閑話「雨子様の…一」
賑やかな時というのはいつの間にか過ぎていきます。悔いが残らぬように目一杯楽しんでおきたいものだと思いますね
ニーの能力アップと言うことで宇気田神社に行ってから、早いものでもう一週間が経とうとしていた。
吉村家ではそれまで赤ん坊を中心に賑やかな日々が続いていたのだが、それもとうとう終わりを迎えることになった。
葉子ねえの旦那さんが午後こちらにやって来て一泊した後、葉子ねえと美代を引き連れて自分たちの家の方へ帰ることになっている。
実家に居る内は母さんも居れば雨子様も居ると言うことで、女手に事欠くことは無かったのだけれども、向こうに戻れば葉子ねえは一人となる。
口には出さないのだけれどもやっぱり緊張しているようだった。
もっとも普通の家庭とは異なり、余り家事に手を出すことは出来ないものの、色々と目の役割を果たしてくれる、小雨と言う存在が居るだけでも随分違うだろう。
特に家事を行うにあたって、どうしてもそのつもりは無くとも目が離れると言うことは起こってしまうものだ。そんな時に小雨が居ると言うことがどれだけの安心感を生み出すことか、想像に難くない。
そんなことを考えて居たら、もう少しのところまで来ているAI技術を使い、自己判断で些事を熟すような存在が少しでも早く出来たらなと思ってしまう。
それだけで世のお母さん達に掛かる負担が、随分軽くなるはずだ。
もっともそうは言っても小雨ほど有能に物事を熟すのはなかなか無理なんだろうなあ。
そう考えると普段とても頼りなさそうに見える小雨も、なかなかに大したものだった。
その小雨なのだが、明日にはこの家から出て行かなくてはならないと知って、どうやら甘えたモードになっているようだ。
その対象は見ていると母さんのようで、今日一日ずっとつきまとっている。
一番甘えやすいのが母さんなんだろうと思っていたら、雨子様に笑われてしまった。
雨子様曰く、小雨は一番美味しい物をくれるという意味で母さんにへばりついているのだと。あっと思ったのだが次から次へと母さんから食べ物をせしめているところを見ていると、雨子様の意見が正しいことを理解してしまう。
ちょっと可愛そうと思ってしまったのだけれども、何だか一気に同情する気が失せてしまった。
「小雨よ、そなた祐二に呆れられて居るぞ?」
「え?何ででしゅか雨子しゃま、小雨ぇはとってもお利口にしてましゅよ?」
「むぅ、母御から次々と食べ物をせしめることをお利口というのならそうであろな?」
雨子様にそう指摘されると小雨は、母さんを盾にして向こう側に隠れてしまった。
そんな二人の会話を聞いていた母さんが小雨に助け船を出す。
「あらあら雨子さん、これは違うのよ?」
母さんのその台詞におやという感じで眉を持ち上げると雨子様が問う。
「母御よ、別に小雨を庇うたりせずとも良いのじゃぞ?」
母さんはにこやかに笑みを溢れさせながら雨子様に言う。
「これはね小雨が美代のことをきちんと見てくれるであろう事の前払いなんですよ」
「前払い?」
そう言う雨子様は苦笑している。端で見ていて思うのだけれども、雨子様は実は母さんのことが大好きだ。だからこう言う会話も本当に楽しんで行っている。
以前雨子様にとってしんどいことがあった時に、母さんが、まさに母のように接して上げていたことがあったのだけれども、その時のことが雨子様の心の奥深くに影響を与えているのでは無いか?僕はそんなことを想像していた。
「そう、前払いなのよ」
そう言いながら母さんはまたひょいと、今料理しているおかずの味見をさせる。
「ああ、また…」
そう言う雨子様の口の中にもひょいっと食べ物を放り込む。お喋りをする為に開いた口の中に巧みに放り込む技、なかなかの修練の技である。
雨子様はと言うと、言葉が口から出る前に押し込まれた料理を顔を赤くしながらもぐもぐと咀嚼している。
「もう、母御は小雨に甘いのじゃ…」
そう言いながら雨子様は嬉しそうに笑って居る。神様という立ち位置なだけに、そうそう容易く甘えられるような身では無いのだが、上手く間隙を突くようにそれとなく甘えさせてくれる母さんには、どうやら雨子様をして抵抗出来ないようだ。
「うふふふ」
そんな雨子様の心中を知ってか知らずか、母さんはいたずらっぽく笑いながら言う。
「雨子さん知ってた?」
「何であろうかな母御よ?」
雨子様が口角を薄く上げながら母さんに問う。
「私は雨子さんにも甘々なのよ」
それを聞いたとたんに雨子様が真っ赤になって下を向いた。
もちろん僕はそれを見るか見ないかの内に視線をそらし、明後日の方向を見ながら出来るだけ知らん顔をする。
だが敢えてその中へ突撃をかます強者が居る。
「母さん私も!」
葉子ねえが美代を抱えながら大きな口を開けて母さんに迫る。
「もう仕方ないわね」
そう言いながら母さんはまた料理を口の中に放り込む。
そして幸せそうな顔をして料理を食べ飲み込む様を見て母さんが言う。
「それであなたたちお味の方はどうなのよ?これはあくまで味見なんですからね?」
その台詞に三人が声をそろえて言う。
「「「美味しい」」でしゅ」
それを聞いた母さんは嬉しそうに満面の笑みを浮かべるのだった。
「あ~~~、帰るのやんなっちゃった」
とは葉子ねえ。でもこればっかりは仕方が無い。既に誠司さんは十分過ぎるくらい協力してくれているとも言える。
もちろん向こうに帰ったら帰ったで、これまでとは異なる形での協力が必要になるのだろうけれども、それはまた別の話だ。
「今日はご馳走ね、私も手伝うわ」
葉子ねえはそう言うと、美代を雨子様にそっと預けた。
「ごめんね雨子さん、暫くお願いね」
「なんの…」
そう言って美代を受け取る雨子様はもの凄く嬉しそうだった。
下手をするとどっちが母親か分からないくらいに雨子様は美代のことを可愛がる。
美代を抱いて笑む様は丸で聖母様じゃ無いかと思うくらいに優しさに満ち溢れていた。
ところが雨子様がそうなると約一名面白くない者が居る。
今まで母さんに甘えて、次から次へと食べ物をせしめていた小雨が、急に離れて雨子様の所にやってくるのだ。
「小雨ぇも小雨ぇもぉ」
そう言うと小雨は雨子様の足下でぴょんぴょん跳び上がる。
「しょうの無い奴じゃのう」
雨子様はそう言うと身を屈めて、小雨のことも抱き上げてやる。
考えてみれば小雨も美代達と一緒にあちらに行くことになるのだ。生みの親である雨子様との別れを寂しく思うのも当然のことだろう。
おそらく雨子様も分かってのことだと思う。小雨のことを抱き上げた後は優しくその頭を撫でて上げるのだった。
小雨は、きっととても気持ちが良いのだろうな、幸せそうな笑みを浮かべながら目を瞑ってじっとしている。
えっと、もしかしてこの中で僕だけ味噌っ滓?そんなことを思いながら少し所在なげにしていると、何かが口の中に押し込まれた。
「あなただけ味見していなかったでしょう?」
僕の口の中に食べ物を押し込んだのは母さんだった。
纏わり付く?三人のことを見ながら料理をし、加えて僕の心中まで察することが出来るなんて…僕は頭が上がらないなと思ってしまった。
そうこうするうちに日はどんどん傾いていく。秋の夕暮れは釣瓶落しと言うが、正にその通りだった。
玄関の呼び鈴が鳴り、些か草臥れた感じの誠司さんがやって来た。
子が出来て張り切らなくては成らない思いもあるのだろうけれども、ほどほどにねと、僕は心の中で呟いた。
「いらっしゃい」
そう言って誠司さんを迎えに出たのは、それまで奥に引っ込んでいた父さんだった。
僕と違って父さんは、女三人?四人?いや五人?いやいくら何でも美代まで数えるのはなあ。の中に入るのは憚っていたらしかった。
それだけに誠司さんが来たのが嬉しかったらしく、手洗いさせるのもほどほどにしてダイニングで席を勧めていた。
キッチンの方から母さんが目顔で父さんに問う。お茶かビールか?多分そんなことなんだと思う。
それに対して父さんはくいっとコップを空ける仕草。これでビールに決定。
カチャカチャと音をさせながらビールとコップ、それにここまでの間に作り込まれていた料理が次々と運び込まれる。
「まずはどうぞ」
そう言って父さんが誠司さんにビールを勧める
「ありがとうございます」
少し緊張しながら杯を受け取る誠司さん。
普段はそんなにお喋りする方では無い二人なのだったけれども、こうやって二人で酒杯を上げる時は、どちらとも無くぽつぽつと喋り始める。
行き交う言葉の数はさほど多くは無いのだけれども、僕の見る限りではこの二人、結構ウマが合っている。
そうこうしているうちに料理も全てそろい、皆が席に着くことになる。
そこで父さんが音頭を取ってコップを持ち上げる
「壮行会って言う訳でも無いのだけれど、誠司さん達一家があちらに帰られても、皆元気に楽しく暮らされることを願って、乾杯」
恐縮しながら頭を下げている誠司さん。葉子ねえは良い方を旦那さんにしたなってつくづく思う。特にこの方は、我が家において特異の存在である雨子様のことを知っても、何ら変わること無く接してくれたという意味では、なかなかの度量の人なのでは無いだろうか?
本人曰く、昨今の色々な物語を読んでいたらこう言うシチュエーションもあり得るのじゃ無いかって?どうやらなかなかの強者のようだ。
わいわい皆で食べて飲んで、途中美代のことで葉子ねえは少し中座したが、おしなべてとても楽しい秋の夜が更けていった。
閑話休題…もう少し続きます




