夜話
何だか知らないけれども雨子様可愛いですねえ
風呂から上がり、火照る体を冷やす為に僕は窓際に立っていた。
雨子様は僕と入れ違うようにお風呂に向かった。
雨子様の言うように今日は外の虫の音が、騒がしいくらいに聞こえてくる。
快晴だったせいか、見上げると街中にしては珍しいくらいに星が見える。最近バタバタしていたお陰で、こう言う物に心を傾けることを忘れていたのかも知れない。
涼風を身に感じながらぼうっとしていると、雨子様が戻ってきた。
「あれ?今日は随分早いのじゃ無いですか?」
いつもの雨子様ならお風呂となると最低でも三十分くらいは入っているのだ。
「む?平生とそう変わらぬぞ?」
どうやら時間感覚を無くしていたのは僕の方みたいだった。
「何じゃ祐二、珍しいの。そなたがそのようにぼうっとしておるなぞ」
「あはは、ほんとですよね、やはり少し疲れているのかも知れません」
「まあそうじゃの、かく言う我も疲れを感じて居るからの」
「雨子様もなんですか?」
「うむ、こうして肉の身を纏うてからは時に顕著な気がするの。じゃがまあ楽しいことの方が多いから、それもまたよしと割り切って居る」
「雨子様はそうやって人間となって暮らされて、もう慣れられました?」
「むう、そうじゃの。もうすっかり慣れたと言っても良いかもしれん」
そう言いながら雨子様は布団を引っ張り出し、その上にぽてんと座った。
「ところで祐二よ、人を人たらしめているものはなんだと思う?」
「う~~ん、何だろうな?僕の考えって言うことでいいのですよね?」
「うむ、思うて居ることを自由に述べればそれでよい」
「そうだなあ、色々あるのかも知れないけれども、もし一つ上げるとしたら僕の場合は言語と言うか言葉かな?」
僕を見ている雨子様はそっと目を瞑りながら言った。
「何故そう思うのじゃ?」
「ん~~、僕が僕として物を考えるのは、僕の知っている言葉を使って考える訳なんですが、それが即ち僕という人間の中身の多くを形作っていると思うのですね」
「なるほどの、即ち祐二は己の知っている日本語という言語を使うて、それによりその存在を形成して居るという訳なのじゃな?」
「ええ、そう成りますね。その仮定で言った場合、雨子様はどうなんですか?」
僕にそう質問されるとは思っていなかったのか、雨子様は瞑っていた目を大きく見開いた。
「むう、我らもかつては特定の言語を持っていたようなのだが、思考のみの存在になってから後、概念を直接形にして伝えることが可能になったが故に、よく言えば色々なことを正確に考えることが出来るようになった。じゃが悪く言えば実に融通が効かんと言うか、さてどう言えば良いのじゃろうな?彩りが足らん?」
「彩りですか?」
「むぅ…これを説明するのは難しいのう。さておき、我らはこの国の言語を学び、一部ではあるが思考に使用するようになってから、色々なことを楽しむことが出来るようになった気がして居る」
「日本語だと楽しむことが出来る?」
今一つどう考えて良いのか悩む雨子様の言葉だった。
「そうじゃの、ゆうて見れば余白の美のような物があると言うべきなのかの?」
「はぁ…」
「この言語の持つ表現の多様性を基に、伝えるべき意をあえて全て伝え尽くさないことで、受け取り側の解釈に余裕を持たせ、その場の環境や時節その他諸々のことから受け取り側が自分でその空白を埋める?そのようなところがあるじゃろう?それが我らには面白くてならぬのじゃ」
「何となくでは有りますが、分かるような気がします」
「思うにこの国の言語には特にそのような部分が多いような気がするの」
「それに当たるかどうかは分かりませんが、日本語においては自分を指す言葉が本当に多くありますよね」
「うむ本当に面白い物じゃと思うの。さてそれからの話なんじゃが、日本語に限らず諸々の言葉はそれぞれの思考の有り様を作り上げ、ひいてはそれがまた文化の形成にも繋がって居ったり、逆の場合であったりもする。ここで彼の国の話となるのじゃ」
「え?また繋がってくるのですか?」
そう言うと僕は苦笑した。
「うむ、済まぬの、話しておかなくてはと思うものがあっての、聞いてはもらえぬか?」
「うかがいます」
「あの国の民はその歴史の中で幾度もの外敵の侵入を受け、その中で何度もその文化を手放す経験をしておる。もっともそれは彼ら自身の責任でもあるところが大いにあるのじゃが、近年の政治的動乱においては実に多数の文化的遺産をなくし、自らの魂の拠り所を無くしてしまうと言う悲しい経験をしておる」
僕は思い当たることが幾つもあって黙って頷いた。
「そしてこの度のことがある。下手をすると彼らに残された最後とも言えるような巨大な遺産を破壊し尽くさなくてはならないところで有った」
なるほど、そう考えると多くの人の命を奪ってしまうこと以上に多大な影響を及ぼすことも考えられる訳だ。
「我としてはあのように多くの民を抱える国が、これ以上その文化を佚するようなことは可能な限り防ぎたいと思って居った。故にの、それを防ぐ手立てを考えた祐二は、彼の国の者の未来を救うたと言えるかもしれん」
「雨子様、もしかして僕にそのことを伝えたいが為、またこうやって長に話をしてくれたりしました?」
「む、その、何じゃ…そうじゃ」
そう言う雨子様は顔を俯けてしまって表情が見えない。
「はぁ~~」
僕は大きく長く息を吐いた。それに驚いたのか雨子様はびくりとしながら急に顔を上げる。見るとその瞳が潤んで見える。
「ありがとうございます、雨子様」
僕は雨子様の僕への優しい思いを感じ取って、出来るだけ心を込めてそう言った。
「我はそなたに…愛し子に悲しい思いはしてほしゅう無いのじゃ」
「分かります、雨子様。本当に大事にしてくれていること良く分かりますよ」
「本当かの?」
普段は何事も自信満々に見える雨子様なのだが、今日に限って言うと不安で仕方なさそうだ。
「本当ですよ」
僕が笑みを浮かべながらそう言うと、雨子様の肩から目に見えて力が抜けた。
「何故なんじゃろうな?そなたのことに限って我は迷うことが増える」
「そ、それは僕こそどうしてなのか分からない事ですよ?」
「そうじゃよな?我の思うことなのじゃから、我に分からない事がそなたに分かる訳無いはずなのじゃ…」
そう言いつつも雨子様、どうして語尾が何となく上がるのですか?
雨子様は自分の布団の上に座ったまま僕のことを見る。当然のことながら期せずして上目遣いに見上げることになるのだけれども、そのせいかな?妙に動悸がするように思うのは気のせいなのか?
「今日は疲れたの、そろそろ休むとするかの」
雨子様が伏し目がちになって静かにそう言う。
「そうですね」
僕は雨子様の意見に同意し、ベッドに寝転がり灯りを消す。
「おやすみなさい」
「むぅ、お休みじゃの」
灯りの消えた部屋の中では静かに時が流れていく。外の世界から時折聞こえるのは蟋蟀の声か?その音に混じって小さな小さな吐息のような音が聞こえたのは、はたして気のせいなのだろうか?
僕はその音の意味を考えようとしながら、何時しか夢の世界へと落ちていった。
あいたたた、腰を傷めてしまいました
余談はさておきいつもお読み下さりありがとうございます
これからも頑張っていきますので応援よろしくお願い致します。




