗濯すれば済むことですから」
「そうなのか?」
未だ不安そうな表情で僕に問いかける雨子様。
「はい」
肯定する僕の返事を聞くと、たちまちにして雨子様の涙は止まり、表情が華やいだ。
端からそんな僕たちのやりとりを見聞きしていた七瀬がぽつりと言った。
「私ね、雨子さんが神様なんだって言われても、実は信じることが出来なかったの。でもね、なんだか今の会話で不思議と信じることが出来たように思う」
瓢箪から駒とはこのことなのかも知れない。もっとも当事者の僕だって、雨子様がその様々な能力を明らかにしても、しばらくは神様だとは信じることは出来なかったから人のことは言えなかった。
ともあれ百万言を積み上げて諭すよりも、本人の納得出来る事実が一つ有ればよい。意外なことで七瀬が雨子様の正体を信じてくれたことを実にラッキーなこととして受け止めた。
「ところで雨子さん、神様ってことを考えると雨子様って言った方が良いのかしら?」
七瀬は半ば雨子様に、半ば僕に問いかけた。
「むぅ、衆生の間での呼び方が普通はさん付けであるのならその方が良いのではないか?」
とは雨子様。いや、呼び方だけ変えたとしてもそのしゃべり方自体を変えなかったらやっぱりおかしいって。
僕は心の中でこそそうつぶやいたけれども、当面その意見を口にすることは控えた。
「故に祐二」
「はい?」
いきなり名前を呼ばれて僕は面食らった。
「そなたも我のことは雨子様ではなく、雨子さんと呼ぶが良い」
「はぁ…」
何とも気の抜けた返事をしながら、僕はちらりと七瀬を見た。彼女は興味津々で成り行きを見守っている。
「ところで雨子さん」
七瀬が口を開いた。
「くどいようだけれども、雨子さんは神様なんだよね?」
「むぅ、いかにも」
そう答えながら雨子様は微かに苦笑していた。
「じゃがな、そなた等の間で一般的に信じられているような全知全能の神とは程遠いものじゃ。我らの一族がそなた等人族より圧倒的に進んで居ったが故に、そちらから我らに献上された称号とでも言えば良いじゃろうか?」
「称号?」
七瀬はびっくり眼をしながら、その飲み下しにくい言葉を反復した。
「でもそうは言っても私達よりも圧倒的に優れているのだから、その分沢山のことが出来るのでしょう?」
「むぅ、沢山というのはえらく曖昧じゃの?何を基準に沢山と言えば良いのか…。じゃが出来ることは多くとも、出来ないことの一つが我らにとって深刻な事態を引き起こしていれば、果たして我らはそなた等より幸せと言えるかどうか…」
雨子様が一体何を言っているのか、皆目見当がつかなかったのだろう。七瀬は目顔で僕に問いかけた。しかし他の相手になら良く回る口なのに、どうして僕が相手となるとこうも言葉をうまく出せないのだろう?
彼女とのつき合いは結構長いつもりだったけれど、未だ改善されない不思議事項だった。もっともそれでも、大体は彼女の言いたいことが分かったから困ることはなかったのだが…。
さて、雨子様がいったい何を意味してああ言ったのかだが、果たしてそこまで七瀬に説明しても良いのだろうか?
「ちょっと雨子様」
僕は雨子様の間近に行くとそっとその耳に囁いた。
「雨子様たち神様の弱点とも言うべきことをそうも簡単に話して良いのかな?」
「うむ」
雨子様はそう返事しながらにこやかに笑った。
「我の思うに、七瀬は良い人間じゃと思う。しかもそなたとは深いつき合いなのであろ?」
いきなり深いつき合いと言われてぎょっとした僕だったが、おそらく雨子様に他意はないと思われるだけに、ぐっと感情をかみ殺した。
「まあそうだね、両親や葉子ねえを除いたら僕のことを一番良く知っているかも」
「むう、今はそれに我も加えるべきじゃな。もっとも我の知識は人の基準からするとだいぶ偏って居るのかもしれんがの」
そう言うと雨子様は少しいたずらっぽそうな顔をしながら、僕のことを少し下から見上げた。そして何かに気がついたかのように微かに目を見開いた。このタイミングだと多分今し方自分の言った言葉の意味に思い当たったのだろう。
しかしさすがは雨子様と言うべきなのか?或いはそれが当たり前なのか?平然とその思いは流してしまったようだ。
「それはさておき、それだけそなたのことを知っている者に対して、詰まらぬことで嘘を言うのはまずいことではないかえ?」
それは確かに雨子様の言うとおりだった。
「故に我はそなたの口からきちんと説明がなされることを期待して居る」
「かまわないのですか?」
雨子様は満面の笑みを浮かべながら言った。
「そなたの判断を信頼する」
こうも直裁的に人を信頼することができる雨子様の判断基準と言うのは、一体どこにあるのだろう?
勿論僕としてはその判断を信頼してもらえるのはとても嬉しいことだった。だがだからと言って自身の判断に絶対の自信が持てるかというと、とてもじゃないがそれには遠く及ばないと言うのが実感だった。
ともあれ今は僕の判断と言うよりも、雨子様からの期待を受けてと言う形で事の次第を話すことに決めたのだった。
僕は雨子様たち神様がなぜこの星にくる羽目になったかという事から初めて、悪しき付喪神の存在の可能性に至るまで、できるだけ平易な表現になるように気をつけながら説明をした。
その説明の最中、時折ぽつりぽつりと七瀬が質問を挟んでくるのは、彼女が事態をきちんと理解している証拠だろう。
気がつくと窓の外は真っ暗ですでに日はとっぷりと暮れ切っている。出来るだけ分かりやすいようにと、懇切丁寧な説明をしたのお陰かどうか、僕が話し終えた頃にはどうやら七瀬も得心が行ったようだった。
だが得心が行ったとしても半分おとぎ話の世界のような話だ。彼女は僕と雨子様の顔を交互に何度も見続けていた。
「これが祐二に聞いた話でなかったら絶対に信じられなかったと思う」
有る意味それは何とも嬉しい表現だった。ここの所少しばかり意志の疎通がまばらだっただけにその溝が埋まったような感じがした。
と、そこへ母が部屋の外から声をかけたきた。
「そろそろ一段落ついたのかしら?」
ドアを開けないのはきっと気を使ってくれたのだろう。僕は席を立つと自ら母を部屋に招き入れた。
「今終わったところなんだ」
母や部屋に入るなり七瀬を見、次に雨子様を見つめた。
「どうやら一応の話は終えたみたいね」
そう言うと母はクスクスと笑った。その笑いの意味が分からず僕は雨子様と顔を見合わせた。
母にはその素振りだけで十分だったらしい。ちゃんとその笑いの意味を教えてくれた。
「だってね、雨子様の秘密は一人で抱えるには少し大変過ぎたでしょう?だから少し心配していたの。でもあゆみちゃんが協力してくれるなら安心かな?」
なるほどそう言うことか、僕は思わず苦笑してしまった。だが雨子様には今一つわからなかったらしく、何とも怪訝な顔つきをしている。だがこの阿吽の感覚はまだ神様には難しいのかも知れない。
ともあれ秘密を守ることについての重みが少し軽くなったのは母の指摘したとおりだった。
「ところであゆみちゃん、お母さんにメール打っておいたから今日は晩ご飯、家で食べて行きなさいね」
確かに時計を見るととっくにそんな時間だった。
「あなたのお母さんの方も今日は遅くなるみたいだし、一石二鳥かしら」
そう言いながらにっこり微笑むと母は悠然と部屋から出ていった。いきなりやって来たかと思ったら言うだけ言って、あっと言う間に立ち去っていく。
その素早さに一瞬皆が飲まれてしまった。と、そこへ更に追加。
「もうご飯出来ているんだから降りてらっしゃい!」
僕は肩をすくめながら頭を少し振った。そんな僕の有様を見た二人の女性がふっと目を合わせ、その後笑い始めた。
前言撤回、雨子様も十二分に阿吽の呼吸がわかっている。さすがに神様だけあって?わあわあとは笑わないけれども、手で口を押さえながら笑いを抑えきれない風だった。
一方七瀬と来たら涙を流しながら笑っている。別にそんなにおかしいことでもないだろうに。
そんなことも思ったのだけれど、今まで話していた内容が内容だけに、多分その落差が笑いに火をつけたのだろう。
僕が呆れ返りながら七瀬を見ていると雨子様が話しかけてきた。
「祐二よ、そなたの母御はなかなかの人物じゃの。時折母御自身も神の一族では無いかと思ってしまう位じゃ」
「え?」
僕の口から思わず言葉が勝手に飛び出してしまった。しかし無理無いのじゃないのかな?いくら何でもあの母が神様だなんて。だがそのことを口にしないだけ僕は賢明なつもりだった。特にこの場には母の強力な味方が二名も居るのだから。
僕達はその後すぐに帰ってきた父も含めてみんなで五人で食卓を囲んだ。勿論父は雨子様のことは既に知っている。
その点我が両親の連携は完璧だった。父は普段とても寡黙な人間だったけれど、母の知っていることで父が知らない事はまず無いと言っていいだろう。
勿論どんなことにも例外という物はあるが、それは互いの全面的な信頼感によって十二分にカバーされた物だった。
ただそのことと、父本人が納得しているかどうかと言うことは話が別だ。食卓に着いている間も曰く言い難い表情で何度も雨子様の方を見ている。何度か母に諫められているのだけれど、どうやらこれだけはいかんせんともし難いようだ。
そのくせ雨子様が視線を向けると見て見ぬ振りをする。父は元々理系の人間で、不可知論者的なところがあるのだけれども、多分今はまだ本当には雨子様のことを許容出来ていないのだろう。
だが今目の前に存在しているのは厳然たる事実なのだし、ちゃんと受け入れられるようになっていくのは時間の問題だと思う。
食事の後、遅くなったので僕は七瀬を送っていく事にした。七瀬は後かたづけを手伝うと言い張ったのだが、母は首を縦に振らなかった。どのみち食洗機が活躍してくれるのだから大した問題ではないだろう。
母のそれは雨子様に対しても同じで、(もっとも雨子様は何をしたらよいのか分からない様子だったが)その背中を押すと父とともにリビングへと押し出していった。
はてさて、リビングで父と雨子様は一体どんな話を繰り広げるのだろうか?実はその話の成り行きにとても興味があった。しかし今は無理だ。帰ってから雨子様本人に聞いてみるとしよう。
「ごちそうさまでした。それでは失礼します、おやすみなさい」
元気良くそう挨拶して去っていく七瀬に母はまた来なさいねと愛想良く声をかけた。その言葉を聞いた七瀬はとても嬉しそうだった。
そんな七瀬の様子を見ていると、不思議なことに僕の心の中もじんわりと暖かくなってくる。
玄関を出ると外はもう真っ暗だった。あちこちにある街灯のお陰でさしたる不便もなく夜の町を闊歩できる。
それはそれでとても便利なことなのだけれど、見上げても数えるほどの星しか見えないのが何とも寂しかった。
時折過ぎ行く車の残す騒音以外は、耳の奥に響くような静かな夜の町の鼓動のような音しかしない、穏やかな夜だった。
微かな足音をさせながら僕が少し先に立って歩き、七瀬がそのほんの少し後からついてくる。
「祐二…」
ぽつりと七瀬が声をかけてきた。
「ん?」
たった一文字の言葉と疑問符。それが僕の返した言葉のすべてだった。だがそれで十分だった。七瀬はゆっくりと話し始めた。
「今でもなんだか信じられないのだけれど、雨子さんて本当に神様だと思う?」
信じられないようなことを続けざまに経験している僕ですら、いまだに時折頭の中を整理しなくてはならないのだ。
いきなりなんだかんだと詰め込まれた七瀬の気持ちは察してあまりある。だからと言う訳ではないが、僕は出来るだけ丁寧に七瀬の思いに答えようと思った。
「確かに僕達のイメージしているよな神様とは少し違うよな」
七瀬はうんうんと頷いた。だがその方が七瀬にとっては良かったと僕は思う。もし雨子様が本当に全知全能で、人の運命をも握るような神様だったら、七瀬はきっと彼女を受け入れられなかっただろう。
それはある意味僕だって同じだった。多少の矛盾とか言うのならともかく、この世の中にあるすべての理不尽が、すべて誰かの意志による物だとしたら、その誰かさんにはしっかりとその理不尽の訳を聞きたくなるだろうから。
僕はそんなことを考えながら更に言葉を続けた。
「ただ雨子様の…」
僕はいつの間にか自然に様付けを復活させていた。
「…言う神様は、仰るとおりやっぱり称号みたいな物なんだと思うんだよ」
「称号?」
「うん、大本のところでは雨子様たちが自分から神様だって言った訳でも無いみたいだし」
「そうなのかな?」
「まずそれは間違いないと思う。まだつき合いはそんなに長い訳じゃないけれど、自分から神様を名乗るほどの傲慢な感じはしない。そのくせなんだかんだと人間のことを大切にしてくれている。もちろんギブアンドテイクがあるのだけれど、それ以上の物があるように思うんだよ」
「ふーん」
納得しているのかどうか、七瀬の返事には微妙な物があった。だがどうやら僕の判断を信じることに決めたようだ。
少し離れていた彼女は急に追いついてくると僕の手を握った。
「なに?」
僕が問うても何も答えない。ただより以上に手を強く握ってきた。
仕方がないので僕は彼女の手を握りながら、そのまま彼女の家へと歩き続けた。そんな風に手を握りながら歩くのは、彼女と出会って間もない頃以来のように思う。
何となくだけれども彼女が少し嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか?
空を見上げると、この季節としては珍しいくらい星がくっきりと見えている。ふと見ると釣られたのか七瀬も見上げていた。
七瀬の家まで約十分、最後に交わされたお休みの挨拶をのぞいて、お互いの温もりだけがすべての静かな一時だった。
神様って一体人間にとって何なんでしょうね?




