閑話「雨子様の挑戦」
筆者もお風呂は大好きです
初雪を見ながら帰宅したその日の夕食後、雨子様は祐二の母に相談事を持ちかけていた。
「あらあら、雨子さん、急に相談事ってなんですか?」
節子は雨子様の好きな銘柄の茶を入れながら言う。(改めて説明すると節子というのは祐二の母の名だ。)
「うむ、その相談事の内容なのじゃが…」
そう言うと雨子様は仕切りと辺りの気配を気にしている。
節子は何となくではあるが、雨子様が誰のことを気にしているのか悟って言った。
「今日は雪も舞っていたし、寒かったでしょう?」
雨子様はそんな節子の言葉に頷きながら答える。
「確かにの、じゃが祐二なぞは雪だって大喜びをして居った」
「あの子は昔からそうなんですよ、いつまで経っても変わらない」
節子は少し遠くを見る目で言った。かつて蜘蛛の悪夢を見て、心も体もボロボロになってしまったあの幼子が、今は立派に高校生になっている。
三つ子の魂百までと言うが、それでもあの子は何ら変わらない、節子の中では小さい頃のあの子のままなのだった。
ただ、今のように無事成長出来たのはひとえに雨子様のお陰。
節子としては何を置いても雨子様には恩返ししていきたいと常々思っていた。
「ねえ雨子さん、久しぶりに一緒にお風呂に入りましょうか?」
別に裸の関係が良いという訳では無いのだが、祐二の気配を心配せずに、雨子様が自然に何かを話せるとしたら、心も体も暖めてくれるお風呂が良いのでは無いか?そう思ったのだった。
突然の節子からの風呂の誘いに、一瞬たじろいでしまった雨子様だったが、直ぐにその誘いを受けることとした。元より節子には、初めて人の身で風呂に入る時に随分世話になっているのだ。思えば今更の感がある。
この吉村家のお風呂は、祐二の父、拓也の希望により当たり前の家庭としては少し大きめに誂えてある。
これは彼のたっての希望で、一つには大きな風呂の方が良く疲れが取れると言うことと、もう一つには親子で風呂に入りたいということからだった。
だから節子と雨子様の二人で入ったとしても、更にここに葉子までもが乱入したとしても、皆が楽しく入れるだけのスペースがあった。
さておき戸惑ったことなどおくびにも出さず、雨子様はにっこり笑みを浮かべながら頷いて見せたのだった。
「母御と共に風呂に入るのは、本当に久しぶりじゃの?」
二人で風呂場に向かいながら雨子様はしみじみと言う。
「本当ね、雨子さんがうちに初めていらっしゃった時以来かしら?」
「うむ、そうじゃの」
「結婚式さえなかったら、和香様のところの温泉にご一緒出来たのに、とても残念だったわ」
何だか心底悔しそうにする節子の様子に、雨子様は小さく笑いながら言う。
「今暫しあちらは立て込んで居るから無理じゃが、来年の梅の頃くらいには誘ってもらえるよう我から頼んでおくの」
「うふふ、ありがとう雨子さん」
そう言いながら脱衣所で衣類を脱ぎ終えた節子は、雨子様の物も受け取りつつ、仕分けして洗濯籠にしまい込む。
からりと開けた扉の向こうはもう浴室だ。今日は少し贅沢とばかりにミストシャワーを使ってサウナもどきにする。こうすると室内がたちまち暖まって冬場でも過ごしやすい。
「雨子さん、久しぶりに髪を洗って上げるわね」
節子のこの申し出に、さすがの雨子様も恐縮するのだが、節子はほらほらと言いながらあっと言う間に体勢を整えてしまう。
「すまぬの母御よ…」
雨子様はそういうと節子に為されるがままにした。
節子は丁寧に髪を濡らしゆっくりとシャンプーを馴染ませてから洗い始める。
そして静かに雨子様に問うた。
「それで、雨子さん。何かあったの?いきなり相談事があるって言うから驚いてしまったのよ?」
雨子様は他人に髪を洗って貰う心地よさに少しぼうっとしながら相談事の内容を明かした。
「実はの、今日帰宅する時にこのようなことがあったのよ」
そういうと雨子様は帰宅時に寒かろうと、祐二がマフラーを掛けてくれたことを話したのだった。
「まあ祐ちゃんたら、すっかりジェントルな男の子になったのね」
そう言う節子はとても嬉しそうだった。
「うむ、その気持ち、良く分かるように思う。我もの、かつてのあの頑是無き童が斯様な気遣いが出来るまでになったかと思うと、何故じゃか胸が一杯になっての。何かしら礼を返したいと思うたのよ」
「あらあら祐ちゃん、雨子さんにそんな風に思われるなんて幸せ者ね」
「は、母御よ、そなたまでそのように揶揄うでない」
雨子様は何とも照れ臭そうにそう言う。
丁度そこでシャンプーをし終えた節子はシャワーで髪の泡を洗い落とし始めた。
「それでどうなされるのかしら?」
「何でも、もうすぐクリスマスとか言う親しき者にプレゼントを渡す、特別な日があると言うでは無いか?」
「クリスマスですか…。雨子さんとはまた別の神様の祝い日なんですが、そこのところは大丈夫なのかしらん?」
「むう、それについては心配はいらぬ。詳しいことは言えぬが、一応問題は無いとだけは言うておくの。それでなのじゃが、我は祐二にマフラーをプレゼントしたいなと思うたのじゃ」
「それは祐ちゃん、きっともの凄く喜びますわ」
「ただの母御よ、あやつと共に高校に通うこの身、なかなか別行動で毛糸成るものを買いに行く機会が取れぬのじゃ」
洗い終えた髪にコンディショナーを染み込ませつつあった節子の手が止まった。
「え?雨子さん。もしかして毛糸をご自分で編んでマフラーを作られるおつもりでしたの?」
「うむ。そうなのじゃが何かおかしいであろうか?」
「いえ、別にそう言う訳では無いのですが、クリスマスまでまだ日が有るとは言っても、今日を除けばもう五日しかないのですよ?そんな期間で編み上がるものかしら?」
節子のその言葉に雨子様は少し自慢げに言った。
「それについては心配いらぬ。我の頭の中では既にもう完成形のマフラー成るものが出来上がって居る。後は現物を使って同じように仕上げるだけなのじゃ」
それを聞いた節子は大きく目を見開いた。
「まあ呆れた、さすがと言うか、やっぱりと言うか、今更ながら雨子さんって神様なんだなって思っちゃいますね」
「そう思ってもらえるのかの?」
「勿論ですよ、何より私の大切な息子をお救い下さった神様ですもの」
「のう母御よ」
そういうと雨子様は顔を上げて節子の手を取った。
「何かしら雨子さん?」
「さすがにもうそれは勘弁してもらえぬかの?」
「勘弁って何を?」
「何ってその、その様に神として奉ることじゃ」
「でもそれって…」
なおも言いつのろうとする節子のことを雨子様は手で制した。
「確かに我は神を称して居る、そして神であることには違いない。じゃが今の我が身は半分以上人の身と化して居るし、それ以上に我はそなたらのことを家族と思うて居る。だからこそ余計に、そのように奉られるとこそばいというか、居心地が悪いのを感じるのじゃ」
「そうなんですか…」
「うむ、それに母御よ。そなたは一時ではあるが我のことを娘として扱うてくれたよな?あの時、我もまた計らずともそなたのことを母と思うて甘えてしもうた」
そういうと雨子様は恥ずかしそうに笑った。
「分かりました。じゃあ出来る範囲でとなりますが、雨子さんの望むようにしたいと思います」
節子はそう言って雨子様の願いを聞くが、雨子様が甘えたと言ってくれた言葉に、とても心の中が潤びるのを感じていた。
「それで毛糸の方ですが、明日にでも私が買ってくることにしますね。ところで雨子さんの方からこの様な毛糸って言う何か要望とか有ります?」
「そうじゃの。特に我の方からの要望と言われてもの、並太の毛糸であって欲しいとは思うのじゃが、細かい意匠とか色合いとかは母御に任せたいと思うのじゃ。われにはその…、そう言ったことについての知識がこれっぱかしも無いが故」
雨子様のその説明を聞いた節子はぐいっと胸を張りながら言う。
「分かりました、ならお任せあれ。明日中に買ってきてこっそりと雨子さんにお渡ししますね。祐ちゃんにばれないようにしないと…。でも一体いつ編まれるつもりなんです?」
「それなら心配いらぬ。祐二が寝たのを見計らって毎日三十分ほど頑張れば、余裕で作り上げることが出来よう」
「きっと祐ちゃん大喜びしますよ?」
節子が太鼓判を押すと、雨子様はもの凄く嬉しそうに笑った。
その笑みは節子をして胸が痛くなるほど可愛らしい物だった。そして節子は思った、雨子様の胸の内には、もしかすると、雨子様自身も知らない間に、祐二への恋心のような物が育ちつつ有るのでは無いかと。
さてこの先一体どうなるのだろう?まさに神のみぞ知ると言うか、その神様さえ分からない事柄なのではないだろうか?
この後互いに更に髪を洗い合い、背中なども流し合った後風呂に浸かり、実に楽しく女性同士の話に花を咲かせたのだが、これはまた別の話というか、内緒なのである。
こうして彼女ら二人は、今まで以上に深く互いを認め合い、もしかすると家族以上の絆を作ったのだった。
久々お母さんが重点的に登場した回だなあ




