和香様の寝所二
前回に引き続き和香様の寝所にまつわる話です
すったもんだは有ったのだけれども、結局僕達はちゃんと本殿に向かうことが出来た。
その場所に安置してあるご神体の鏡、それこそが和香様の寝所に繋がる出入り口だった。
その前に立ったその時になってなお和香様は何やらブツブツ言っている。
ただ、もうこれ以上逃げる訳には行かないと言うことだけは覚悟を決められたようだ。
ご神体の前に和香様が立たれると、そっと手を伸ばして鏡面に触れられる。
すると表面が波打つようになったかと思うと音も無く大きく広げられ、まるで水銀を湛えたかのような見かけになっている。
「先に入るけど少し待っててな」
和香様が先に入るようなのだけれども、まるで部屋を片付けない高校生男子のような台詞を残していく。
多分中に入ってから、慌てて見えるところだけでも片付けているに違いない。
少し時間が経ったところで中から手招きする手が現れる。
鏡の中のようなところから手が現れて、おいでおいでをする様はなかなかにシュールだった。
「行くぞ祐二」
そう言うと雨子様が先に立って入っていく。
おっかなびっくりその後について行くと、入り口を通り抜けた向こうには、屋根のついた廊下のようなところだった。その先には幾棟かの平屋の建物があり、世に言う寝殿作りに似ているような感じだった。
目を外に向けると広々とした空間、その向こうには鬱蒼とした木々が生い茂っている。
ただその辺りも暗い感じはせず、空を見上げると太陽に似ているけれども、もう少し柔らかな光を放つものが浮かんでいた。
「何だかまるで一つの世界がここに在るみたいですね?」
僕がそう言うと、前を歩いていた雨子様が振り返って言った。
「うむ、まさにそうじゃな、もっとも、木々の向こうは少しのところで実体無き映像に変わっておるがの。それでもこの広さは別格よ。さすがは和香の寝所という感じじゃの」
僕は雨子様の社に安置されていたご神体のことを思い出しながら聞いた。
「雨子様のところも同じようになって居るのですか?」
「戯け、我に斯様に広い空間なぞ維持できるわけ無かろうが。せいぜいそなたの部屋の大きさに毛が生えた程度のものよ」
「そうなんですか?」
「うむ」
「何時か入ってみたいなあ…」
僕がそう言うと、雨子様なんだか挙動不審に陥っている。
「え?まさか雨子様も汚部屋?」
思わずそう口走ってしまったのだが、くるっと背を向けてまた歩き始めている雨子様の背中からは、それ以上何の情報も得ることは出来なかった。
さて行き着いたところは建物丸々一つの部屋と言った、そんなところだった。
その真ん中に和香様が頽れるようにぺたんと床に座り込んでいる。
周りには大小無数の箱やら葛籠のようなものがごまんと置いてある。何とか片付けられている体ではあるが、それでもこの物の置き方は乱雑さを感じる。
「おお、結構片付いて居るでは無いか?」
とは雨子様。え?これで片付いていると言ってしまう雨子様も雨子様のような気がするのだけれども…。
「和香はの…」
雨子様はそう言うと更に言葉を重ねた。
「和香は我らの間でも名うての好奇心旺盛な神なのじゃ。まあそのせいもあってあらゆるものを収集し居る。普段はその収集物が床一面に散らばって居るのよ」
うはぁ、まさに聞きしに勝る状況だった。
その話を雨子様から伺っていると、和香様が恨めしそうな顔で僕達のことを見ている。
「雨子ちゃんったら、別に内幕話さへんでもええやろうに」
そんなことをぶつぶつ言っているのだが、雨子様は素知らぬ顔である。
「小者達を入れて片付けるとか言うことは出来ないのですか?」
普段の神社の中を取り仕切っている者達のことを思い浮かべながら、僕が聞くと雨子様が首を振った。
「何と言うたかの、セキュリティーレベル?と言うたかの、まあその様な物がここには在って、あやつらの内ほとんどの者達は入れぬのじゃよ」
「それはまたどうして?」
「あやつらの内の大方の者が元の出自は付喪神から帰依した者なのじゃ。和香自身が使うて居る真性の分霊となると、ほんの数体しか居らぬ。それらの者は多くの小者達を束ねたり、神社の運営に携わる仕事をしておる者達ばかりで、なかなか此所の片付けのようなことに回したり出来ぬのじゃ。それだけで無く…」
「え?まだあるのですか?」
話が未だ未だ終わらなさそうなのに驚いた僕は思わずそう言ってしまう。
「こやつは他の神々に比べて殊更にプライベート空間なるものを大事にする奴での。あの小和香ですらここには入れたがらんのじゃよ。そんな中で好き放題しておったらどうなるのか、想像に難くないであろ?」
なるほどまあ、言われてみれば分かるような気がする。しかも普段の神様連中ときたら、人の身のように腹が空いたの、喉が渇いたのと言うような欲求が無い。おまけに汚れと言うものを知らない存在でもあるので、風呂も必要も無ければ着替えも不要。加えてこう言った空間なのであれば埃が溜まることも無いのだろう。
ちょっと羨ましくも思ってしまった。
「それでこの入れ物の山なんですが、中に何が入っているのかは分かって居られるのですか?」
僕がそう聞くと和香様は少し嬉しそうに胸を張りながら言う。
「それは大丈夫やで、うちら神様は忘れんとこうって思うと全てのことを覚えておくことが出来るから」
「うわ、それは羨ましいなあ」
綺麗に整理整頓したは良いが、何がどこに入っているのかが時々分からなくなることで困ることはしょっちゅうだし、それを防ぐ為にメモを作る手間を考えると僕はげんなりとした。
「じゃがの、それはきちんと意識して物事を行った時のことじゃ」
「ん?それは?」
僕は今一つ雨子様の言うことの意味が理解出来ず、思わず問い返してしまった。
「我らとて無限に近い容量があるとは言うものの、現実的に無限に有る訳では無く記憶容量の限界というものが有る。そのため、無意識下で必要な情報とそうで無い情報を仕分けて、取り置く必要が無いと判断した情報は記憶に残さないようにしていたり、暫く時間が経った後に消してしまうようになって居る」
「でもそれって合理的だと思いますけれども?」
「うむ、通常はそうであるな。だが和香の場合、どこそこの何の中に入っているどのものを取り出さねばならぬ、そう言うことは完璧に覚えて居るのじゃが、そのものを取り出す為に周りの箱などを動かすであろ?その時についつい無造作にやってしまうのじゃ」
「あ…」
「分かったようじゃの?折角どこに置いたどの入れ物にどんな物を入れたと覚えていたとしても、それらの場所が入れ替わってしまっていては何の役にも立たんと言うことなのじゃ」
「あっちゃ~~、因みにこの箱って?」
「ん?箱か?これらは和香が必要に応じて複製して拵えたものじゃ」
「複製かぁ」
僕がそう呟くと雨子様が不思議そうな顔をして問う。
「複製では不味いのかや?」
僕は有能な神様で有るがこその問題点に気が付いて苦笑してしまった。
「複製と言うからにはどれをとっても完全に一致した物なんでしょうね?」
「当然じゃ、おそらく、それぞれの形の中で最も美しい物を選択して居るであろうの」
雨子様はそう言って胸を張る。
「なるほど、と言うことは同じ形の二つの物を並べてしまうと見分けがつかない、普通は。でも神様方は位置情報も持っているから通常なら何の問題も無い。箱の位置情報に中味の情報が紐付けされているって言うことなんですね。ところが何かを取り出す時についつい周りの箱の位置情報を更新すること無く、あちこちへと動かしてしまい、そのため紐付け情報が破綻してしまう…か。」
ぶつぶつと呟く僕のことを和香様と雨子様、二柱の神様方が面白そうに見守っている。
その前で僕はぽんと手を打つ。
「何だ簡単だ」
僕がそう言うと和香様が身を乗り出して聞いてきた。
「どないするっちゅうねん祐二君?」
その傍らでは雨子様もまた興味津々といった感じで耳を澄ましている。
「はい、実に簡単な事なんです」
「そやからどないするん?」
「箱に番号を付けるんですよ」
「「あ…………」」
まさに有能すぎる神様で有るが故に起こるミスなのかも知れない。
元々神様達は本来今のように実態がある訳では無く、ある意味情報の塊のような存在。その状態であれば様々なデータへのアクセスは、単純な番地付けだけ行っておけば自在に行うことが出来る。奥の物を取り出しにくいとかそんなことは無い訳だ。
ところがいざ実体化して物事を取り扱うとなると物理的な制約が加わってくる。
ある意味神様が実体化し慣れていない状態であると言うことなんだろうな。
ともあれ現状和香様の問題は箱に番号を付け、それに情報を紐付けすることで全て解決する。
でもなあ、僕は更に思う。いくら情報をきちんと管理出来たとしても、今みたいに部屋中にむちゃくちゃに箱を置いていたとしたら、箱の中味を取り出すのに支障は無いとしても、見た目は最低だなあ!
「ねえ和香様、この神社にはネットにアクセス出来るパソコンとか無いのですか?」
「ん?社務所とかに何台か有ったと思うで?」
「そしたら自動倉庫って言う言葉で検索してみて下さい。おそらくそこに和香様の望むものが有りますから」
「自動倉庫やな?」
「はい」
僕はそうやって返事をしながら思った。
はたして次にここを訪れた時にこの場所はどうなっているのだろうか? いくら何でも神様の寝所に自動倉庫が建っていたらいやだなあ。
かく言う私も整理整頓をしたら、どこに何があるのか分からなくなることが屡々であります
断捨離すれば良いのでしょうが、なかなかそうしきれない物も沢山有るからなあ……




