地獄のテスト勉強
嫌だ~~もうテスト勉強は嫌だ~~。そんなことを言っていたら、今頑張っている人達に怒られちゃいますよねえ
全くこう言う時ばかりとんでもない行動力を出す連中である。その実力があるのなら普段から何とかしろと言いたくなるし、言われることが屡々なんだけれども、そう出来ないことが多いからこそ皆苦しんでいる。
学校側に教室使用の許可を取った当日の放課後、いくら雨子様でもいきなりテスト勉強を教えろと言われても、一体どうするのだろう?
そんな事を思いながら雨子様の動きを見ていたら、ぼうっとした表情で周りを見回す雨子様。その雨子様を期待の目で見つめているクラスの連中。
はぁ~ッと大きなため息をつくと雨子様は立ち上がった。
かつかつかつと小さく踵を鳴らしながら雨子様は教壇へと向かった。
「本当にしょうの無い連中じゃの…、全くもって妙な期待をしおって。良いかそなたら?」
そう言うと雨子様はクラスの連中を睥睨した。
「今回のテストのみを乗り越えたとしても、それだけで将来の受験を越える力にはならぬのじゃぞ?そこのところをよおく考えて普段の勉強をするのじゃ、それを約束するのであれば今回のテストの手助けをしてやらぬでも無い。いかがする?」
皆いきなりの雨子様からの問いかけに、臆したのか口を開く者が誰も居ない。
「それが返事かや?ならば我にすることは何も無いが良いのかや?」
さすがにここまで来て教えないぞと言われてしまうと皆焦ってしまう。
「いや~~~、雨子ちゃん教えてお願い~~~」
「そうだ雨子ぉ~お前だけが頼りだぁ~」
「神様仏様雨子様~」
おいおい、とんでもない奴がいるぞ。雨子様が怒り出さなかったら良いのだけれども。
もっとも雨子様はそのかけ声に苦笑するだけだった。
「雨子さまぁ、大好きぃ~」
「俺も雨子ちゃん大好きぃ~」
何だかかけ声が妙な方向になってきている?だがそこに七瀬から方向修正が入った。
「誰?今好きなんて言っているのは?雨子さんは私のだからねぇ?」
…それは違うだろう七瀬?何だか頭が痛くなってきた。
皆のそんな声に呆れ果てている雨子様と視線が合った。
やれやれと言った感じで頭を横に振っている。
だがおふざけの時間はそこまでだった。
矢庭に黒板に向かった雨子様はチョークを手に取ると、マシンガンも斯くやという速度で板面を埋め尽くしていった。
どうやら最初に取りかかるのは英語らしかったのだが、人の手ではたしてこの速度で字が書けるものなんだろうか?瞬く間に手元にあるチョークが消費されていく。
クラスの面々の誰もがあっけにとられている。
「何あれ?」
「すっご!」
「尋常じゃあねえぜ」
「神業か?」
おや、ここでもまた核心を突いている奴がいる。
等と皆でわいわい言っている暇有ればこそで、五分も経っていないかと感じる間に黒板は完全に埋め尽くされた。
書き終えたところで雨子様は皆に説明を始める。
「良いか?それぞれの問題の頭に番号が振ってあるじゃろ?ノートにその番号を記し、その後ろにそなた等の解答を書いてくのじゃ。我がこれより巡回し、それを見てそなた等に不足して居るものを指摘していく。家に帰ってからはその指摘に基づいて勉強するが良い。そうすれば何とか点が取れるようになるじゃろう…」
あっけにとられる皆の中かから七瀬が雨子様に問う。
「雨子さん、これは何なの?」
「うむ、これは今回テストに問われるであろう内容の要諦じゃ。そしてそなた等がその問いに答えられるか否かによって、そなた等に不足しているものが何であるかと言うことが洗い出される。後はそれをカバーすべくひたすら勉強すれば良いだけじゃろ?」
「……」
皆黙ってただ無言のまま雨子様を見つめている。
「ほれ、早速掛からぬか?時間は待ってはくれぬものじゃぞ?これが終われば次は数学じゃ」
「「「「うげぇ~~~」」」」
皆声にならぬ声で悲鳴を上げる。しかし自ら頼んだことなのだ、否やは言えない。
その後は教室の中は静寂が支配する。ただ聞こえてくるのは雨子様の巡回する足音と、皆の筆記音。
時折誰かの元で立ち止まる雨子様は、回答を書いてあるノートの中に赤ペンで何やら書き殴っていく。もっとも書き殴るとは言っても近場で見えたそれは綺麗な字だ。
それから約一時間ほどが経っただろうか?徐々に皆回答をし終えていく。
雨子様はそれらの者達の間を巧みに動き回りながら、更に何事かを書き連ねていく。
僕はその様子を見てふと思った。これってまるで碁の多面打ち指導碁って奴に似ている…。まったく…雨子様以外の誰にこれが出来るって言うんだろう。
暫しの時を経て、全ての者が解答を終え、雨子様がその全てに対応を終える。
雨子様の鬼気迫る気合いの前に、皆の緊張の度合いはおそらく本番のテストの時以上だったように思う。
「ぐへぇ、疲れたぁ」
「あたしもうだめ」
「後は任した…」
「死して屍拾うものなし…」
誰だもう死んでしまっているのは?総じて皆頭の上に湯気が見えそうな感じになって、ばてきっている。
「誰だ雨子ちゃんにこんなこと頼んだのは?」
小声だけれどもそんなことをぼやいている奴がいる。
「こんなところにハ○トマン軍曹がいた…」
おいおいそれって?
おそらくそんな皆のぼやき言葉が、雨子様のことだから皆聞こえているのだろう。にやりと笑うと、一気に黒板に書かれていることを全て消し始めた。
やれやれ、これで終わったかと思ったのも束の間、今度は大量の数式やら文章問。
それらが瞬く間に板面を埋め尽くしていく。
「うぎゃ~、誰か雨子さんを止めろぉ」
「お願い雨子さん、もう残弾はゼロよ」
「南無阿弥~~~」
「……」
仕舞いには言葉にならない者達も続出。最初は冗談交じりに言っていた連中も、さっきの回で流れは把握しているので、雨子様が書き終える前にさっさとノートに書き写して解答をし始めるのだが、徐々に悲壮感が教室の中を支配していく。
僕は辺りを見渡して思った、あー、これあかん奴やと。皆の様子を見るにおそらくはこの二回でその全ての気力を使い果たすことに間違い無い。
一方雨子様はと言うと、黒板に全てを書き終えるやいなや、皆の間を動いてその指導に余念が無い。ここかと思うとあちら、あちらかと思うとここと、丸で蜃気楼のように現れては消える。その内何人も雨子様がいるように見えてくる。
いや待てよ?本当に複数人居るぞ?皆はノートの上に目が行って気が付いていないが、見渡していると複数箇所に同時に雨子様がいるぞ?
ふと七瀬の方を見ると、彼女もまたびっくり眼で、ほとんど目が飛び出しそうになっている。
だが結局そのことについてなんだかんだ言う暇あらばこそで、僕達もまた回答を書くことに忙殺されていって、気付いたらいつの間にか机の上に俯していた。
「……終わった…」
「もう嫌…」
「雨子さんが、雨子さんが…」
全てを終えた教室は燦々たる有様だった。『燃え尽きた』の一言がこの惨状を表すもっとも正しい言葉だった。
そんな死屍累々の戦場の中、雨子様は涼しい顔で皆に言う。
「皆もう書き終えたかの?そろそろ次に行きたいが…」
「「「「……」」」」
誰も声を上げない、無理も無い、誰もその余力を残していないのだ。ここは何が何でも僕が声を上げなくてはならない。そう思って僕は手を上げ言葉をようようにして吐き出した。
「雨子さん…」
幸い僕の上げた手は直ぐに雨子様の目に留まった。
「む、祐二か、どうしたのじゃ?」
「…限界です」
「何が限界じゃというのじゃ?」
「皆もう限界です、これ以上はもう無理です」
そう言われて初めて雨子様の目には皆の有様が映ったようだった。
「おろ、なるほどの。この有様ではこれ以上のことは無理じゃな。うむ、今日の分はここまでとするか…」
そっと頽れる皆、どうやら皆生き残れたようだった。
結局この例えようも無くハードなテスト勉強が、テスト前の日々ずっと繰り広げられた。この時の苦しさと言ったら後々までもクラスの語り草になっている。
もっともその反動だろうか、皆二度と雨子様にテスト勉強を教えて貰おうとは言わなくなった。ただ、今回のことを教訓として、皆の普段の勉強態度が一変したことは言うまでも無い。
さて一番肝要なその勉強の成果なのだが、このクラス始まって以来の赤点不在、それどころか全ての者が七割以上の点を得、クラスの半数が八割維持、上位十人に至っては学年トップテンに名を連ね、教師達の度肝を抜くこととなった。
勿論このテスト勉強会が行われることは二度と無かったので、このような奇跡が起こることはもう無かった。奇跡が起こるのは一度で十分なのである、いくら神様がそこに居たとしても…。
でもやっぱりハ○トマン軍曹に勉強を教えられるのは嫌だ。




