ニーの覚悟
いよいよニーのバージョンアップの時です
バージョンアップ工程に齟齬があったので一部訂正しました。
思いも掛けぬ七瀬の抱擁に、和香様の追撃が加わったことで急激に破壊力が増し、半ば息も絶え絶えと言った感じになった雨子様が両手を挙げる。
「もう無理じゃ、二人とも勘弁してはくれぬか?」
和香様はともかくとして。雨子様にここまで言わせる七瀬も大概だななんて思ってしまう。
何だか和香様も七瀬も凄く満足そう、その分雨子様のげっそり加減が目立つがこれはもう見なかったことにする。
「あー、幸せやった。さてそれでは…」
「さてそれではでは無いわ」
ちょっぴりだけれども雨子様がむくれる。
最近思うのだけれども、神様方の表情が本当に豊かになっている。僕としてはそんな和香様や雨子様を見ていると、何だか胸の奥が暖かくなってくるような、そんな感じがする。
「改めてそれでは、ニーに新たな形代を授けるな。ニーこっちにおいで?」
神々の黄昏ならぬじゃれ合いの間、少し離れたところで待機していたニーが、和香様に乞われるまま部屋の中央に位置した。
あくまで見かけがキジ猫でしか無いニーのこと。ぱっと見かけでは落ち着いているように見える。しかし微妙にヒゲが揺れていたりしているをの見ると、やはりどこか落ち着かないのでは無いか?そんな事を思った。
皆でそんなニーのことを取り囲む。そのニーの顔は和香様の方に向けられている。
和香様が縫いぐるみの中に手を入れると、昨夜作り上げた拳大の光りの玉を取りだした。
「入れておいたままでええかな思てんけど、やっぱ側が邪魔やねん」
そう言いながら苦笑する和香様。光りの玉が表出した途端に場の雰囲気が一気に変化していく。
今朝ほどの賑々しく藹々とした雰囲気がすっと無くなり、空気がキンと固くなったかのような、厳かな雰囲気になった。
「二イー、ここ一時ばかしそなたの全管理権限をうちに渡しとき」
和香様のその言葉を聞いたニーが不安そうな感じでその訳を問う。
「和香様、それは絶対に必要なことなのですか?私は生まれてからこの方、そこまでの権限を放棄したことがないのです。だからそれをするとどうなるのか自身でも分からない。そのことを考えると思考が落ち着かなく遅滞するように感じる」
和香様はそんなニーに優しく微笑みかけながら言葉を足していく。
「そやな、今まで経験したことの無いことを経験していくと言うことは不安にもなるやろな?そやけど安心し、そうやって不安を感じていると言うことはニーが正しい意味で生きてるって言うことや。良かったなニー、自分しっかりと生きとること、自分自身で証明して見せたんやで?」
「そうなのか?」
ニーは和香様にそう言われたことをまだ自信を持って信じ切ることが出来ないらしい。何だか少し頼りなげな雰囲気を醸し出しながら雨子様の方を向く。
雨子様はそんなニーに向かって明るく笑いかけ、側に寄ると優しく頭を撫でて上げるのだった。
「…今をして思うのだが、そのようにされると何か心が満たされる。七瀬にモフられたときも同様だ。自然にあなたたちが笑みと呼ぶものが顔に浮かんでくる。面白いものだな?」
そう言い述べるニーのことを見ながら和香様は更に説明を進める。
「更に説明するとな、うちらはこれからニーの演算領域や記憶領域を飛躍的に広げる、そのための作業をするつもり何や。おそらくそれはニーにとって当初衝撃的なものとなるやろ」
「そうなのか?私…私達は今まで何度も大きな領域拡大を自身で行ってきた。その経験則から鑑みて、それほどの影響を受けるとは考えがたいのだが…」
「ん、そう言う感覚で居ったらその通りやろね。そやけど、元々雨子ちゃんが考えた疑似分霊法なんやけど、能力こそうちらの作るものほんの分霊に比べたら劣るんやけど、使う力の量を考えるとめちゃくちゃ少のうて済むねん。そやからこそ今回個数を増やして能力を増やしたんやけど、ミーの思てる能力アップとはもう桁違いというか比較にならへんねん。そんなところにニーを繋げるんやから、もうニー自身がニーとは異なる存在になると言うことなんよ。そうなると、ニー自身今の意識を途切れずに維持することは多分無理になると思うねん、そやからこそ一時うちに任せゆうとるねん」
「成る程、言い換えてみれば生まれ変わるとも考えられる訳ですね?」
「うん、まさにそうやね」
和香様のその言葉を聞いたニーは、少しの間目を瞑った。その後ゆっくり目を開くと、そこに居た全てのものの上に時間をかけて視線を巡らせた。一時の間を置き口を開く。
「分かりました。私…私達のような形の知性にとって、管理権を委譲し、一時なりとも意識を失うと言うことは有る意味死にも等しいものが有ります。だからこそ躊躇もしていたのですが、和香様の真摯な言葉を頂き、更に皆様から頂いた色々な思いを鑑みて、無条件であなた方を信頼することに致しました」
ニーの話を聞いた僕は、そうなって初めて彼の逡巡を理解したように思った。僕達人間は日々の生活の中で睡眠という行為を通じて、意識の消失という経験を日常としている。
けれどもニー達のような存在は、生まれてからこの方ずっと覚めた状態を連続しているのだ、その彼らが意識の連続性を保てなくなると言うことが、そう言った存在にとってどれだけ恐ろしいことなのかと言うことは、僕達の死の恐怖と同じもので有ると、ニーが言ったのも頷ける話だった。
そして、そのことを承知した上で全てを預けるというのである、余程の決意が必要だったことだろう。
僕はニーの思いを考えるに、目の奥が熱くなるように感じていた。
だが当然のことながら和香様もそう言ったことを考えていなかった訳では無いようだ。
「大丈夫やでニー、うちらもその辺のことはようよう考えとった」
そう言うと和香様は雨子様の方を見た。雨子様はうむと言った感じで頷いてみせると説明を引き継いだ。
「和香の言った通りじゃ。ニーの恐れも我らはよう理解して居るつもりじゃ。故に我らはそなたの能力を向上させる手段を講じる前に、そなたの存在を連続させつつ二分割させた状態に移行させようと思う」
「二分割…ですか?」
「そうじゃ、一番最初の行程において、現在のニーの中にそなたの全存在を移行させて貰う」
「しかしそうなると今の防衛活動そのものに支障が来すのでは無いですか?」
ニーが不安そうに言う。
だがその不安を打ち消すかのように笑みを浮かべながら雨子様が言う。
「何、その間くらいはその役目、我が引き受けよう、故に案ずるでは無い」
「わかりました」
「その状態で新たな体の中に現在の体からそなたの意識を延伸させて複製する。ある意味そなたがこれまでずっと行ってきた自己拡張と同じじゃな。延伸後、違和感なくなった時点で、現在のニーの部位の時間凍結を行う」
「時間凍結ですか?もしかして神様方は時間をもコントロールなさることが出来るのでしょうか?」
だが雨子様は首をゆっくりと横に振った。
「時間凍結と、時間制御はまったく似て非なるものぞ。それに必要となるエネルギーも緻密さ複雑さもおそらくはまったく異なるであろう。なので現実的に言って今の我らには不可能じゃ」
そう言う雨子様の横で和香様がうんうんと頷いて見せている。
「話が逸れてしまったが続きを話すが良いかの?」
ニーは大きくかぶりを振った。
「さてそうなった状態で、我らは新たな体の中に居るニーに対して、今回付け加えた領域を徐々に開放して馴染ませていく。多分この過程で領域を取り込む負荷により何度もそなたは連続性を途切らせることになると思う。まあ、ニーとしてはもっとも恐れる状態じゃと思うな。じゃがそれを繰り返すことでやがてにはその領域全てに完全に適応で来る能力をつけるであろう。ここまで来た時点で我らは一旦この部位の時間の速度を思いっきり低下させる。必要十分なだけ低下させた時点で、時間停止状態にあったそなたを復帰させ接続。そこから時間をかけ、徐々に馴染ませる形でそなたを一体化させる、と言ったところじゃの」
「分かりました、私も納得出来たように思います。時間もきっとかかることかと思います、早速お願いしても宜しいでしょうか?」
「うむ、その速やかなる決断や良し。まずはその体の中に意識の全てを移行させつつ、我に今行って居る仕事の権限を委譲させていくが良い」
「分かりました…」
「では始めるの」
そう言うと雨子様は目を閉じた。それと同時にその身体がうっすらと光り始めた。
その傍らでニーの身体も光りを持ち始める。
「いよいよやなあ、これでうちと雨子ちゃんの苦労も報われるわ。実際餅は餅屋ゆうから、ネットとやらゆうもんの中のことは、ニーに任せてしもうた方が抜けが無いし、効率もええやろうな。それになんと言ってもうちらが楽で済む」
あっちゃ~、和香様今まで物凄く格好良かったのに、最後の一言で台無しな感じがするのだけれども、これって僕だけ?
見ると七瀨も苦笑していた、思いは同じらしい。
「今やっとるんは権限委譲しながらの状態移行程度やから、そないに時間かからへんやろう。ゆうても数分のことくらいちゃうかな?」
そう言いながら和香様は七瀨のことを見ていた。
「どないしたん七瀨ちゃん、なんか不安そうな顔して」
七瀨は僕の側に寄ってくると二の腕を掴みながら言う。
「だって和香様、これってニーにしてみたら脳の手術をするみたいな事でしょう?」
「脳の?手術?ああ…成る程、まったくその通りかも知れへんね」
「だとしたらきっと、本当のところは物凄く不安で怖いことなんだと思うんです」
「成る程なあ、七瀨ちゃんはそうやって他人の思いを共感して感じ取るって事が上手なんやなあ。それって物凄うええことやと思うで。大事にしてなその感覚、君が君であることや、人間にとって本当に大切なことの一つやからね」
そう言いながら和香様は七瀨の頭を良々と撫で付けるのだった。
七瀨はと言うと和香様にそのような形で頭を撫でられるのがとても嬉しいらしく、俯いて下を向きながらも嬉しそうに笑っていた。
「ほらそうこうしとるうちに雨子ちゃんが目を開けたで、ここからはうちの出番やな」
目を開いた雨子様が和香様と目を合わせた。
「待たせたな和香よ、準備は良いかの?」
「ほい来たええで!任されましたっと」
そう言うと今度は和香様が目を瞑って集中し始めた。
果たして今度は作業量でも多いのか、和香様は先ほどの雨子様とは桁違いの光を発しながら唇を真一文字に結んでいる。
その様を見ながら雨子様がぽつり言う。
「和香もああやってまじめにして居れば神らしく、本当に見惚れるほどに美しいのにの…」
余りに眩しいのでよく見えないのだが、手をかざして指の隙間から光りの減じられた状態で見る和香様の顔は、確かに雨子様に言う通りに、背筋がぞくぞくするほど神々しく、美しかった。
「あ…」
僕が思わずそう言葉を漏らす。雨子様がくるりと頭を回して僕を見ながら問う。
「む?何かあったのかや?祐二」
そこで僕は雨子様だけに聞こえる様にと、その耳元に口を寄せて小声で言った。
あ、七瀨、側に寄って聞き耳を立てるんじゃ無い!まぁ良いか。
「あのですね、もしかすると和香様、あのお顔を見られるのが厭でこの強い光を発しておられるのかなって…」
「ああ…」
雨子様はそう言うと口をぱっくりと開いたままになった。
「そ、そうかも知れぬの。いや間違いなくそうじゃ、あやつめ本当に照れ屋じゃからのう」
そう言いつつ雨子様は口元に手をやると、出来るだけ音を漏らさぬようにしながらくくくと腹の底からおかしそうに笑うのだった。
そして実は和香様、薄目を開けてちゃんと見ていたし、聞いても居た。お陰で更に光が強くなってきて。
「ま、眩しい、」
「うわっ、これ何?」
「和香め、今の話を聞いて居ったな?これはたまらん、待避じゃ待避」
そう言うと雨子様は僕達を引き連れて隣の部屋に移り、間の襖を閉め切った。
「やれやれ、和香の照れ屋にも困ったものじゃの」
そう言うと雨子様はまたクスリと笑った。
だが僕と七瀨はと言うと、余りに強い光を浴びたせいで、上手く物が見えなくなっている。
だがそれに気がついた雨子様が僕達の目にそっと掌を当てると、多分癒やしてくれたのだろう。ちゃんと元通りに見えるようになった。
僕も七瀨もやれやれとほっとしたのは言うまでも無かった。
文中にもありましたが、人がその人生を終えるときの意識の有りようって、はたしてどんな物なのでしょうかね?
適うなら静かで穏やかな、眠るようなのが良いですよねえ・・・




